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マイクロソフトCEOサティア・ナデラ氏の『Hit Refresh』は、インドのハイデラバードから幕が上がります

学校は多文化的で、イスラム教、ヒンズー教、キリスト教、シーク教の学生が一緒に生活し、勉学に励んでいた。エリートの一員もいれば、奨学金を得て奥地からやってきた、どこかの部族の子どももいた。州首相の息子が、ボリウッド俳優の子どもと机を並べていた。実際、私の寄宿舎には、インドのあらゆる経済界層の子どもがいた。そこには信じられないほどの平等があった。記憶しておく価値のある時代である。
(『Hit Refresh~マイクロソフト再興とテクノロジーの未来(33ページ)』より引用)

そこには信じられないほどの平等があった!

前回より(『共感経営』での紹介を含めると前々回より)、マイクロソフトのサティア・ナデラ氏が、CEOに就任して3年後に発表した『Hit Refresh』を紐解き、コラムをシリーズで綴っていくことをスタートしています。
同書は、ビル・ゲイツ氏が寄稿した「序文」、そして9つの「Chapter」、最後にナデラ氏の「あとがき・謝辞」(+情報源・参考文献+著者略歴)の全350ページで構成される「自伝」です。

ナデラ氏は、現在世界でもっとも注目されている企業経営者です。したがって、ナデラ氏の経営手腕やマイクロソフトの戦略などについては、世界中の識者が分析し、発表しています。ですから、このコラムも、「ナデラ氏・マイクロソフト」に関する何百万(それ以上?)の文献の一つにすぎません。それでも書いてみようと思います。そのスタンスは決めています。「コーチング視点」です。そのことを感じていただこうと、冒頭に、ナデラ氏の実感(15歳の頃)が込められた語りを引用してみました。

『Hit Refresh』は、ナデラ氏の心の内(=哲学)が開示されています。まずは全体観を把握していただくために、目次(chapter1~9)を紹介してみようと思います。

10年前のナデラ氏は未来を透視していた

(chapter1)ハイデラバードからレドモンドへ
(chapter2)率いる方法を学ぶ
(chapter3)新たなミッション、新たな機運
(chapter4)企業文化のルネサンス
(chapter5)フレンドか、フレネミーか?
(chapter6)クラウドの先
(chapter7)信頼の方程式
(chapter8)人間とマシンの未来
(chapter9)万人のための経済成長を取り戻す

今回のコラムは、冒頭で引用した、「chapter1~ハイデラバードからレドモンドへ」を中心に、コーチングを語ってみます。見開き2ページに配置された目次の各chapterには、若干の付記が添えられています。chapter1は「マルクスを敬愛する父、サンスクリット学者の母、クリケットのスター選手に感化された少年時代」です。

46ページで書かれているchapter1のスタート8ページは、ナデラ氏がCEOに就任する以前と、以後のSLT(経営執行チーム)のあり方について、簡潔に紹介がなされます。

CEOに就任して間もなく、私はきわめて重要なある会議で実験をしてみることにした。マイクロソフトの経営執行チーム(SLT)は毎週会議を開き、大きなビジネスチャンスや難しい判断について意見を戦わせ、見通しや検討を行っている。

『Hit Refresh』はナデラ氏によるマイクロソフト変革の透視図

SLTでの実験からスタートした「経営ボード改革」は、それまでのミーティングのあり方を変えました。SLTに限らず、ナデラ氏は、さまざまの手法によって「組織文化」の変革に挑みます。他のchapterでも語られますので、そのあたりは次回以降で紹介することにします。
chapter1の9ページ目の冒頭(同書16ページ)で、ナデラ氏は二十数年前を振り返ります。

二十数年前、若気の至りでこの共感力が欠けていたため、私はマイクロソフトに入社し損なうところだった。面接試験では、さまざまな技術者が私の技量や精神的強さを一日がかりでテストした。その時に私は、人気のボードゲーム『クレニアム』を開発したやり手の幹部、リチャード・テイトと面会した。リチャードは、技術問題を出してホワイトボードに解答するよう求めたり、複雑なコードを見せてその内容をさせたり、私の職歴や学歴について質問攻めにしたりはしなかった。

