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大阪のエグゼクティブコーチ長島明子さんの人生は、「自己実現」に向かって格闘し続けるプロセスだった!

前回のコラムは「コーチング×自己実現」というタイトルで、「自己実現」という少し堅い4文字熟語が意味するところを紐解いてみました。
その中で、「CBLコーチング情報局…コーチング大百科」で公開されている、「自己実現に伴う危険と苦しみをよく知っておくことが必要!」と「コーチングによって、いつの間にか「鉄の鎧」と化した裃を脱いでいた…」にリンクを張り、河合隼雄さんの視点を紹介しています。

そのコラムを書きながら、今回より6回シリーズで紹介する「長島明子さんのインタビュー」を思い返していました。ほとんど休憩もとらず、3時間という長時間にもかかわらず、率直に、自己開示そのものの回答をいただいています。ときに矢継ぎ早に、私が知りたいことを遠慮なく訊いています。そのような無遠慮な問いに対しても、長島さんは「真っ直ぐ」に応えていただきました。

こうしてインタビューは終わったのですが……「長島さんの生き方に通底するテーマって何だろう?」と、思考を巡らす日々が続きました。その思考の先に像が結ばれたのが……「自己実現」です。「自己実現」を河合さんは次のように語ります。

実際に皆さんの人生にとっても、自己実現というのは、ほんとうに思いがけないところから起こってくるし、マイナスの形で起こってくると言ってもいいのではないかと思います。

「長島さんは“自己実現そのものの人生”を歩まれている…」という共感に包まれた、インタビューを再現させていただきます。
まずは、長島さんのプロフィールです(一般社団法人コーチングスカイのホームページより)。

長島 明子

  • ICF認定コーチ(PCC)
  • JEA認定エグゼクティブコーチ
  • CBL認定コーチ
  • メンタルケア心理士Ⓡ
  • 一般社団法人コーチングスカイ 代表理事
  • 一般社団法人日本エグゼクティブコーチ協会 理事(副会長)
  • 京都シルク株式会社取締役

セッション累計時間:1200時間
クライアント人数:150名
(2025年1月現在)

ビジネス成果、人間関係、豊かな日常、闘病、ライフメンタル、就活、進学、ありたい姿についてなどクライアントさんが話したい、聞いて欲しい、認めて欲しい、背中を押して欲しい、応援して欲しいと思うあらゆる分野をテーマとしてコーチングしています。
ひとりひとりに合わせた時間を作り出し、共有することで、目指すべきゴールを見つけ、そこに快適にたどりつくまでサポートします。

大学院修了後、京都シルク株式会社に入社。
プロジェクトチーフマネージャーとして、営業企画、製品開発、デザイン、WEBコンテンツ制作等を手がけた後、取締役に就任。店舗販売戦略、スタッフ育成に携わる一方で、10年以上、大学生、学生イベントへの企業協賛として「人間力向上レッスン」を主催。
ビジネスパーソンであれ、学生であれ、その人の「本当に実現させたい理想の姿」を尊重し、最短距離でゴールを達成するためのカウンセリングを行ってきた。

勤続20年にして子宮体癌が見つかり1年半の治療・療養。その間、空を見て過ごす日々の中「もう一度元気になったら、いただいたたくさんの愛をお返しできるコーチングを仕事にしたい」と気づきがあり、療養生活中に「コーチング」について猛烈に学ぶ。

「生きていることの奇跡」を実感しながら、今までのキャリアと経験を活かし、一人でも多くの人が充実した人生を送ることができるよう様々な角度から歩み寄るコーチングを目指している。

  • 同志社大学法学部卒業
  • 同大学院法学研究科政治学専攻博士課程前期修了修士(政治学)
  • 同大学院法学研究科政治学専攻博士課程後期単位取得退学
  • 大学院在学中8年間大学受験予備校専任講師を務める
  • 京都シルク株式会社 取締役
  • 一般社団法人コーチングスカイ代表理事

長島さんは、商売人になるのは「絶対いやっ!」と思っていた

(坂本)
それではよろしくお願いします。
長島さんには、「CBLコーチング講座」の講師をお願いしています。その際受講生の皆さんに、「私のことは長島さんではなく、あっこさんと呼んでくださいね」と、毎回自己紹介されていますので、私も「あっこさん」とお呼びしてもいいですか?

