日銀による緩和修正の余波が続く31日の金融市場では株高・円安が進んだ。日経平均株価は1カ月ぶりに3万3000円を回復し、円相場は3週ぶりに1ドル=142円をつけた。市場が緩和修正に動じない背景には、日銀の緩和的な政策はなお続くとの見方がある。株式市場では、脱デフレによる企業業績改善への期待が金利上昇への懸念に勝った。
(日本経済新聞8月1日月曜日3面「日本株、金利高でも動じず」より引用)
心理学を学びコーチングの資格を有する新進気鋭の若手A課長と、部長職を長く経験し、定年再雇用でA課長のチームに配属された実践派のSさんとによる、2023年30回目の1on1ミーティングです。
心理学専攻のA課長が金融を語りはじめる…
(A課長)
おはようございます。
私は物心ついたころに心理学に興味を覚え、大学も心理学科を選びましたから、金融はその対極のイメージもあり、新聞を読んでもピンときていませんでした。ところが、Sさんとこうやって1on1を重ねるうちに、時おり金融のディープなテーマが俎上にのぼるので、門前の小僧ではないですが興味が湧いてきているんです。
(Sさん)
ありがとうございます。Aさんの指向性は理解していましたから、1on1であえて金融に特化したテーマは遠慮していました。いえ、Aさんの金融知識が乏しいから… というわけではありませんよ。
(A課長)
Sさん、忖度無用です(笑)。専門知識が必要な分野については、どうしても知識レベルを共有している人同士で会話が進むというか、逆に言うと、専門家は素人に対してそういう話を持ち出すのを無意識に避けると思います。
ただ、Sさんは素人目線で話してくれるので、分かりやすいんです。おかげで証券アナリストの資格を持っている私の妻も、私に対して金融の話をしてくれるようになりました。素人じゃない扱いに昇格したと自己肯定しています(笑)
(Sさん)
Aさんからは「コーチングにとって忖度は何のプラスにもならない」、と聴いていますから、そのフィードバックは実に嬉しい(笑)
あれっ? 珍しいですね。Aさんがアイスブレイクでいきなり「金融」の話をするのは…
(A課長)
ええ、週末に動きがあったと思うので、Sさんにいろいろ訊いてみたくなりました。植田日銀総裁の会見要旨が、29日土曜日の日経新聞に掲載されていたので、読んでみたのですね。
(Sさん)
なるほど… もちろん私も目を通しています。いいですね、やってみましょう。
ええっと、「動き」のはじまりは、金曜日の夕刊からですね… 持ってきます。
1面に大きく「長期金利0.5%超え容認案~日銀、決定会合で議論」と発表されました。
日本の金融市場の興味はYCC一色に染まっている!?
(A課長)
はい、そして翌日の土曜日は、日経新聞がかなりの紙面を割いて詳述しています。「日銀が動いた!」というわけです。YCC…イールドカーブ・コントロールが修正されるのか? 日経新聞は、金融業界の識者の発言や見通しを継続的に取り上げていますので、「待っていました!」ということだと思います。
そして植田日銀総裁の会見については、コーチング視点で気づいたことがあります。
(Sさん)
コーチング視点ですか… どんな切り口と理解すればよいのかな?
(A課長)
ええ、全体に漂う「空気感」というか、コンテクストといっていいかな? 植田総裁は、質問者のペースに巻き込まれないよう、ものすごく慎重に言葉を選んでいるように感じました。ある意味で質問にかみ合っていないというか、はぐらかしている。
ただ、植田総裁から伝わってくる真摯さといいますか、丁寧な口ぶりから、質問に対してはまじめに、正直に答えているような「錯覚」を皆に与えているのではないでしょうか。
(Sさん)
錯覚? 面白い解釈だ。
(A課長)
正直なところ、専門用語が多いので、今一つ植田総裁の意図がつかめません。日経新聞が1面で「長期金利上限、事実上1%」と、大きな見出してアナウンスしている割に、まったくサプライズ感がないのは何故なのか… Sさんに訊いてみたくなったんです。
(Sさん)
するどいですね。私は黒田前総裁、その前の白川総裁と植田総裁の違いは何かと、ず~と考えているんです。それもあって白川方明氏については「IMF寄稿全文」の解読にも挑戦しています。
いまAさんの感想を聴いているうちに、輪郭めいたものが浮上してきました。
(A課長)
「IMF寄稿全文」の解読は、新聞各社の比較研究につながりましたね。
植田総裁については、スーパーブレインの持ち主だと思うのですが… メラビアンの法則を持ち出すまでもなく、「話の内容そのもの」よりも、人は相手の「話し方」や「ボディランゲージ」といった、ノンバーバルな態度に圧倒的な影響を受けます。
植田総裁は、すべてを理解した上で、煙に巻くような言葉を使っているのだと想像しています。私の金融知識を深めるためにも、植田日銀総裁の本音を解明したい。
「日銀植田総裁 会見要旨」の真意に迫る!
