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チャットGPTとグーグル検索、そして『職業としての小説家』を読み込み「共感と受容」について思索する1on1ミーティングです!

かくのごとく、なにごとによらず専門外のことに手を出すと、その分野を専門とする人々からはまず良い顔をされません。白血球が体内の異物を排除するかのように、そのアクセスをはねつけようとします。それでもめげずにしつこくやっていれば、そのうちにだんだん「まあしょうがないな」という感じで黙認され、同席を許されてはくるみたいですが、少なくとも最初のうちはずいぶん風当たりがきつい。
「その分野」が狭ければ狭いほど、専門的であればあるほど、そして権威的であればあるほど、人々のプライドや排他性も強く、そこで受ける抵抗も大きくなるようです。
(『職業としての小説家~14ページより引用』)

心理学を学びコーチングの資格を有する新進気鋭の若手A課長と、部長職を長く経験し、定年再雇用でA課長のチームに配属された実践派のSさんとによる、2023年16回目の1on1ミーティングです。

村上春樹さんはイーロン・マスク氏と似ている!?

(Sさん)
いきなりですが、春樹さんってイーロン・マスクに似ていると思いませんか?

(A課長)
いきなりですね、イーロン・マスクですか? う~ん…

(Sさん)
プロフェッショナルとしての活躍フィールドはまったく異なります。さらにアグレッシブというか、アニマルそのもののマスク氏に対して、春樹さんは静的なイメージです。でも私は共通するものを感じています。一言でいうと「反骨精神」です!

Aさん、22日土曜日の日本経済新聞7面に、史上最大のロケット「スターシップ」の打ち上げ失敗に関する記事がありました。またしてもマスク氏の規格外ぶりが活写されています!

ロケットが爆発した瞬間、スペースX社内でモニターを見つめる大勢のエンジニアたちから歓声が上がった。マスク氏は「おめでとう。ワクワクする打ち上げ試験だった」とツイッターに投稿し、開発チームをねぎらった。

(A課長)
そこですか(笑)。

(Sさん)
この記事は、JAXAのH3ロケット1号機の打ち上げ「失敗」と対比させています。

開発の進め方は日米で異なる。日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の大型ロケット「H3」は、地上での試験やシミュレーション(模擬実験)を入念に繰り返した。初飛行では実際に人工衛星を搭載して打ち上げ全体の成功を前提に目標設定をしていた。その目標に達しなかったため、打ち上げは明確に「失敗」との結果に終わった。

これに対してスターシップは衛星などは搭載していない。宇宙開発評論家の鳥嶋真也氏は「実際に飛行させないと得られないデータの取得を重視している」と指摘する。そもそも極めて巨大な機体が発射台から飛び上がるかも不透明との見方があったため、初飛行では一定の成果が得られたとみる。失敗した直後に次の打ち上げを「数か月後に実施する」と宣言できるスピード感がスペースXの強みだ。

スターシップとJAXA・H3の「失敗」の概念は根本的に異なる!?

(A課長)
マスク氏のやってきたことは、あらゆるタイミングでバッシングされてきました。直近はツイッターの買収です。
何を専門として事業を展開しようとしているのか「わからない」、というのが世界の受けとめ方であり、「素人がゼロからはじめて何ができる!」と思われていたEV開発は、あれよあれよという間に… そして宇宙事業でも大成功! バッシングなどものともしていない。

春樹さんも、ジャズバーで成功していた素人が小説を書き始め、「文体の軽薄さに辟易する!」と専門家に酷評されながらも、そのような狭い了見とは一線を画し、独自の文体を磨き上げ、今では小説家の枠にとどまらない、その発言が世界の人々に多大な影響を与える「世界のMURAKAMI」になっています。

(Sさん)
4月5日の1on1で、村上龍さんのインタビューをまとめた『存在の耐えがたきサルサ』が話題になりました。その中で蓮實重彦さんが、「僕ははじめから村上春樹は小説家ではないという理由のない確信がある。何か違うことをしたいと思っているのに、この人はこれをやっているというね…」と語ったのは、『ねじまき鳥クロニクル』の否定とは別次元で、何かを暗示した発言だったのかもしれない。

