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フロイトが唱える「文化の発展」を、ルッキズム、マイクロアグレッション、そしてバイアスを深掘りすることで思索してみる!

人の外見は必ずしもその人の自由にならない。「らしさ」を求める社会的要請に常に縛られてきた。束縛を嫌って若者たちが長髪を選んだ時代もあった。今の脱毛や育毛は「周囲がやっている」と日常生活感にあふれた社会意識は薄いようだ。
(日本経済新聞2月19日12面「脱毛と育毛を巡る物語])より引用)

心理学を学びコーチングの資格を有する新進気鋭の若手A課長と、部長職を長く経験し、定年再雇用でA課長のチームに配属された実践派のSさんとによる、2023年7回目の1on1ミーティングです。

『どうする家康』の潜入調査からアイスブレイクがスタート!

(A課長)
『どうする家康』の7話は、三河の一向一揆が勃発する背景が描かれる回でした。

(Sさん)
蓮如を先祖とする空誓上人のカリスマ性を描いていましたね。若き家康が、本證寺の寺内町に農民に扮して潜入調査するところが面白かった。

今回も娯楽的要素を盛り込んでいます。その寺内町に入り浸っていた家康の家臣の一人が、そうとは気づかず、家康をただの農民扱いし、狼藉まがいの行動をとろうとするシーンがありました。その後、実は家康だと知って動揺しまくることで伏線を回収します(笑)

(A課長)
水戸黄門しかり。高貴な身分を隠し、それが後で判明しひれ伏してしまうという、予定調和の流れでしたね。

ヘルマン・ヘッセの『東方巡礼』が、まさに同じモチーフで、サーバントのように振舞うレーオは、実は教団のトップである高貴な人物であった、という顛末です。グリーンリーフは、そこに着想を得て「サーバントリーダーシップ」を体系化し、世に問いました。

(Sさん)
コーチングにつながっている… なるほど。
私が7話の本筋ではないところに惹かれたのには、実は理由があります。「人は見た目で判断してしまう」ことの英語表現を、18日土曜の日経新聞夕刊、そして『どうする家康』が放映される19日の朝刊の中に見つけたのが、その背景です。
そのワードは、私がこれまで見聞きしたことがなかったので、妙な縁というか符合させてしまいました。

(A課長)
いつものSさんの、最初に答えを明かさないクライマックスオーダーですね(笑)

(Sさん)
というわけではないのですが… もったいぶってしまうのがクセになっているようです(苦笑) 「ルッキズム」です。

2月18日・19日の日経新聞にある「ルッキズム」を取り上げます

(A課長)
あっ、ルッキズムですね。心理学の世界では、かなり以前からテーマ化されている内容です。単純なバイアスとも言えない、「そうなってしまう」人間の態度、行動が指摘されます。ただイズムを付すことで、ダイバーシティ、LGBTQと関連付けて、批判的ニュアンスを込めた「気づき」を促すワードとして最近注目されていますね。

Wikipediaで確認してみましょうか。

ルッキズム(英: lookism)とは外見重視主義。主に人間が、視覚により外見でその価値をつけることである。「look(外見、容姿)+ism(主義)」であり、外見至上主義、美貌差別、外見差別、外見を重視する価値観などとも呼ばれる。「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある。

(Sさん)
土曜の夕刊は6面の「くらしナビ」に掲載された、批評家とクレジットされている北村匡平さんのシリーズエッセイです。今回のタイトルは「ネコになる」でした。「僕は映画研究者として大学で働いている」という自己紹介から始まります。

40歳の北村さんは東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院の准教授です。ご自身の童顔がルッキズムにつながってしまう体験を語られます。

… 童顔で得したことはない。日々の出来事をSNSネタにできるくらいだ。いろいろな場所で横柄な態度をとられることも多い。中には窓口で学生に対して高圧的に話す人もいるが、こちらが教員だと判ると急に態度が変わることもあり、とても居心地が悪く悲しい気持ちになる。こんなに使い分けているのかと人が恐ろしくなってしまう。

リベラルアーツ研究者北村匡平さんのルッキズムとは?

