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心理学とコーチング ~ロジャーズ その11~

エンカウンター・グループ(3)

私がコラムで2回にわたって取り上げた、ロジャーズの「グループのなかで促進的な人間であることができるのか?」は、『ロジャーズ選集』の上下に収録された33の自伝、論文、論及のなかで、特にリッチなボリュームではないのですが、内容は変化に富む多彩な構成となっています。

エンカウンター・グルーブは、それによる効果が明瞭であることにより、“流行現象”として拡大していきます。その背景に、権威性を帯びてきた「ロジャーズという存在」が提唱したことも、その現象を補強していると解釈できそうです。

そして、他者や他の機関が便乗してはじめたエンカウンター・グループのなかには、ロジャーズの思いとは異なった内容のものが見受けられるようになり、そのことをロジャーズは憂慮するのですね。

それもあって、この論及の最後に「私の信ずる非促進的行動」というタイトルを付し、8つの内容を挙げ熱く語ります。“信ずる”というワードをあえて挿入しているところがロジャーズらしさです。

今回のコラムは、ロジャーズが語る「私の信ずる非促進的行動」をすべて掲載させていただきます。

その8つをどのように紹介しようか…私なりに要約してエッセンスとして掲載しようか…といろいろ考えたのですが、ロジャーズの言葉は、その逆説に富む言い回しも含め、他者がアレンジすると、その「思い」と「力」が、失われてしまうようにも感じますので、そのまま掲載させていただきます。

私の信ずる非促進的行動

本章のはじめに、グループ運営の効果的進め方はたくさんあることを強調したが、逆に、私が推薦したくないようなやり方をする人もまた多い。それは、グループに対してもメンバーに対しても促進的ではないばかりか、有害でさえあるように思われるからである。これらの非促進的な行動のいくつかを列挙することなしには、正直に言ってこの論文を終結させるわけにはいかない。

この分野の研究はまだ幼稚な段階にあるので、以下に表明されるような意見が事実にもとづいているとか研究結果によって支持されているように見せかけることはできない。これらは私の経験から生まれてきた意見にすぎないので、それは意見として述べられるものである。

(1)現在見られるグループへの高い関心を利用するように見える人を、私はまったく疑いの目で見ている。驚くべき流行に乗じて、多数のグループ・ワーカーが、「早く世間に名を売れ」「時流に乗り遅れるな」というスローガンを掲げているように思われる。人間相手の仕事をする人たちにこのような傾向があらわれるとき、私は深い怒りを感ずる。

(2)ファシリテーターが、グループを無理やり進めたり、操作したり、規則を課したり、自分の暗黙の目的に向けようと努めるとき、あまり効果的ではなくなる。この種の匂いが少しでもあると、ファシリテーターに対するグループの信頼は減少する(または、まったくなくなる)か、もっと悪いのは、メンバーを信心深い追随者にしてしまうことである。もし、ファシリテーターが特定の目的をもっているならば、それをはっきりと表に出してしまうに越したことはない。

(3)次に、グループの成功・失敗を、劇的であったか否かで判断するファシリテーターがいる……泣いた人間が何人いたとか、非常に「高まった」(turned on)人が何人いたか、などで……。私は、これはまったく誤った評価を導くものであると思う。

(4)あるひとつだけの方向のアプローチを、グループ・プロセスにおける唯一の基本要素と信じるファシリテーターは、推奨することができない。ある人は、「防衛を攻撃する」ことを、必要不可欠なものとする。またある人は、「あらゆる人の基本的怒りを引き出すこと」を信条としている。私は※シナノン(Synanon)とその活動が、麻薬常習者に効果を上げていることを大いに認めているものであるが、彼らの性急に形成されたドグマ……真実の感情によるものであれ、偽りの感情によるものであれ、仮借なく攻撃することがグループの成功・不成功を判断する基準となる……に束縛されていることには不快感を禁じえない。私は、敵意や怒りが存在するときは、それが表明されることを望んでおり、また、私のなかに本当にそのようなものがあれば、自分でもそれを表明したいと思う。けれども、たくさんの別の感情もあるのであって、それらも生活やグループのなかで同等の重要性をもっているのである。

(5)自分の問題があまりにも大きく、しかも深いものであるため、自分自身をグループの中心におく必要があり、他人に役立つとか、他人に十分に気づくことができない、というような人をファシリテーターとしては推薦できない。そういう人は、グループのなかの一参加者としてはふさわしいかもしれないが「ファシリテーター」という呼称をもっているならば、それは、不幸なことである。

