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強みなんかない会社から、強みで勝つ会社へ ─共和ゴム株式会社─

「短所はちょっと置いといてええ」。小さな沼で一番を目指す、共和ゴム株式会社・寺阪剛社長の経営

「うちの会社に強みなんかあるわけないやろ。弱点やったら200個ぐらいあるんちゃうか」

会社が存亡の危機にあったとき、寺阪剛社長が先代である父に「この会社の強みは何か」と尋ねると、返ってきたのはそんな言葉だった。社員に聞いても強みは出てこない。ところが弱みを聞けば、次々と出てくる。

それでも「何かあるはずや」と探し続けた。ゴムという難しい素材を扱う技術、現場に蓄積された知見、顧客との何気ない会話から市場のニーズを拾う力、そして思いついたらまず動くスピード。共和ゴムは、その強みを伸ばすことで、下請け中心の町工場から自社ブランド商品を生み出す会社へ変わっていった。

興味深いのは、会社に対するその考え方が、人に対する考え方にも重なっていることだ。大きな海で万能な会社を目指さず、小さな沼で強みを生かす。人にも完璧を求めず、その人にしかない長所を見つける。寺阪社長に、挑戦の軌跡と「人を信じる経営」について伺った。

企業プロフィール

  • 企業名:共和ゴム株式会社
  • 所在地:大阪府枚方市長尾家具町3丁目4番地3
  • 創業:1971年3月
  • 設立:1974年1月
  • 従業員:95名
  • 事業領域:ゴム、プラスチック、スポンジを中心とした製品の開発・製造。OEM・受託製造に加え、自社ブランド製品を展開。農業分野など新規事業にも取り組む
  • HPhttps://www.kyowa-r.com/product/mamoru/

代表取締役社長 寺阪 剛(てらさかたけし)

1971年生まれ。同志社大学卒業。1994年共和ゴム株式会社入社。2004年代表取締役社長に就任。

「入りたくなかった会社」に入る覚悟

事務局:もともと、家業を継ごうとは考えていなかったそうですね。

寺阪社長:全く考えてなかったですね。父とは考え方も違いましたし、弟が先に会社に入っていたので、「親父と弟でやったらええやん」と思っていました。僕は不動産に興味があって、大学2回生で宅建も取り、卒業後は銀行で勉強して、いずれ独立するつもりでした。

ところが大学4回生のとき、自分が会社の借入金の連帯保証人になっていると知ったんです。成人祝いにつくってもらったと思っていた実印が使われていました。

事務局:会社に入るつもりがないのに。

寺阪社長:そうです。「なんで俺やねん。弟ちゃうんか」と思いましたよ(笑)。でも、家業が倒産したら借金が自分に来る。もう関係ないとは言えない。それで腹をくくって入りました。ただ、借金まで背負う以上、父と対等に話せる立場にしてほしい、僕の意見も聞いてくれ、と条件は言いました。入りたくて入った会社ではなかったです。

売上3億円、借金3億円超

事務局:入社後、最大の修羅場はいつでしたか。

寺阪社長:1998年から2003年ですね。当時、売上の85%ほどを一社に依存していました。その会社が二つに分かれ、「どちらにつくのか」と迫られ、片方との仕事を断った。それで売上が一気に半減しました。しかも建物を借金で建てた直後で、売上が3億円まで落ちたのに借金は3億円以上。「これは会社やばいやろ」という状態でした。

事務局:そこから、どう立て直したのでしょう。

寺阪社長:まず「うちの強みって何やろう」と考えました。父に聞いたら、「強みなんかあるわけないやろ。弱点やったら200個ある」と(笑)。社員からも強みは一つも出てこない。でも「何かあるはずや」と探すと、他社があまりやらないこと、簡単には真似できないことが少しずつ見えてきた。だったら、そこを伸ばして商品をつくろう。それが最初の転換点でした。

下請けから、自分たちで商品をつくる会社へ

事務局:会社の強みを探す中で、自社製品の開発に踏み切られたのですね。

寺阪社長:そうです。ただ、父は大反対でした。自社開発は図面も金型も必要でお金がかかる。当時はCADを使える人間もいません。父からすれば、「お客様から図面をもらって、その通りにつくる方がリスクがない」という考えです。
でも、それでは同じ図面が4社、5社に回って、最後は価格競争になる。うちはそこで勝てない。だから「リスクはあるけど、こっちで責任を持ってやる」と始めました。パソコンやCADソフトも自分で用意して、大阪府の支援で大学の先生を紹介してもらい、社員と一緒に一から勉強しました。

