今日コーチングが広がりを見せている、その背景に心理学が存在していることを、「心理学とコーチング」という大きなタイトルを冠にシリーズ化してきました。そのコラムの回数も34を数えます。その心理学の中でも、特にコーチングとの親和性が高い、アドラー心理学については、13回にわたって解説を重ねています。
心理学は幅広い学問であり、自然科学に分類される理論から、アドラー心理学のように哲学のカテゴリーとしても成立しそうな理論も存在します。
コーチングは、多くの心理学理論の影響を受けていますが、そのなかでの濃淡はあるものの、特定の分野に偏った体系ではありません(もし偏っているとするならば、それはコーチングではなく、その心理学理論の派生理論といえます)。
そこで、今回よりアドラーから少し離れ、その濃淡のある心理学の各理論を紹介してまいります。もっとも、コーチングと離れすぎるのも、いかがなものかと思われますので、カウンセリングを中心とした心理学理論について解説することにします。
まずは「カウンセリング理論の歴史」を簡潔な説明を付して流れを紹介します。
- フロイトが「ヒステリーの研究」から体系化し創設した「精神分析(理論)」…1900年~
- 本質的性格の違いからフロイトとは早期に決別し、「共同体感覚」を理論の中心に据えて社会啓もうに意欲的に取り組んだアドラーの提唱する「個人心理学」…1911年~
- フロイトに傾倒したユングが、後に袂を分かって確立した「分析心理学」…1913年~
- ビネーやソーンダイクがリードした「精神(教育)測定運動」を母体とする、心理テストを活用した「特性・因子理論」…20世紀初頭~
- ①古典的条件付け(パブロフの条件反射理論)、②オペラント条件付け(スキナーの実験で実証)を母体として、具体的な精神療法として確立していった分野であり、他のカウンセリング理論とは一線を画する自然科学的アプローチの「行動療法」…1940年代~
- カウンセラーに必要な態度条件として、「無条件の肯定的受容」「共感的理解」「自己一致(純粋性)」の3つを挙げ重視した、ロジャーズの「来談者(クライエント)中心療法」…1940年~
- 「今、ここ」にいる自分を覚知し、未完成な問題を完結させるために、ゲシュタルト(部分の単純な総和ではない意味のある全体構造)を再構成することに注力するパールズが提唱した「ゲシュタルト療法」…1951年~
- あやまった受け取り方(イラショナル・ビリーフ)の存在を指摘し、まともな受け取り方(ラショナル・ビリーフ)に変えていくよう働きかけていく、エリスが提唱した「論理療法」…1955年~
- 自我を5つに細分化し(CP・NP・A・FC・AD)、その強弱、バランスで性格を把握する①構造分析をベースに、②交流パターン分析、③ゲーム分析、④脚本分析の4つで構成されているバーンが創始した「交流分析」…1950年代半ば~
- 「生きる意味が見いだせない」という、それまでは存在しなかった理由で発症する実存神経症に対して、哲学をカウンセリングの中心軸に据えてクライエントに接していく「実存主義的アプローチ」…1960年代~
- 複数のカウンセリング理論・技法を柔軟かつ積極的に用いる実用的な立場でクライエントに接していく、アイビィの「マイクロ技法の階層表」を端緒として体系化されていった「折衷主義」…1983年~
ロジャーズの「来談者(クライエント)中心療法)」とコーチングの関係とは?