(長島)
もちろんです!「あっこさん」でお願いします。

(坂本)
もっとも、懇親会でお酒が入ってくると、あっこさんとお呼びしているので、その方が自然体のインタビューができると思います(笑)。
さて、今回はインタビューですので、コーチングとは異なります。そのあたりはご了解ください。ときに失礼な質問になるかもしれません。

(長島)
はい、お手やわらかにお願いします(笑)。

(坂本)
いえ、「こちらこそ!」です(笑)。
まずお訊きしたいのは、同志社大学の大学院を出てらっしゃる。しかも政治学の博士課程後期を修了された。となると… 研究者として大学の教授を目指されたのかな、と感じたんですが、その動機というのは、どこにあったんでしょうか。

(長島)
はい、「オギャーと生まれたときから商売人の家」というのは、担当させていただいているCBLのコーチング講座でも話しているんですけど、もう、そうですね… だいたい親族全員商売人で、サラリーマンっていう人に会ったことがないっていう。身近で働いている人は学校の先生ぐらいの認識ですね。

(坂本)
ほ~っ…

(長島)
だから、叔父も叔母も祖父も、みんな商売してるっていう環境の家(うち)でした。そんな家で育ったものですから、もう商売人になるのは「絶対いやっ!」って、思ってたんですよ。

(坂本)
絶対!?(笑)。

(長島)
はい、もういわゆる「反面教師」っていう感じで…

(坂本)
それはなぜでしょう?

(長島)
「とても大変な仕事」だと思っていましたから。職人さんも30人とか40人ぐらい居てましたし、お手伝いさんも2人ぐらい居て… 建物の最後の仕上げのところを担当するタイル施工を主にする建築会社を父が経営していました。
職人さんってほぼ個人事業主なんですけど、その人たちを束ねてやっていく、ゼネコンの下請けのお仕事です。昔は、トイレとかも全部タイルだったでしょう?

(坂本)
そうでした。凄く需要があった。

(長島)
そうです、そうです。

(坂本)
思い出します。私が幼稚園の頃だと思うのですが、広島の実家の風呂が五右衛門風呂から、セメントのタイル貼りのお風呂に変ったんです。嬉しかったなあ~(笑)。私は1958年の生まれですが、日本の高度経済成長は、タイル文化と共にあった。

(長島)
そう、そうなんです! 本当に大成長しました。
タイル職人からスタートした父は、営業で成功して、30歳でその会社を起こしています。

長島さんのお父さまは30歳で会社を起こし大成功されている

(坂本)
うんうん。

(長島)
父は不動産業も展開しています。不動産は後からなんですが、高度経済成長の後半ではありましたけど、手広く商売していって、その環境に… 何だろう。自分は飽きた…(笑)。

(坂本)
飽きた?

(長島)
うん、そうです(笑)。

(坂本)
それは何歳ごろですか? 自覚したというのは?

(長島)
えっと、中学校ぐらいのときから私は商売人ではなく、絶対に学校の先生とか、大学教授とかに、そういうのになると…

(坂本)
そのあっこさんが中学生のころ、まだお父さまはお若いですよね。あと、お母さまが起こした「京都シルク」にも興味があるので、それは後でお訊きしようと思います。

(長島)
はい。父は世話好きだったこともあって、会社以外の役職もいろいろ引き受けていました。それで、いろんな行事のたびに前で喋るんですけど、まあ我が父ながら、誰よりもうまいと思ってました(笑)。

(坂本)
いいなあ~(笑)。子どもからすれば親を尊敬できるって、幸せですよね。

(長島)
いや~そうかなぁ(苦笑)。でも、まあ…尊敬していました。父は“聴くこと”も上手でした。今は父のDNAをだいぶ受け継いでいるなあ、と感じています。母とかは「お父さんそっくり、あんたは!」って言いますから(笑)。

(坂本)
いやいや見えてきた、解けてきた。つながってきた(笑)。
あっこさんには、「CBLコーチング講座」の講師をお願いしていますが、コミュニケーション能力、みんなを引きつける何か特別の能力を持ってる!

(長島)
いえ… でも、ありがとうございます。

(坂本)
実は、「この能力はどこで培われたんだろう…」という疑問を、ずっと抱いていたんです。もっとも、遺伝がすべてではないですけどね(笑)。

(長島)
ええ、でもあると思います。父がどんなことを話してたかとかは、全然覚えてないんですけど、なんかやっぱりキャッチするところがあって、ザワザワしている会場も父が話し出すと「みんなが聴く」ということがありました。1回、2回、みんなを笑かせて、みたいなね(笑)。

(坂本)
あっこさんは門前の小僧だ(笑)。

長島さんは、コーチャブルなお父さまの血を引き継いだ!?

