化粧品業界の変遷とブランド戦略(その1)(2022/03/23)

今回のコラムは、Z化粧品会社(架空)に所属するA課長(心理学を学びコーチングの資格を有する若手課長)と、部長職で定年退職後を迎えA課長のチームに再雇用(平社員)として加入したSさんによる「化粧品業界の変遷」をテーマに、1on1ミーティングを展開してもらいましょう。

(A課長)
前回は、Sさんが入社5年を経て研究所から本社の商品企画部に異動したところまでを話していただき、その後、村上春樹さんの『アンダーグラウンド』、そして「部下と議論になった場合はあえて負ける」というSさん流マネジメントの極意に話が展開する、想定外の(笑)…1on1ミーティングとなりました。

Z化粧品会社の商品企画部とは…?

(Sさん)
Aさんの巧みなファシリテーションによって、自分流が強く出てしまいました。今回はオーソドックスにいきましょう(笑)

商品企画部は6年在籍したのですが、研究所が持っている基盤技術だけでなく、まだ市場に登場していない剤型や、消費者目線からのシーズ開発を依頼したり、他方で研究所が新たに開発した技術を用途に結びつけるための提案を受けたり、頻繁なコミュニケーションを重ねて、新商品を開発していました。

(A課長)
現在の商品企画部はブランド別にチームが動いていますが、Sさんの時はどうでしたか?

(Sさん)
部全体は、総合チーム、開発チーム、そしてキャンペーンチームの課レベル3チーム制でしたね。社内でもっとも大きな所帯で、研究所、工場だけではなく営業部はじめ社内の多くの部署との連携が求められる部署でした。
私は、前半の3年を開発チームでスキンケアを、後半の3年は総合チームで、中長期の業界トレンド推移を予測しながら自社のドメインと商品ポジショニングをどう位置付けていくか…などをやっていました。

国内では資生堂がガリバーのような存在、そしてカネボウ、コーセーが続く…という時代でした。インターネットの登場はまだ先でしたから、TVと雑誌の広告宣伝がモノを言うオーソドックスなマーケティングが使えていた頃です。

(A課長)
そうか… SさんがZ社に入社した1981年時点では、花王はまだ化粧品に参入していなかったのですね。

1981年当時の花王は化粧品会社ではなかった…!?

(Sさん)
私たちの業界に近いところでは、ヘアシャンプーの花王メリットが強かったですね。あくまでも洗剤など日用品の会社として、化粧品メーカーではないというのが業界としての捉え方でした。

(A課長)
現在の業界は、世界ブランドの資生堂がやはりダントツのトップ、そして花王、コーセーも特徴ある展開で続きます。Z社も頑張っている(笑)
化粧品業界における花王は、買収したカネボウを中心とした化粧品セグメントでカウントされますので、コーポレートブランドとは別となります。

(Sさん)
業界内では共有できていても、外からみるとなかなかわかりにくい区分です。つまり化粧品という商材はそれだけ“あいまいな商品”なのかもしれない(笑)
もっとも私が商品企画部のときの化粧品業界は、花王一色といっても過言ではなかったですよ。

(A課長)
それはちょっと過言…言い過ぎではないですか(笑)

(Sさん)
いえいえ、それを裏付ける資料がこれです。
1987年の広告宣伝費が高い企業のベスト10です。比較として直近も調べています。1987年の花王はトップで、この年以外でもトップの常連でした。400億円を超える広告を打っています。2位が松下電器、3、4、7位が自動車メーカーという構成ですが、着目すべきは売上高広告宣伝費率ですね。
9位のライオン、10位の資生堂は7~8%です。自動車メーカーは売上規模がまったく異なるので比率は1%程度に急減します。

1980年代の広告業界は花王のおかげで潤っていた…?

主婦という言葉は時代錯誤になっていますが、当時は、TVコマーシャルのメインターゲットはその主婦層であり、広告効果と連動が顕著なハウスホールド分野、つまり衣料用、台所用、住宅用の各洗剤でトップシェアの花王は、湯水のように広告を使っていました。ライオンも9位です。
化粧品も同様に「マス広告で訴求する!」という時代でしたから資生堂も10位にランキングされています。

それが直近のトップ10は様変わりですね。花王はトップ10には入っていません。ただ資生堂が9位で頑張っている。
売上は両社とも3倍近くの伸びですから…いずれもすごい会社であることは確かです。

(A課長)
この表ではソフィーナが見えてきませんね…

花王が化粧品参入でとった戦略は度肝を抜く商品広告だった!

