戦略性や多様性に加えての倫理観や柔軟性、つまりソフトパワーということだろうか。であれば、日本にも参考にできる事例がある。8月24日に亡くなった京セラ元名誉会長、稲盛和夫氏は利他の精神や謙虚さを唱えた「生き方」「アメーバ経営」など著作の販売部数が世界で2200万部(2022年3月末)を超え、そのうち63%が中国語版だったという。
(日本経済新聞9月8日 7面「Deep Insight~ スイス企業と稲盛氏の教訓」より引用)
心理学を学びコーチングの資格を有する新進気鋭の若手A課長と、部長職を長く経験し、定年再雇用でA課長のチームに配属された実践派のSさんとによる、稲盛和夫さんの『京セラフィロソフィ(サンマーク出版・2014年6月)』を語り合う2回目の1on1ミーティングです。
『京セラフィロソフィ』を読み終えたA課長は何を感じたのか?
(Sさん)
Aさん、おはようございます。1週間が経ちましたが、『京セラフィロソフィ』は読まれましたか?
(A課長)
はい、ものすごく苦労しましたが… 何とか読み終えました。
(Sさん)
苦労した…?
(A課長)
はい、苦労しました(笑) でも本当によかったです。苦労した甲斐があったというか、実は稲盛さんの熱量に圧倒されて、なんども途中で折れそうになりました。
『京セラフィロソフィ』の240ページに「潜在意識にまで透徹する強い持続した願望を持つ」、というタイトルのところがあります。この言葉の力で「とにかく最後まで読む!」と決めて臨みました。願望を持続させることができました。
稲盛さんは「利他の精神」を直球で語られます。繰り返しです。我々の世代にとって、この変化球を交えないストレートはちょっとシンドイと思うのですね。ただこれは“顕在意識”でした。240ページの内容で、ちょっと目覚めたというか、“潜在意識”が浮上してきた感じです。私の「まじめ性向」と、稲盛さんがシンクロし始めたのです。
(Sさん)
なるほど。Aさんは35歳だから… 1987年生まれですね。ミレニアル世代の中間ということか… 入社のときはリーマンショックとぶつかっている。
ミレニアル世代にとって稲盛さんの語り口はシンドイ…?
(A課長)
そうなんです。先輩世代も就職氷河期を経験していますから、世の中は成長する、というイメージを正直なところ持てていません。会社に貢献したいという気持ちはもちろんありますが、Sさんの世代とは違ってプライベートを重視したいという感性が育っていったのだと思います。
会社、組織に頼るというか、染まることにどこか警戒する気持ちがあるのは確かです。
(Sさん)
ただ… Aさんが物心ついたときにはデジタルはもう日常だったと思うので、私のコンプレックスであるデジタルデバイドとは無縁の環境だ。
(A課長)
ええ、まあ… 確かにストレスは感じませんが、どうしてDXが日本では進まないのか? という別のストレスは感じています。
(Sさん)
少し脱線しました。
ではAさんの潜在意識とは? 稲盛さんから何が伝わってきましたか?
(A課長)
『京セラフィロソフィ』とは別の力も借りることで、稲盛さんの全体像がイメージされてきました。トータルとしてのお人柄です。
私はコーチングのことを顕在、潜在に限らずいつも意識しています。コーチングの基本は対面での1対1の対話です。つまりテキスト情報だけではなく、その人から醸し出される全人格的である何かを感じながら、共感を見出していこうという姿勢です。
稲盛さんは「講演の人」でもあると感じたので、250ページまで読み進んだとき、稲盛さんが語っている動画はないかと、ユーチューブを検索してみました。そして見つけたのがこれです。Sさん、ちょっと見ていただけますか?
<「ザ・リーダー」2016年12月31日(土)放送 京セラ創業者 稲盛和夫>
「ザ・リーダー」の稲盛さんと『京セラフィロソフィ』が一つになった。
(Sさん)
Aさんも見つけましたか。MBSアナウンサーの高井美紀さんのインタビューをとおして、稲盛さんのお人柄を感じることができる番組です。とてもチャーミングというか、稲盛さんは実はシャイな方であることが、自然と伝わってきます。
(A課長)
そうなんです。私は『京セラフィロソフィ』を手に取るまでは、稲盛さんに関する情報は持ち合わせていなかったので、文章から伝わってくる厳しさにたじろいていました。それが動画を観ることで、その厳しさの本質が統合されてきたというか、西郷南洲の言葉である「敬天愛人」とお話しされるように、愛情といってよいのかな… 発する言葉は、身体の奥底からの言霊として私たちのところに届けられている、と感じるようになりました。
(Sさん)
動画の後半に中国の瀋陽での講演シーンが挟まれます。私は上海駐在のとき、瀋陽にも10回くらい行っていますので懐かしさもあって印象に残っています。
(A課長)
どのあたりかな… 30分すぎたあたりですね。稲盛さんの『生き方』の翻訳版『活法』が大ヒットして、その時点で「200万部を売り上げた」とナレーションが入っていますね。講演は2016年なので、2022年の今はどれくらいになっているのかなぁ~ と思っていたところ、9月8日の日経7面のDeep Insightに出くわしました。中山コメンテーターが「世界2200万部のうち63%が中国語版」であると報告しているので、1836万部が中国で読まれているのですね。
稲盛さんの『生き方』は中国でも受容され共感が広がっている。
(Sさん)
そんなことまで調べているのですか?
