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プーチン大統領とゼレンスキー大統領の「孤独」に関する一考察

孤独は不安や恐怖を助長する。そして排斥、強権、不寛容を特徴とする右派のイデオロギーにいざなう……

4月19日の日本経済新聞朝刊、『Deep Insight…「孤独が支えるトランプ現象」』の中の一節です。
前回のコラムは、Sさんが株式会社ロシア(栢俊彦/日本経済新聞出版社・2007年)を紹介しつつ、「プーチン大統領はどうやってつくられていったのか」をテーマに1on1ミーティングが展開されました。
今回は、「4月19日の日経新聞朝刊の内容を取り上げながら1on1を展開してみたい」というA課長の提案によって、1on1がスタートします。

アイスブレイクは電子版派A課長と紙面派Sさんの会話です。

(A課長)
Sさん、前回の1on1はとても刺激的でした。プーチン大統領の心の内は、プーチン大統領にしか分からないと思いますが、“そうなってしまっているプーチン大統領”の背景に少し迫ることができたように感じています。
今回の1on1は、4月19日の日経新聞の掲載内容について、進めてみたいと思いますが、いかがでしょうか?

(Sさん)
了解です。日経新聞について、毎日1時間くらい目を通すのが習慣となっています。ルーチン化は、身体が勝手に動いてくれることですから、ストレスフリーとなります。他者から見て「苦行じゃないですか?」と見えてしまうことも、本人は愉しくやっている、という場合も結構ありますよね。

(A課長)
以前その話をSさんから聞いて「なるほどなぁ~」と感じたものです。日経は電子版を契約しているのですが、いつでもどこでも見ることができるという安心感があるためか、読んだり読まなかったりです。スマホの小さい画面を集中して1時間見るのは…ちょっと辛いものがあります(笑)

(Sさん)
私は今も紙面派なのですね。昭和からのクセはなかなか治りません(笑)
今日も朝マックの広いテーブルに両面を広げて、100円コーヒーを飲みながら優雅な気持ちで文字を追いました(笑)

埼玉県北のマック店舗はとても広く、東京駅八重洲南口のマックとは全然違います。私の勝手な見立てなのですが、八重洲口マックは、単位面積当たりの席数が全国1多いマックだと思います。つまり一人のスペースが異様に狭い(笑)
統一されていると思われがちの米国流ですが、案外柔軟なのですね。

これは目的であるパーパスがシンプルで、価値提案であるバリュー、さらに原則としてのプリンシプルも枝葉末節とは異なる視点で、オペレーションが組まれているように感じます。

マクドナルド、そしてTDLの経営理念に話題が移ります…

(A課長)
TDL、東京ディズニーリゾートの経営理念を想起しました。
昨年7月8日のコーチビジネス研究所のコラムでは、次のように書かれています。

CP(コンタクト・パーソネル…従業員)に対する“高度な”接客技術教育
➡「GIVE HAPPINESS(幸せを提供すること)」という理念の探求を核とした教育を通じて、「マニュアルをベースとしつつも臨機応変な対応を可能とする“高度に標準化された”サービス」の提供!

(Sさん)
なるほど…改めてパーパスである目的がいかに重要か、ここからすべて始まっていますね。

(A課長)
その通りだと実感できます。
それでは本題の日経新聞ですが、私は「連合会長、自民会議に出席~野党の支持団体で異例」という記事に目が止まりました。連合で初の女性会長に就任した芳野さんの写真付きです。印象に残ったところを紹介します。

……出席したのは人生100年時代戦略本部。芳野氏は働き方改革の推進やフリーランスへの保護策の必要性なども訴えた。会議後「政策実現に向けてこれから一緒に取り組めればと思う。問題認識はほぼ一緒だと感じた」と語った。