(Sさん)
化粧品業界的には、同業他社の認識ではなかった花王が満を持して花王ソフィーナで参入します、1982年です。そして2000年3月期の花王の決算報告で、「化粧品(ソフィーナ)の売上高は708億円、営業利益は22億円となりました」と発表しています。

このソフィーナだけのTVコマーシャルを花王は発売以来延々と展開しています。あくまでも私の想像ですが、毎年100億円規模は投じていたように感じています。「化粧品も花王‼」というブランドイメージを何が何でも市場に確立するんだ、という覚悟ですね。
確かに700億規模まで育てた8年後の利益は22億円… 累積赤字のことを想像すると眩暈がします。

(A課長)
資生堂がつくり上げたブランドイメージ… スタートはアパレルのシャネルやディオールも、化粧品に参入することで高いブランドイメージを確立します。
化粧品、特にプレステージの分野でそれをつくっていくのが定番戦略になっています。花王もそれにチャレンジした…

(Sさん)
ただ、いかがでしょうか? さきほども話したように、もともとシャンプーは花王メリットで大きなシェアをもっていましたが、トイレタリー商品ですから化粧品、ましてやプレステージのイメージはありません。

「洗剤の歴史を変えた!」と言われる花王アタックの発売は1987年です。日経ヒット商品番付の横綱を獲得し、以後30年にわたってトップシェアを維持しているお化け商品です。ソフィーナにとんでもない販売促進コストを投入することができたのも、アタックのおかげなのですね。

(A課長)
洗濯洗剤である花王アタックの強さが、どんなにお金を費やしても化粧品でのイメージづくりを帳消しにしてしまった!
だからこそカネボウの買収は、タイミングと言い「どんなにお金をかけても、何が何でも手に入れたかった!」ということですね。
Sさんの言葉に影響され、過言な表現を使っていますが…(笑)

カネボウの歴史は明治以来の産業構造変化を象徴している…

(Sさん)
私も同感です(笑)
では続いて、カネボウの歴史に移りましょうか。
明治以来の日本経営史という大きな視点で企業を捉えた場合、カネボウほど数奇な運命をたどった会社はないのでは…と思います。

ソニーのことを私は、「戦後日本経済の歴史の写し鏡だ…」とコメントしました。直近の広告宣伝費のトップ企業としてもソニーが登場します。いよいよ本格的に仕掛けてきていることが伝わってきます。

ただ、明治20年創業のカネボウは、時間軸も含めたより大きなスケールとしての「明治以来の日本経済史の写し鏡」と私は捉えています。
現在の日本のリーディング産業は自動車ですが、その前は半導体、その前は鉄鋼…と遡っていくと、明治維新によって海外を意識して以降、はじめて輸出産業として世界に轟くことができたのは繊維です。

カネボウのスタートは紡績会社であり、明治から昭和の初期には売上高日本1を誇っていた文字通り日本最大の民間企業です。
化粧品事業への参入は1960年代ですから、化粧品会社としての歴史は長くはないのですね。

学生であった私は、化粧品会社であるカネボウも採用試験を受けるかどうか迷っていました。結局化粧品会社はZ社しか受けていないのですが、資生堂が全国2万店の化粧品店を組織化していたのに対し、薬局薬店はそれほど化粧品を扱っていなかったのに着目して、カネボウは猛烈な営業によって「薬屋さんにはカネボウがある」というイメージが広がります。このあたりはチャネル戦略としての慧眼でした。

(A課長)
それは知りませんでした。
私たちの世代にとってのカネボウは粉飾決算により消滅した会社です。化粧品会社に就職しようと学生なりに業界研究をしていましたから、産業再生機構傘下であったカネボウは対象としてありえませんでした。

バブル経済までは多角化戦略が企業経営の王道(?)だった…?