(A課長)
北村さんはリベラルアーツの研究者だから、エッセイのまとめも先端を走っている。ウイットも素敵だ。

… その点、メタバース空間は画期的だ。あまりに居心地がよくて暇があればVRヘッドセットをかけて頻繁に出かける。好きなアバターを着て、現実と異なる姿で他者とコミュニケーションをする。現実世界のルッキズムの息苦しさから解き放たれ、仮想現実の世界ではマッチョな男性にも可憐な少女にだってなれる。

けれども、僕が選択するのは大抵、不思議と男でも女でもない。ネコなど性別が一見わからない動物アバター。ひとたびそれをメタバース空間で被った時の僕は、もはや理屈っぽくベラベラ喋らないネコになっている。

(Sさん)
メタバースは「ルッキズムとは無縁の世界」であることに気づかされます。いや「逆説としてのルッキズムの空間」とも言えるかもしれない…

(A課長)
「ルッキズムを利用して別の存在になる」ということですね。なるほど…
リベラルアーツは文理融合であり、あらゆる対象をリフレーミングしていくことだと解釈しています。実に面白い。

(Sさん)
東工大のリベラルアーツ研究教育院には、池上彰さんも教授として教鞭をとられていました。日経新聞の名物コラム『池上彰の大岡山通信 若者たちへ』が好きで、必ず読んでいます。

私は東急の大岡山駅界隈には縁があって、駅前の24時間営業のマック3階で、東工大のキャンパスを眺めながら朝マックすることが多いのですね。その後は、起伏のある緑豊かな東工大キャンパス内を散歩するのがルーチンになっています。池上さんの『大岡山通信』をマックで読むと、アカデミックな気持ちに浸ることができます(笑)
失礼、脱線しました。

(A課長)
そういえば、いつだったかな… 去年の10月31日でした。リスキリングをテーマにしたときの1on1に、Sさんは日経新聞での池上さんのコメントを引用しましたね。

『大岡山通信』で池上彰さんはリベラルアーツを伝道します!

(Sさん)
ええ、私はことあるごとに文系である自分を強調しますが、それこそバイアスだなぁ、と反省します。一昨日月曜日の『大岡山通信』も響きました。日経のアーカイブを開いてみましょう…
2022年のノーベル生理学賞・医学賞を受賞したスウェーデン出身のスバンテ・ペーボ博士に、池上さんがインタビューした内容です。「未知の探求~失敗から学ぶ勇気を持とう」というタイトルです。最後の池上さんの質問にペーボ博士が回答した言葉は深いですね。

池上 : 研究員たちの意見を聞き、民主的なプロジェクト運営を大事にされています。自分の考えと異なるようなとき、研究の成果を出さないといけないという思いとの葛藤はありませんか。

ぺーボ : 「私は他の人よりも優れたアイデアをもっているわけではありません。研究に参加する人が恐怖感を持たずにアイデアを出したり、意見をしたりできることが大事なのです。まず、私のアイデアを見せることがリーダーの役割だと考えています」

(A課長)
ノーベル賞レベルの成果は心理的安全性の環境だからこそ生まれた! と感じさせるコメントだ。ルッキズムとは無縁のお人柄が伝わってきます。

ノーベル賞のペーボ博士は心理的安全性を知り抜いている人!

(Sさん)
メタバースを思わず「逆説としてのルッキズムの空間」と言ってしまいましたが、日曜の朝刊にあったルッキズムは、12面の「文化時評」です。全面の特集でタイトルは「脱毛と育毛を巡る物語」でした。見出しは「一つの価値基準ばかりはびこれば多様性とは真逆なルッキズムに陥る」です。

肌は「ツルツルすべすべ」がいい。女性に支持されてきた美的価値が男性にも及び、男らしさの象徴としてのヒゲや体毛の価値は急落しているようだ。

転換期を2015年ごろとみるのは、花王のメークアップアーティスト、三国屋陽介さん。「多様性やジェンダーフリーといった価値が社会で広くうたわれ男性美容のハードルが大きく下がった」。整った外見の韓流アイドルの人気や、脱毛やメークをしてみたら「身近な女性から好評だった」などという口コミ効果もあるようだ。

キャズム理論という言葉もこの特集で知りました。

男性専門美容クリニック、ゴリラクリニック総院長の稲見文彦さんは「キャズムを越えた」と話す。キャズムとは商品が普及する前に横たわる「溝」。これは一過性のブームではない。すべての男性が脱毛を望むことはないが、身だしなみとしてヒゲなどを脱毛する男性は一定の割合で定着するとみる。

「K-POP+韓国コスメ」…BTSの国連演説で韓国のソフトパワーは世界化した!?