(Sさん)
そこは見逃しました。自民党ではない反対勢力を支援するのが連合の常道だから、確かに画期的なことだ…

自分のバイアスについて、反省の弁をA課長は語ります。

(A課長)
私は芳野さんが就任したことで連合の雰囲気が変わったように感じています。
経団連会長の十倉さん、芳野さんが出演の、少し前に放映されたNHKの番組が印象に残っています。経団連は自民党を応援する最大のロビー団体ともいえますが、片やそのアンチとも言える連合の看板を背負っている芳野さんとのやりとりです。

十倉さんもさすがの人物です。ただ私は芳野さんが意見を述べる際の落着きはらった態度と声音に意外感を持ちました。
以前「連合に初めての女性会長が誕生」という記事を見た際に抱いた、芳野さんのイメージとは違っていたからです。バイアスがかかっていたことを反省しました。

(Sさん)
私はA課長をフェミニスト的な感性をもっていると解釈していますが、反省という言葉が出るということは、意識で捉えきれていない“気づき”を得たということですね。

(A課長)
その通りです。バイアスというのは無自覚なところで身体に浸み込んでいると感じました。

さて、「働き方改革の推進やフリーランスへの保護策の必要性」は岸田内閣の「新しい資本主義」とも一致するテーマです。記事の中で芳野さんは、自民党の政策について「問題認識はほぼ一緒だと感じた」とコメントしています。

経団連の十倉さんとのやりとりでも、「一致するところを見出していきたい」という姿勢が感じられたのですね。

私はコーチビジネス研究所のホームページやコラムをよく見るのですが、五十嵐代表の考えに共感しています。「創造的な仮説を生み出す」という記述に響いています。

コーチビジネス研究所・五十嵐代表の「調和」とは?

企業が成長するためには、創造的な進歩が不可欠である。同質的な発想からは、そのような創造性は生まれない。
したがって創造のためには、個々人が内発的価値観に基づく、自分らしさを表現することが不可欠だが、さらに一歩進んで、異質の調和に取り組む必要がある。
それによって創造的な仮説が得られる可能性が大きく高まる。また、調和する力は、人の成長と組織の変革にも深く関わっている。

政治家同士のやりとり…特に野党になると「反対のための反対」というトーンで、批判しか出てこないので、聞いていてげんなりしてしまいます。

(Sさん)
なるほど…視野を広く、そして深く持つことの意義が伝わってきます。実に示唆に富む言葉だ… その反対は「視野狭窄」ですが、私は日経新聞7面の「Deep Insight」を紹介します。タイトルは「孤独が支えるトランプ現象」です。

……問題は孤立した人々ほど極端に傾きやすいとされる点だ。AEI(米アメリカン・エンタープライズ研究所)は20年の大統領選前に、家族や友人、同僚、隣人との交流がない成人の政治観を探った。トランプ氏とバイデン氏の支持率はそれぞれ45%、39%で、白人に限れば60%と26%の開きがあった。……

孤立すると人の弱みが防衛機制となって表れてくる…

英国からピューリタンが移民してから米国の歴史がスタートします。つまり創業メンバーは白人のアングロ・サクソンであり、多民族という壮大な実験国家つくっていく過程で、白人は常にメインストリームでした。
キリスト教の隣人愛を抱きながらもどこか「優越的地位」を自明のものとして、メンタリティが形成されてきたように感じます。

それが、米国勢調査局による2020年国勢調査によると、米国の白人人口は10年前の前回調査に比べて2.6%減少しており、白人人口の減少は1790年の国勢調査の開始以来、初めてのことだと米国メディアが報道しています。

マイノリティであったヒスパニックやアジア系が増えてきていることで、自分たち白人の地位が脅かされていると感じる不安…それが恐怖心に置き換わっているのではないでしょうか。

(A課長)
プーチン大統領の精神状態を想像してしまいました。
前回のコラムで「西欧派とスラブ派の相克」、というキーワードが登場しましたが、ウクライナが西欧派に取り込まれていくことを恐怖と感じてしまっているのではないでしょうか。

ソ連時代、そして栄光のロシア帝国の幻影に支配されており、現在のロシアを自分一人で背負っている(背負わされている)という、相対化が全くできない究極の孤独感がプーチン大統領を突き動かしているように見えてしまいます。

プーチン大統領は孤独なのか、ではゼレンスキー大統領は…?

