「信じているから」が、人を強くする
京都・室町で、着物、アパレル、テキスタイル、宝石という四つの事業を展開する大松株式会社。繊維商社が数多く軒を連ねたこの地で、四部門すべてを現在も手がける企業は、同社のほかにはほとんど見当たらないという。
創業から87年。三代目として会社を率いる小澤達也社長が、先代と創業者から受け継いだものは、事業や資産だけではなかった。
最も大切にされてきたものは「信用」。そして、自ら考え、判断し、行動する社員に商売を任せるという経営である。
「金太郎飴はいらない」
「軍資金はある。私を納得させてくれたら、なんぼでも出す」
「信じているから」
軽妙な語り口の奥に、一貫した人間観と経営思想がある。伝統を守りながら、変化の激しい繊維業界を生き抜いてきた大松の強さと、「人を信じる経営」の本質を伺った。

企業プロフィール
- 企業名:大松株式会社
- 所在地:京都市中京区室町通
- 創業:昭和14年(1939年)
- 設立:昭和22年(1947年)
- 事業内容:総合ファッション製品の企画、呉服、アパレル、テキスタイル、宝石、毛皮等の生産卸売販売、会員制テニスクラブ経営
代表取締役社長 小澤 達也(おざわたつや)
大学卒業後、金融機関での勤務を経て30歳で大松株式会社に入社。40歳で三代目社長に就任。約20年にわたり社長を務める一方、先代である父が亡くなった後の現在を「本当の意味での社長一年目」と表現する。人を見る洞察力と、社員の自主性を尊重する経営姿勢を大切にしている。
「生まれたときから後継者」――怖さの中で始まった事業承継
事務局:創業87年の会社を引き継がれました。社長になられた当時は、どのようなお気持ちでしたか。
小澤:怖かったですね。私は生まれたときから、いずれ社長になると分かっていたと思います。父は家でも敬語を使うような存在でしたし、会社ではもちろん社長です。その上には創業者である祖父がいました。明治生まれで、西脇から京都に出て丁稚奉公をした、たたき上げの人です。
私は30歳で会社に入り、40歳で社長になりました。ただ、社長になってからも、父の車が会社に止まっていたら、なるべく顔を合わせないように逃げ回っていました。目が合えば「ちょっとええか」と呼ばれ、一時間、二時間と話が続きますから。
父をずっと尊敬していました。ただ、当時は好きではなかったですね(笑)。それくらい怖い存在でした。
事務局:社長に就任されて約20年になります。
小澤:でも、自分の中では「今年から社長になった」という感覚なんです。父が亡くなるまでは、会長兼社長が父で、私はその下にいるという感覚でした。
今の会社が安定しているのは、私のおかげではありません。祖父と父がつくった会社であり、父が育てた部門長たちが支えています。だから私は、社長として何かを成し遂げたという感覚があまりないんです。
事務局:謙遜というより、本当にそう捉えていらっしゃるのですね。
小澤:会社を動かしているのは現場です。大松は以前から部門制を採っていて、部門長に責任と権限を持たせています。自分たちで考えて、商売をつくっていく。その人たちが優秀なんです。
私は、その人たちが力を発揮するのを邪魔しないことが大事だと思っています。いらんことをすると、現場が面白くなくなりますから。
受け継いだものは、「信用」
事務局:おじいさま、お父様から受け継いだものを言葉にすると、何でしょうか。
小澤:一番は「信用」です。
祖父から父へ、父から私へ、「信用があるから、皆さんに支えてもらえる」という考えが伝えられてきました。
若い社員には、よくお金を例にして説明します。知らない人から「千円貸してほしい」と言われても、普通は貸しません。でも、友人で、その人がきちんと返す人だと分かっていれば貸せる。金額が一万円、十万円、百万円と大きくなったときにも、「この人なら大丈夫」と思ってもらえる人間になりなさい、と。
本当の信用は、もっと深いものです。ただ、若い人には、その説明が一番伝わりやすいと思っています。
創業者である祖父は、銀行も潰れ、お金を借りられない時代を経験しました。それでも事業を成長させることができたのは、「自分に信用があり、周囲の人が支えてくれたからだ」と話していたそうです。
うちには祖父が購入した、文化的に非常に価値のある建物があります。でも、祖父は「これは買ったものではない。お預かりしているものや」と言っていました。
日本の宝のようなものだから、所有している人間の都合で扱ってはいけない。きちんと維持し、守ることのできる人だけが持つべきものだという考えです。
だから、会社が少しでも厳しくなって、維持する力がなくなったときには、最初に手放しなさいと言われています。売ることが悪いのではなく、次にきちんと守ってくれる人へお渡しする。それがお預かりしている者の責任なんです。
会社も同じなのかもしれません。社員から見れば「小澤家の会社でしょう」と言われるかもしれませんが、私自身は、自分のものだとはあまり思っていません。