(A課長)
Sさんの視点もするどいですね。
『女のいない男たち』を書き終えた春樹さんは『職業としての小説家』を発表します。2015年です。私はこれを読んで、春樹さんの「小説愛」に感動しました。とにかく春樹さんは「書くこと」が大好きなんですね。「自分が評価されるかどうか」ではなく、「小説を書きたい!」というモチベーションが保たれる環境を、35年間にわたってクリエイティブし続けたことが書かれています。

そして、「ひたすら小説を書き続けてきたこと」を、壁のまったく存在しない“どこか”におはします小説の神様が「いいね」と感じたんです。その能力が、泉の底から枯れることなく湧き続けるよう、賜物として“その力”を春樹さんに贈ったのではないでしょうか。

春樹さんの“筆力”は小説の神様が与えた「賜物」

(Sさん)
小説の神様… 素敵な響きだ。

(A課長)
春樹さんの視線は徹底的に「読者」です。批評家、評論家の方には向いていない。
大好きな「書くこと」を続けているうちに、春樹さんの存在はいつの間にか、世界中のあらゆる片田舎の書店、図書館に著書が置かれる唯一の日本人となりました。世界に与える影響は、私たちの想像力を超える“異次元の世界”です。

(Sさん)
『職業としての小説家』も読んでみよう。私も春樹さんの深みに嵌ってきた(笑)

(A課長)
Sさん、日経新聞では毎週土曜日に書評が全2面で掲載されます。『街とその不確かな壁』が登場しましたね。評者がつけたタイトルは「心の壁を抜け出す勇気の物語」です。
1週間前、Sさんにこの本を紹介した際はネタバレなしを意識しましたが、ざっくりストーリーも紹介されていますから、いよいよオープンですね。

(Sさん)
売れているようです!

(A課長)
ええ、春樹さんの長編小説は発売されるや否や、ロケットスタートが恒例行事となっています。海外の各国も翻訳版が発売された際は同様です。世界的フェスティバルですね(笑)

(Sさん)
本当ですね。私はグーグル検索で『街とその不確かな壁』の評価をいろいろチェックしてみました。

(A課長)
私は春樹さんの小説の評価については、しばらく時間を置いてチェックすることにしています。Sさんとしてはいかがですか?

(Sさん)
ええ、いつもはググるだけですが、チャットGPTにも質問しています。

チャットGPTとグーグル検索の得意分野を考えてみた!

(A課長)
おっ、それは興味深いですね。

(Sさん)
「『街とその不確かな壁』の評判を教えてください」と質問しています。

(A課長)
結果は?

(Sさん)
優等生でした(笑)
Aさんにも見ていただきたいので、今質問してみましょう。

評判については、ブクログには48件のレビューがあり、平均評価は4.36と高いです。読者の感想は様々ですが、村上春樹さんの過去の作品に散りばめられたモチーフやメタファーを楽しんだり、物語のテーマや哲学性に感銘を受けたり、読後感が爽やかだったりという声が多くみられます。一方で、物語の展開や結末に不満を感じたり、内容が難解だったりという批判的な意見もあります。村上春樹さんの作品を好きな人にはおすすめの一冊ですが、好みが分かれる可能性もあるかもしれません。

私はこれを読んだ際、ちょっと考えてしまいました。
話題になっている『街とその不確かな壁』のことぐらいは知っておかないと… と感じている人が、その情報をチャットGPTで得たにもかかわらず、それを隠して「したり顔」で批評する姿がイメージされます。

(A課長)
あるある…ですよ。いちいち「チャットGPTで質問してみたんだけどさぁ…」と、前フリする人は少ないですよ。情報洪水のこのご時世、「マーケティングはタイパだ!」と叫ばれるようになっています。TikTokはその申し子ですが、チャットGPTはその完成形に著しく近づいています。

ただ、一次情報が満載されているグーグル型の検索も併用というか、まさにファクトチェックを習慣化させないと…ちょっとヤバいですよね。
あくまでも私の感性ですが、知りたい「一次情報」を探し当てた時の喜びは筆舌に尽くしがたい(笑)。それぞれのURL情報の違いも感じることができて、情報リテラシーも向上する。

(Sさん)
Aさん的で、いいなぁ~(笑)

(A課長)
いえ、あくまでも私の感性です。
ただチャットGPTの文体は「謙虚」ですね。押し付ける感じもなくて、続けて質問したくなります。この生成AIは、ちょっとだけコーチングを勉強しているかな(笑)。
内容はまさにバランス型です。ただし、その分エッジは利いていない。優等生といいたいのですが、間違いも多いですし。

前々回の1on1で「チャットGPTはステートメントなら効果を発揮する」、とSさんと共有しました。ステートメントは、「多様な解釈を拒絶するイマジネーションが起動しない記述」です。いろいろ質問してみて、そのことが実感されます。
もっとも小説的というか、ワクワクドキドキの内容を、チャットGPTに期待する方が無理筋ですけど。

チャットGPTはエッジに欠けるバランス型、でも文体は謙虚…?

