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G7広島サミットを控えて、岸田首相と習氏についてコーチング視点でアプローチする1on1ミーティングです!

まず、生い立ちだ。家康は岡崎城主の嫡男として生まれた。習氏は元副首相の習仲勲氏を父に持つ。ともに名門の出で、農村からはい上がった豊臣秀吉や毛沢東とは明らかに違う。
若いころ苦労したのも同じだ。家康は6歳で人質に出され、異郷の地で育った。習氏は文化大革命のさなか、15歳で黄土高原の谷あいにある小さな村に送り込まれ、およそ7年間を洞穴式の住居で過ごした。
(日本経済新聞5月14日5面「風見鶏~習氏と家康の分かれ道」より引用)

心理学を学びコーチングの資格を有する新進気鋭の若手A課長と、部長職を長く経験し、定年再雇用でA課長のチームに配属された実践派のSさんとによる、2023年19回目の1on1ミーティングです。

G7広島サミットが2日後に迫った朝の1on1ミーティングです

(A課長)
いよいよG7広島サミットが始まりますね。

(Sさん)
なんだかドキドキしますよ。大学からこっちに来て広島にはたま~に帰る程度ですが、中国上海で4年間を過ごし帰国した頃から… 50歳を迎えるあたりから、広島を想う気持ちが違ってきたように思います。

(A課長)
違ってきた…?

(Sさん)
そうですね…望郷かな? やっぱり自分は広島の人間なんだなぁ、とつくづく感じます。

(A課長)
Sさんとは、1on1ミーティングを2021年の11月から始めて、週イチのペースで回数を重ねてきましたから、まもなく80回になります。そしてSさんは折に触れて広島のことを語る。私は横浜の本牧生まれで、今も本牧に住んでいますが、Sさんから伝わってくる「偏愛」のような思いは…ちょっとないなぁ(笑)

(Sさん)
「偏愛」ですか…(笑)
室生犀星が「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と、『小景異情』にその気持ちをしたためました。なんだか伝わってくるのですね。
もっとも犀星のこの詩は、ふるさと金沢の地で書いたようですから、ちょっと複雑です。気持ちは「東京」の方にあるのですね。地元金沢をどちらかというとネガティブに捉えている犀星ですから、「ふるさと金沢から離れていたならば、もっと純粋な気持ちで故郷を想うことができるのに…」と、解釈する向きもあります。

(A課長)
つまり、遠く離れた埼玉(笑)…に住んでいるから、ふるさとを想う気持ちが強まっている?

(Sさん)
それはありますよね(笑)。ちなみに中国では「シャンジア」と、想いを込めて言葉にします。ホームシックのことです。「想家」と書きます。

中国語の「想家(シャンジア)」はホームシックのこと!

(A課長)
なるほど… ということは広島出身の岸田首相は、ふるさとで開催するG7に万感の想いで臨んでいる。

(Sさん)
おっ、広島サミットにかけて岸田首相が登場しましたね。

(A課長)
ええ、Sさんはそこにつなげたいのだろう、と私の五感がキャッチしていますから(笑)

(Sさん)
ありがとうございます(笑)
いつでしたか、今回G7の会場となるグランドプリンスホテル広島で、ワーケーションしたときの1on1を思い出します。市内の中心にも立派なホテルはありますが、広島湾に面した小さな半島のような宇品(うじな)島に佇むこのホテルは、警備におけるアドバンテージが高いので選ばれたようです。今朝の日経新聞2面に、「G7サミット警備厳戒」のタイトルで詳述されています。

(A課長)
瀬戸内海に浮かぶ江田島とか、風光明媚な景色をSさんは話してくれました。

(Sさん)
あのときAさんは、「Zoomでコミュニケーションできるから有休を使う必要はないですよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えています。
今回もコーチング型1on1を実感しています。エグゼクティブコーチのAさんだからこそ、私が何を考え、何を想っているか… 五感で把握してくれているのが伝わってきます。今日の1on1は、日曜14日の日経新聞の内容でやってみたいと考えていました。

(A課長)
いいですね、やってみましょう。

下放された習氏の境遇は家康の若い時を彷彿とさせる?

