心理学とコーチング ~河合隼雄と村上春樹 その2~(2021/01/15)

<村上>
ぼくは実は今、ノンフィクションの本を書こうと思って、そのリサーチのようなことをしているところなんです。ちょっと小説のほうは一服して、この1年はそれに集中してやってみたいという気持ちでいます。
テーマを定めて徹底的に調査をして、一人でも多くの人に話を聞いて、まとまったかたちの「非小説」をひとつ書きたいと。いろんな意味でそうすることが自分にとっても必要じゃないかと感じるんですね。そこは人の話をいっぱい聞くことによって自分がある意味で癒されたいという感覚もあるのです。他人の語る物語に正面から関わってみたいというか……。それはむずかしいことなのでしょうか?

まとまったかたちで「非小説」を書きたい、と語る春樹氏です。

前回のコラムで、カウンセリングのシビアな現場についてのやりとりを、「ぼくらの仕事がまさにそうなのですけれども、結局、癒されるのと癒すのはもう相身互いですからね…」という言葉から始めていますが、実は河合氏のこのコメントの前に、冒頭の春樹氏の質問があるのですね。

春樹氏が語った「非小説」は、1997年3月に『アンダーグラウンド』として刊行されます。会談は1995年11月ですから、そのとき春樹氏が、「人の話をいっぱい聞くことによって自分がある意味で癒されたいという感覚もあるのです」と語った、その感覚が果たして春樹氏の内部に生じたのか(人の話をいっぱい聞くことで癒されたのか…)、興味深いところです。

そこで今回のコラムは、『アンダーグラウンド』が刊行されて2か月後に実施された二人の会談(『約束された場所で(1998年11月/文芸春秋刊)』に収録)を取り上げ、私が感じたカウンセリング、そしてコーチングとの接点についてアプローチしてみようと思います。

<村上>
河合先生はセラピストとして面談をしておられるわけですが、通常そういう面談というのは何度も回数をかさねるわけですね。僕が、『アンダーグラウンド』でやったインタビューはある部分では面談と似ているようにも思うのですが、ほとんどの場合お目にかかって話を聞いたのは一度だけです。そのへんの実際的な違いというのはどうなんでしょうか?
<河合>
その人と何回会えるかということによって、私もだいぶ態度を変えます。この人とはこれからも長いこと会っていくと思いますと、事実を把握したりとか、こちらの考えを言ったりとか、そういうのはほとんど放棄してしまいます。
たとえば来た人が「私はこういう問題で悩んでいるんです」と言われたときに、ぜんぜん父親について触れない場合があります。そういうときに「失礼ですけど、お父さんはどんな方ですか?」と尋ねない場合があります。それは訊く必要がないんです。それよりもその人の「真実」のほうに興味があります。
ところがその人と会う回数が限られていたりすると、父親のことが聞きたくてしょうがなくなってきます。何度か会っているうちに、聞きたくて我慢できなくなってくることもあります。だいたいは聞かないようにしているんですが、あんまりたまらなくなったら聞きます。(後略)

「小説家がノンフィクションを書くことについて」を熟考してみる…

『アンダーグラウンド』は、地下鉄サリン事件の被害者62人へのインタビュー集です。文庫本で720ページのボリュームであり、春樹氏がその一人ひとりに誠実に向き合って、被害者が紡ぎ出す言葉を脚色なく(非小説ですから)文字に替えて発表しています。

私は小説家がノンフィクションを書く、というのは至難の業だと思うのですね。すぐれた小説家であればあるほど(その“すぐれた”の定義は難しいところですが)そうなのではないか…つまり、想像力(創造力)を発揮し、非現実な世界を描くことのプロですから、「事実」そのものを淡々と書き綴ろうと思っていても、どこかに小説家のイマジネーションが反映されてしまうのでは、と感じてしまいます。

前回のコラムで、春樹氏が「デタッチメントからコミットメント」と語っていることを取り上げました。春樹氏の心の奥底はわかりませんが、だからこそ「ノンフィクション」なのではないか、と私は想像しています。

そして、そのタイミングで河合氏と深い交流を持っています。カウンセリング、そしてコーチングとは、徹底的にクライエントに寄り添うことです。会話を通じて、クライエントの内部にあるさまざまな動き(ロジャーズは“過程”ということばを多用します)を、本人が「深く実感できる“言葉“」として浮上させることを援助する…それがカウンセラーであり、コーチの役目です。究極的には「触媒」としての姿なのではないか、と私は感じているのですね。

春樹氏は文字を扱うプロとして、作家自身が「自由自在に創り出す“言葉”」ではない、現実に目の前に存在する人たちの「本当の感情としての“言葉”」を把握するためには自分に何が必要なのか、そのことを虚心に知りたくて、前回のコラムで取り上げた『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』が実現したと私は解釈しています。

「傾聴のすぐれた使い手」である春樹氏についての再考

実は『約束された場所で』の河合氏と春樹氏の会話を、過去のコラム(6月30日/ユングの無意識の世界 その2)で取り上げています。それは、河合氏が春樹氏を「傾聴のすぐれた使い手」として評価しているところです。春樹氏は、その評価について少し照れているような反応をしています。ここで、そのやり取りに至る会話を引用してみましょう。

