エンカウンター・グループ(2)
私の希望は、徐々に、ファシリテーター(facilitator)であるとともに参加者になっていくことである。これは説明しにくいことで、私があたかも二つの異なった役割を意識的にとるような印象を与えてしまいやすい。
ロジャーズを取り上げた9回のコラムで、「セラピスト・カウンセラーの必要十分条件」である、①無条件の肯定的受容、②共感的理解、③自己一致、について、ロジャーズ自身がいかに体現しているのかを、書き続けてきました。『ロジャーズ選集(上)』全般を通じて、そのことがしっかりと描かれています。
それに対して、『ロジャーズ選集(下)』からは、一見すると、その「必要十分条件」とは違った姿が現れているように感じてしまい、とまどってしまう方も多いのではないか、と私は推察しています。
前回に引用したのは「グループのなかで促進的な人間であることができるのか?(『ロジャーズ選集(下)第23章』)」なのですが、この論及は前半と後半で、フォーカスの内容が変化しているのを感じることができます。その「キー概念」が冒頭のロジャーズのコメントに集約されているのです。
ロジャーズはエンカウンター・グループを通じて、その「キー概念を意識するに至った変化」を次のように語ります。
このアプローチはその基本哲学において、私が長年、個人セラピーで採用してきたものと何ら変わるところではない。けれども、グループにおける私の行動は、一対一の関係でもってきたものとは多くの場合非常に違っている。私はこれを、グループのなかで経験してきた私自身の成長によるものだと考えている。
簡単な比喩をあげるのがよいかもしれない。私が、ある科学的現象を5歳の子どもに説明するとしたならば、賢い16歳の生徒に同じことを説明する場合とは、言葉使いから態度までまったく異なったものになるであろう。このことは私が二つの役割を演じていることになるのだろうか。もちろん、そうではない。真実の私の二つの側面、または表現の仕方が示されているということにすぎない。これと同様に、ある時点ではある人たちに対して促進的でありたいと願い、別の時点では勇気をもって私自身の新しい側面をさらけ出すという冒険をしていこうと思うのである。
ロジャーズ自身が、「二つの役割」と繰り返し述べているように、その表現が明らかに違っていることを自覚的に記述しています。それが象徴的に現れている箇所を抜き出してみましょう。
「対決とフィードバック」というタイトルを掲げ、アグレッシブに語ります!
私は、ある特定の行動に対しては、個々人とまともに対決して(confront)いこうとしている。「どうもあなたがそのようにペラペラしゃべるのは嫌です。私には、あなたは同じことを3回も4回も繰り返しているように思われます。伝えたいことを話し終えたら、そこで止めてほしいのです」「私には、あなたは変てこなパテみたいに見えます。誰かがあなたに近づくと、ペコンとひっこみますが、まるで誰にも触れられなかったみたいに、すぐにまた元どおりにもどってしまいますね」。
そして、私は自分の本当の気持ちを積極的にさらけ出すことによってのみ、相手と対決したいと思う。これは、ときには非常に強烈になることもある。「私は、このグループほどうんざりしたことは、いまだかつてありませんでした」とか、またグループのなかのひとりに向かって「今朝起きたとき、『あなたにはもう会いたくないな』と感じました」など。
個人の自己防衛に攻撃をかけるのは、私には断定的態度に思われる。もし、ある人が、「あなたは敵意をたくさん隠しているようだ」とか、「あなたは、あたまだけで物事を割り切りすぎるようだ。それはたぶん、自分の感情を恐れているからだ」というならば、私はこのような断定(judgements)や診断(diagnoses)は促進的であるのと逆であるように思う。
しかし、もしその人の冷たさと思われるものに不満を感じるとか、彼の知的割り切り方が私をイライラさせるとか、その人の他人に対する残酷な態度に腹が立ったようなときには、私のなかに起こっているその不満、苛立たしさ、怒りをもちながら彼に向かい合いたいと思う。私には、このことは非常に重要なのである。
驚かれるのではないでしょうか。日本語訳も少し分かりにくいのですが、「グループ内で、断定的、診断的な口調の人、冷たさを感じさせる人、残酷な態度が現れている人」に対して、ロジャーズ自らが明快に、不満、苛立たしさ、怒りをダイレクトにぶつけているのです。
このロジャーズの態度が、「キー概念を意識するに至った変化」についての引用で太字にした、「別の時点では勇気をもって私自身の新しい側面をさらけ出すという冒険をしていこうと思うのである」を具体的に説明したところなのです。
これはどういうことなのでしょうか。「3つの必要十分条件」である、①無条件の肯定的受容、②共感的理解、③自己一致、と矛盾するのではないか…と感じられるかもしれません。
結論を申しあげると「矛盾していない」のです。
ロジャーズが「グループのもつ治療的な力」で語っている内容とは…