リチャードは「…したりはしなかった」のです。では、何を「した」のか?
歴史にIFを持ち込むのは「いかがなものか…」となりますが、ナデラ氏がマイクロソフトに入社していなかったならば、世界を変えてしまいそうな“現在の”マイクロソフトは存在しないことになります。歴史とは、さまざまな(膨大な?)パラレルによって成り立っているんだなあ…と実感されますね。
引用の続きです。

その代わりに、たった一つ簡単な質問をした。
「道端で泣いている赤ん坊がいるのを見つけたとしよう。君ならどうする?」
「警察に電話します」。私は大して考えもせず答えた。
するとリチャードは、オフィスから私を連れ出し、私の肩に手を回して言った。「君には共感力が必要だな。道で泣いている赤ん坊を見つけたら、抱き上げなきゃ」
結局、どうにか私はマイクロソフトに入社できたが、リチャードの言葉は今も心に残っている。それから間もなく私は、思いがけず、身をもって共感について学ぶことになった。

泣いている赤ん坊を見つけたら、抱き上げなきゃ!

素敵なエピソードですね。
私が『Hit Refresh』を手に取ったのは、野中郁次郎一橋大学名誉教授が『共感経営』のなかで『Hit Refresh』を取り上げ、「同書にもっとも多く登場する言葉は“共感”である」というフレーズに響いたからです。
「なぜナデラ氏は、共感を自らの哲学とするのか?」…その背景を類推し、野中氏は次の言葉を刻みます。

ナデラが共感を自らの哲学の中心に据えるのは、未熟児で生まれた長男が子宮内窒息が原因で重度の脳性麻痺になり、障害を背負うようになったことや、自身がインド出身で、人々の苦しみに寄り添った仏陀の教えに触れたことなどが背景にあるようです。

ナデラ氏が、「思いがけず、身をもって共感について学ぶことになった」のは…

ところが、妊娠36週目のある晩、おなかの中の赤ん坊がいつものように動いていないことにアヌが気づき、夫婦そろって地元のベルビューの病院に行った。その時は、少々神経質になっているだけで、定例の検査を受けるだけですむだろうと思っていた。実際に私は、救急処置室の中で、待ち時間の長さにうんざりしていたのを覚えている。しかし検査をすると医師たちは驚き、すぐに帝王切開が必要だと告げた。こうしてザインは、1996年8月13日午後11時29分に生まれた。たった1360グラムしかなく、泣き声も上げなかった。(17ページ)

私はこの箇所を読んだ時、大江健三郎の『個人的な体験』を想起しました。大江氏は、障害をもって生まれたわが子への感情を、「物語」を纏いつつ(フィクションです)、徹底的に自問自答します。ナデラ氏と妻のアヌ氏は、小説家ではありません。私はナデラ氏が、“早すぎる自伝”を著した動機に想いを馳せています。

早すぎる自伝は、ザイン氏を想い書かれたのかもしれない…

私は妻に付き添ってベルビューの病院で一晩を過ごし、翌朝すぐにザインに会いに行った。その時、これを機に自分の人生が大きく変わっていくとは思いもしなかった。それからの数年間、私たち夫婦は、子宮内窒息がどんなダメージを引き起こすか、身をもって学んだ。ザインは重度の脳性麻痺のため、車いすが必要であり、私たちに依存しなければ生きていけなかった。私は精神的に打ちのめされた。何よりも、私たち夫婦にこのような事態が襲いかかったことを悲しんだ。だが、重要なのは、私の身に起きたことではなく、ザインの身に起きたことを十分理解することだとアヌが教えてくれた。つまり、ザインの痛みや状況に共感を抱きながら、親としての責任を引き受けるということだ。(17ページ~)