(Sさん)
試しに、「村上春樹の小説のような詩的でリリカルな、素敵な会話が交わされる20歳前後の男女の恋愛を描いた1000文字程度のショートストーリーをお願いします」と入力してみましょうか…

(A課長)
面白そうだ。
おっ、あっという間に作品が出来上がりましたね。

……彼女は、彼の部屋に入ったとき、彼がレコードプレーヤーに針を落とすのを見た。彼は、彼女が好きなビートルズの「ノルウェーの森」をかけてくれた。……

(Sさん)
ふむふむ… ちょっと、恥ずかしくなってくるな(笑)

(A課長)
面白過ぎますね。春樹さんの小説を読んだことのない人がこれを見て、「村上春樹の小説はこういう感じなのね」と勘違いされると…とんでもないですね。ギャップありすぎです。
春樹さんの文体の奥深さを把握できない批評家が、「軽薄だ」と即断していることを紹介しましたが、チャットGTPこそ「表層な文章」だ。

(Sさん)
いえ、私の質問の仕方に問題があったのかもしれない。「詩的でリリカル」「素敵な会話」といった紋切りワードを使ってしまったので…
Aさん、遊びはこのあたりで止めておきましょう。チャットGPTはバルカン人ミスタースポックを彷彿とさせます。あまり無理を強いるのはミスタースポックに申し訳ない(笑)

(A課長)
ミスタースポック? それは誰ですか?

(Sさん)
失礼、昭和すぎました。

チャットGPTの小説はミスタースポックがイメージされる!?

(A課長)
後でググってみます(笑)
さて今回の1on1は、村上春樹さんの『職業としての小説家』を紹介したいのですが、いかがでしょうか?

(Sさん)
了解です。

(A課長)
引用したいところはたくさんあります。困ってしまいます。ただ今日の1on1はイーロン・マスク氏から始まりましたので、バッシングを経験した春樹さんが強靭になっていくところに焦点を当てたいと思います。

三十代の半ばころに「あなたの小説には悪い人が出てきませんね」と言われていた。それが、ドストエフスキーの『悪霊』に登場する、「変てこな脇役」「カラフルな人々」「けったいな奴ら」のようなキャラクターを自分も描けるようになった、その経緯を春樹さんは次のように語っています。

…僕自身が実生活でいろんな種類の体験をくぐり抜けてきた───くぐり抜けないわけにはいかなかった───ということがあります。三十歳でいちおう職業的小説家になり、存在がパブリックになったことで、好むと好まざるとにかかわらず、正面からかなり強く風圧を受けるようになりました。僕自身は決して進んで表に出ていく性格ではないのですが、心ならずも前に押し出されてしまう場合があります。やりたくないことも時としてやらなくてはならなかったし、親しくしていた人に裏切られてがっかりすることもありました。利用するために心にもない賞賛の言葉を並べる人もいれば、意味もなく───としか僕には思えないのですが───罵声を浴びせかけてくる人もいます。あることないことを言われたりもします。そのほかいろいろ普通では考えられないような奇妙な目にもあってきました。

(Sさん)
春樹さんの本はあまり読んだことがないので、判断できないのですが、不思議な本ですね。エッセイとも違うし… 春樹さんの「自己開示」の書でしょうか?