(Sさん)
問題提起が明確になりましたね。早速、コーチングという言葉が出て来たので、Aさんが何か準備しているのを感じます。そのあたりからお願いできますか?
(A課長)
ありがとうございます。河合隼雄さんが文化論の一つとして語っていた「中空均衡型」を連想したんです。
(Sさん)
ううん? 河合隼雄さんですか? 村上春樹さんが、「僕が深い共感を抱くことができた唯一の人」と語った、その河合さんですね。
(A課長)
はい、河合さんの著書である『<心理療法コレクションⅣ>心理療法序説』の中に、「中空均衡型」を説明したところがあります。144ページです。
神話の分析については他に譲るが、要するに、日本神話の構造の特徴は、中心が無為の神によって占められ、その周囲にいろいろな神がうまく配置されて、均衡を取り合いながら存在しているのである。中心に全体を統合する原理や力をもった神が存在するのではなく、中心は「無」なのである。この特徴を明確にするため、キリスト教の唯一の至高至善の神をもつ考えと比較し、それを「中心統合型」と呼ぶのに対して、日本のを「中空均衡型」と呼ぶことにした。
(Sさん)
YES、NOが明快なキリスト教文化圏は「中心統合型」ということですね。日本文化は「中心が無であるが、ちゃんと均衡している」というわけだ。何となくわかる。
これは日本と西欧の比較という、超マクロの捉え方ですが、黒田前総裁と植田総裁の比較にも使えそうだ。
黒田前総裁は「中心統合型」、植田総裁は「中空均衡型」!?
(A課長)
我田引水と言われるかもしれませんが…
(Sさん)
いえ、ユニークな解釈ですが共感できます。
黒田前総裁がYCCを0.25%から0.5%に拡大した時のことを思い出しました。確か去年の12月だったと思います。日経新聞のアーカイブをチェックしてみましょうか。
日銀は19~20日に開いた金融政策決定会合で、大規模緩和を修正する方針を決めた。従来0.25%程度としてきた長期金利の変動許容幅を0.5%に拡大する。20日から適用する。黒田東彦総裁は記者会見で「市場機能の改善をはかる」と修正理由を説明した。
事実上の利上げとなる決定で、市場では長期金利が急上昇した。外国為替市場では円高が進んだ。
(A課長)
「黒田日銀政策」を検証すべく、昨日火曜日の日経新聞が大特集を組んでいました。
(Sさん)
すごかった! 9面は下段の広告を無くしまさに全面特集です。「2013年1~6月 日銀決定会合議事録を読み解く」でしたね。スポーツ新聞だとドでかい文字でセンセーショナルに訴求することも多いですが、「異次元の黒田緩和始まる」の文字級数は、日経ではあまり使わない大きさです。インパクトありました。日経の意図を感じます。つまり、今回の植田総裁の記者会見とのコントラストを演出しています!
黒田総裁の思惑は「短期決戦」でした。ところが「持久戦」に持ち込まれてしまい、結果的に財政規律は弛緩し国債は一気に1000兆円に拡大、経済の新陳代謝へのブレーキも常態化し、収益が期待できない事業が温存されます。あらゆる副作用が膨らんでしまったのです。
(A課長)
そういうことか…
(Sさん)
黒田総裁の記者会見によって市場は混乱し、動揺します。黒田総裁というと「サプライズ」ですから、まさにセントラルバンクという「日銀の力」を存分に発揮してコントロールする! という意思が前面に出ていました。それが結果的に負の結果をもたらした。
一方で植田総裁には、そのような風情は全く感じられない。ただ今回の場合、勝敗は決定的です。昨日の日経新聞3面で、「株式市場では、脱デフレによる企業業績改善への期待が金利上昇への懸念に勝った」と、珍しく興奮した筆致です。
植田総裁は、言葉を操るマジシャンであることが判明しました(笑)
日銀植田総裁は「金融政策第1ラウンドに」勝利した!