(A課長)
化粧品業界に身を置くものとして、韓国の文化、美容動向はかなり以前からチェックしていました。韓国の美の基準は、BTSが国連総会で演説するまでになったことで、世界化したと感じています。BTSが国連に招かれたのは、「7人の男性が揃ってキレイ」と世界が認めたことが背景にあるのではないでしょうか。彼らは明らかにスキンケアで磨いている。

韓国の化粧品はユニークな素材を用いることでブランド力を高めていますが、K-POPと連動したソフトパワーの地位を築いています。「韓国コスメはなぜ人気なのか?」という武庫川女子大学のレポートを紹介します。

2020年度の統計データでは、2019年の韓国の化粧品市場の規模は世界第7位、フランスとほぼ同じぐらいの120億ドル、1兆3,000億円です。日本は、アメリカ・中国に次いで第3位。「なーんだ」と思われるかもしれませんが、ここで注目すべきなのは、韓国の市場規模の成長の早さです。

2009年からの10年間で2倍以上の市場に成長しました。そして国内の成長と同じぐらい、輸出も増えており、今や「K-Beauty」として、中国やアメリカ、ヨーロッパなどでも非常に注目を浴びる存在になっています。

一方、日本の市場規模は2012年をピークにその後2015年まで減少し、それから若干増加したものの、大局で見ると15年以上、ほぼ市場規模は変わっていません。(2012年まではアメリカに次ぐ第2位でした)

(Sさん)
勢いを感じますね。

BTSの美はマッチョの対極!

(A課長)
BTSの美は、俗にいうマッチョの対極です。「女性化している…」と表現できるかもしれない。日経の「脱毛と育毛を巡る物語」の基底に流れるのは、「肌はツルツルすべすべがいい。女性に支持されてきた美的価値が男性にも及び、男らしさの象徴としてのヒゲや体毛の価値は急落しているようだ」と言うコメントに象徴されると思います。
ただ「物語」の最後は、バランスをとっているようにも感じます。化粧品会社の人間として、少し違う視点を持ちたいと思います。

若く美しいという願いは自然だが、一つの価値基準ばかりはびこれば、多様性とは真逆なルッキズムに陥る。危うさを抱えながらも、毛の物語は広がっていくだろう。

「脱毛・育毛は一過性のブームではないだろう」としながらも、ルッキズムを心配しています。私はあまり心配していません。「男らしさ」「女らしさ」が徐々に溶けていっているのだと感じているのですね。つまりジェンダーレスの流れです。

「つるピカ」を一つの価値基準として見てしまうと、ルッキズムの可能性も指摘されます。ただそのような部分として捉えるのではなく、外見の違いを前提としていたこれまでのジェンダーバイアスは、過去のものになりつつあるのではないか… と想像したいのです。文化的成熟が進んでいます。

100年前にアドラーは、「男女同型」という視点を提起しました。
以前妻と「マイクロアグレッション」についてお互いの考えを述べ合ったのですが、そのとき、アドラーを語りながら、妻にご高説を垂れたことを思い出しました(笑)
こんなことを妻に言っています。

学問というか科学としての前提だけど、ヒトについては、「男と女」という分類を自明としているのが問題なのかもね。まあ「姿かたち」で対象を判別していく、というのはどうも脳に組み込まれているようだけど、「外形の違い」に気をとられてしまうことが根源にあると思う。ここを起点にして、「男は……」「女は……」といった、実体とは違う「物語、ナラティブ」が、次々とつくられていく。バイアスは量産化され、バイアス百貨店ができあがる。

ジェンダーレスの流れはバイアスを見つめる機会を提供する!