祖父や父から受け取って、今は私が預かっている。そして、次に守り、育ててくれる人へ渡していく。私の役割は、その間に余計なことをせず、きちんと次へバトンタッチすることなのだと思います。
四つの事業を残してきた「大松イズム」
事務局:現在の大松の事業領域と、独自の強みについて教えてください。
小澤:着物、アパレル、テキスタイル、宝石。この四つを部門制で運営しています。昔は同じような会社が京都・室町にたくさんありましたが、今も四つすべてを続けている会社は、おそらく大松だけだと思います。
事務局:厳しい業界環境の中で、なぜ残ることができたのでしょうか。
小澤:祖父と父のおかげです。やはり信用でしょうね。それから、祖父が事業で得た利益を使って土地を購入していたことも大きいと思います。
ただ、不動産収入があるから繊維事業を続けられている、というだけではありません。不動産収益は営業外に分けています。着物、アパレル、テキスタイル、宝石という本業を合算し、営業利益を出している。これは各部門長と社員が商売を成立させているからです。
事務局:市場が縮小する中で、事業をどのようにしていこうと考えられていますか。
小澤:私が「こう変える」と決めるつもりはありません。社員に考えてもらい、時代の流れの中で決めていく。それが一番だと思っています。
着物の市場は、ピーク時の十分の一ほどになったといわれます。ただ、それでも一定の市場はある。大松が過去にその市場すべてを取っていたわけではありませんから、「まだできることはある」とも考えられます。
一方で、需要だけではなく、つくり手がいなくなるという供給面の問題もあります。テキスタイルも、国内のアパレル産業の構造変化によって非常に厳しくなりました。海外で商材を探し、日本で販売するだけでなく、今後は海外で商売をすることも考える必要があるでしょう。
それを考え、実行するのも現場です。
「軍資金はある。私を納得させてくれたら、なんぼでも出す」
事務局:そうした任せ方も、大松らしさの一つなのでしょうか。
小澤:そうですね。みんな本当によく頑張るんですよ。ああいうのが、たぶん「大松イズム」なんやと思います。
私は、細かく「あれをやれ、これをやれ」と言うつもりはありません。やりたいことがあるなら、自分で考えて持ってきてくれたらいい。
必要なところには、ちゃんとお金も出します。「軍資金はあるから、私を納得させてくれたらええ」と言っています。
ただ、何でも自由に使っていいということではありません。商売なんですから、使うべきところには使う。でも、無駄なところには使わない。
そこも含めて、自分で考え、自分で商売をつくっていく。それが大松のやり方なんやと思います。
今あるものを掛け合わせ、未来の機会をつくる
大松が未来への挑戦として可能性を見いだしているものの一つに、「染め」を専門に扱う美術館がある。
事務局:染めの美術館には、どのような可能性を感じていますか。
小澤:染めの作品をつくる作家はいるのですが、世の中にはほとんど知られていません。非常に小さな市場ですが、そこに光を当て、広がっていけば面白い。美術館は父がつくったものですが、これから私も取り組んでいこうと思っています。
一つの機会は、インバウンドです。京都には海外から多くの方が来ますし、美術館は街中にあります。海外の方に情報が届けば、面白いことが起こるかもしれません。
ただ、「この事業を仕掛けて、こう拡大する」という発想ではないんです。今ある美術館、染めの文化、海外への発信、社内の事業。それらを活用し、組み合わさったときに、新しい可能性が生まれるのではないかと思っています。
私が未来を全部決める必要はないと思っています。社員が面白いものを見つけて、そこから何かが生まれてくる。その方が大松らしいんちゃうかなと思います。
コーチングがもたらした「自分への気づき」
小澤社長は約二年前から、自らコーチングを受けている。
事務局:コーチングを受け始めたきっかけは何だったのでしょうか。
小澤:もともと、自分への気づきや内観に興味がありました。コーチと話していると、自分が今、どのような状態にいるのかが見えてくる。自分の考えを壁打ちしてもらう中で、「自分はこういうことを考えていたのか」と気づくことがあります。
私自身、中学生の頃から「なぜ生きているのか」と考えるようなところがありました。高校は全寮制の学校で、さまざまな人間がいる中、人の性格や行動を見ながら関係をつくっていかなければ生活できなかった。その経験から、人を観察する感覚が身についたのかもしれません。
事務局:自分を内観することで、何が起きていますか。
小澤:謙虚でいられるのは、そこが大きいと思います。
謙虚さがなければ、信用してもらえません。自分は何でも分かっている、自分が正しいと思っている人は、私は好きではない。コーチングを通じて自分を見ることが、謙虚さにつながっているのだと思います。
幹部にもコーチングを導入
事務局:自身の経験を踏まえ、小澤社長は一部の部門長にもコーチングを導入されました。
