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心理学とコーチング ~ロジャーズ その5~

前回コラムの最後で、「…ロジャーズの考え方は時の流れと共に変遷していったことを指摘しました。
その変遷は、ロジャーズの活動の足跡を踏まえ、いくつかの段階で説明されています。
今回のコラムでは、その「段階の概説」を取り上げる予定でしたが、それについてはもう少し後にし、心理学者になる以前のロジャーズについて、取り上げてみたいと思います。

ロジャーズは変化とともにその人生がありました!

ロジャーズの一生を一言で捉えると? …と訊ねられた場合、私は迷わず「変化」と応えます。ロジャーズの基本理論である「来談者中心療法」の本質とは何か?と、同様に質問された場合、少し今風に回答することをお許しいただくとして、私は「ケミストリー(chemistry)」と回答します。

「その人が纏っている鎧を外すと、…おっかなびっくりもあるでしょう…すると、その人自身が変化し、さらに関係する人たちも変化していく」ことを、ロジャーズは数多くの言葉を費やして(手を変え、品を変え)、語っているのです。
ロジャーズは、とにかく変化しています。まずは大学時代にスポットを当ててみましょう。

私は、ウィスコンシン大学で農学部から出発した。私がよく覚えていることは、農学経済学の教授が学問と事実の活用について語った情熱的な言葉である。彼は百科事典のような知識のための知識の不毛性を強調し、「つまらぬ弾薬庫になるな、ライフル銃になれ」と話を結んだ。

教授の言葉は少し“物騒”ですが、おもわず「うんうん」と、うなづきたくなるメッセージです。ロジャーズは、この農学部からの転部を早々に意図します。

大学生活の初めの2年間に、学生宗教会議に参加して感激し、職業志望を農学者から、牧師に変更した。…それは、ささやかな移行であった! 牧師になる準備には、史学部がよいと思い、農学部から移籍した。大学3年生のとき、世界キリスト教学生連合会議によって、アメリカから中国に派遣される12人の学生の一人に選ばれた。これは私にとり、とても重要な経験になった。それは第一次世界大戦が終わって4年たった1922年のことである。ドイツ人とフランス人は、個人的には親しそうに見えても、互いにとても憎しみ合っていることを見て、ひどく心を痛めた。

重要な点で私は、生まれて初めて両親の宗教思想から開放され、両親と同じ考えになることはできないのに気が付いた。この思想の独立のため、私と両親との関係は、緊張し苦痛に満ちたものになった。しかし今振り返ってみると、他のいかなる時期にもまして、この時期に私は独立した人間になったと信じている。

農学者を志したロジャーズでしたが…

6月17日のコラムで「エリクソンの心理学的発達段階」を取り上げました。心理学における「発達理論」の捉え方は、「人間が成長する過程において、期間ごとに達成すべき課題があり、それをクリアしていくことでバランスのとれた社会的存在となっていく」、というものです。そしてエリクソンは、青年期の課題を「自我同一性」と設定し、関わり合う主たる対象を「家族」から「仲間」「ロール・モデル」に拡張していく必要がある、としています。

フロイトの場合は、もっと過激で「父親殺し」という表現(あくまでも心理的にです)を使って、「超自我としての父親の存在」を文字通り超えていくことの重要性を説いています。
ロジャーズは、この時点では心理学を学んでいないので、この「発達理論」は意識していないでしょうが、まさにこの段階にあったことが伝わってきます。

そしてロジャーズは、牧師になる準備として、当時アメリカでもっとも自由な校風で知られていたユニオン神学校に進みます。ところが…「学んだことは後悔していない」と言いつつ、またしても転向するのです。

人生の意味を探求すること、そしてひとりひとりの生活を建設的に改善することが、おそらく私の生涯の関心事であるだろうが、しかし、ある特定の宗教教義を信奉することを要求されるような分野で働くことはできないと思った。私の心情はこれまで大きく変化してきたし、これからも変化しつづけるだろう。とすれば、ある専門職にとどまるため、一連の教義体系を持たなければならないことは、私には恐ろしいことに思われた。私は、思考の自由が制限されないような分野を探すことにした。しかし、それはどんな分野か。私はユニオン神学校の心理学や精神医学の科目や講義に魅力を感じていた。その分野は、当時ようやく発展し始めていた。

農学者から宗教家…そしてまた気持ちが変化していくロジャーズです。

現在でこそ心理学は学問分野として確立していますが、このころ(1920年代)は、ロジャーズの語りにあるように勃興期にあたります。フロイトが、「自我(意識)・エス(無意識)・超自我」として、心・人格を構造化(可視化)させた力動論の『自我とエス』を発表したのが1923年であり(ただし、このとき発表した図の下方は閉じられていましたが、1931年に出版した『続精神分析入門』での図式では開けたものに改変されています…6月22日のコラム『フロイト、ユング、そしてアドラー』でも触れています)、この時点では、自我を中心とした人格全体を説明する心理学的視点の“基礎”としての位置づけです。
ロジャーズは、このエマージングな分野である心理学に興奮しています。未知のものに対する好奇心と探求心。ロジャーズは、アドラー心理学でいうところの「エキサイトメント・シーカー」を彷彿とさせますね。
ロジャーズは、ユニオン神学校を離れ、道路をはさんだ向かい側にあるコロンビア大学(教育学部)で学び始めます。その在籍中に連邦財団の奨励研究員に応募し、インターンとして新設の児童相談研究所に採用されました。そのインターンを終えるころについて、次のように語っています。

