「長島明子さんへのインタビュー」をシリーズでお届けしています。
前回の最後で、「お父さま、そしてお母さまからさまざまなものを受け継がれた長島さんの『自己実現』の旅は、このあともまだまだ続きます…」とコメントしました。
「京都シルク」を「戦闘モード」で経営した30代を経て、長島さんは41歳の時に、「ある気づき」を得ます。
(長島)
「京都シルク」に私が入ったのが30歳でしょ。30代っていうのは、本当に仕事モードですよね。どこに行っても「喧嘩するぞ」、っていう気持ち。百貨店のバイヤーとでも。20年以上前の話です。まだまだ未熟でした(笑)。
(坂本)
あっこさん、喧嘩上手そう(笑)。
(長島)
(笑)… 私は常に一番最初を歩く人だったので、いつも気を張って仕事をやっていました。その分、敵も多かったように感じます。でも味方も多かった。ただ、そういうのはよくないな… と感じるようになったんです。41歳の時に「フッ」と。
「敵も多かった」、でも「味方も多かった」と30代の自分を振り返る長島さんです
(坂本)
ここまで、あっこさんの若い時というか、その40歳くらいまでのお話を聴いていて… 何と言ったらいいのかな? あっこさんとは3年くらい前に出会っていますけど、私が感じている今のあっこさんと、あっこさんが語るその当時の姿は、まったく違っているような気がします。なかなか像が結ばれない…
(長島)
そうだと思います。
(坂本)
そんなに違うんですか?
(長島)
違います。もう全然違います!
(坂本)
全然違う? その違いを具体的に教えていただけますか?
(長島)
あの…お化粧も違いますし、着ているものも違いますし、態度も違いますし、もう全然違います。いつもいつも、髪型にしてもお洋服にしても、「強そう」にしていました。そんなカンジ。
(坂本)
戦っているカンジ?
(長島)
「そう、強く見せないと、頼んない雰囲気ではだめだ」と思ってたんですね、きっと。ただ41歳の時に「それだけじゃあ、イカン」って。それには、いろいろなことがあったんですけど、「イカンなあ…」と。「心を整えよう」と思ったのが41歳の時なんです。
そこから…まあ、3歩進んで2歩下がってみたいな。やってみたけど続かなかったとか、瞑想にしてもね。
(坂本)
なるほど…
(長島)
10年くらいかかって何かやっとね…「心が整って」きて、自分も大人になれたなあ、って。みんなのおかげで、今自分がここにいて…
(坂本)
41歳のときから、10年かけて…
(長島)
10年くらいです。今55歳!(笑)。
「みんなのおかげやなあ」って、本当に思えたんです。「みんながいてくれるから私がいるんだ」って、本当に腑に落ちて「みんなのおかげ」って思えた時に、最後に病気になったんです。
(坂本)
あ~っ……
文字である単なるテキスト(text)が、声の肌理(texture)に変っていく…
(長島)
「最後に来たのが病気かっ!」と。51歳のときです。
(坂本)
自分の生き方に疑問を感じて、それを何とか克服しようと、とにかく一生懸命やってきて…
(長島)
そうです!
(坂本)
10年かかって、整ってきて…
(長島)
そうです、そうです! 整ってきたんです。
(坂本)
「CBLのコーチング講座」の第25期をオブザーブで参加していて、あっこさんの言葉って、肚の底から響いてくるというか、そういう声だなあ、って感じるときがあるんですよ。声に肌理(きめ)があるなあ…、と。
例えば… ある言葉をAさんが言った。そのときは何も感じない。ところがBさんが、まったく同じことを言った。すると、全然違った想いで受けとめることができる。
その人から伝わってくる全体的なもの…「たましいの声」って言ったらいいのかな… とにかく情動が喚起される。文字である単なるテキスト(text)が、声の肌理(texture)に変っている。これは哲学者の鷲田清一さんの言葉ですが、25期の講座を視聴しながら、「あっこさん、どういう人生を歩まれてきたんだろう…?」って、そんなことを考えていました。
(長島)
ありがとうございます。10年間、いろんなことをしました。そうして「整ったなあ…」と思った時にいただいたギフトが病気だったんです。
(坂本)
病気がギフト…
(長島)
はい。
そのときね… 自分で自分を褒めてあげたいんですけど、ちょっとその前から自分の体調がおかしいなあ~って思ってたんですけど、最終的に先生から「癌です」って告知されました。「治療もちょっとややこしいです」って言われたとき自然に涙が出てきて、先生の横にあったテッシュを勝手にとって。涙が止まらないので…
医者は、長島さんの癌を「癌の顔が悪い…」と表現した
(坂本)
ごめんなさい。今だから笑えるんですけど(笑)。
(長島)
(笑)…すごく混乱したんですけど、病院出て、姉と親友に電話したとき、本当に嘘じゃなくて「この病気、私でよかった、私に来てよかった」って、思えたんです。これ以上、大切な人たちが病気になるっていう、あのつらいのは「もう無理!」って。「自分だったら何とか、何とか、耐えれるような気がする…」。二人にそう言いました。そう言えた自分は、たぶんその10年があったからだと思うんです。自分が病気になったときはジタバタしなかったかな、って思い返しています。
本当にいろいろ考えました。そして…「会社を引こう」と思いました。みんなにも心配かけるし、まずは「長期休む」と伝えねば、と思いました。自分にとっての「人生の清算」です。で、その時期とコロナが同時でした。
(坂本)
そうなりますよね…
(長島)
「治療開始までに3カ月くらいあるので、体力をつけてきてください。太ってでもいいから、これから始まる治療に耐えられるように体力をつけてください」、と言われるんですけどね。そんなこと言われたら全然ご飯も食べれなくて(笑)、でもまあその3カ月の間に、会社がいろんなことをやってるときに、「しばらく休みます。関わっている案件も会社の机も全部整理して、また帰ってくることがあったら使うけど、もし帰ってこなくても大丈夫。私の机は整理していいから、違う人が使ったらいいよ」って。全て綺麗にしました。
息子の大学も決まって、一人暮らしの準備もして、入院する日には荷物一つだけ。後は何にもないっていうぐらい、いろんなものを整理して入院したんですね。
そこからまあ、コロナが始まって2年間、私は完全に外との接触はゼロです。コロナっていうのもあったし、病院の中に居ましたから。
(坂本)
コロナですものね。
(長島)
そう。で、そんなときにね、うちの会社は…… がんばってたんですよ!
