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心理学とコーチング ~交流パターン分析と伊坂幸太郎の『AX』~

前回に続き、バーンの交流分析を取り上げます。今回は、4つの骨子の2番目である「交流パターン分析」を解説してみましょう。

バーンは、人と人のやりとりには3つの基本形があるとしています。

①相補的交流(心地よい会話)

質問や問いかけに対して、同意し配慮を伝えるやりとり。
(例)
夫「父親の一周忌が近づいてきたが、新型コロナの緊急事態宣言もあるので、母親から皆で集まっての会はやめることにしたい、という電話があった」
妻「あらそう…お義母さんも悩んだでしょうね。いたしかたないわね…じゃあ、お義母さんに、胡蝶蘭を送っておこうかしら」
夫「それはいいね。ありがとう頼むよ」

②交差的交流(ストレスに満ちた応酬)

質問や問いかけに対して、想定していない返答、否定的な言動が返ってくる。
(例)
夫「父親の一周忌が近づいてきたが、新型コロナの緊急事態宣言もあるので、母親から皆で集まっての会はやめることにしたい、という電話があった」
妻「気になっていたのよ。わたしとしては行きたくなかったからちょうどよかったわ。あなただってそうでしょ!」
夫「……」

③裏面的交流(表面的な取りつくろう会話)

質問や問いかけに対し、本音を隠し建前で応えるやりとり。
(例)
夫「父親の一周忌が近づいてきたが、新型コロナの緊急事態宣言もあるので、母親から皆で集まっての会はやめることにしたい、という電話があった」
妻「そうなの…ふーん。お義母さんとしてはとても残念でしょうね。めったに帰省しないあなたが一周忌だと必ず帰ると思っているはずだから」
夫「いやいや、俺が帰ると、いろいろ意見するので煙たがっている。新型コロナという理由ができたんで、ホッとしているはずだ」
妻「私はお義母さんに会えるのを楽しみにしていたのだけど…残念だわ。私たちの思いより、お母さんの考えを尊重することが一番よ。帰ることはできないわね!」
夫「……」

例話に少し悩みました。この会話は、私と妻の間で実際にあった会話です。ちなみに真実の会話は、①相補的交流であったことをお伝えしておきます(笑)

人間関係においてフラットな関係性は得難いのか…?

コミュニケーションにあたっては、相補的交流でありたいと皆が願っていると思います。ところが実際には、かなりの頻度で、そうではないやりとりが発生します。というのは、多くの人が、自分の反応、回答を棚に上げて(自覚しておらず)、相手の返答に対して不満を感じている、というパターンが見受けられるからです。その感情によって、自分の返答も相手を非難する、相手の提案を否定する、というやりとりが続いていくのですね。

加えて、昨年の5月7日のコラムで取り上げた「社会的勢力」の存在です。この意味は「他者に対して社会的影響を与える潜在的な力(この定義はグーグルの強調スニペットとして採用されています)」のことで、地位や何らかの背景により一方が影響力をもち、他方がそれを受容している(受容せざるを得ない)関係です。

人間関係において、フラットな関係というのは実は得難く、両者が心を開き努力をしていかなければ、なかなか生まれてこないのですね。

アドラーは、「人は権力を求める」といいます。つまり、人と人が出会えば、相手より優位に立ちたい、という動因が働き、それを得るための行動をとるのですね。そして社会的勢力において優位を手に入れると、その人の態度は、謙虚さが薄れていきます。ある意味でその本人は脇が甘くなり、相手への配慮に欠けた態度が表れてきます。本人は気づくことなく、相手を傷つけてしまうのです。

社会的勢力を有している人に対して、非影響者は忖度する傾向があります(特に日本文化では)。つまり、裏面的交流が生まれるのです。上司が部下に指示した場合に、「わかりました」というYESの返事こそ、しっかり部下の本音をつかむ努力が求められます。

メラビアンの法則では、相手が何を考えているかを把握しようとする場合、言語(バーバル)によって獲得できる情報は7%にすぎず、それ以外のノンバーバルな情報が93%を占めているとされます。つまり、YESという言葉だけに安心してはいけないのですね。
他方で、部下の本音はYESではないのに、YESだと言ってしまうのは、上司がNOと言わせない雰囲気を醸し出しているのかもしれません。

伊坂幸太郎の『AX』は交流分析を学ぶ上で格好な題材です。

ここで、伊坂幸太郎の『AX アックス(令和2年2月25日/角川文庫)』を取り上げてみます。その裏表紙には、次のようなコメントが記されています。

……「兜(かぶと)」は超一流の殺し屋だが、家では妻に頭が上がらない。一人息子の克巳もあきれるほどだ(中略)…こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない。物語の新たな可能性を切り拓いた、エンターテインメント小説の最高峰!……

