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心理学とコーチング ~ロジャーズ その12~

エンカウンター・グループ(4)

ロジャーズが始めたエンカウンター・グループを3回にわたって解説してまいりました。その間、私はコーチビジネス研究所の五十嵐久代表との出会いをどこかで語ってみたいな…と、思っていました。ロジャーズのエンカウンター・グループについて深く考えていくと、五十嵐代表と私の共通の恩師に意識がフォーカスしていきます。今回のコラムは、そこを起点とした、私が実感するエンカウンター・グループの体験を語ってみたいと思います。

以下は、以前五十嵐代表がインタビューを受けて語った内容です。

卒業後は東京信用保証協会という、公的な中小企業支援機関に就職しました。仕事にはやりがいがあり恵まれた環境だったのですが、入社5年目で自分が招いたミスをきっかけに、組織に依存することの怖さのようなものを感じ、自分に何ができるかもう一度考え直してみたんです。
組織に依存しないで生きていける力をつけよう、自立した力をつけなければという想いが強くなり、仕事に役立ち、直接中小企業の力にもなれるようなものはないかと考え、中小企業診断士の資格取得を目指しました。

1人の恩師との出会いを語る五十嵐代表です。

そして、この時に診断士の受験指導をして頂いた恩師との出会いがあり、そのご縁で、本の執筆や中小企業診断士の受験指導など、10年ほど様々な経験をさせて頂きました。
本当に人のご縁というのは大切ですね。今振り返っても出会いによって人生は変わるということを実感しています。

私も中小企業診断士です。35年前、大手のキャリア開発会社が運営する、診断士受験講座に申込みました。
社会人生活をスタートして4年を経たばかりで、資格の取得にあたっては、「企業での実務経験がモノを言う」ことがオーソライズされており、合格者の年齢で20歳代はほとんどいないというのが実態でした。

「そもそも自分には無理筋の資格に挑戦しようとしているのではないか…」という思いを抱えていました。
五十嵐代表との出会いは、その講座の初日です。ただし受講生ではなく、試験に合格したばかりのピカピカの中小企業診断士としての姿でした。

当時の一次試験は8科目(商業部門…経営基本管理、労務管理、販売管理、財務管理、仕入管理、店舗施設管理、商品知識、経済的知識)で、すべて筆記です。ちなみに、大幅な制度改革により2001年の試験からは、一次試験がマークシート、二次試験は事例問題(筆記)+口述試験に変わっています。そして、その時点の科目変更として、コーチング、カウンセリングに関連の深い「助言理論」が、新たに組み込まれています。

私の診断士受験について、不安を覚えたそのスタートをお話しします。

私が受講した講座(一次試験対策)は、少人数のゼミ形式でした。その全ての科目を1人の講師が担当します。当該講座をPRしているキャリア開発会社も、この形式は始めたばかりで、私は二期生です。
五十嵐代表はその講座の一期生として受講し、試験に合格していたのですね。

中小企業診断士という資格の内容は、企業経営の全てを包含する、といっても過言ではありません。科目構成からも、そのことが理解できます。それを1人の講師が、15人(二期生の場合)に対して7ヵ月教え続けるのです。その講師は中西安さんという方で、私にとっても真の恩師です。当時ソニーに在籍されており、米国のパーツセンターの責任者も歴任された現役の企業人でした。

現在、新型コロナウイルスもあって、副業を解禁する企業が一気に拡大しましたが、ソニーという会社の先進性でしょうか、中西先生は会社(ソニー)に告知した上で、講師業に従事されていました(したがって講座はほぼ隔週、土日の10時~17時が充てられています)。
そして「中西先生だからこそ」なのですが、第一期生の合格輩出率が非常に高く、それもあり「第二期」につながっています。以後この中西ゼミは診断士受験の看板講座として継続していきます。

中西先生は二期の講座スタートにあたって、一期生の合格者のうち3名を招いたのです。私は不安を抱えている若年の1受講生であり、一方の五十嵐代表はすでに診断士です。まさに憧れの存在でした。
そして先輩3人の「合格体験談」が始まります。

そのとき印象に残ったのは、五十嵐代表ではない2人の先輩が「誇らしく語る姿」です。私もそのように語ってみたい…と感じたことを思い出します。ところが……
五十嵐代表は違っていました。一言でいうと「謙虚さ」に包まれていました。五十嵐代表との交流は、私が診断士試験に合格して以降、30数年に亘りますが、“そのときの印象”は今も変わっていません。

どちらかというと、私は前者2人に近い性格だと自認しています。あくまでも寛げる雰囲気の場合ですが、「東洋のラテン、広島の出身です」と自己紹介することがあります。瀬戸内海を地中海に見立て、うどん文化であることをイタリアのパスタになぞらえての解釈です。説明しないと相手に伝わらない「オヤジギャグ」なのですが、自分としては気に入っています。脱線しました(笑)。

今つくづく思うのは、「五十嵐代表はずっと自分にとってのロールモデルだったのだな…」ということです。コーチビジネス研究所のコラムをこうして担当しているのも、五十嵐代表との縁であり、共通の恩師である中西先生の存在があったからなのですね。