(Sさん)
Aさん流のプロファイリングだ…
他方のゼレンスキー大統領は、自らの言葉で世界に訴えていますね。そして共感する世界の人々との連帯が生まれています。ゼレンスキー大統領は、過酷という言葉では言い表せない環境にあっても、孤独感とは無縁のような気がします。
自分の思いが他者に届いている、という実感が心の支えになっているのではないでしょうか?

前回の1on1では、「ベスト・アンド・ブライテスト」、つまり「最良の、最も聡明な人」のはずである人たちが立案したベトナム戦争は、道義的にも国益的にも反する泥沼状態に米国を引きずり込んでいったことが話題になりました。
ベトナム戦争は、その中心人物であった国防長官のロバート・マクナマラに象徴化させて「マクナマラの戦争」とも呼ばれています。

そのマクナマラが、深い悔悟のもと、表した著作があります。マクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓(共同通信社/1997年)です。

その本の訳者あとがきの中に「(マクナマラ米国防長官が)ベトナム戦争拡大の原因究明に重大な関心を持ち、……ベトナム戦争当時の米、ベトナム両国の高官による会談の実現を働きかけました」という記述を見つけた、当時NHKのディレクターであった東大作さんが、その会談の内容を詳細に再現し、自らもマクナマラに会って、その真意を質していくという本を著しています。
我々はなぜ戦争をしたのか~米国・ベトナム 敵との対話(平凡社/2010年)というタイトルで出版されています。すさまじい、と表現したくなる力作です。

つまり、その会談は実現し1997年に行われていました。ベトナム戦争から米国が手を引いたのは1973年ですから、24年後です。

ベトナム戦争(中公新書/2001年)によると、アメリカの戦死者5万8千人、戦傷者30万人に対して、ベトナムの戦死傷者の総計は300万人に迫り、民間人の犠牲者も400万人を超えています。

マクナマラ氏はベトナムの本当の気持ちが理解できていなかった!

以前の敵同士が相まみえた会談は4日間実施されています。そのやりとりを追っていくと… 驚くべきことに、双方とも駆け引きの欠片もなく、というか…虚心に、そして坦懐に行われたことが伝わってくるのです。
ただ、マクナマラの価値観と、ベトナム側の民族統一というパーパスが揺るがなかった会話のちぐはぐさも感じられます。

ロバート・マクナマラ : ベトナムのみなさんに聞きたい。65年の終わりから68年の3月まで、ベトナムの人々、特にハノイに住む人々はものすごい数で犠牲者を出し続けました。正確な数は分かりませんが、ある推測によれば、この時期ベトナム人は年間100万人規模のペースで、死者を出しています。これは南北を問わず、ベトナムにとって大変な損失であり被害のはずです。…(中略)

そこで質問です。一体なぜあなた方は、このような膨大な人命の損失に心を動かされなかったのですか。目の前で国民が死んでいく中、犠牲者を少しでも少なくするために交渉を始めようという気にはならなかったのですか。どうして交渉のテーブルについて、アメリカの提案が自分たちにとって有利かどうかを見極める努力さえしなかったのですか。…(後略)

チャン・クアン・コ : マクナマラさん。あなたは、ベトナムの指導者が、ベトナム人民の犠牲と苦しみを省みなかったとおっしゃりたいんですか。だから我々が、和平交渉に応じなかったとでも言うんですか。…(中略)

いいですか。ベトナム戦争は、ここベトナムの地で行われたという事実を忘れないでもらいたい。ベトナムの国土が荒らされ、ベトナムの人民が死んだのです。戦争の痛みを最も感じたのは、我々だったのです。

北爆は、ベトナムに極めて大きな苦しみをもたらしました。しかしそれによって、ベトナムの人民は強くなったのです。北爆を受けていた時ほどベトナムの人々が、自由と独立のもとに団結した時はありませんでした。