小澤:コーチングが誰にでも合うとは思っていません。その人が受け入れるかどうかは見ます。対象となった部門長は、事業への意欲も責任感も強い一方、「自分ですべてをやらなければならない」という思いが強く、人を動かすことに悩んでいました。
でも、自分自身のことには十分気づいていなかった。悩んでいる人にはコーチングが効くことがあります。彼なら受け入れる可能性があると思いました。
事務局:部門長の変化は、会社にどのような影響を与えていますか。
小澤:雰囲気が良くなっています。それはすぐに分かります。まだこれからですが、以前より良くなっていると思います。
「信じているから」という、最も重い言葉
事務局:ご自身がコーチングを受けることで、社員への接し方や問いかけも変わりましたか。
小澤:自分でも、相手に気づいてもらうような関わりをしようと思っています。怒っても仕方がありませんから。
ただ、それは父に一発でやられているんです。父の言葉は、「信じているから」でした。
一番怖い人から突然、「お前のことは信じている」「信用しているから大丈夫だ」と言われる。それが一番効くんです。あの言葉は、本当に重かったですね。
事務局:「信じているから」という言葉には、やはり重みがありますね。
小澤:重いですよ。別に「好きにしたらええよ」って放っておく話ではないんです。
本気で「お前ならできるやろ」「任せても大丈夫やろ」と思って言っているわけですから。言われた方も、そら応えなあかんと思いますよね。
父から言われた時も、「これはちゃんとせなあかんな」と思いました。何より、父の言葉は全部本気でしたから。
だから、人を信じるって、優しいだけの話ではないと思うんです。こっちも本気で信じる。任された方にも覚悟が生まれる。
たぶん、私が今、社員に対してやろうとしていることも、形は違っても、父から受けたものと同じなんでしょうね。
大松の真の誇りは、「人」
事務局:大松の最も誇れるものは何でしょうか。
小澤:社員です。
大松は、一人ひとりの社員を「個人商店」の集まりだと考えています。だから個性が強い。「金太郎飴はいらない」というのが、父の口癖でした。
営業社員は、1ヶ月の予定も自分で立てます。上から細かく「ああしろ、こうしろ」と言われる会社ではありません。
もちろん、誰にでも合う会社ではないと思います。自由に見えて、その分、自分で判断し、結果を引き受けなければならない。その環境を面白いと思える人が、大松では力を発揮してきたんでしょうね。
事務局:個性の強い方が集まっている会社なのですね。
小澤:私が銀行から大松に入ったときは、本当に驚きました。
銀行には、ある程度きちんとしたルールがあって、似たような感覚を持った人が集まっていますよね。
でも、大松は全然違った。
まだ世の中で解明されていない生き物が、たくさんいるジャングルに入ったような感じでした(笑)。一人ひとりが違うし、みんな自分なりのやり方を持っている。「この会社、何なんや」と思いました。
今年入社した息子も、最初に「お父さん、この会社、何?」と言っていました。私と同じことを感じたんでしょうね。
事務局:それだけ個性が強いと、組織としてまとめるのは難しくありませんか。
小澤:みんなを同じようにする必要はないと思っているんです。
それぞれ違っていていい。自分の持ち味を使って、お客様と向き合って、商売をしてくれたらいい。
大松は、きれいに整った組織ではないかもしれません。でも、いろんな人間がいて、それぞれが自分の持ち場で力を発揮している。私は、そこがこの会社の面白さやと思っています。細かく口を出すより、その人の力を出してもらう方がいいと思っています。
ただ、祖父は商売のことをものすごくシンプルに言っていました。
「商売は簡単なこっちゃ。入りを量って、出を制する。そうしたら黒字になる。足し算と引き算しかあらへん。掛け算はいらん」と。
事務局:非常にシンプルですが、経営の本質を表す言葉ですね。
小澤:そうですね。入ってくるものと、出ていくものをきちんと見る。それができる営業マンを育てたら、黒字になるに決まっているということです。
結局、大松がずっと大事にしてきたのは、誰かの指示通りに動く人ではなく、自分なりのやり方で商売ができる人なんでしょうね。
個性が強くてもいい。同じような人ばかりでなくていい。
そんな人たちが、それぞれの持ち場で商売を続けてきた。その人たちこそが、大松の一番の誇りだと思っています。
編集後記
伝統を受け継ぐとは、事業や資産だけでなく、目には見えない経営の思想を受け継ぐことでもあります。
大松では、「信用」「使うべきところには投資し、生活は質素にする」「人を信じ、任せる」という姿勢が、祖父から父へ、父から小澤社長へ、日々の判断や振る舞いを通して伝えられてきました。まさに、大松の帝王学。
87年を支えてきた信用と、人を信じる経営が、これからの大松もつくっていくのだと心から感じました。
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