(A課長)
この本は特別な本だと私は感じています。「あとがき」で春樹さんは次のように綴っています。

僕としては、自分が小説家としてどのような道を、どのような思いをもってこれまで歩んできたかを、できるだけ具象的に、実際的に書き留めておきたいと思っただけだ。とはいえもちろん、小説を書き続けるということは、とりもなおさず自己を表現し続けることであるのだから、書くという作業について語り出せば、どうしても自己というものについて語らないわけにはいかない。(中略)

でもたまたま小説を書くために資質を少しばかり持ち合わせていて、幸運みたいなものにも恵まれ、またいくぶん頑固な(よく言えば一貫した)性格にも助けられ、三十五年あまりこうして職業的小説家として小説を書き続けている。そしてその事実はいまだに僕自身を驚かせている。とても深く驚かせる。

僕がこの本の中で語りたかったのは、要するにその驚きについてであり、その驚きをできるだけピュアなままに保ちたいという強い思い(たぶん意志と呼んでもいいだろう)についてである。僕のこの三十五年間の人生は結局のところ、その驚きを持続させるための切々たる営みであったのかもしれない。そんな気がする。

そして最後の最後のメッセージは…

そのような、ある意味では身勝手で個人的な文章───メッセージというよりはむしろ思惟の私的プロセスのようなものかもしれない───が、読者のみなさんのためにどれほどお役に立てるかは、僕自身にもよくわからない。わずかなりとも、何か現実のお役に立てればとても嬉しいのだが。

2015年6月
村上春樹

『職業としての小説家』は春樹さんの「思惟の私的プロセス」

(Sさん)
なんだろう? とても伝わってくる…

(A課長)
私は春樹さんじゃないけど、そう言っていただくと嬉しくなってしまいます。

(Sさん)
世界中に春樹ファンがいます。でも、地下二階まで降りて自身と対話する春樹さんの実像を「わかってくれる人」…春樹さんがそのことを感じられる人は、いないような気がしてきました。

どのような人も、「自分のことを理解してほしい」「自分のことを承認してほしい」と、心の底から感じているはずです。春樹さんだって絶対そうです。その思いもこの本には込められているのではないでしょうか。

ただ春樹さんの尋常じゃない人格というか、あれだけの物語を産み出すことができる巨人… う~ん、巨人という言葉は便利ですが、春樹さんに迫り切れていない。虚しさを覚えます。春樹さんと差しで対話して、春樹さんにその思いを実感させることができる人はなかなか…

(A課長)
河合隼雄さんがいます。唯一の存在として。

(Sさん)
そうだ。Aさんはそのことを話してくれましたね。

(A課長)
ええ、4月5日の『神の子どもたちはみな踊る』を語り合った1on1でした。あの時はWikipediaを引用しています。春樹さんの次の言葉です。

「河合先生に会うたびに、僕は元気づけられます。ああいう人ってなかなかいないです。」「僕が『物語』という言葉を使って話すときに、その意味をきちんと理解してくれるのは、河合先生ぐらいだった」と語っている。

実は『職業としての小説家』の最後に収められている「第12回 物語のあるところ…河合隼雄先生の思い出」の中に、この言葉があるんですね。
今日の最後に、前後も含めて“じわっ”とくる春樹さんの語りを引用させてください。

河合隼雄さんへの追悼の言葉に込められた共感と受容、そしてフィードバック!

我々は何を共有していたか? ひとことで言えば、物語というコンセプトだったと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。魂のいちばん深いところにあるからこそ、それは人と人とを根元でつなぎ合わせることができるんです。

僕は小説を書くために、日常的にその深い場所に降りていきます。河合先生は臨床家としてクライアントと向き合うことによって、やはり日常的にそこに降りていきます。河合先生と僕はたぶんそのことを「臨床的に」理解し合っていた、そういう気がします。言葉にはあえて出さないけれど、犬と犬とが匂いでわかりあうみたいに。もちろんこれは僕だけの勝手な思い込みかもしれません。しかしそれに近い何かしらの共感があったはずだと、僕は今も感じています。

僕がそのような深い共感を抱くことができた相手は、それまで河合先生以外には一人もいなかったし、実を言えば今でも一人もいません。

「物語」という言葉は近年よく口にされるようになりました。しかし僕が「物語」という言葉を使うとき、僕がそこで意味することを、本当に言わんとするところを、そのまま正確なかたちで、総体として受けとめてくれた人は、河合先生以外にはいなかった。そういう気がします。

そして大事なことは、僕の投げたボールが相手にしっかり両手で受けとめられている、隈なく理解されているという感触がこちらにありありとフィードバックされてきたことです。そういう手応えは、僕にとって何より嬉しいことであり、励ましになることでした。自分のやっていることは決して間違っていないんだと、肌で実感できたわけです。

坂本 樹志 (日向 薫)

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