兜の「恐妻家」ぶりが見事に描かれているやりとりを以下に引用してみましょう。

「母さんはどこだろう?」
「二階だよ。収納の片づけを始めたら、止まらなくなったみたい」
ああ、と兜はため息を吐く。妻は読書にしろ、掃除にしろ、いったん夢中になると時間を忘れるところがある。もともと整理整頓にこだわる性格であるため、特に掃除は熱が入ると徹底的なものになる。もちろん悪いことではない。ないのだが、その結果、家のタイムスケジュールが崩れる。

と思っていると階段を降りてくる足音が聞こえる。兜は自分の胃が締まるのを感じた。
「あら、あなた、帰ってきてたの」
「今ね」
「掃除をしはじめたら、終わらなくなっちゃって。収納がいっぱいで、前から整理したかったんだよね。そうしたら、あっちのものをこっちへ、と大移動で。あなたの部屋に物を置いてもいい?」
「もちろんだよ」兜の部屋、とはいえ、それは納戸を少し改良しただけのもので、「お父さんの部屋」と呼ばれるだけのただの納戸、と言った方が近い。リフォームをして自分の部屋が欲しい、と言った際、妻からの提案でそうなったのだ。

「掃除、大変だね」「そう大変なの」「いやあ、お疲れ様」
相手を労う。基本の第一だ。先日、ボルダリングジムで喋っていた際、松田も言っていた。「私は十九年の結婚生活で学びましたよ。妻の話はとにかく、『大変だね』の相槌、一択なんですよ。愚痴はもちろん、疑問形の言葉に対してもね、『大変だねえ』と言うことがもっとも妻を癒します」

兜も同意した。仮に、「こちらの服とこちらの服、どちらがいい?」と相談されたとしても、「大変だねえ」と大いに同情し、相手を労う。もちろん、「ちゃんと答えてよ」と叱られることもあるだろう。が、それでも、ちゃんと答えれば平和が維持されるかと言えば、そうは言い切れない。
「あなた、今日の夕食、トンカツでいい?冷凍してあるお肉があって」
「もちろんだよ。ちょうどトンカツが食べたかった」これは嘘ではなかった。仕事の下見で外を歩き回ってきたため、空腹感はあった。
「でもまだ少し、掃除、時間がかかりそうだし、その後、パン粉を買ってきたりするから遅くなりそうだけど」
「俺がパン粉買ってこようか」
「ああ、そうしてくれる?」
「君も大変だな」
二階に妻が戻っていくと、克巳が冷めた目を向けてきた。「親父はさ、よくそんなに、おふくろにペコペコできるよな」
「ペコペコしてる?労っているだけだ」
「だけど、親父だって働いているわけだし、今だって、パン粉を買いに行くと言っても、おふくろは悪いとも思っていないし」
「そんなことはない」
「もし俺が大学に行って、もし、一人暮らしとかはじめたら、親父がどうなるのか心配で」
「どういう意味だ?」
「親父とおふくろ二人だけで、うまくやっていけるのかなあって」
そんなこと心配してくれるのか、と兜は感激で、息子を抱擁したくなるが、もちろんやらない。
(中略)

二階からまた妻の降りてくる足音がし、してもいない不倫の罪に竦み上がるような気持ちになった。掃除は一段落したのか、と訊ねようとしたがその前に、「まだもう少しかかりそうだから」と彼女は二階を指さす。
「大変だなあ」
「夕食、トンカツじゃなくてもう少しあっさりしたものでもいいかな。そうめんとか」

兜の胃袋はすでに、トンカツを食べる気満々の、トンカツ形状になっているほどの感覚ではあった。さらに妻の言葉は、「いいかな?」という相談の形式をとっている。普通の人間であれば、「やはりトンカツが食べたい」と自らの希望を主張することを考えるかもしれない。が、それはアマチュアだ。長年の付き合いから兜はどう答えるべきかを知っており、悩むことなくそれを口にした。
「俺も、そうめんくらいのほうがいいように思っていたところなんだ」
克巳がにやにやしながら、単語帳をめくる。「いたわしい。可哀想。poor」

『AX』での兜と妻のやりとりは、ただの「裏面的交流」なのか…?