(長島)
(笑)…ただ、父はもちろんのこと、母もお金のことをやってましたから、家(うち)の環境は、とにかく忙しかった。私には二人の姉がいるんですが…

(坂本)
三姉妹の末っ子?

(長島)
ええ、5歳上と3歳上ですね。三女の私は、もう好きなことやったらいいって、言われていました(笑)。

(坂本)
三姉妹…いいなあ~
ところで、「商売人になりたくない」というのはわかりましたが、それがどうして学校の先生、大学の教授って、直線的につながるのか? もっといろんな仕事がありますけど…

(長島)
そうです、そうなんです。そのサラリーマンって発想がないから。

(坂本)
あっ、会社に入るっていう発想が…

(長島)
はい、会社に入るっていう発想が1ミリもない。周りにそういう人がいないからイメージが湧かない。「そんなこと私にはできない」、という思いです。会社に勤めるなんていうのは自分の選択肢になかったんです。
加えて、父は若い時から商売だけやってましたから、だから私には「学校には行け! どこまででも行け!」って、言ってました(笑)。

(坂本)
(笑)… お二人のお姉さまは?

(長島)
長女は関西学院大学です。真ん中の姉は書道をしてましたので、花園大学っていう仏教系の大学です。

(坂本)
臨済宗系の大学ですね。

(長島)
そうです、そうです。

(坂本)
あっこさんに戻りますけど、同志社は「関西圏私学の雄」ですが、大学受験はどんな感じでした?

(長島)
大阪は公立高校がわりと優秀で、有名なところでは北野高校っていうのがあります。

(坂本)
はい。

(長島)
それから天王寺、そして大手前。私は大手前高校なんですが、中学校のときはそりゃあもう席次もね、5番以内とかでしたけど、その大手前高校に入ってからドーンと落ちる(笑)。そのとき私にとっては… なんだろう? 挫折感もあったし、本当にみんな偉いなって思ってたし、でもあんまり腐るタイプではないので、それはそれで受けとめていたんですけどね。
私がCBLの講座で学んでいたとき、五十嵐先生から、「誰かに何かを言われて、すごく励みになったことってないですか?」って、質問されたんです。この「問いかけ」は「承認」のところにあるんですけど、まさに私は、そのどうしようもない成績のときに、それがあったんです。
大手前高校の先生に「上智大学に行きたい」って言ったら…そんな行けるような成績じゃないんですよ…その先生から、「行け行け、大丈夫、行けるっ!」って言ってもらって(笑)。

どうしようもない成績の長島さんに、「上智大に行ける!」と先生は言った

(坂本)
ふふふ…

(長島)
「そうかっ、私は行けるのか!」と思って…(笑)。

(坂本)
素晴らしいなあ、その先生(笑)。

(長島)
いやもう本当にそんな成績じゃないんやけど、「頑張ったら行ける」って言ってくれたことで、何かちょっとスイッチが入って。

(坂本)
それは何年生のときですか?

(長島)
私は浪人しているんですが、高3のときですね。

(坂本)
なるほど…で、その高3のときの偏差値は、どの大学に行けるくらいだったんですか?

(長島)
現役のときは受験した全ての大学に落ちましたので、全然大したことないです。

(坂本)
その先生はネイティブコーチだ。未来志向ですね。その時点ではそうであっても「上智に行ける!」と。

(長島)
ええ、浪人しようと思ったわけです。

(坂本)
「浪人したら行けるぞ!」っていう、そういうモチベーションがあったから「浪人やるぞー!」って。

(長島)
そうそうそう、そうなんです! おっしゃる通りです。
ただ… 高校3年生のその最後の実力テストで、もうすぐ試験っていうときに父が倒れたんですよ。

(坂本)
あ~っ!


初回の「インタビューの再現」は、ここまでとさせていただきます。長島さんの「父は“聴くこと”も上手でした」という言葉がとても印象に残っています。コーチングにおいて、「傾聴」はスキルを超えた別格のスキルです。

この後、お父さまが脳梗塞で倒れられたときの状況を、長島さんはリアルに語ってくれました。「人生、何があるか(何が起こるか)、わからない…」ことが痛感されます。
自己実現とは?」について、長島さんの人生を通して、さまざま想いを巡らせるインタビューとなりました。

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