フロイト、アドラー、ユング、そしてパブロフ、スキナー(行動療法)は、これまでのコラムで取り上げてきましたので、今回のコラムは、ロジャーズの「来談者(クライエント)中心療法)」を解説することにします。
コーチングは多くのカウンセリング理論の影響を受けて、体系化されてきました。そのなかで、ロジャーズが提唱した「来談者中心療法」こそが、もっとも濃厚にコーチングとの関わりが見いだせると言えそうです。
というのも、カウンセリングは、そもそも医者でなければ行ってはならない、というのが不文律でした。それに対して初めて正面から異議を唱えたのがロジャーズです。その結果、非医者でもカウンセリングの実施が可能であるという、今日に至る流れが形成されました。
そして理論の名称もポイントです。クライエント(client)の日本語訳は「依頼人、顧客」です。ロジャーズ理論の日本語訳では「来談者」となりますが、同様な印象を受けるネーミングです。一方、医者が接する心理療法では、患者(patient)となります。患者にとって医者は先生です。つまり対等とは言いづらい関係性です。
「非医者でもOK」、ということで多くの人にカウンセラーを目指そうというモチベーションを与え、その結果、カウンセリング、カウンセラーのすそ野が広がりました。対象者もクライエントですから、カウンセラーとの関係は対等です。もしロジャーズが「クライエント中心療法」を始めていなかったら、今日、コーチングの広がりは限定的なものになっていたかもしれません。
ロジャーズの理論はコーチングのバックボーンとなっている。
さて、ロジャーズとコーチングの関係を、理論名称という外側からの説明で始めていますが、理論内容についても、深い関わりがあります。というよりベースとなる概念は、ロジャーズの考えをそのまま適用していると解釈できます。
ロジャーズはクライエントを徹底的に信頼します。「よくなる力が人間には内在している」という人間への信頼感です。
ロジャーズの世界には、ジャッジメントがありません。つまり「これはよい」「これはわるい」という評価軸がないのですね。「無条件の肯定的受容」と、少し格調の高い表現で一般化されていますが、「丸ごと受け入れる」ということですから、真の意味でこれを実現するには、カウンセラーにとってよほどの覚悟が求められます。コーチングと異なり、カウンセリングでは精神的にかなり不安定な人もロジャーズのもとに訪れます。その人たちに対しても何かのフィルターを通して見ることを否定したのです。
「共感的理解」についても、コーチングにおけるコーチに求められる基本的要件となります。共感とは「ともに感じる」ということですから、簡単ではありません。人はそれぞれ別々の個体ですから、つまり自分ではないので、考え方、捉え方、感受性は当然異なります。ですから「私はあなたと同じ感覚です」とは、言えないのが自明です。つまり厳密に言えば、同じ感覚にはなれないのです。だから「共感“的”理解」なのです。
クライエントは私ではない。したがって同じではない。その上で、どのように考えているのか、どのように感じているのかを、五感をフルに働かせて、クライエントの気持ち、感じ方を想像します。謙虚に、思い込みを排してクライエントに寄り添うのです。その「努力と思い」がクライエントに伝わって信頼関係が形成されていくのです。
言い換えれば、「私はあなたの気持ちがわかる!」と言い切ることに慎重になる心持が、「共感的理解」につながっていくと言えそうです。
「…ねばならぬ」から解放されることで自己一致に近づいていく。
「自己一致(純粋性)」についても説明しておきましょう。
自己概念は、「自分とはこういう人間である」と受けとめている認識です。経験は、そのような考えとは別に日々体験していくことです。その経験に当たって、自分の認識とズレていなければ、自然に受容できます。ところが、その認識では対処できない場面に遭遇すると、その自己概念を変えることに抵抗を覚え、原因を他に求めて責任を転嫁したり、さまざまな防衛機制を働かせて自己概念を守ろうとします。自己概念が壊されることは自分を失うことになるという恐れから、そのズレを他人からも、また自分自身からも隠してしまう傾向があるようです。
このことを図で表すと、
Ⅰの領域…自己概念と経験が一致している領域
Ⅱの領域…経験は自己概念に合っていないので、歪曲(合理化)されて受け入れられることになります。
Ⅲの領域…経験は自己概念と著しく矛盾するので、意識の外へ締め出され(抑圧され)てしまいます。
ロジャーズは、このズレが縮まるほど、つまりIの領域が大きくなればなるほど、自己一致に近づくとしています。自己一致とは、あるがままの自分、つまり「泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑い、悲しいとき、楽しいとき、その気持ちを純粋に受けとめ素直な感情として表現できる人」ということです。
人は往々にして「…ねばならぬ」にとらわれてしまいます。このことから自由になることで、人間的で健全な自己が形成される、とロジャーズは言うのです。
最後に、私が座右の銘にしているロジャーズの言葉を紹介します(4月4日のコラムでも取り上げていることをご承知おきください)。
「私が他人を受容することができると、それはとても報いられるものである」
「誰でも進んで自分自身になろうとすればするほど、自分が変化するばかりでなく、自分と関係している人たちもまた変化していくのである」
坂本 樹志 (日向 薫)
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