(A課長)
Sさん、私は“操る”とは言っていませんよ。でも…「言い得て妙」だ(笑)
(Sさん)
今日の1on1も面白くなってきた。まず、今回議論になっているYCCの定義をおさえておきましょうか。そもそもは、10年物国債の金利が概ねゼロ%程度で推移するように買入れを行うことで、短期から長期までの金利全体の動きをコントロールすることです。
Aさんと1on1の中で、本格的な金融を最初に話題にしたとき…確か「国債」がテーマになりました。去年の11月だったと思います。戦後30年間は、国債の発行がゼロであったにもかかわらず、1000兆円という、とんでもなく膨らんでしまった現状を分析してみた回です。私はそのとき、「日銀の最優先課題は、何が何でも政策金利を上げない」と指摘しています。
もちろんそれも大きな副作用です。ただ副作用が百貨店化した状況ですから、金利がアンコントロールになってしまうと、日本経済は崩壊します。
Aさんは「今回の修正にサプライズ感がない」、と言いました。黒田前総裁は去年の12月に0.5%に上限幅を拡大しています。その前は0.25%だったので、差は0.25%です。ところが今回植田総裁は0.5%から1%に、許容幅を2倍に拡大している。実はとんでもないサプライズになる“はず”でした。
黒田前総裁はイケイケのときはよいのですが、守りは徹底的に弱い。つまり「出口戦略」をもっていなかったことを市場は見破ってしまっていたのです。こうなると、一つひとつの発言に対して疑心暗鬼が広がります。
日銀黒田バズーカ政策には「出口戦略」が存在しなかった…
(A課長)
植田総裁と黒田前総裁との違いが鮮明ですね。実は「すごい」のに、そう感じさせない植田総裁の「語り口」の秘密をSさんは、どう解釈していますか?
(Sさん)
Aさんはコンテクスト、全体の文脈というマクロ視点で「中空均衡型」と捉えました。私も一応分析しています。ただ私の場合、ミクロ…アリの目で見た印象です。
植田総裁が何を語るか分かっていない金曜日の、日経新聞19面の筆致は特徴的でした。見出しは「対日銀、持久戦狙う海外勢」です。
日銀の長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)の修正を見込み、国債売りや円買いをする海外投資家が目立っている。海外勢の国内中長期の売越額は4カ月ぶりの高水準に拡大し円相場は1ドル=139円台に上昇した。修正は遅くとも年内にあるとみて、円買い・国債売りが続いている。
と始まります。この記事はそれほどの文字数ではありませんが、驚くことに「修正」という言葉を10回使っているのですね。ただ「年内にあるとみて」という表現から始まっています。
(A課長)
ということは、翌日に植田総裁は黒田総裁の倍の幅で「修正」を発表したわけだから、とんでもない「サプライズ」になるはずだった!
(Sさん)
そこなんです。その「前日の記事」と「植田総裁の会見内容」を比較してみました。実は、記者会見で植田総裁は一言も「修正」という言葉は使っていません。
(A課長)
ええっ、そうでしたっけ?
(Sさん)
じゃあ、それに代わる言葉は…というと「柔軟」です。「柔軟」のオンパレードです。ピックアップしてみましょう。
YCCの運用を柔軟化することも賛成多数で決定した。
柔軟化でこうした動きを和らげることが期待される。
変動幅の位置づけを「めど」として、柔軟に運用する。
柔軟化することで政策の持続性を高め目標へ到達できる確率を高めようとする措置だ。
政策全体がこれまでよりやや引き締めないし正常化方向にバイアスをかけているかというと、そうではない。柔軟化することで政策の持続性を高め、目標へ到達できる確率を高めようという措置だ。
1%はあくまでも「めど」であり、「1%までいくことが適当と考えているわけではない」とも言っています。
(A課長)
やっていることは、どう考えても「修正」ですよね。でもご本人はそう言っていないということか…
質問とかみ合わないのは「修正」ではない「柔軟」だから!
(Sさん)
Aさんが「質問とかみ合っていないカンジ…」、と言ったのはそこです。実際かみ合っていないんです。でも植田総裁は質問者の言葉を「受容」します。記者の「修正」という質問に対し、「修正ではありません」という、否定の言葉はありません。もしそう言ってしまうと、質問者に突っ込まれる可能性もあります。つまり「詭弁だ!」と指摘され、逆に「修正」のイメージが付与される。
私の解釈でもあるのですが、だからこそマスコミは、植田回答に批判めいた言質を用いていない。
いや、一つあったかな…? 一昨日月曜の日経新聞13面「グローバル市場」の「Market Beat」に、面白いコメントがありましたね。
「なんてややこしい発表なんだ!」(オランダ金融大手ING)
日銀が28日にYCCの運用柔軟化を決めると、海外市場の関係者からは戸惑いの声が上がった。
海外市場は、植田総裁の本質を見抜いている(笑)
(A課長)
Sさん、植田総裁は「出口戦略」を見据えているということですね。「会見要旨」は、次の問答で締めくくられています。
問 : どうすれば大規模緩和の修正が可能か。
答 : (物価見通しが)上方修正されるか、あるいは大きな姿に変化がなくても我々の自信、確度が上がった場合は政策修正にいけるかと思っている。
問 : YCCの副作用で為替相場は意識したのか。
答 : 為替をターゲットとしていないことに変わりはない。ただ、副作用の話の中で金融市場のボラリティーをなるべくおさえるというなかに為替市場のボラリティ―も含めて考えた。
植田総裁は明確に「出口戦略」を見据えている!