事務局:そこで、会社の方向性も変わっていった。

寺阪社長:「下請け企業から脱却しよう」と、はっきりテーマにしました。言われたものをつくるだけでなく、自分たちの強みを使って、自分たちの商品を考える会社になろうと。2000年頃から自社開発を始め、少しずつ共和ゴムの名前で出せる商品が生まれてきました。今の共和ゴムの原点は、たぶんそこやと思います。

お客様ではなく、「お客様の先」を見る

事務局:製品のアイデアは、どうやって見つけているのでしょう。

寺阪社長:基本は営業活動の中の情報です。ただ、お客様のニーズだけを見るんじゃなくて、その先の市場のニーズを見る。お客様が「こんなん売れへんと思う」と言っていても、その先には欲しい人がいるかもしれない。そこで「いや、それ売れるんちゃいます?」と考えるんです。

事務局:普通の商談だけでは、そこまでの話は出にくそうですね。

寺阪社長:出てこないですね。だから、だいたい飲んで喋ってます(笑)。雑談の中で「この間こんな話があってな」と出てくる。そこにヒントがある。「それ面白いんちゃいます? 一回うちでつくりましょか」という感じです。

大きな海には行かない。「沼のトノサマガエル」になる

事務局:共和ゴムがニッチトップを狙う理由は何でしょう。

寺阪社長:うちみたいな小さい会社が生き残るためです。営業には「国内で1億から10億円ぐらいの小さい市場を見つけてこい」と言っています。そのくらいなら大企業はあまり来ない。後発でも、相手が10種類ならうちは30種類出す。ある商品は今では600種類ぐらいあります。年間10枚しか売れないものでも置いています。

事務局:まさにニッチですね。

寺阪社長:僕は「ブルーオーシャン」という言葉を、うちには使わないんです。海は大きいから、儲かると分かったら大企業が入ってくる。だから海にも大きな川にも行かない。小さい沼を見つけて、その中で一番になる。海では勝てなくても、沼なら強者になれる。それが「沼のトノサマガエル戦略」です。

ゴム屋が、なぜトマトをつくるのか

事務局:なぜ、ゴムの会社がトマト事業を始められたのでしょう。

寺阪社長:僕がトマト好きだったんです(笑)。それと一次産業にも興味がありました。きっかけは、たまたま乗った新幹線のグリーン車。置いてあった雑誌で特殊な農法を知って、「これ面白いやん」と。調べたら当時仕事で通っていた平塚にその会社があったので、直接話を聞きに行きました。

すると、意外とゴムづくりに似ていた。溶液のpHを調整したり、何と何を混ぜるとどうなるかを考えたり、品質を管理したり。「これ、製造業と一緒やん」と思いました。

事務局:それで本当に始めた。

寺阪社長:当時、社員に「売上10億になったらトマトやるで」と言っていて、2016年に本当にやりました。今から思ったら「やめときゃよかった」と思うこともありますけどね(笑)。工業製品と違って在庫にはできないし、売れなければ腐る。農業の流通の厳しさも、やってみて初めて分かりました。

事務局:ゴムとトマトは、一見まったく違いますが、社長の中ではつながっていたのですね。

寺阪社長:そうなんです。全然違うように見えても、分解すると「化学」「品質管理」「製造」という共通点がある。自分たちがやってきたことと、どこかでつながる。そこに面白さを感じたんやと思います。

短所には目をつぶる。「長所」を使い切る経営

事務局:組織と人の話をお聞かせ下さい。「短所には目をつぶり、長所を徹底的に伸ばす」という哲学は、どこから生まれたのでしょう。

寺阪社長:うちみたいな会社には、いわゆる超優秀な人が簡単に来るわけじゃない。今いる人で、なんとかせなあかん。人を見れば短所はいくらでもあります。でも探したら、絶対に長所もある。だったら、短所を全部直すより長所を伸ばした方がいい。

父は逆で、短所を直す方に目が行く人でした。「あの人、こういうええところもあるやん」と言っても、「でも、あそこがあかん」と。ずっと喧嘩してました(笑)。だから僕の代になって、「短所は多少目をつぶろう。その代わり長所を伸ばそう」と切り替えました。

「元ヤン、全然ウェルカムです」

事務局:共和ゴムには、個性的な方も多いそうですね。

寺阪社長:多いですよ。言い方悪いけど、元ヤンめっちゃ多いです(笑)。しかも今、中核になっている人たちにも多い。僕は元ヤン、全然ウェルカムです。テキパキしてるし、困っている人がいたら自分に関係なくても首を突っ込んだりする。それも長所じゃないですか。