(Sさん)
スクラップしていますから、紹介します。5面の『風見鶏』です。「習氏と家康の分かれ道」というタイトルで、両者を比較しています。文化大革命で下放された15歳の習氏は、黄土高原の谷あいにある小さな村で、およそ7年間を洞穴式の住居ですごしています。
若い時苦労した点は共通だとし、権力を握った早々の振る舞いも、同様だと分析しています。

たとえ天下を取っても、自らの支配を脅かすおそれがある勢力は徹底的にたたく。そうした姿勢は2022年の中国共産党大会で、当時の李克強(リ・クォーチャン)首相や胡春華(フー・チュンホア)副首相らを指導部から締め出した習氏にも通じる。
徳川の世が永遠に続くようにするにはどうすればいいか。家康はそこに知略のかぎりを尽くした。

(Aさん)
私は日経電子版を開きますね…
なるほど。家康の評価は、さまざまな捉え方はあるものの、長い歴史の裏付けもあってほぼ定着している。Sさんとは家康のことをコーチング的に語り合ってきましたが、執筆者の高橋哲史編集委員も、その視点を組み込んでいますね。
そして後段からは、習氏と家康の違いにフォーカスしていく…

家臣の進言をよく聞き、細事にはこだわらなかった家康。党の指導を絶対と考え、社会の隅々にまで自身の意向を行き渡らせようとする習氏。呉氏の目には、ふたりが異なるタイプの指導者に映る。

(Sさん)
呉氏というのは、日本総研の呉軍華上席理事ですね。女性の名に“軍”という文字が使われているので、違和感を覚えるかもしれませんね。中国において軍…定義上は国軍ではなく共産党の人民解放軍ですが、敗戦国である日本とは軍に対するそのまなざしはかなり違います。そのことを中国で実感しました。女性男性に限らず、そのような「力」を感じさせる名前を結構目にしました。

(A課長)
確かに日本は負けてしまいましたが…

爆心地近くに勤労動員で駆り出された二中の1年生は全滅!

(Sさん)
ええ、歴史にIFを持ち込むのはいかがなものか…ですが、「もし日本がアジア太平洋戦争で負けていなかったら…」と想像してしまいます。結果的に日本は完敗です。だからこそ、日本中で「もう戦争なんか二度としたくない!」という想いを皆が共有したのだと思います。理屈ではなく、とにかく戦争はイヤなのです。それこそ心底からの想いです。
ただ… 戦争が終結してもうすぐ80年になります。体験としての戦争を語る人は、ほとんどいなくなりました。

母親は小学4年生の時に、爆心地から2キロちょっとのところで被爆しています。身体の中には今もかなりの数のガラス片が残っているんですね。その時は全身血だらけで、防空壕の奥に数日放置されていたようです。ただ奇蹟的に生き残った…

父親は、たまたま風邪を引いていたので、その日の勤労動員には参加していません。当時の県立第二中学校…二中に居残っていて、そこで被爆しました。同じく2キロくらいです。校舎はもちろん全壊です。
そのあと、父親がどうやって生き延びることができたのか、については本人から聴いています。まあ…想像を絶する世界です。

その場所は、後に観音小学校となります。実は私が通った小学校です。ちなみに二中は旧制中学ですから、戦後は県立観音高等学校に変わります。その高校も私の母校なんですね。

父親は中学2年生でした。1年生は爆心地に近いところで建物疎開に駆り出されており、全滅しています。2年生は少し離れたところだったので全滅は免れたものの、状況はほとんど同じです。
父親は88歳で亡くなりましたが、3歳下の母親は今も元気です。大きな声で広島弁をしゃべくります。ネアカであるところを私は引き継いだようです。

(A課長)
……

「敗戦国」と「戦勝国」では軍に対するまなざしは異なる!?

(Sさん)
失礼、ファミリーヒストリーを語ってしまいました。話を戻します。
1949年に誕生した中華人民共和国は対外戦争に負けたことがないんです。つまり戦勝国であり続けています。ですから、日本とは根本的なところで「戦争観」が違っているのではないか、と想像しています。

(A課長)
対外戦争はそうかもしれませんが、でも血みどろの内戦を経ている。

(Sさん)
ええ、中国の統治は「易姓革命」の歴史です。つまり内戦が常態化しているのですね。いえ、ちょっと正確ではないな。孫文が「中華民族」という概念を創始したことで、大きく変化します。それまで「Nationとしての国」同士の戦い、という意識だったと想像します。

