かつてのマイクロソフトの文化は柔軟性に欠けた。社員はほかの社員に対し、自分は何でも知っており、そのフロアの中でも最も優秀な人間だと絶えず証明しなければならなかった。期日に間に合わせる、数字を達成するといった責任を果たすことが何よりも重視された。会議は型どおりで、すでに会議の前に評価があますことなく決まっていた。直属の上司よりも上の上司との会議はできなかった。上層幹部が組織の下のほうにいる社員の活力や想像力を利用したい場合には、その人間の上司を会議に呼ぶだけだった。階級や序列が幅を利かせ、自発性や創造性がおろそかにされていた。
(『Hit Refresh~マイクロソフト再興とテクノロジーの未来』142ページより引用)
CEOに就任したナデラ氏は「創造的破壊」に挑戦する
現在のマイクロソフトCEOサティア・ナデラ氏の著作『Hit Refresh』を読み込んでのコーチング解説は、今回で11回目となります。前回は、「チャットGPT iPhone搭載~アップル、AI開発遅れで連携」という、日経新聞の6月11日の記事を引用するなど、「劇的に生成AIが進化する今このとき、いったい何が起こっているのか…」というHot Newsを絡めながらのコラムでしたが、今回は、サティア・ナデラ氏がCEOに就任した頃に巻き戻して、コラムを書いてみようと思います。
冒頭の引用は、『Hit Refresh』の(チャプター4)「企業文化のルネサンス」の中にある、「かつてのマイクロソフトの企業文化がどのようなものだったのか?」を、ナデラ氏が語るシーンです。
この(チャプター4)には、「知ったかぶり」から「学びたがり」に変ろう、というサブタイトルが付されています。引用からは、多くのメンバーが「無知の知」を直視することを避けていた企業文化だったことが、伝わってきますね。
マイクロソフトが苦境に陥った直接の原因は、スマホの登場です。スマホは、成熟国と新興国のIT格差を一気に縮めました。いえ、縮めたというより、リープフロッグによって、先行されてしまった事象が世界中で起こっています。
「無知の知」を直視しないマイクロソフトはリープフロッグに…
さて、ここで質問します。「現在のアフリカで、日常生活における先進IT国家はどの国がイメージされますか? 」
いくつかの国が浮かんでくるのではないでしょうか。
ネットで、リープフロッグに関する記事を検索していると、次のサイトが見つかりました。タイトルは、「リープフロッグ型発展に沸くアフリカの今。市場の急成長で、これからのビジネスはどう変わる?」です。
その中に、ケニアとルワンダの事例があります。ケニアについては…
事例1:モバイルバンキング(ケニア)
ケニア最大の通信事業者が2007年に開始した、モバイル送金サービスの事例です。銀行口座を持っていない人でも、携帯電話のSMSを通じて金融取引を簡単に行える仕組みを開発。サービス誕生からわずか4年間で約80%の世帯に浸透し、今ではインフラに欠かせない存在となりました。銀行口座よりも携帯電話が先に国民に普及したことから、サービスが短期間で爆発的に浸透する結果となりました。
なぜ私がケニアを取り上げたかと言うと、冒頭で引用した『Hit Refresh』の(チャプター4)「企業ルネサンス」は、ケニアのことが詳述されているからです。
ナデラ氏がマイクロソフトのCEOに就任したのは2014年です。その翌年に「ウィンドウズ10」が発売されます。スマホ対応に完全に乗り遅れたマイクロソフトですが、CEOナデラ氏は「マイクロソフトの企業文化の革新」に邁進します。ケニアとのかかわりもその一つです。
「ウィンドウズ10」の発売とケニアの関係とは…?
