無料相談・資料請求はこちら

「パニック」という文字が登場した4年前の「新型コロナウイルス禍」と、同じく「パニック」と表現される「令和の米騒動」についての比較考察です

確かに米がない。大型スーパーの店員に聞くと、「朝少し入るのですが、すぐに売れてしまって」。
帰り道、近所の米屋に寄る。5㌔入りの米袋が三つ。「あるじゃない」と思わず声を出すと、店員が「4000円です」。いつもなら2000円程度の品である。「まだ家に2㌔ぐらいはある」と思い直して家を出た。
(9月3日(火)毎日新聞2面総合「火論~米騒動とパニック買い」より)

WHOによる「パンデミック宣言」は2020年3月11日

9月3日(火)の毎日新聞の2面を開くと、名物コラムの『火論 ka-ron』の見出しに「パニック」が使われていました。私が弊社のコラムを担当するのは、2020年の2月からなのですが(現在まで週1回のアップを心がけています)、その5回目(2020年3月16日)に「新型コロナウイルスとパニック」とのタイトルで、当時のマスコミの報道(特に全国キー局)、そして世相の空気に疑問を感じつつ、コラムを書いたことを思い出しています。
コラムの冒頭を再掲させていただきます。

ドラッグストアの前で、マスクの購入をめぐって取っ組み合いの喧嘩が起こったことが報道されています。そしてインターネットで「新型コロナウイルス パニック」という文字を入力すると、夥しい情報がヒットします。テレビ、新聞などのマスコミ、そしてソーシャルメディアからもパニックの様相が伝わってきます。では実際にパニックなのか(起こり始めているのか?)、ということなのですが、心理学的知見を含めて、このパニック・集団心理について、考えてみましょう。

コラムは社会心理学の、「パニックとは…生命や財産の脅威を認知した多数の人々による集合的な逃走行動とそれに伴う社会的混乱」という捉え方(定義)を起点に、1938年の米国ラジオドラマ『火星からの侵入』によって、「実際にパニックが起こった…」、と発表したキャントリルの研究を取り上げ、書き進めています。

オーソン・ウェルズの「迫真のナレーション」によって、火星人が本当に米国を侵略している、と信じてしまった人がいた、という主旨の内容です。
私はコラムの後半で、次のような感想を述べてみました。

1938年、「火星人が襲来した」と信じた人が相当数に上った!?

実は『火星からの侵入』が「パニックであった」、として全米に広がったのは、事件直後にマスコミがセンセーショナルに報道したことが最大の要因だとされています。
キャントリルも定義づけられたパニックであったとしていますが、定義に含まれる「集合的な逃走行動」が実際に起こったのか、という点については不確かであるとの指摘がされています。つまり「パニックの定義通りのことが実際に起こった」と全米中が認識したのは、マスコミがキャッチーなテーマであるといきり立ち、「特ダネ」を意識して大大的に報道したその姿勢にあった、というわけです。

ここで冒頭に引用した毎日新聞の『火論』に目を転じてみましょう。引用の続きです。

南海トラフ地震への懸念、大型台風の襲来、新米の季節にはまだ……。そんなこんなが重なったわけだが、それにしても異常だ。新型コロナウイルス禍での「買占め」を調査した明治学院大経済学部専任講師(マーケティング)の中野暁(さとし)さんはどう見ているのだろう。

この『火論』を書いた専門記者の大治朋子記者は、タイトルを「米騒動とパニック買い」としています。大治記者が書くように、今回の「米騒動」は、8月8日午後4時40分頃に発生した、九州南部・日向灘を震源とするマグニチュード(M)7.1の地震によって、南海トラフ沿いで近い将来に「巨大地震」が発生する危険性が高まっている、と発表された「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」がきっかけです。

今回の「米騒動」で「パニック買い」は発生したのか!?

8月9日には、TVで「南紀白浜の海水浴場が1週間閉鎖される」ことが伝えられました。そのとき私は、「そこまでやるんだ…」と微妙なものを感じています。
『火論』の主旨は後半に記述されています。

研究で、最も「強くパニック購買する人」に分類された人は全体の5.8%。トイレットペーパーや米を通常の約7倍、ペット用品を約12倍、ウエットティッシュを約22倍買った。性別では「女性より男性の方が多かった」という。なぜか。「日ごろあまり日用品の買物をせず、必要な量が分かりにくいためかもしれない」そうだ。
確かに一家の消費ペースを知らなければ、つい買いすぎてしまう。
またそれほどではないが過剰に買いだめした人(15.8%)もいて、合わせると20%余り、5人に1人にパニック購買の傾向が見られたという。SNS(ネット交流サービス)の影響もあるようだ。

キャントリルの研究でも、ラジオドラマを実際に聴いた人について、「与えられた(取得した)情報が真実なのかどうかついての判断」という観点で、リスナーを4つに分類しています。

情報を正しく判定していない人は一定数存在する…

  1. 番組を聴くなかで自らが「事実ではないドラマ」だと判断した人
  2. 番組以外の外部情報を得て「事実ではないドラマ」だと判断した人
  3. 外部情報の取得を試みたが、それがうまく機能せず「事実である」と信じてしまった人
  4. そもそも外部情報の取得を思いつかず、一貫して「事実である」と信じた人