このシーンは、読み始めて1/3あたりのところなのですが、笑ってしまいました。ただ、あくまでも兜の語りなので、一方の妻は兜に対してどのように感じていたのかは明らかにされていません。
その妻の気持ちは、最後あたりで明かされます。それを記す前に…
「カドブン(KADOKAWA文芸WEBマガジン)の『AX』大ヒット記念 伊坂幸太郎への一問一答(後編)」
https://kadobun.jp/feature/interview/38.html
のなかにある質問と伊坂さんの回答を2つ引用してみましょう。

Q26 恐妻家の本質には、2つあるような気がしました。本当に恐れている人と、兜のように深い愛の裏返しの人。世の中には、兜のようなタイプの恐妻家は多いと思いますか?(seitarouさん 男性 50歳 会社員)
伊坂: 深い愛の裏返しかどうかは分からないのですが(汗)、ただ、奥さんの機嫌が悪いとつらい気持ちになっちゃう男性は多いのではないかな、と想像します。

Q28 『AX』を読んで、これは完全なラブストーリーと思いました。伊坂さんは、感涙の最後のエピソード含め、愛を描くことを最初からの目論見でいましたか?(takashiさん 男性 35歳 その他)
伊坂: ああいう話になるとはまったく思っていませんでした。ただ、兜の奥さんが嫌な人と思われるのは寂しかったので、どうにかしたかったところはあります。

兜の思いは、ほほえましくも妻にはまったく伝わっていなかった!

伊坂さんの煙に巻く回答も素敵ですね(作家としての本音だと思います)。
兜は死んでしまうのですが(家族愛とは? を深く考えさせる設定です)、数年を経て克巳は結婚し(妻の名は茉優)、子どもの大輝も生まれています。母(兜の妻…ここではおばあちゃんですね)は大輝を抱いて、兜の思い出を話します。

「お父さんにはほんと、いろいろ困らされたんだから」母は、大輝を抱えながら妻に話しはじめた。
父の写真に目をやってしまう。親父がおふくろを困らせた?逆ではなくて?
僕の思いとは関係なく、母は昔の話を、父の失敗談や父にまつわる話をいくつか、面白おかしく披露した。
「だけどさ」ある程度、母の話が終わったところで僕は口を挟んだ。頼んだぞ弁護人、と背後から父が拝んでくるのを感じるほどには、使命感を覚えた。「親父も、おふくろにいつも気を遣って偉かったと思うよ」
「あの人が?わたしに気を?いつ?」母が目を丸くし、のけぞるようだったから、むしろ僕の方がのけぞった。
「いつというか、常に」
母は大笑いをした。「そんなことないって。お父さんはいつも気楽に、のんびり生活していたんだから」
へえ、そうだったんですか、茉優が相槌を打っているものだから、異議あり、と手を挙げたくなった。「異議あり!被告人は自分に都合よく、記憶を捏造しています」
「却下します!」という声が、背後の写真のほうから聞こえてきたように感じ、僕は苦笑する。あなたの弁護をしているのに。
「でも、おかあさん、どうやっておとうさんと知り合ったんですか?」
「どうだったかなあ。昔のことだから」と母は首をかしげる。
「そんなに大事なこと、忘れちゃったんですか」
「昔のことだから」と母は繰り返し、「友達の紹介だったんじゃなかったかな」と言った。そうだったよね。とここにはいない父に呼びかける。「その通り」と父が答えるのは、想像がついた。

この後で、兜と妻の出会いのシーンが4ページで描かれます。そして、364ページ(文庫)に綴られた『AX』が終わります。「友達の紹介」では、まったくなかったことが明かされるのですね。
この最後の4ページは意外性もあり(読者の想定を上手に裏切ります)、かつ360ページに亘って面白おかしく書き綴られた兜と妻の関係性が一気に理解できる(腑に落ちる)、というフィナーレです。伊坂さんの真骨頂ですね。
私はソファに深く沈みこみ天井を見上げ感動に打ち震えました(このコラムは書評ではありませんから、感想コメントはこれだけにとどめます)。

兜と妻のやりとりを交流分析で捉えてみると、

  • 兜から妻への会話 → ③裏面的交流を自覚的にやっている。
  • 妻から兜への会話 → ①相補的交流だと思っている(天真爛漫な性格…?)。

となります。『AX』では、兜のそれを愛に基づいた態度として描かれています。

交流分析では、基本的に③裏面的交流を「好ましくない」としています(納得できるところです)。さらに、②交差的交流と③裏面的交流とが合体した「交差的裏面交流」…つまり、「表面的には何もないように装いながら裏面では交差しているやりとり」を、①~③とは独立させ「ゲーム分析」として細部にわたって解説しています。これは、「ゲームは意味のない交流であり時間の浪費であるから、このやりとりから脱却して相補的交流を目指す必要がある」としているからです。

今回のコラムは、交流分析のなかの「交流パターン分析」を解説してみました。今後も交流分析を取り上げてまいりますが、次回のコラムはロジャーズに戻って、72歳になったロジャーズが、これまで思ってもいなかった「気づき」を得る姿を描いてみようと思います。

坂本 樹志 (日向 薫)

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