<村上>
事実をどんどん聞いていくというのは、ある場合にはかなりきついことですね。僕がこの仕事をやっていていちばんきつかったのは、あるいはジレンマといってもいいと思うんですが、事件の話を口にすることによって良い方向に向かう人もいれば、逆にまた調子が悪くなってしまう人もいるということでした。それで、僕も途中からかなりなやみはじめたんです。
<河合>
それはよくわかります。
<村上>
でも僕はテーマのある一冊の本を書いて、事実をある程度明るみに出すためにインタビューをしているわけですから、事実について質問しないわけにはいきません。いったいどこまで書いていいのか、そのへんのことは考え出すとやはりむずかしかったです。もちろん河合先生の場合とはそもそも面談の目的が違うわけですが。
<河合>
僕らはいつもそういうことを考えながら人に会っています。相手の人が言い過ぎそうなときには止めます。「それはまた今度にしましょう」とか。
<村上>
それは経験則みたいな感じでわかるんですね?
<河合>
そうです。経験則もあります。それから話を聞いているときには、僕らも自分の感情にはすごく鋭敏になっています。だから「ちょっと怖いな」という感じがしたときには、ぱっと止めるんです。
<村上>
でも本を書いている場合には、そんなふうに止められないですよね。
<河合>
そうなんです。目的がそもそも違いますから。でもね、そういう話をしてしまって、そのときは悪くなられたとしても、それは次に良くなるためのステップとしてそうなることもあるんです。だから簡単には良い悪いは言えません。「わー、言うてしもうた」と落ち込んでいても、「でもやっぱりそうなんやな」と思い直して、もう一回ぐっと上がってきます。そういうこともよくあります。
<村上>
僕も話を聞いているとき、感覚はできるだけ鋭敏にしてはいるんです。いろんなことを本能で判断しようとします。でもそこまで先は読めませんよね。「結局はよくなった」としても、よくなるまでにどれだけの期間がかかるかなんてこともわかりませんし。
<河合>
そうですね。そこまではわかりません。でも「会って話そう」と向こうが言ったわけだから、それはある程度割り切らなくては仕方ないですね。(中略)…こうして本になって活字で読むと、腹におさまっていくんです。「ああ、そういうことだったのか」とまわりもわかってもらえるんです。そういう意味では喜ばれたんじゃないでしょうか。

この後もしばらく「書くという行為について」の会話が続きます。

<村上>
僕が『アンダーグラウンド』を書こうと思った目的は二つあります。ひとつは、メディア的にプロセスされていない第一次情報を集めて並べていこうということです。第二に、徹底して被害者の視線でものを見ていこうということです。なぜかと言えば、そういう立場から書かれた本がひとつもなかったから。
僕は多くのマスコミや評論家がやっているように、オウム真理教の側の精神性とか思想性をとりあげて今ここで解析していっても、とりあえずどうしようもないんじゃないかという気がしたんです。…

春樹氏の自己開示を引き出したのは河合氏の存在があったから…

最後のパラグラフを太字にしていますが、この春樹氏の言葉から6月30日のコラムでの引用を開始しています(続きは当該コラムをご覧いただくと幸いです)。
私は、春樹氏を「傾聴のすぐれた使い手」とコメントしたのは、河合氏が春樹氏の“思い”に対して次のように応えた言葉に基づいています。

<河合>
でもこれは村上さんが聞いている態度によって、これだけのもんが出てきたんだと思います。僕は内容を見ていると、それがすごくよくわかります。村上さんはここでは聞き役で、ほとんど前に出てこないけれど、こういうことをしゃべるというのは、村上さんが聞いているから出てくるんであって、普通の人が聞いても出てきません。ほんとうにそうですよ。

春樹氏は「ノーベル文学賞を獲得するのではないか…」と、毎年のように名前が登場する存在となっています。その春樹氏が、今から四半世紀前に、「世の中にコミットメントしていこう」と意思を固め、そのための具体的な行動、そしてそれにともなう深い悩みを開示する態度… この春樹氏の姿をこうして私たちが知ることができたのは、河合氏の存在があったからこそだと、私は確信しています。

今回のコラムの最後に、春樹氏のコメントを引用しておきましょう。コラムの冒頭で私は、「春樹氏が、人の話をいっぱい聞くことで癒されたのか…、興味深いところです」、と書いています。その回答が、次の言葉に込められているのではないでしょうか。

<村上>
僕がこの仕事から得たいちばんの貴重な体験は、話を聞いている相手の人を素直に好きになれるということだったんじゃないかと思います。これは訓練によるものなのか、あるいはもともとの能力によるものなのかわからないんですが、じっと話を聞いていると、相手の中に自然に入っていくという感覚があるのです。巫女=ミディアムみたいな感じで、すうっと向こう側に入っていけるような気がする。これは僕にとって新しい体験だったのです。

(日向 薫)

 

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