戦争が続けば双方に大きな被害がもたらされます。しかしベトナムが失ったものは、アメリカと比べものにならないほどの大きなものでした。アメリカは、心理的・精神的被害で済んだかもしれませんが、ベトナムはあらゆる意味における損害を受けたのです。我々が戦争を続けたい理由が一体どこにありますか。

なぜ、なぜ我々が、あれほど激しい爆撃を受けても、交渉の呼びかけに応じなかったか、あなた分かりますか。
それはですね。独立と自由ほど尊いものはないからです。ベトナム人は、奴隷の平和など受け入れないんです。

独立と自由ほど尊いものはない!

(A課長)
死傷者数は米国と比較にならない規模だ。 それでも耐え抜いたということか…

(Sさん)
これまで紹介した本は、過去購入しており、ロシアのウクライナ侵攻で読み直したものですが、つい先日買って読んだ戦争はいかに終結したか(千々和泰明・中公新書/2021年)の第5章が、ベトナム戦争の終結に至る分析でした。
そこにはベトナム側の「損害受忍度」というキーワードが登場します。

本来軍事的に優位に立つはずのアメリカがハノイに追いつめられたのは、ハノイの損害受忍度の高さ(交戦相手よりもより大きな損害を受忍する覚悟がある)にあった。
1966年12月、ハノイのホー・チ・ミン国家主席は「アメリカ人が20年戦いたいなら、われわれも20年戦う」と述べた。

ホー・チ・ミンにはザップ将軍という最高の部下であり友がいた!

ホー・チ・ミンは終戦を待たず亡くなりますが、最大の信頼を置いた部下で盟友ともいえる元北ベトナム軍最高司令官のポー・グエン・ザップ将軍は存命でした。ただし老齢のためハノイ対話には参加していません。
ディエンビエンフーの戦いでフランスを破り、ベトナム戦争で米国に勝利したこの歴史的人物の自宅を、『我々はなぜ戦争をしたのか』の著者である東さんは1998年に訪ねます。
そして次のように問いかけます。

東 : なぜ、ベトナムがハノイ対話を受け入れたのか、日本人の私には簡単に理解できない面があります。一体なぜあれだけの被害を受けたベトナムが、マクナマラ氏らアメリカとの対話を受け入れたのでしょうか。

ザップ将軍は答えます。

ポー・グエン・ザップ : (前略)… 一つ付け加えたいことがあります。歴史を振り返れば、アメリカがベトナムを侵略し、ベトナムがそのアメリカを打ち負かしたのは明らかです。しかしより正確に言えば、いったい誰が勝者で、誰が敗者だったのでしょうか。

もちろん、自由と独立のために闘ったベトナム人民の勝利であることは間違いありません。しかし同時に、ベトナム戦争に反対し平和を求めたアメリカの多くの人々の勝利でもあったのです。敗れたのは、ペンタゴンをはじめとして、戦争を好んで遂行した連中でした。

だからこそ私は、アメリカとベトナムの人々が、友好的な関係を築くのは決して不可能なことではなく、むしろ必要なことだと考えています。特に若い世代の人たちが、相手をより深く理解し、将来に向けて良好な関係を作ってくれることを私は期待しています。ハノイ対話のように、お互いをより深く理解するための機会を持つことは、21世紀の平和にとって非常に大切な事だと思っています。

(A課長)
ベトナム戦争、そしてウクライナ侵攻は国レベル、そして巨大な時空の悲劇ですが、その根底には人と人のコミュニケーションの齟齬があるのではないでしょうか。

ザップ将軍の未来志向の言葉に力を得ています。
ウクライナ侵攻はまさに現在進行形であり、その悲劇の行方は見通せません。それでも私は、コーチングという相互理解を目的とする行動、活動を続けていくことが、小さな歩ではあるものの、かかわる人たちの変化につながっていく、と信じています。

Sさん、まるで「世界系」のように語ってしまいました。次回はクールダウンですね(笑)

坂本 樹志 (日向 薫)

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