(Sさん)
ボラリティ―は価格の変動幅のことで、大きいとリスクが高まります。金利動向は日銀の政策とタイトですが、為替は国の総合力であり総合指標です。植田総裁は日銀の“分”を超えての発言を抑制しているわけです。
それから「我々の自信、確度が上がった場合は」、と言うコメントは好感が持てますね。
Aさん、プーチンロシアがウクライナに侵攻したちょうど1年後の2月24日、まだ日銀総裁候補であった植田氏の所信聴取が国会で行われました。そのときの植田氏の立ち居振る舞いに、ものすごく響いたこともあって、Aさんとの3月1日の1on1で語り合っています。
(A課長)
Sさんはそのとき、植田総裁に「ビビッ」ときたわけだ。私も感化されています。金融にそれほど深い知識を持っているわけではないので、かえって純粋にコーチングの視点で植田総裁の言葉、佇まいを感じることができます。
就任して5カ月、植田総裁は市場の動向を俯瞰して観察していたのだと思います。とにかく「待った」。「待つ」というのは、ものすごい力を必要とします。植田総裁は、そのタイミングを「今だ!」と判断した。
「待つ才能」をいかんなく発揮した植田総裁!
(Sさん)
動かない植田総裁に、金融界はいらつきを感じていました。タイミングをどう捉えたのかについては、「会見要旨」にありましたね。
問 : なぜこのタイミングで見直したのか。
答 : 今回2023年度の物価見通しをかなり大幅に修正した。過小評価していた可能性があり、不確実性が極めて高い。YCCは上振れリスクが顕在化してから対応すると後手に回って混乱したり副作用が大きくなる。最悪の場合、いやいやYCCを離脱するリスクもゼロではない。だから債券市場の環境が相対的に落ち着いてきたと考えられるなかで、枠組みの手直しにちょうど良いタイミングだと思った。
ここはあいまいではない。すごく明晰に回答されている。メリハリが効いています。
さて、そろそろ時間ですね。最後に「そのタイミング」に関する日経新聞の記事を紹介します。植田総裁の判断を後押しするように、日経新聞が月曜日の「核心~Opinion」で「600兆円経済がやってくる」と、ポジティブに語っています。いくつか引用してみます。
日本経済は長期にわたるデフレ不況を克服し、インフレの下で新たな成長に向かいつつある。政府と日銀が慎重な経済運営を続けるなら、思ってもみなかった視界が開けるはずだ。
22年度の大企業の売上高は前年度比10.6%増えた。日銀全国企業短期経済調査(短観)によれば、バブルの頂点だった1989年以来の高い伸びである。中堅、中小企業も合わせた規模でも、売上高は8.7%増えた。
実質賃金は14カ月連続の減少。でも減少幅は1月の4.1%よりぐっと縮まった。春の賃上げが拡大したからだ。連合の集計によると、23年の春闘の平均賃上げ率は3.58%。1993年以来、30年ぶりの高水準になった。
金融政策を正常化に戻せるかどうかの鍵は、最後の「実質賃金」が「物価上昇率」を超えて、力強く継続的な伸びを維持できる状況かどうか、に絞られてきました。日経新聞の記事は、これまでと違って「本当に実現しそうだ!」という期待感を抱かせます。
いよいよ日本経済は動き始めました。
1日に実施された「10年物国債入札」も乗り切った!
(A課長)
Sさん、今朝2日の日経新聞に、財務省が実施した10年物国債入札の状況が詳述されています。5面です。
今回の入札は市場参加者の注目が高かった。日銀の政策変更後で最初の入札で、需要動向を見極める機会になるためだ。SMBC日興証券の奥村任氏は「現状の利回りで一定の需要があることを示した。最も金利上昇圧力が強まりやすいタイミングを乗り切ったといえる」と話す。
(Sさん)
乗り切りました!
金利が上昇すると、政府は国債の利払い費という財政負担が高まるので、そちらとの戦いが始まる。ちなみに記事タイトルは「日銀修正、財政負担に懸念」となっている。「柔軟」ではなく「修正」が使われている(笑)
(A課長)
今日も濃い1on1ミーティングになりました。今回の植田総裁の「柔軟対応」が日本経済の明快なターニングポイントだった! と振り返ることになるかもしれない。
(Sさん)
いいなぁ~ すばらしい〆の言葉だ(笑)
Aさん、これからも刺激的なコーチング型1on1ミーティングをやっていきましょう!
坂本 樹志 (日向 薫)
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