(A課長)
私の“潜在意識”が中山コメンテーターにつながったのかもしれません(笑)
中山コメンテーターはスイスにファーカスしています。「…2度の世界大戦を乗り切った永世中立国。同国企業がどう知恵を絞り、存亡の危機をしのいだかを調べてみると、確かに興味深いものが多い」と、医薬品のロシュと食品のネスレを取り上げています。
両大戦期に世界のブロック化は顕著に進みます。ロシアのウクライナ侵攻により、現代にそれがよみがえったかのようです。ところが両社は、両大戦期にグローバル企業に飛躍していくのです。
私はCSV、つまりCreating Shared Valueである「共通価値の創造」に興味があっていろいろ調べているのですが、その代表的企業として世界最大のグローバル企業であるネスレが必ず登場します。
企業活動というと「営利」がまずイメージされます。この「経済価値」と環境や社会への貢献という「社会価値」は、なかなか両立しないと考えられますが、その両立、統合を目指そうとする経営戦略の概念がCSVです。これがSDGsにつながっていったのですね。
両大戦期のスイス企業史を研究する京都大学の黒沢隆文教授は、「起こりうることは起こる、と考えてリスクに備えた点。軒先を借りる国の法令に従うのはもちろんだが、特定の時代の特定国の政策や法令を超えて、普遍的な倫理に従おうとした点。(2社を見れば)そうした姿勢が長期の存続に寄与する可能性は高いことがわかる」と話す。
『京セラフィロソフィ』は「共通価値の創造」であるCSVを語っている!
(Sさん)
稲盛さんの言葉と何だかダブって聞こえます。
(A課長)
本当にそうですね。
稲盛さんの利他の精神、倫理観はソフトパワーである、と中山さんはコメントしています。記事の最後は次の言葉で〆られます。
ソフトの力はわだかまりを解かし、人間のビヘイビア(振る舞い)を変えることもある。戦略を伴った組織というハードと、それを補うソフト。両輪で突き詰めていけば、難局でも日本企業がよりグローバルな存在になれるチャンスは広がるということではないか。
(Sさん)
Aさん、稲盛さんの語りがただの法話でないのは、経営のリアリズムがその言葉に息づいているからではないでしょうか。
私の方からは、日経新聞9月6日の「稲盛和夫氏の功績をしのぶ」というタイトルの、JAL会長である植木義晴氏へのインタビューを紹介させてください。用意しています。
社員と語り合うコンパと呼ばれる議論の際に稲盛氏と同じ席になり、安全に関する議論をした。私は「我々は公共交通を担っている。一番大切なのは安全。利益を出すのは難しい」と言った。稲盛氏は「安全にお金はかからないのか。そのお金は誰が払っているんだ」と私に問いかけた。私は言葉が出なかった。「お金は他人が払うんじゃない。自分が生み出す利益から生み出すんだ」。これが稲盛氏の答えだった。
稲盛さんの経営法話の真髄は限界なき「創意工夫」!