孫文によって、その後の中国の為政者の意識に「Stateのイメージ」が形成されてきたと私は解釈しています。ただ毛沢東も蒋介石もその本質は理解できなかった…

(A課長)
StateとNationですか… ここはチャットGPTの力を借りましょう。

SateとNationの違いは、政治的な面と国民的な面からの概念の違いです。Stateは主権を有する統一体を表し、Nationは同じ言語や文化、歴史を共有する国民の共同体を表します。例えば、イギリスはStateとしては一つの国家ですが、Nationとしては、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四つの国家があります。Countryは地理的な面から見た国や領域を表します。例えば、日本はCountryとして一つの地域ですが、StateとしてもNationにしても一つの国家です。

なるほど…

日本人にとって「State」と「Nation」の違いは実感できない?

(Sさん)
中国の話になると、ちょっと熱くなってしまいます(苦笑)。クールダウンします。
『風見鶏』の最後あたりで、岸田首相が登場します。Aさんが引用した続きです。

国際日本文化研究センターの磯田道史教授は著書で家康を「織田信長のように『力の原理主義者』にならなかった」と評す。
引き締めすぎず、緩めすぎず。力に頼るばかりでなかった家康流の統治がしみ渡っていたからこそ、江戸幕府は265年の長きにわたって続いたのだろう。
そういえば、岸田文雄首相も「徳川家康」の愛読者だと聞く。

(A課長)
Sさんは中国に4年間駐在されていますよね。ですから習氏に対して、私たちとは違うイメージで捉えているような気がします。知りたくなりました。

(Sさん)
それほど情報を持ち合わせていないので、そう違いはないとは思いますが…
私の上海駐在は2005年からの4年間なので、胡錦涛主席の時代です。上海市で発生した汚職事件の流れを受けて、韓正市長に代わって習氏が上海市党委員会書記に就任したのが2007年です。周りの中国の人にとっても印象の薄い人物でした。
当時、私のバディでもあった王さんは大連出身だったので、ポー・シーライのことを熱く語っていました。漢字は薄熙来です。

(A課長)
15年前の話ですね。

(Sさん)
はい、でも私にとってはものすごくインパクトがありました。

(A課長)
インパクト?

(Sさん)
ええ、「習近平ってベン・リーユエンの夫だったの?」という衝撃です。

(A課長)
ペン・リーユエン? 習氏夫人ということは、トランプ大統領との会食とかで習氏の隣でニコニコしていた人ですよね。

彭麗媛は知っていたけど、まさか習近平の…

(Sさん)
はい、当時夫人は人民解放軍所属の軍人であり国民的大歌手でした。スーパースターと言ってもいい。ちょっと待ってください。Wikipediaでチェックしてみます… 最終階級は少将とありますね。
漢字で書くと彭麗媛。CCTV放映演唱番組の中心的存在でした。抜群の歌唱力というか、中国的コロラトゥーラ・ソプラノの最高峰です。

ちょうどその頃、青海省西寧とチベット自治区のラサを結ぶ青蔵鉄道が全面開通し、広報番組がCCTVでしょっちゅう放映されていました。そのテーマソングの「天路」が何とも言えず中国的で、「中国語で歌いたいなぁ…」というモチベーションが高まったんですね。ペン・リーユエンも歌っています。

(A課長)
Sさんは、テレサテンの中国語バージョンで中国語の発音を学んだと言っていましたが、ペン・リーユエンも先生でしたか。

(Sさん)
おっしゃる通り(笑)。脱線しました、戻しましょう。
ただ、いろいろ調べてみると、習氏が早い段階で人民解放軍にコミットメントできたのは、夫人の力が大きいと言われています。鄧小平は国家主席になっていません。ただ人民解放軍を完全掌握し、トップであり続けることで最高権力者としての地位を盤石なものにしています。
さて『風見鶏』の最後は、次の言葉で〆ています。

岸田氏と習氏のどちらが家康により近いか。その答えは日本と中国だけでなく、混迷する世界の行方をも占うカギになる。

このように、呉軍華氏や磯田道史氏の言葉を引用しつつも、筆者である高橋哲史編集委員は謎をかけているというか、断定していないところがいいなぁ、と感じます。

習近平はとても分かりにくい人物…

(A課長)
なるほど… Sさんも断定を避けていますが、それでもSさんの「習近平観」を聴きたい。

(Sさん)
う~ん… 定まりません。ただコーチング的に五感で習氏を捉えると、「いつも楽しそうではない」のが気になります。感情を表さないというのではなく、ここまでの権力者になっても、そのことに対して「自分はスゴイ!」という感情を抱いていないような気がするのですね。メタの視点を感じます。