また、地元でJリーグを目指すクラブを応援していて、選手を短時間正社員として雇ってきました。多い時は6人ぐらい。競技を続けながら、うちでも働いてもらう形です。

引退後、そのまま社員になった人もいます。30歳までサッカー中心だったので、入社した時は社会人経験がほとんどない。周りから「30歳なのに、こんなことも知らんの?」と見られる。でも年齢が30歳なだけで、会社員としては21歳ぐらいと思わなあかん。最初は自分の意見を積極的に言うタイプでもなかったけど、今は率先して動くようになって、すごく成長しています。

コーチングで変わった、「考え方」と「視座」

事務局:約3年前から、社内にコーチングも取り入れられていますね。

寺阪社長:実は、その前にも一回やったことがあるんです。希望者に受けてもらったけれど、僕が思っていたものとは少し違った。耳の痛いことを言われるとコーチを変えて、自分に気持ちよく接してくれる人を選ぶケースも出てきた。「これでは成長のためなのか分からんな」と、一年でやめました。

事務局:それでも、コーチングそのものは否定しなかった。

寺阪社長:そうです。「本来は違うやろ」と思っていたので、今度は違うやり方でやってみようと。全員一律ではなく、「この人はやったら伸びる」と思う人に受けてもらっています。

事務局:3年間で、どんな変化を感じていますか。

寺阪社長:確実に変わっています。本人の考え方や意識が変わって、経営側への理解も深まった。視座が上がった感じがあります。以前は悩みやすかった人が、だいぶ強く、たくましくなったケースもあります。今後は若い社員と、次の中間管理職をもっと育てていきたいですね。

「社会の困りごと」と、自分たちの強みをつなぐ

事務局:共和ゴムの商品には、社会課題の解決を意識したものも多いですね。

寺阪社長:会社って、何か社会から必要とされているから存続できると思うんです。ただ、「あなたの会社はここが社会から評価されていますよ」なんて誰も教えてくれない。自分たちで見つけていかなあかん。

例えば人手不足。うちの「目地フォーム」は、従来は人が時間をかけていた作業を、貼るだけでできるようにした商品です。場所によっては10人ぐらい必要だった仕事を一人でできる。

新商品を考える時も、社会課題を意識してます。うちが得意なのはゴム、プラスチック、スポンジ。世の中には人手不足、環境問題、高齢化、インフラの老朽化とか、いろんな課題がある。「社会の困りごと」と「共和ゴムが得意なこと」を、何かつなげられへんかな。それはいつも考えています。

「絶対、この人にも長所がある」と信じる

事務局:寺阪社長にとって、「人を信じる経営」とは何でしょうか。

寺阪社長:やっぱり、長所と短所の話ですね。僕は「絶対、この人にも長所がある」って信じるんです。短所はある。でも、そこばかり見るんじゃなくて、「あなたにはこういう長所がありますよね」というところを会社も見る。そこをどう伸ばせるかを考える。誰にでも何か長所がある。それを信じているのは、僕の中では根底にあります。

事務局:どんな人と、これから一緒に働きたいですか。

寺阪社長:僕が嫌なのは、批評家みたいな人です。誰かが挑戦して失敗した後に「あれは最初からあかんと思ってた」と言う。だったら、その時に対案を出してほしい。うちは失敗してもいいから、案を出してチャレンジする人を評価します。情報が100%揃うまで待っていたら商機を失う。石橋をずっと叩いている人より、渡ってみる人と仕事がしたいですね。

事務局:最後に、共和ゴムの一番の強みを挙げるとしたら。

寺阪社長:やっぱりスピードでしょうね。大企業が開発に3年かかると言っているところを、うちは半年以内、ものによっては3か月でもつくる。お客様からも「共和ゴムさんに言ったら、すぐつくってしまうな」と言われます。考えて、動いて、まずつくる。それが、うちの会社なんやと思います。

編集後記

会社の危機の中で、寺阪社長が最初にしたことは「強みを探す」ことでした。弱点が200個あっても、強みはどこかにある。見つけたなら、そこを徹底的に伸ばす。その考え方は、人を見る眼にも重なっています。

大きな海で万能な会社を目指すのではなく、自分たちが強みを発揮できる「小さな沼」を探す。人にも完璧を求めず、その人にしかない長所が生きる場所をつくる。「絶対、この人にも長所がある」という言葉に、共和ゴムの「人を信じる経営」が凝縮されているように感じました。

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