ナデラ氏は20年前を振り返り、「ウィンドウズ95」の発売を端緒として、ライバル企業同士が相手に負けまいと、惜しみなく「ソフトウェア発売イベント」に資金をつぎ込み、躍起になって消費者の購買意欲を刺激している「世界の趨勢」に疑問を抱きます。
実際に、「ウィンドウズ10」の発売に関して、コミュニケーション担当のフランク・ショー氏は…
当初とびきり派手な発売イベントを提案した。ウィンドウズのカラフルな光のロゴで、シドニーのオペラハウスを照らし出す華やかなショーだ。フランクは、これまでのようにニュースで取り上げてもらうためには、パリやニューヨーク、東京などで、メディアの注目を集める刺激的なイベントを行う必要があると考えていた。(139ページ)
ナデラCEOは、この提案に対して疑問を持ちます。「この機会に、これまでとは違うマイクロソフトを見せたい」と、幹部を集め会議を開きます。その休憩時、コーヒーを飲みに行くと、ざわざわとした雰囲気の中で、「ケニアでウィンドウズ10を発売すべきだよ…」という、あるメンバーの声が耳にとまります。ナデラ氏はインスピレーションを得ました。
ケニアには、わが社の顧客も社員もいれば、パートナー企業もある。インフラを整え、スキルを高め、デジタルへの転換を通じて他国を追い越そうとしている。
ウィンドウズ10の発売は、一製品だけの問題ではない。わが社のミッションに関わる問題だ。わが社が世界中のあらゆる人に力を与えようとしているのであれば、地球の反対側に行ってなぜそれを実現しようとしないのか。私は廊下の先にあるフランクのオフィスに向かい、「いちかばちかやってみよう」と言った。(中略)フランクはしばらく考えた後、私の意見に同意してくれた。わが社の新たなミッションや文化を証明するのに、東アフリカ以上にいい場所があるだろうか。そこには、テクノロジーで社会を変え、経済成長を生み出すための課題もあれば、チャンスもある。そんなところで発売を祝っても、これまでのような取材はないかもしれないが、あらゆる顧客の状況を把握したいというわが社の熱意を示すことはできる。遠いアフリカの村の農民にとってテクノロジーは、極貧から希望を見いだす手がかりとなるはずだ。このように、わが社の新たな文化から生まれるマインドセットに従えば、相手の声に耳を傾けられるようになる。こちらが話をする時間が減り、多くのことを学べる。(140ページ)
ナデラCEOは組織に「傾聴」の文化を導入した
コーチングを展開している弊社として、ナデラCEOのこの言葉に触れた時、「ゾクッ」としました。「傾聴の本質」をナデラCEOは語っている、と。
インドで青年時代を過ごし、米国に渡り(留学)、ITエンジニアとして本格的に学びを開始したナデラ氏は、ときどきの運命に従い、結果的にマイクロソフトのCEOに就きます。
最初の子どもは重度の障害を背負って誕生しています。妻のアヌ氏と共に、その運命を真正面から受けとめたことも、ナデラ氏の人格をつくり上げていくバックボーンになったと想像します。
ナデラ氏は「ダイバーシティ&インクルージョン」と伴走することで、その本質を体現されてきた人生なのだなあ、と感受しています。
ナデラ氏はケニアでのイベントで何を学んだのか…?
では、この成長マインドセットにより何がわかったのだろうか。このケニアでのイベントから学んだのは、ケニアのような国を開発途上国と呼び、米国のような国を先進国と呼ぶのは、あまりにも単純すぎるということだ。どちらの国であれ、わが社の高度な製品を扱えるほどテクノロジーの知識がある顧客もいれば、スキルのほとんどない潜在顧客もいる。もちろん、国ごとに両者の割合は
異なるだろうが、国を単純に開発途上国と先進国に分けて考えるのは間違っている。ケニアでのウィンドウズ10発売は、わが社のさらなるグローバルを推し進めるとともに、貴重な教訓も与えてくれた。(141ページ)
米クラウドストライク社による「大規模システム障害」はなぜ起こったのか?