(6)私は、グループ・メンバーの行動や動機や原因の解釈をしばしば与える人を、ファシリテーターとしては歓迎しない。その解釈が不正確であるとき、それは何の役にも立たない。もし、まさに的を射ていたとしても、極度の防衛を引き起こすかもしれないし、悪くすれば、その人から防衛を剥ぎとり、グループ・セッションが終了した後に、その人を傷つきやすいままにしてしまって、ときには人間としての徹底的な傷を与えてしまうかもしれない。「あなたは、たしかに隠された敵意をたくさんもっていますね」とか、「あなたは、基本的に男らしさに欠ける点を補償しようとしているように思います」などの発言は、ある人を数カ月間も苦しめつづけ、自分を理解する能力において多大の自信喪失を与えてしまうことがある。

(7)私は、ファシリテーターが「さあ、みんなでこれから……しよう」と言いながら、エクササイズや活動を導入するのを好まない。これは、ある特種な操作の方法であり、個人にとっては、ことさら抵抗しがたいものである。何かのエクササイズが導入されるときは、メンバーひとりひとりがその活動に参加を決定できる機会が与えられるべきであり、そのことをファシリテーターははっきり述べるべきである。

(8)私は、グループに個人的に、情緒的に参加しないファシリテーターを好まない……その人は、グループ・プロセスやメンバーの反応を、優れた知識でもって分析することができる熟練者だといわんばかりに、超然とした態度をとる……これは、グループを運営することで生計を立てている人たちによく見られるが、自分自身を防衛し、参加者に対する尊敬をまったく欠いていることを示しているように思う。そういう人は、自分自身の自発的な感情を否定して、グループにモデル……けっしてうちとけない、ひどく冷たい、分析的人間であるという……を示しているのである。これは、私の信ずるところとまったく反対なのである。ひとりひとりの参加者がそれではどんな目的を達成しようとしているのか、という問題なのだが、それは、私が期待していることとは正反対なのである。防衛がなくなり、自発的になっていくこと……お高くとまるという防衛ではなく……が、私がグループのなかで起こってほしいと期待しているものなのである。

はっきりさせておくが、上述のような性質をグループのなかのどの参加者がもっていても、それに反対しているのではまったくないのである。操作的な人、攻撃ばかりしている人、情緒的にうちとけない人なども、グループ・メンバー自身によって適切に対処されるであろう。

メンバーたちは、そうした行動がずっとつづいていくのを絶対に許さないであろう。けれども、ファシリテーターがそうした行動を示すならば、メンバーたちがお互いどうしても、またファシリテーターに対してもぶつかっていき、対処していくことができるのだとわかる以前に、グループにひとつの規範を与えてしまいがちなのである。

※シナノン…犯罪者・麻薬中毒者・売春婦・その他の社会的脱落者の更生のための共同社会を運営する非営利団体。

ロジャーズが始めたエンカウンター・グループは、今日「ベーシック・エンカウンター・クループ」、あるいは「非構成的エンカウンター・グループ」と呼ばれています。3回にわたってロジャーズの考えを紹介したように、誘導という概念を否定した上で、メンバー、ファシリテーターが自由に語り合い、参加者同士の相互啓発を経て、一人ひとりが促進的に変化していくプロセスを実感していくのです。

他方、ロジャーズが創始したベーシック・エンカウンター・グループの影響を受けつつ、進行の過程でエクササイズをいくつか決めて、メンバー間の関係づくりを行っていく「構成的エンカウンター・グループ」も今日広がってきています。

エクササイズに関する上記ロジャーズの、「何かのエクササイズが導入されるときは、メンバーひとりひとりがその活動に参加を決定できる機会が与えられるべきであり…」と指摘したコメントは、当時、エクササイズと称して、参加者にかなりの精神的負荷をかける内容を強要したりするグループが見受けられたことを憂いての発言です。

エクササイズの意味(日本語訳)は、「練習、練習問題、運動、体操、訓練」ですから、言葉そのものは、至極あたりまえの肯定されるべきアクションです。今日では、個々人を尊重し、自由な雰囲気のなかで、お互いのコミュニケーションが活性化するエクササイズを合間に挿入し、エンカウンター・グループがより効果的に展開していくよう、工夫がなされているのです。

私が前々回のコラムのなかで、「教育訓練に関するテーマ、つまり資格取得講座であるとか、これまで習得していない技能を身に着けてもらうためのセッションについても、エンカウンター・グループが効果を発揮する」、と記述しましたが、このようなエクササイズを盛り込むことを前提としているのですね。

コーチビジネス研究所(CBL)の五十嵐代表は、「私は講座そのものをコーチングにしていきたい」と語ります。そのことを、「少人数制グループ」という講座のなかで実践しているのです。
次回のコラムは、五十嵐代表との共通の恩師を語ることで、エンカウンター・グループを考えてみようと思います。

坂本 樹志 (日向 薫)

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