メタ認知(meta-cognition)とは、対象に対して高い次元でその実体を把握できている状態のことです。英語のメタ(meta)は、連結した単語の意味に再度フォーカスすることを促す接頭語です。つまり「認知していることを俯瞰して認知する」となります。
「自分は〇〇〇という性格だ」と感じている自分に対して、改めて「〇〇〇だと感じているが、果たして本当に〇〇〇なのだろうか」と検証している自分をイメージしてみてください。この検証を通じて思い込みに囚われていることに気づきます。そうして「自分自身を客観視することができるようになり、ありのままの自分であることに身を任せることができるようになる状態」、と説明できるでしょう。
ソクラテスの「無知の知」
言葉でいうのは簡単ですが、「自分はメタ認知を体得できた!」と思っていても、その状況そのものが「思い込み」の可能性もあります。
このあたりになると、パラドックス(逆説)めいてきますが、「無知の知」を紹介することで「メタ認知」の本質に迫ってみようと思います。
「無知の知」を広辞苑で調べてみると…
「自分の無知を自覚することが真の知に至る出発点であるという、ソクラテスの認識論的自己反省」、とありました。
ある日ソクラテスの友人が、ギリシァ最古とされるデルポイ(デルフォイとも訳されます)の神託所に出向き、「ソクラテスより賢い者はいるのでしょうか?」と尋ねたところ、神託所の巫女は「ソクラテスより賢い者はいない」と告げます。それを友人がソクラテスに話すと、その自覚のないソクラテスは強い疑問を抱き、解明のために知恵者とされる人たちを訪ねて回り、さまざまな質問をぶつけます。
ソクラテスはそうすることで、真の賢者がいることを確認できると思ったのですが、ソクラテスが実感したことは…
「彼らは自分が知っていると思っているだけで、本当の意味でそのことを知っているわけではない」ということに気づきます。つまり「思い込んでいる」ということです。
それに対して、ソクラテスは「自分は知らないことに対して、知らないということをしっかりと認識できている」ので「知らないことを自覚できている自分は彼らより賢者である」という結論に至るのです。
デルポイの神託は当時のギリシア世界において “極めて重要な拠り所” でした。ソクラテスが「神託は正しかった」ことを自分が証明できたことで、心の安寧を得たことが想像されます(笑)
フロイトの「エディプス・コンプレックス」
デルポイの神託所は、フロイトが見出した「エディプス・コンプレックス」とも関りが深いので紹介します。
フロイトの理論は、ソフォクレスによるギリシア神話の『オイディプス(エディプス)王』に由来します。この大悲劇のモチーフに流れているのが、デルポイの神託です。
神話は、オイディプスが若いころ「自分は親の子ではない」という噂を耳にして、デルポイの神託を得ようと出向きます。神託は「おまえは父親を殺し、母親と交わる」というものでした。驚いたオイディプスはそれを回避すべく故郷を離れます。
そして、テ―バイという国にやってきて、英雄的活躍により王となるのですが、オイディプスが王になってから、テ―バイは疫病が続き町は荒れ果てます。そこでまたデルポイの神託を求めるのです。すると「この国はライオスという王によって治められていた。ライオス王は誰かの手で殺害されたが、疫病はその穢れが原因である。よって殺害者を捕え、テーバイから追放しなければならない」という神託が告げられます。
さらに、后のイオカステが、生前ライオス王が「自分の子供によって殺される」という神託の予言を受けたことを、現在の夫であるオイディプスに話すのです。そして実際に「ある日王は三叉路で他国の若者とトラブルになり殺された」と状況を語ります。
それを聞いたオイディプスは、不安に陥ります。
故郷を離れテ―バイにやってきたとき、三叉路で向こうからくる老人と喧嘩になり殺してしまったことを思い出すのです。
全貌を知った、オイディプスの母であり妻のイオカステは、絶望して首を吊り自害します。夫婦の寝室でその姿を発見したオイディプスはその首から紐を解き、イオカステの装身具である黄金の留め針で自分の目を深く突き刺します。そしてオイディプスは国から追放されることを強く望み、物語は終わります。
フロイトは、父親、母親、そして子供の三角関係を究極的に描いた『オイディプス王』の悲劇に着想を得て、父親に対する、特に男の子の心のなかにつくられる複雑な心理を「エディプス・コンプレックス」と名付けました。
「父親殺し」が意味するものとは?