(坂本)
私がいなくても…?
(長島)
店販はコロナで休眠です。その分通販がものすごく忙しくて… むしろ(笑)。
百貨店の催事が全部なくなったんですが、催事をすごく楽しみにしていたお客さまが通販でしっかり買ってくれました。それからマスクですけど、シルクのインナーマスクをうちのパートナーが考えてくれて、それがメッチャクチャたくさん売れたんですよ。
(坂本)
コロナを乗り切るわけだ。
(長島)
そう。メッチャクチャ忙しくなって。
(坂本)
コロナが商機となった!
トップ不在でも「京都シルク」はコロナ禍を乗り切った!?
(長島)
コロナで大勢が出勤できないなか、姉とパートナーが指揮を執ってやってくれていました。私は仕事どころではないから、お任せっきりです。でもその時のことを、五十嵐先生にも言ったんですけど、「私がいなくてもまわるっていうこの状況を心から喜ぼう」と。「それは私がこうまわるようにしたんだ」って(笑)。
20年「京都シルク」でやってきたことが、最終的な成果は、「こんなときにも会社をしっかり守るという体制をつくることができた」。そういうことだと思ったら、なんか「卒業だな」と。
(坂本)
あーっ、なるほど…
(長島)
「やりきったぞ」、と実感できたんです。
(坂本)
なるほど、なるほど。
(長島)
さっきも言いましたけど、商品考えたり、企画したりというのは私の仕事でもありましたけど、結局は、そのチーム作りとか、逆境にも耐えられる組織作りとか、そういうメンタルを育むことが出来たっていうのが、もしかしたら私の「京都シルク」でやってきた一番の仕事だったんだな、と。それを「スッ」と認められたときに、「あっ、もう帰る場所ないな」、と。
(坂本)
あ~っ…
(長島)
私が帰ってね、上がってくる利益をね、薄める必要とかないじゃないですか。もう会社がまわっているのに… ですから「きれ~いな卒業」(笑)。
母の会社なので、一生辞めれないと思っていました。私が辞やめたくても、社員さんがいるので、辞めれないと思っていたけど、「こんなに綺麗な卒業の仕方があったんだ~」って、そう思った訳です(笑)。
(坂本)
さっきギフト、プレゼントっておっしゃったんだけど…
(長島)
そうです、そういうことです。
(坂本)
ここまでお話をお伺いしましたけど、あっこさんのヒストリーは、自分がこう、何か考えて動いて努力して… それはもちろんありますが、それよりも外部環境の変化というか、えてしてそういう変化は不条理なことが多いものですが、そういう激変というか、外圧を受け止めて…
人生に訪れる不条理を長島さんはどのように受け止めたのか…?
(長島)
そうです、そうです。
(坂本)
そのとき、またご自身が変わっている。変えることができている。
(長島)
確かに… そうですね。
(坂本)
すごいですよ。
(長島)
ピンチをチャンスみたいな、それの連続…(笑)。
(坂本)
逆境となったとき、それは人それぞれの受け止め方になると思うんです。だから、“その人”が出ると思う。で、それはおそらく経験とか、生きざまとかを自問自答して、そういうものが積み重なって一気に顕れる。
(長島)
それはさっき言った、「10年心を整える」ということに、チャレンジしたからだと思います。そうじゃなかったら、動けない自分の身体があるくせに、「ああしろ、こうしろ」って、言ったかもしれない。言いたくなる気持ち… でもそんなことが手放せたんです。
全てを仕切ってきた経営者は、等身大の自分が見えなくなることがあります。「自分の会社は自分が一番わかっている」と言葉にしてしまう。その結果…「会社」を上手に手放すことができなくなる。
長島さんは「そのような気持ち」を相対化させ、俯瞰します。メタ認知です。そして、「手放せることができた」ことを、しみじみと語ってくれました。
さて、ここまで長島さんの口からは、「コーチング」というワードが一切登場していません。その長島さんは「コーチング」と、どのようにして出逢うのか… 次回はそのことが語られます。
長島明子コーチ(大阪府大阪市)とのコーチング対話
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