第5回：感情の奥にある「願い」に触れる

感情は“共に在るもの”

コーチングの現場で、クライアントの目からふと涙がこぼれる瞬間があります。
それは悲しみだけでなく、怒り、悔しさ、もどかしさ、そして安堵や希望が交錯した、言葉にしきれない“感情”の動きから生まれることがあります。

こうした感情は、クライアントの内側にある“願い”への入り口とも言えます。
ICF認定マスターコーチ（MCC）のレベルにおいては、感情は“共に在るもの”としてとらえます。そして、その感情の背後にある未完了の想い、語られなかった真実、無意識の願いに、そっと光を当てていきます。

感情は「大切なものが脅かされたサイン」

怒り、哀しみ、不安、焦燥感――
こうした感情は、しばしば「ネガティブ」とみなされ、避ける対象となりがちです。
しかし感情とは、何かが傷つき、または大切にされていないと感じたときに立ち上がる、“内なるセンサー”のようなものです。

たとえば、怒りの奥には「尊重されたい」、哀しみの奥には「つながっていたかった」、不安の奥には「守りたいものがある」といった、「大切にしたいもの＝願い」が隠れているのです。

MCCコーチは、こうした感情の表層に反応するのではなく、その奥にある“声にならなかった願い”に、静かに耳を澄ませます。

感情に“正解”を求めない

あるクライアントが、「最近なぜかやる気が出なくて…」と語ったとき、コーチが「では、どうしたらやる気が出そうですか？」と返せば、対話は表層にとどまります。
しかし、MCCレベルのコーチは、問いの前に“感情の質”を感じ取ろうとします。

「“やる気が出ない”とき、あなたの内側ではどんな大切なものが揺らいでいるように感じますか？」
「本来のあなたが大切にしている“生き方”や“在り方”に、今どれくらい近いと感じますか？」
「その感じが、身体のどこにあるか意識してみてもいいですか？」

このような問いは、正解を求めているのではなく、感情を「感じること」に許可を与える対話です。
感情は、受け止められたときに“変わる”ことがあります。
変えようとしなくても、“在ってよい”と認められた感情は、静かに統合されていくのです。

感情と“共にいる”という在り方

コーチが「感情に関わる」ことと、「感情と共にいる」ことは、まったく異なります。
前者は“介入”であり、後者は“共在”です。
MCCの在り方は、感情を無理に扱おうとせず、コーチ自身の安定と余白の中で、その感情のそばに静かにいることです。
たとえば、クライアントが涙を流しても、焦って慰めたり、話を進めようとしたりしません。むしろ、その感情が場にあることを尊重し、そのまま共にある空間を保ちます。
そして、クライアントが自然に言葉を紡ぎ出すまで、「問いかけ」ではなく「まなざし」で関わるのです。

対話事例

クライアント：「本当は悔しかったんです。でも…悔しいなんて思っちゃいけないって、どこかで思っていて…」
コーチ：（静かにうなずきながら）「……その“悔しさ”が教えてくれているものが、あるとしたら？」
クライアント：（沈黙）……「私は、ちゃんと評価されたいって、心の底では思ってたんだと思います」
コーチ：「その想いを、大切にするって、どんな感覚でしょう？」
クライアント：（涙）「……ああ、やっと、素直になれた気がします」

このような場面では、問いのテクニックよりも、“感情が許される空気”が最も大きな支援となっています。

感情の奥には、「人間としての尊厳」がある

感情とは、私たちが「人間であること」の証です。
その感情を丁寧に扱うことは、その人の存在そのものを尊重する行為です。
コーチングとは、「行動を促す」以前に、クライアントが自分の感情を“自分のものとして感じきる”ことを支える営みでもあります。
そしてその感情の奥にある願い――
「本当は、こうありたかった」「こう生きたかった」という真の声に、コーチが静かに耳を澄ませるとき、クライアントは、自分自身との“和解”と“再出発”に向かって歩み始めるのです。

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国際コーチング連盟認定マスターコーチ（MCC）
五十嵐 久