学位論文は未完成であるが、大きくなる家族を養うため(ロジャーズはウィスコンシン大学のときにヘレンと学生結婚をしています…注:坂本)、職につく必要に迫られていた。職はあまりなかったので、職を見つけたときの安堵感と喜びは今でもよく覚えている。私はニューヨーク州ロチェスターにある児童虐待防止協会の児童研究部にサイコロジストとして雇われた。そこには3人のサイコロジストがいて、私の年俸は2千900ドルだった。

ポジティブ!未来志向!「目的論」!「自己決定論」!

この2千900ドルは、現在ではいくらに該当するのか…調べてみたところ(かなりざっくりであることをお許しいただくとして)、1ドル1000円程度に換算できそうなので、約300万円となります。

この職についたときを振り返ってみると、あるおかしさと、驚きを感ずる。私が喜んだ理由は、やりたい仕事がやれるチャンスがあったからだった。どうみても、そこは専門の袋小路だとか、専門的な接触を失って孤立するだろうとか、当時の基準からみても俸給は良くないなどと考えたことは、思い出せる限りなかったように思う。私は、自分の最も関心のあることをやる機会が与えられるならば、他のことは何とかなるといった気持ちをいつももってきたように思う。

実にポジティブですね。未来志向です。またアドラー心理学とダブらせてしまいますが、「目的論」そして「自己決定論」を想起しました。
ロジャーズは、ここで生涯の職となる心理学者としてのスタートをきることになります。ロジャーズは、その礎をつくった児童相談研究所(インターン)での最初の1年を、次のように振り返っています。

最初の一年をそこで過ごしたことに、いつも感謝している。そこは、開設当時の混とん状態にあったが、それは好きなことができることを意味するものであった。私は、デビッド・レヴイやローソン・ローリイなどを含む研究員たちのフロイトの力動論立場のなかにドップリとつかっていた。そしてそれは、当時のコロンビア大学教育学部の主流であった、厳密な、科学的な、客観的、統計的な立場とまったく対立的なものであることを知った。振り返ってみると、この矛盾を私のなかで解決するように迫られたことは、非常に貴重な学習体験であったと思う。当時私は二つのまったく異なった世界に生きている感じがしていて、「永遠に両者は出会うまじ」と思った。

ロジャーズとフロイトの生涯に共通するところとは…?

ここでロジャーズは注目すべき内容を語っています。フロイトの力動論は、当時のコロンビア大学で定義づけられていた“科学的なもの”とは、“まったく別物としての扱い”であったというのです。
私は6月2日のコラムで、次のようにコメントしました。

「フロイトはその生涯において、精神分析を普遍的な科学として確立することを目指しました。フロイトはユダヤ人であり、フロイトの周りには多くユダヤ人が参集しています。ところがフロイトは、1930年の国際精神分析協会の設立に当たって、その初代会長にスイス人のユングを推薦するのです。精神分析がユダヤ人の学問とされていたのをグローバルなものにしていくという意思表示の一つだとも言われています。」

フロイトが当時(1920年~30年)感じていた「自分の精神分析“理論”」に対する、社会、そしてアカデミズムの視線を、ロジャーズの語りはいみじくも伝えてくれます。
面白いことに(この少し不謹慎な表現をお許しいただくとして)、ロジャーズは、この「科学なのか、そうではないのか」という対立概念について、実はフロイトと相似形の生涯をたどった、と言えそうです。
『ロジャーズ選集(上)』の第4部「理論と研究」は、選者の次の言葉から始まります。

ロジャーズは生涯を通じて、アカデミックな研究者たちから「甘い」、学術的ではない、現実的ではない、または「軽量級」などと批判されることが多かった。ある評論家は「もうひとりのアメリカの哲学者ハックベリ・フィンと同じように、カール・ロジャーズはどこにでも入っていけるが、それは彼の船の喫水線があまりにも浅いからだ」と述べている。また、もうひとりの評論家は「彼は厳密さが必要なところでも、心理学の『甘い』側面を『甘く』扱った」と述べている。

『ロジャーズ選集』は、もちろんロジャーズの功績を讃える著作ですから、この後に続くコメントは、それを覆す“現象(評価)”となっていることを教えてくれます。次回のコラムは、その第4部「理論と研究」を解説することにします。

坂本 樹志 (日向 薫)

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