毛沢東的だとする見方もありますが、私には違って見えます。そう見られることを利用しているかもしれませんが、根っこの人格は異なる印象です。決して戦闘的ではなく、そして自分の都合の良い情報を求め、偏った判断になりがちの「裸の王様」にはならないよう、細心の注意を払っているような気がします。ですから家康に似ているかもしれない。

(A課長)
マスコミがはやし立てるニュアンスと、Sさんは違っていますね。

(Sさん)
う~ん、どうでしょう。もっとも台湾については、公式見解と習氏の考えにズレはまったくないと思います。ただ「武力でもって解決しよう」という選択肢の優先順位は高くない、と感じます。これについては、希望的観測もありますが…

(A課長)
台湾に対する考えにブレがない、という根拠は?

清朝の康熙帝の頃に中国の版図は最大化する!

(Sさん)
ええ、それは満州族による清の時代に遡ります。第4代皇帝の康熙帝から、雍正帝、そして乾隆帝までの3人の皇帝の時代が清朝最盛期なんですね。康熙帝は、日本で言うならば、まさに徳川家康です。Wikipediaでは次のように紹介されています。

西洋文化を積極的に取り入れ、唐の太宗とともに、中国歴代最高の名君とされ、大帝とも称される。その事実は歴代皇帝の中で聖の文字を含む廟号がこの康熙帝と、宋と澶淵の盟を締結させた遼最盛期の皇帝聖宗の2人にしか与えられていないことからも窺える。また祖の文字も、通常は漢の高祖(太祖高皇帝)劉邦など、王朝の始祖あるいは再建者に贈られる廟号であるが、康熙帝は4代目であるにもかかわらず太祖・世祖に続いて3番目に贈られている。

この清朝最盛期は、秦の始皇帝から現在に続く中国の悠久の歴史において、最大版図を築き上げた時代です。もちろん台湾も含まれます。

ですから、その後に中国のトップとなった為政者は、その版図イメージが刷り込まれていると思うのですね。鄧小平の改革開放を江沢民、胡錦涛が引継ぎ、世界の強国となった今、韜光養晦の段階は終わった、と習氏は判断しました。ただ米国をここまで刺激してしまう、というのは想定外だったと思います。台湾問題は国内問題であると思い込んでいますから。

ただ私は、習氏のメタ認知を感じさせる風情に望みを託しています。プーチン大統領のように自身を相対化できない人物ではない、というのが私の「習近平観」です。

岸田首相は“イズム”を感じさせない「柳に雪折れなし」の人!

(A課長)
なるほど… では『風見鶏』の最後の問いかけである、「岸田氏と習氏のどちらか家康により近いか?」について、Sさんの見解を教えてください。

(Sさん)
結構無理筋の質問ですよね(笑)。 習氏との比較ではなく、安倍元首相と岸田首相では、価値観も含めて多くの人が違いを感じていると思います。安倍元首相には“イズム”を強烈に感じます。ところが岸田首相は…

(A課長)
う~ん、“イズム”は感じないというか、よく見えない…

(Sさん)
それが、多くの人が抱く共通のイメージだと思います。私はこの点について、ポジティブリフレーミングします。「まさかプーチンロシアが20世紀型の戦争を仕掛けるとは…」ということが現実に起こっています。まさしくVUCAです。

この現実を受け止め、臨んでいくためには、ポジティブな「君子豹変」も必要だろうし、レジリエンスについても、日本的な「柳に雪折れなし」「柔よく剛を制す」こそが、求められると思うのです。岸田首相は、まさにそのイメージです。

以前の1on1で、森保監督の「鈍感力」は広島の地が育んだ、と言ってしまいましたが、岸田首相は、無意識ではなく積極的に「鈍感力」を使っているように私は感じます。“だからこそ”強い!

(A課長)
ありがとうございました。今日の1on1は、15年前に中国に駐在していたSさん“だからこそ”の話を聴かせていただきました。ペン・リーユエン夫人のリアル映像にも驚きです。次回もユニークな1on1にしていきましょう!

坂本 樹志 (日向 薫)

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