『Hit Refresh』は2017年、ザイン氏が21歳の時に発表されています。とても悲しいことですが、ザイン氏は2022年2月に亡くなります。

野中氏が「仏陀の教えにふれた…」については、ナデラ氏の次の言葉を受けてのことだと理解しました。

私は特に宗教的というわけではないが、いろいろ検索しているうちに、仏陀はインド出身なのにインドに信者が少ないのを疑問に思ったことが、興味を抱くきっかけになった。仏陀は世界的な宗教を創設するつもりなどなく、ただ人間がなぜ苦しむのかを理解しようとした。そして、私たちは人生の浮き沈みを通じてのみ他人に共感できるようになること、あまり苦しまないで生きるためには、万物の「無常」に慣れなければならないことを説いた。確かにザインが幼い頃の私は、息子の状況が「永遠不変」なことに悩んでいた。しかし、万物は常に変化していく。無常を深く理解できれば、平静を保っていられる。人生の浮き沈みに一喜一憂することもない。その時に初めて、身の周りのあらゆるものへの深い共感や、思いやりの気持ちを持てるようになる。コンピューター科学者でもある私には、この簡潔な人生の「命令セット(訳注*あるマイクロプロセッサ―が使用できる命令の集合)」が気に入っている。(18ページ)

そもそも人とは、矛盾を抱えた存在であり、「CBLコーチング情報局」では、そのことを河合隼雄さんが語る「ユング」の生き方を通じて、考察しています。ユングは、スイスのボーデン湖畔にあるプロテスタントの牧師の家に生まれていますから、善と悪を対置させる一神教であるキリスト教の洗礼を受けています。ただしユングは、最終的に東洋のマンダラにたどり着き、善と悪の二元論ではない「善でも悪でもない」世界観を自身の中で統合させていくのですね。

キリスト教徒が7割を占める米国にあって、インド出身で仏教に影響を受けているナデラ氏は、ビジネスの世界で大成功を収めています。前回のコラムで、米国企業の時価総額ベスト5を表にしてみましたが、面白いことに気づきました。今回は7位までを表示してみます。

インド、台湾、ハンガリー、中国、スペイン……

アップルのCEOはティム・クック氏です。Wikipediaの「プライベート」に、「クックはフォーチュン500社のCEOの中では、自身がゲイであることを公表した最初の人物」とのコメントがあります。
エヌビディアのCEOのジェンスン・フアン氏(中国語:黃仁勳)は、台湾出身です。スタンフォード大学で修士号を取得しています。
アマゾン・ドットコムのCEOアンドリュー・R・ ジャシー氏は、ハンガリー系ユダヤ人です。ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得しています。
メタ・プラットフォームズAのCEOは創業者のマーク・ザッカーバーグ氏ですが、CFOのスーザン・リー氏は中国出身であり、COOのハビエル・オリバン氏はスペイン出身です。

なお、グーグルの親会社であるアルファベットは、種類株式(企業統治)の基準でクラスAとCに分けて時価総額が開示されていますが、合計すると5位のメタを抜きますので、このあたりのランキングの評価は微妙ですね。
CEOは、ナデラ氏と同じインド出身のスンダー・ピチャイ氏です。インド工科大学で学び、米国では、スタンフォード大学で修士号、ペンシルベニア大学でMBAを取得しています。

ちなみに、ナデラ氏のインドでの大学はマニバル工科大学です。『Hit Refresh』の中で、「私はインド工科大学(IIT)の入学試験に失敗した。当時インドで育った中流階級の子どもが何よりもあこがれていた大学である」と、ナデラ氏はコメントしています。

インド出身のナデラ氏が抱く米国への想いとは…

今年11月の米国大統領選挙を巡って、「もしトラ」という言葉が広がっていますが、それでも米国は、「ダイバーシティ&インクルージョン」を本能的に希求し続けている国家なのではないでしょうか。
今回のコラムは、『Hit Refresh』の39ページにあるナデラ氏の「米国に対する想い」を引用することで、終えることにします。

私のような人間は、米国以外の国であれば、通っていた大学に見合った役割を与えられるだけだろう。米国だからこそ、自分の能力を証明するチャンスを手に入れられた。それは、これまでの移住者にも、これからの移住者にも言えることだと思う。

坂本 樹志 (日向 薫)

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