数か月前のことですが、縁あってJALの女性管理職の方と話す機会があり、「稲盛さんの言葉で印象に残っているのは何ですか?」と尋ねたところ、これと全く同じ言葉を口にされたのです。当時は管理職ではなかったとのことなので、JALの全社員にインパクトを与えた言葉だったわけです。
外野の私は何とも言えませんが、その文化がJALを覆っていたわけで、「親方日の丸」と言われてもしょうがない状況だったことが伝わってきます。
「稲盛さんはJALの価値観を根本から変えてくれました」、とその人は話しています。
(Sさん)
『京セラフィロソフィ』の528ページのタイトルが「採算意識を高める」です。こう書かれています。
「日々採算意識を高めていこう」と、私は幹部社員はもちろんのこと、全社員に強く訴え続けてきました。この「採算意識」とは、「原価意識」ということです。つまり、仕事をする以上は、全てに対し原価意識を持って仕事をしなさいと言っているわけです。「採算を合わせる」と言えば、即「利益を得る」という意味に取られがちですが、そうではありません。それは常に「原価を考える」ということであって、このことが採算を向上させる鍵になるのです。
(A課長)
この話はユーチューブの、瀋陽で1700人を集めた講演でも話されていますね。
私は『京セラフィロソフィ』は最後まで読み通す必要があると感じました。稲盛さんのお話は全方位です。つまりこの「採算」意識が経営観の根底にありますが、稲盛さんのクリエイティビティというか、創意工夫に対する圧倒的熱量こそがこの『京セラフィロソフィ』の真髄だと思うからです。
ジャーナリズムが、自分たちの主張したいことを、オーソリティの言葉の都合の良いところだけを「つまみ食い」して、記事にすることがありますが、稲盛さんの言葉は論文ではなく“流れ”です。真意を理解しようとしていない人にとっての“突っ込みどころ”は満載です。
(Sさん)
“流れ”… 言い得て妙だ。『京セラフィロソフィ』を2文字で喩えましたね。
『京セラフィロソフィ』は全方位の書!
(A課長)
少し文学が入ってしまったかもしれません(はにかみ笑)
稲盛さんは大学で有機化学を学んでいます。ところが就職口がなかなか見つからなく、入った会社はセラミックスの会社でした。当時の稲盛さんは、この無機化学の結晶鉱物学を特に嫌っていたのですが、しようがなく専門外の分野について、地味な努力を一生懸命つづけるはめになります。
256ページです。
たまたま不得手な分野ではあったけれども、必死に勉強し、努力することで、自分の能力を向上させよう、磨こう、と私は心がけてきました。過去に身につけた知識や実績にこだわらず、「何とかしよう」「どうにかしなければ」という思いをきっかけとしてひたむきに努力を続けていくうちに、やがて研究がうまくいくようになり、会社の中でも頭角を現すようになったのです。
続いて262ページです。「チャレンジ」の稲盛さん流定義だと受けとめました。
チャレンジというのは高い目標を設定し、現状を否定しながら常に新しいものを創り出していくことです。チャレンジという言葉は勇ましく非常にこころよい響きをもつ言葉ですが、これには裏づけが必要です。困難に立ち向かう勇気とどんな苦労も厭わない忍耐、努力が必要なのです。
265ページです。
京セラの歴史は人のやらないこと、人の通らない道を自ら進んで切りひらいてきた歴史です。誰も手がけたことのない新しい分野を開拓していくのは容易ではなく、海図や羅針盤もない状況で大海原を航海するようなものです。頼りになるのは自分たちだけです。
開拓するということはたいへんな苦労が伴いますが、反面これをやり遂げたときの喜びは何にも代えがたいものがあります。このような未踏の分野の開拓によって、すばらしい事業展開ができるのです。
324ページも紹介させてください。
日本のある大手電機メーカーの研究職の方々を対象に講演をしたときのことです。私はそこで京セラの研究開発のあり方について話したのですが、質疑応答になったとき、「京セラでは研究開発はどのくらいの確率で成功するのですか」という質問がありました。私が「京セラで手がけた研究は100パーセント成功します」と答えましたら、そんなことはありえない、と皆さんけげんな顔をされました。
「京セラでは、研究開発は成功するまでやりますので、失敗に終わるということは基本的にありません。成功するまで続けるというのが、私どもの研究開発に対する姿勢なのです」
そう言ったことを憶えています。
(Sさん)
稲盛さんのこころざしが溢れんばかりの言葉ですね。別のページに、「1つ2つは失敗しています…」という修正のコメントもあったように記憶していますが(笑)
(A課長)
Sさん、ありがとうございます。
前回の1on1がなかったら、おそらく私は『京セラフィロソフィ』を一生手に取っていなかったかもしれません。稲盛さんは超有名人ですし、社会が稲盛さんをどう受けとめているのか… その空気を私は感じていました。書店でもコーナーが出来ていますし、ここ数年の平積みのボリュームは圧倒的でした。
ただ、なぜか手に取ることはしなかったのですね。その理由もSさんとの1on1で像を結んだ感じです。先入観です。
“きっかけ”って大事ですね。35歳の若輩モノですが、少し大人になれたような気がしています。次回もSさんと稲盛さんを語りたくなりました。
(Sさん)
ありがとうございます。Aさんのフィードバックで私も何だか嬉しくなってきました。次回の1on1は、JALの再建について語ってみましょうか?
(A課長)
了解です。よろしくお願いします!
坂本 樹志 (日向 薫)
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