ところで、マイクロソフトの巨大さを世界に知らしめることになった、7月19日の出来事に触れておきましょう。過去最大規模との見方も出ている大規模システム障害です。
報道によるとウィンドウズを搭載した世界の850万台に影響を与えたとあります。この850万台は全体の1%ということなので、単純計算だと8億5千万台の端末がウィンドウズによって動いていることになります。ウィンドウズの世界シェアは7割に達するようですから、改めてマイクロソフトがいかに巨大な存在となっているかが実感されます。
障害は、米クラウドストライク社が「異常監視ソフト」を更新する際に、不具合を含んだまま世界に一斉配信したことが原因です。セキュリティーのためのソフトによって、世界がマヒしてしまうという、皮肉な現象となってしまいました。
7月21日の日経新聞は、3面のほぼ全面を使って詳細に分析しています。「一斉更新でバク拡大~ウィンドウズを直撃」と直接の原因を指摘します。そして「デジタル供給網に脆弱性~再発防止へ課題残す」の小見出しで「この後」の見通し(対応)を記事にします。
今回の大規模な障害で浮き彫りになったのがデジタル産業の供給網の脆弱性だ。
ネットのシステムには多数のソフトが組み込まれている。セキュリティーの分野ごとの強みのある企業が存在し、ソフトの供給網を作っている。その一つが不具合を起こすだけで、大企業や政府機関など世界のインフラがまひした。(中略)
主要ソフトについてはコストがかさんでも複数の企業の製品を使い、データのバックアップなどをし続けるしかない。米コーネル大学のグレゴリー・ファルコ助教は「ソフトの自動更新で不具合が起きないように企業などはアップデートを制限することもすべきだ」と指摘する。
生成AIが爆発的進化を遂げています。世界のデジタル化は後戻りできないことは自明です。今回の障害は、その未来を考える上で重要な示唆を与えてくれたと受けとめる必要がありそうですね。
ナデラCEOは、超巨大マイクロソフトの「企業文化の革新」をやり遂げた!
今回のコラムのまとめに入りたいと思います。
CEOに就任したナデラ氏は、「企業文化の革新」に挑むのですが、その困難さを受けとめ、次のように語ります。
もちろん、企業文化を真に変革するには、CEOの呼びかけだけでは足りない。マイクロソフトのような大成功を収めた巨大企業の場合はなおさらだ。組織の文化というものは、解体し、変更し、理想的な形に固定化しようとしても簡単にはできない。そのためには、計画的な取り組みが必要であり、どんな文化にすべきかの具体的なアイデアがなければならない。また、社員の心をつかみ、彼らをこれまで慣れ親しんだ安全地帯から引き離す、劇的で具体的な行動も必要だ。
まさに、シュンペーターが提唱し、世界で共有されている「イノベーションの本質」です。ナデラ氏は、マイクロソフトの「創造的破壊」に挑戦します。
ナデラ氏は、その「劇的で具体的な行動」をどのように捉えているのか…
自分がマイクロソフトに入社した1992年の頃を振り返るナデラ氏です。ウィンドウズ95の発売を前にして、マイクロソフトは活力が漲っていました。
私は、自分が入社した頃のマイクロソフトの文化をもとに、企業文化改革を進めた。その際に重視したのは、以下の三つの点において成長マインドセットを毎日行動で示すことだ。
この3点について、143ページから数ページにわたってナデラ氏は語ります。肝となるコメントを抜粋して、今回のコラムを終えることにしましょう。
第一に、できる限り顧客のことを考えた。わが社の事業の核には、まだ漫然としている顧客ニーズ、満たされていないニーズを優れたテクノロジーで満たそうとする好奇心や熱意がなければならない。そのためには、これまで以上に深い洞察力と共感力で顧客のニーズを吸い上げる必要がある。(143ページ)
第二に、積極的にダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(訳注 : 多様性を尊重し受け入れる包括性)を追求すれば、会社はベストの状態になる。ミッションで述べているように、世界全体の役に立とうとするなら、わが社も世界全体を反映したものでなければならない。(143ページ)
そして最後に、マイクロソフトは一つの会社(One Microsoft)であって、派閥の集合体ではないことだ。縦割りの組織は、イノベーションや競争の妨げでしかなく、その壁を乗り越えていかなければならない。(144ページ)
坂本 樹志 (日向 薫)
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