男の子が、母親の愛を独占しようとしても、父親の圧倒的な力(年長であり社会経験を積んだ父親にかなうわけがありません)によってそれが阻まれ、嫉妬と畏怖、自罰感といった複雑(コンプレックス)な心理の葛藤にさいなまれます。
もっとも多くの子供にとってこの心理状況は抑圧されます。ただ、成長の過程でこの状況をクリアしていくことが求められるのですね。
フロイトは「父親殺し」という概念を用います。これはエディプスのように実際に殺すわけではなく、心の内での行為です。つまり“偉大な”父親を超えることで、父親を相対化できる感覚を得る、ということなのです。
なお、エディプス・コンプレックスは父性的社会・一神教的世界である西洋の土壌で評価されてきましたので、日本の文化的土壌(父性が弱い?)において「少し違和感を覚える方もいるのでは?」、と想像するところです。
今回のコラムのテーマは「メタ認知」です。エディプス・コンプレックスからの呪縛を解く、自由になる、というのはまさにこの「メタ認知」の視点で捉えることができます。
ソクラテスも「メタ認知」によって「無知の知」に至りました(広辞苑では、それを「真の知に至る出発点」と説明しています)。
なお、「無知の知」というシンプルな表現で人口に膾炙していますが、「“真に”知ったかぶりをしない自分であることを自覚できる状態」と紐解くことができるでしょう。
コーチングの中心概念である「自分を知り相手を知る」ことを実感する上で、「メタ認知」がいかに重要であるか、ご理解いただけたと思います。
メタ・コミュニケーション
ところで「メタ認知」について、“自分”というワードを多く用いて解説してきましたが、「メタ認知」には、他者の存在が欠かせません。それが「メタ・コミュニケーション(meta-communication)」です。
メタ・コミュニケーションについては、五十嵐代表が2019年11月29日のコラムで解説しているので再掲します。
https://coaching-labo.co.jp/archives/2633
メタ・コミュニケーションとは、「コミュニケーションについてのコミュニケーション」のことです。直訳すると、「言語を超えたコミュニケーション」とか、「上から距離を置いて見たコミュニケーション」といった意味があります。
私たちがコミュニケーションを行う時には、コミュニケーションの進め方についての合意がなければうまくいきません。会話の中で、今どのような場面にいるのかについての相互の了解があるからこそ会話が成り立ちます。それが分かるからこそ、発言の順番や量についても適切な判断ができます。分からない時には、確認する必要がありますし、状況に合わせて変更する必要があります。メタ・コミュニケーションは、このコミュニケーションの確認・調整のためのコミュニケーションをすることです。
受講生の方にコーチングの資格取得の動機を尋ねると、次のような回答が返ってくることがあります。
「私は会話が好きだし自信があるので、それをさらに深めるためにコーチングを学びたい」
「私はよく聞き上手といわれます。コーチングは聞くことが重要と書いてあるので、私に向いていると思います…」
いかがでしょうか?
メタ認知、そしてメタ・コミュニケーションについて解説してきた今回のコラムですが、コーチングの本質には、まさに「メタ感覚」が存在します。
コーチングは「言語を超えたコミュニケーション」です。そこには明快にプロフェッショナルな世界が広がっているのですね。
ぜひとも、メタ認知、そしてメタ・コミュニケーションの体現に向かって、コーチングの世界にまずは一歩、踏み出してみてはいかがでしょうか?
坂本 樹志 (日向 薫)
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