(Sさん)
Aさんのジェンダー視点も磨きがかかっていますね。

(A課長)
妻の影響です(笑) 付き合い始めて早々に「マイクロアグレッションとは何か?」をしっかり教授されましたから。
最近、そのことも話題に上りました。妻が私の過去をほじくるのです(笑)

男性優位が文化の基底に価値観として根付いてしまっていることね。マッチョはマチズモからきているワードね。最近、マイクロアグレッションが話題に上ることもあるので、少しずつ変わってきているわね。「他者への小さな攻撃」という意味だけど、本人は無自覚というか、悪意はないんだけど、相手を傷つけてしまう「何気ない一言」。
あなたも、私と付き合い始めた頃は「女性なのにスゴイ!」とか、口にしていたわよね。

こんなことを言うのです。
私は無自覚でした。何か言うたびに妻は「それはマイクロアグレッションよ!」と、僕にフィードバックするのです。最初の頃「なんでこんなことまで…」と、思っていたのですが、妻の教育のおかげで、ジェンダーの深みがだんだんわかってきました。
未成熟な人にはティーチングも必要です(笑)

マイクロアグレッションとは「無自覚な他者へ攻撃」!

(Sさん)
無自覚は恐ろしいですよ。今、小谷野敦さんが書いた『美人好きは罪悪か?』のなかの一節を思い出しました。本棚からとってきますので…
ええっと、34ページですね。

私が東大を卒業した1987年、総長森亘は、卒業生に贈る言葉の最後のほうで、こんなことを書いている。

(東大卒といっても愛校心は乏しく当てにならない)世の中で人生が孤独なものであるならば、せめて可愛い女房でも貰って、早く家庭を、と考えるであろう。しかし、それとてもそう簡単にはゆかない。昔であれば、末は博士か大臣かといって押すな押すなと現れた花嫁候補も今日は無い。(中略)

気の利いた、ナウい(これが、私の知る最新の言葉である)お嬢さんは皆他に行ってしまう。東大出と聞いただけでイメージが合わないとして敬遠。かくして神様が東大出に割り当てて下さるのは、ほぼ東大と同程度にダサい某女子大学の卒業生程度である。

当時、学内公報でこの文章をみた学生たちは、その軽薄さに仰天したものである。その後文化勲章まで受章した病理学者だが、理系学者によくいる、典型的な専門バカである。東大に女子学生がいることなどこの総長のアタマにはないようだ。が、「ダサい某女子大学」とは、あそこのことだろうかと思った私には、今なおそのイメージが拭いされずにいる。

小谷野さんの「美人観」はユニーク、かつマニアックです。とても面白い本ですが、好き嫌いが分かれるかもしれない(笑)

(A課長)
唖然としますね。東大総長の言葉とは信じられない。1987年は… バブル真っただ中の時代だ。アカデミズムの最高権威たる人物が、このようなヘンテコリンなことを語っても社会が騒然とする時代ではなかった、ということですね。
Sさん、社会、そして文化は着実に進歩していると思います。成熟化しています。

今回の1on1はルッキズムを深掘りすることになりました。私たちはさまざまなバイアスに囚われることがあります。ただ、ダイバーシティ&インクルージョン、LGBTQ、マイクロアグレッションなど、まともな捉え方が世界に広がっています。

(Sさん)
本当にそう思います。小谷野さんの「理系学者によくいる、典型的な専門バカである。…」はバイアスですが(笑)

文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる!

(A課長)
確かに…(笑)
Sさん、最後にフロイトがアインシュタインに送った手紙の内容を確認しておきましょう。現実にウクライナで戦争が起こっています。でも、フロイトが言うように「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる!」という未来志向に力を得ています。

…では、すべての人間が平和主義になるまで、あとどれくらいかかるのでしょうか? この問いに明確な答えを与えることはできません。けれども、文化の発展が生み出した心のあり方と、将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安……この二つのものが近い将来、戦争をなくす方向に人間を動かしていくと期待できるのではいでしょうか?

これは夢想(ユートピア)的な希望ではないと思います。どのような道を経て、あるいはどのような回り道を経て、戦争が消えていくのか。それを推測することはできません。しかし、今の私たちにもこう言うことは許されていると思うのです。

文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる!
最後に心からのご挨拶を申し上げます。私の手紙が拙く、あなたを失望させたようでしたら、お赦しください。

(Sさん)
リベラルアーツです。文化の発展とは真理の探究です。分野にこだわるものではないですよね。私たちはコーチング型1on1を積み重ねてきました。コーチングの3原則であるプリンシプルを今後も心に刻んでいこうと思います。

坂本 樹志 (日向 薫)

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