専門家は、ときとして診断名にとらわれて例えば「これはまさに偏執病的行動だ」などと感ずるのである。その結果、いくぶんか自分は一歩さがって、その人を対象物(object)として扱いがちである。ところが、もっと素朴なメンバーは、この扱いにくい人に人間(person)としてかかわり続ける。しかも、私の経験からすれば、このほうがはるかに治療的なのである。そこで、メンバーが明らかに病的行動を示すような状況では、私は自分自身の知恵よりも、グループの示す知恵の方を信頼する。
しかも、私はメンバーの治療力に非常に驚かされることが多いのである。このことは、恥ずかしいと同時に、力づけられることでもある。そのことは、訓練を受けていない普通の人のなかに、もしその可能性を自由に用いることさえできるならば、援助者としての信じられぬほどの潜在力が秘められていることを私に気づかせてくれた。
ロジャーズは、自分が気づいている欠点として、「私は自分の怒りを感じたり、それを表現するのが遅れてしまうことが多い」と自己分析しています。
これについて、2回のエンカウンター・グループでの経験を挙げ、1度はそのセッション内では自分の怒りに気づかず、夜半にそれを感じ、翌朝に表明したこと。もう一つはセッションで気づくことができ、そのセッションのなかで怒りを表明できたこと。いずれのセッションも、真実のコミュニケーションが発展し、関係が深まり、徐々にお互いに対する純粋な好意を持つことができるようになった、とロジャーズは述べています。
それにしても上記のロジャーズの怒りは、激しい口調です。ただ、“言葉そのもの”に注目していただきたいのですが、ロジャーズは“自分の感情”を表明しているのです。一方、ロジャーズが「促進的でない」と指摘している発言は、“他のメンバーに対して断定的、診断的な物言い”なのです(冷たさ、残酷な態度もそれに付随しています)。つまり他者を批評、ジャッジメントしており、ロジャーズのスタンスとは異なっているのですね。
1対1のセラピーの場合、ロジャーズは「自分の感情」は表明しますが、それが「怒り」と言う態度ではありません。ところがグループになるとロジャーズは、怒りを含めた自分の感情を素直にぶつけることに“挑戦している”のですね。
このことは、ロジャーズが“グループ全体を信頼している”からなのです。グループそのものが有機体であり、ロジャーズもそのなかの一員としての存在であり、1対1のセラピーのようにクライエントのすべてを一人のセラピスト、カウンセラーがまるごと引き受けるのとは違うことをロジャーズは見出したのですね。
そしてカウンセリング、コーチングに共通する概念して、クライエントにはすべての自由が保障されています。どのような態度、言葉を発してもよいのです。むしろそうでなければ、カウンセリング、そしてコーチングが成り立たないのです。クライエントが防衛機制を働かせて、「よい子」「人格者」のように振舞う必要はないのです。それを全体として引き受けるのがカウンセラーであり、コーチです。その “カウンセラーに求められる” のが「3つの必要十分条件」なのですね。
ロジャーズの態度は「矛盾していない」と私が結論づけているのは、このことであり、読者の皆さんも理解していただけたのではないでしょうか。
ロジャーズは有機体であるエンカウンター・グループに絶大な信頼を寄せます。
ロジャーズは、エンカウンター・グループがもつ可能性を確信しました。1人のセラピストとして1人のクライエントに渾身の力を込めて接していたときではない、自分自身が自由な感覚を得て、さらに素直な自分を表明する(自己一致)場をエンカウンター・グループに見出したのです。
まずは「ファシリテーター」として、そして「参加者(≒クライエント)」になることで、グループ全体が促進的に発展していくことを実感し、興奮を覚えたことがロジャーズの発言から伝わってきます。
1960年代の後半以降、ロジャーズの活動はエンカウンター・グループが主軸となっていきます。アドラーもそうでしたが、治療行為としてのセラピー、カウンセリングにとどまることなく、健常な人たちも含めた対象に対して「自分が培ってきた経験や理論を知ってほしい!」という願望が高まり、実際に精力的な活動として広がっていきます。ロジャーズの考えと態度は、明瞭に変化しているのです。
そしてロジャーズは、一人の心理学者というより、社会全体に大きな影響を与える啓もう思想家としてのイメージが形成されていきます。本人の思いは別として、「権威性」を帯びてくるのですね。このあたりについて、ロジャーズは次のように語っています。
ここ数年来、私はある特別な問題にぶつかっている。それは著書や講義のなかで少々幅広く知られるようになった者なら誰でもが特別にもつ問題なのである。私のグループには、後光でも射しているかのように期待する人から、角を出す鬼に出会うかのように恐怖する人まで、あらゆる種類の期待を抱いて参加する人がいる。
私はこれらの希望や恐怖からできるだけ早く逃れられるように努める。服装や立居振舞で、また、ただ名前や本や理論ではなくて、ひとりの人間として私を知ってもらいたいという希望を話すことによって、グループ・メンバーに対してひとりの人間になろうと私は努める。
次回のコラムも引き続き、エンカウンター・グループについて解説してまいります。
坂本 樹志 (日向 薫)
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