中西ゼミは私にとって初めて体験するエンカウンター・グループでした。

さて本題のエンカウンター・グループです。
中西先生の講座は、私にとっての明快なエンカウンター・グループでした。二期生の15人は錚々たるメンバー揃いです。大手都市銀行の課長、大手商社の課長、中堅企業のオーナー経営者…、講座では実務に裏づけされた彼らの自信あふれる発言が飛び交います。最初の科目は経営基本管理ということもあって、実感がわかないまま、まったく発言できない2日間を過ごしたのです。
ただ、この2日間で感じたのは、どこか居心地のよさです。1月18日のコラムの最後に、ロジャーズの以下の言葉を引用しています。

ある懐疑的な大学管理者は、彼がグループで学んだ主なことは、個人的に参加しないでひっ込んでいることができ、それでいて居心地がよかったこと、しかも強制されはしないという実感をもてたことだ、と語った。私には、これは貴重な学習に思われ、その人が次の機会には、本当に参加することができるようになるだろうと思ったのである。彼のまる1年後の行動についての報告によれば、客観的に参加しなかったそのなかから多くのことを学んでおり、彼が変化したことが示唆されている。沈黙したり、まったく発言をしない人でも、それが苦痛や抵抗をあらわしているのではないと確信できるならば、私はそれを受け容れることができる。

私は懐疑的な大学管理者ではありませんが(笑)、このロジャーズの語りそのものを実感できたのです。まず講座メンバー一人ひとりに温かみを感じることができました。そして何よりも、中西先生が醸し出す雰囲気でした。

講師と目が合うと、「当てられるのではないか…」と意識し、目を伏せる(自信のある人は逆にアピールする態度を示すかもしれませんが…)ことがありますよね。中西先生は違っていました。時おり私と視線が合うのですが、そのたびに「にこっ」と笑顔が返ってきます。そして、別の人を指名するのです。

その後中西先生のはからいにより、五十嵐代表と共同執筆をするようになって、当時のことをいろいろ尋ねてみたのですが、中西先生の口からは、ロジャーズが語るのと同じニュアンスの説明があったことを今もありありと思い出します。

多彩に富んだエクササイズも魅力でした。

講座は受験指導ですから、試験に出る重要なキーワードを中西先生が解説します。その際、企業事例がふんだんに登場するのですね。その語りはわくわくするものでした。15人は、いくつかの小グループに分かれ、エクササイズも盛り込まれます。その内容も実に多彩で、受験学習に往々にして伴う「憶えなければならない苦痛」を意識することはありませんでした。

米国駐在時の多くのエピソードは今も私の脳内メモリーにしっかりと格納されています。
例えば、「マクドナルドという発音は完全な日本語なんだよね。正しくは“マックダナァ(ㇽ)”だ」、という言葉は、そのときの中西先生の映像と共に再現が可能です。

そして、私が合格できた決定的な理由が、講座以外の別の時間の使い方でした。きっかけそのものは曖昧なのですが、講座のない土日に自主的にメンバーが集まりグループ学習が始まったのです。それは強制ではなく、自由な雰囲気で続けられました。私も多く参加し、その中の私は最年少であっても、組織の部下ではなく対等な一人の受験生として振る舞うことができたのですね。後で感じたことなのですが、本当にメンバーに恵まれたのだと思います。

都市銀行の課長も大手商社の課長も、会社とは異なる自分であることを自然に話してくれます。「このメンバーだと変に恰好つけなくてよい。会社だと課長として振る舞わなければならないから疲れるんだよね…」といった発言もあり、結構お茶目なオジサンが現れます。

この経験は、他方で会社の組織というものを深く考える機会を与えてくれました。
不安を抱えての講座参加でしたが、このような素晴らしい環境に恵まれたことで、一次、二次の試験にストレートで合格することができました。これをきっかけとして私の人生は大きく変わっています。

最後に中西先生らしいウイットを紹介します。

今回は、共通の恩師である「中西先生を語る」という、極めて個人的なコラムとなったことをご容赦ください。
中西先生はすでに故人となられましたが、中西先生の発起により、中西ゼミ卒業生の診断士が中心となってグループが形成されます(第三期のゼミあたりから)。それは中西先生が講義でよく話された「はまち」にちなんで、「はまち会」と名付けられました。

「寿司屋に行って、グッドな寿司屋とそうでない寿司屋の見分け方だが、仮に寿司ネタでトロが売り切れていた場合に、トロを注文して最初に返ってきた言葉が『あいにくトロを切らしておりまして…』、と応える寿司屋は並みの寿司屋だね。『はい、本日はとってもイキのいいはまちが入っておりますよ』、と応える寿司屋が、さすがの寿司屋だ。」

愉しく話される中西先生の風情を思い出します。

今でも時おり、五十嵐代表と中西先生のことを語り合います。一人の人物が、こうして他者の心の中に存在することの素敵さを、しみじみと噛みしめているところです。

坂本 樹志 (日向 薫)

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