『火論』は次のようにまとめています。

とはいえ最も一般的なのは「通常より少し多く備蓄する購買経験豊富な人たち」(39.2%)。
過度な不安や衝動買いの傾向がなく、日頃から食料や日用品を買っている人は、買い占めをしなくてすむのだろう。

バランスの取れた結論だと感じました。
もっとも、TVの全国放送で毎日のように「店頭から米がなくなっている」と報道されているのですが、この点については違和感を覚えています。というのも、私が多頻度に利用する「ベルク・ベスタ東鷲宮店」では、「それほどでもない」からです。
確かに8月までは、午後から夕方になると「それなりに」棚からお米が無くなることはありましたが、9月に入ると「まったく」そのようなことがないので、『火論』を読んだ9月3日(火)の午前と午後に出向き、店頭在庫をチェックしてみました。

9月3日(火)の店頭在庫(米5㌔)は、潤沢(?)だった!

<午前10時>
 「三重県伊勢志摩こしひかり新米(R6年産)2790円」→ 85袋
<午後4時>
 「三重県伊勢志摩こしひかり新米(R6年産)2790円」→ 77袋
 「秋田県羽後町あきたこまち(R5年産)2990円」→ 55袋
 「富山県てんたかく新米(R6年産)2990円」→ 42袋
 「埼玉県彩のかがやき(R5年産)2490円」→ 13袋
 「埼玉県彩のかがやき無洗米(R5年産)2590円)」→ 12袋
 「新潟県魚沼産こしひかり蔵(05年産)2890円)」→ 6袋
 「栃木県コシヒカリ無洗米(05年産)2590円)」→ 5袋

私は「埼玉県は買い物天国である」ことを、以前のコラムで書いています。今回の「米騒動」は、確かに全国的な規模であることが想像されます。それでも埼玉の私が住む商圏については、TVのキー局が報道する内容との温度差を感じるのですね。

「マスコミ報道」に関して、極東の島国日本は、世界を見渡すと「珍しい国家ではないか」と感じられます。
世界には195の国(バチカンとパレスチナという国連オブザーバー国を含む)が存在します。そのなかで、1億2千万人で構成される日本は12番目の人口規模を誇ります。この日本は、提供されるマスコミのニュースについて、複数ある全国キー局の報道内容にそれほどの違いがないためか、1億2千万人に「日々同じ情報(優先順位も含めて)を共有する環境」がつくられています。「同一民族というナラティブ」も、その背景にあるのかもしれません。

1億2千万人の国民は、一瞬にして「同一情報」を共有する!?

もちろん、人それぞれ固有の価値観をもっていますから、考えること、行動することは、違っています。それでもこの日本は、あっという間に、1億2千万人が一つの受けとめ方に収れんされるようにも感じられます(あくまでも最大公約数的な視点ですが)。

米国の親は「人とは違うことが出来るようになってね」と、他方で日本の親は「人が出来ることを出来るようになってね」と、言ってしまうといわれます。ちょっと単純な対比かもしれませんが、日本の教育観(文化の基底です)は、こうやって育まれ続けているのかもしれません。
旅行者ではなく生活者として他国での経験を重ねていくと、「日本っていい国だなあ」との感慨を抱くことができます。一方で、「日本って、まわりばかりを気にする窮屈な国なのかもしれない…」との想いも萌します。
「パニック」という言葉から他国との対比という話にまで広がってしまいました。

さて、今回のコラムのまとめに入ろうと思います。
4年前の「コロナ禍」と、今回の「令和の米騒動」とでは、決定的な違いが見出せます。それは「便乗値上げ」ということばが、マスコミの報道から消えたことです。

この4年間で「失われた30年(+α)という言葉」は、過去のものになりました。「物価の上昇を超える賃金の上昇を目指す」ということを日本全体が共有しています。「物価とは?」について、私たちは学習の機会を与えられ、学んできています。
それもあって、今回の米の値段が短期的に上昇した理由が、繰り返しアナウンスされています。「情報の非対象性」も薄まっているように感じます。

「物価観」と「賃金観」が劇的に変わった!

新型コロナ禍の際のマスクの値上がりは、急激な需要増加と相まって、一部の業者による買い占め・転売が原因であったことが指摘されました。
一方で今回の米の値上がりは、自然災害や長期的な供給問題に起因しており、「便乗値上げ」とは見なされにくい、との世論が形成されています。「新米が出回ると価格も落ち着く」ことがアナウンスされています。

「買い物天国」である埼玉(私が実感できる範囲ですが)の状況は、その先行指標だと理解しています。新型コロナ禍を経て、私たち日本人の「情報リテラシー」は、かなり高まってきたのではないでしょうか。

「情報リテラシー」をさらに高めていくことが求められる!

最後に、「新型コロナウイルスとパニック(2020年3月16日のコラム)」の「まとめ」を再掲させていただくことで、今回のコーチングコラムを終えたいと思います。

ネット上にあふれかえるパニックは、実は本来の意味の「パニック」ではなく、不安を抱いている状況だからこそ、センセーショナルな表現を使いたがる「空気」の存在によって拡散している、と私は解釈しています。
よって、「新型コロナウイルスは私たちの情報リテラシーを高めるチャンスとして登場したミッション」と受けとめましょう。このスタンスをもつことで、新型コロナウイルスも別の色彩を帯びてくるような気がしています。

坂本 樹志 (日向 薫)

現在受付中の説明会・セミナー情報