(Sさん)
まさにそれがカネボウ終焉の現実でした。
私が学生の頃、カネボウは伊藤淳三社長のペンタゴン経営が産業界、ビジネス界の注目の的でした。これは多角化のカネボウ流のネーミングですが、1980年代は多角化戦略が日本経済を席巻していました。

1973年にすでに国内では完全に斜陽産業であった繊維はオイルショックによって大打撃を受けます。カネボウも危機を迎えます。
ただカネボウは、繊維、化粧品、食品、薬品、住宅の5事業で展開していましたから、繊維を中心にリストラに邁進しながら、圧倒的な業績を誇る化粧品事業で他事業の赤字を補填します。そして1983年には8年ぶりの復配を実現し、復活します。

だからこそ化粧品事業をさらに拡大すべくカネボウ化粧品のマーケティング戦略が研ぎ澄まされていったのですね。
1984年に発売した「バイオリップ」のTVコマーシャルに松田聖子を起用します。キャンペーンの本来の意味は「徹底的な集中プロモーション」です。このインパクトは凄かったですよ。

(A課長)
資生堂とカネボウのCMソング戦争と称される時代であったと聞いています。1980年代はマス・マーケティングが機能した最後の時代だった、ということですね。

資生堂は日本のソフトパワーとしてのフロントランナー!

(Sさん)
まさに昭和です。
資生堂は1960~70年代に一化粧品会社のイメージを超える、ファッショナブルな文化を発信する頂点の企業となります。今日、ソフトパワーである文化発信力は、国家のブランド力を示す指標として世界が共有するところです。

日本にとっての敗戦は、物理的な破壊だけではなく、自国文化に何の疑いも持つことなく、自信が膨らみ切っていた日本人の精神を解体します。

(A課長)
だからエコノミックアニマルになりきって、経済成長に邁進していったのかもしれませんね。経済白書の「もはや戦後ではない」が発表されるまでは、マズローの欲求5段階説でいうところの、生きるための生理的欲求、身を守るための安全の欲求を、とにかく満たすために日本人が死に物狂いで頑張った10年なのではないでしょうか。

(Sさん)
なるほど…5段階説は日本というスケールでも使えるわけだ。
ということは、その次の高度経済成長期は社会的欲求を満たすための期間だと言えるかもしれません。つまり、世界がイメージする戦前の日本文化をリ・フレーミングしていく活動です。私はその役割を大げさではなく資生堂が担って先鞭を切り、その成功を見て他の企業が、追随したと分析しています。

資生堂は1957年の台湾から海外展開をスタートしています。1963年にイタリアに販売代理店を、1965年には米国に資生堂アメリカを設立し、イタリアの代理店も合弁会社化し、弾みを付けます。

中国では1981年から事業を開始しています。鄧小平の南巡講話が1991年であり、その10年前ですから、2005年から中国事業を担当した私にとっては、信じられないほど早いタイミングです。現在は120か国に展開していますから、まさに世界の資生堂です。

世界化の商品戦略はフレグランスの「禅」からでした。黒を基調とした「和テイスト」そのままのデザインです。したがって今も古びることのないスーパーなデザインといえるかもしれません(笑)

ムスクの匂いはどんな香?

(A課長)
香はムスクも入っていますよね。東洋の神秘というか、ウッディ系でしたか…

(Sさん)
さすが、商品企画部現役課長!(笑)
ムスクはもともと麝香鹿の生殖腺ですが、とても匂えたものではありません。ウ〇チとしか表現できない悪臭です。それが微量をアルコールに溶かすと… まさに芳香というか、何とも言えない気分になってしまう(笑) 現在は合成香料を使っていると思いますが…
マニアックな話になってきましたので、話を戻しましょう。

資生堂は1970年代に世界展開も軌道に乗り、国内でも盤石な企業イメージを構築します。そこに挑戦したのがカネボウでした。
資生堂は、「和」をベースとしつつ西洋の華やかさと先進性を融合させているので、大人感が漂っているというか、前衛的というより保守的、コンサバとも捉えられます。

当時のカネボウにとって化粧品事業は、赤字事業を補填するために、徹底的に稼ぐ事業であり、研究開発に資金を投じる、というよりも「宣伝で売っていく!」という割り切りができていました。むしろそれが奏功した印象です。
松田聖子がアイドルとしての絶対的なアイコンとして、今日までスターであり続けるのは、カネボウのおかげかもしれませんね。

資生堂は老舗の総合化粧品メーカーとして全方位の商品展開であり、技術力の裏付けとしてのスキンケアに力を入れていました。商品ラインナップも膨大です。
一方のカネボウは、時代のトレンドをつかみ、「若々しさとメークアップはカネボウ」の企業イメージを構築します。バイオとか、時代感に訴えるネーミングも巧みでしたね。
この流れが、アウト・オブ・ブランドの至宝ともいえるRMK…ルミコにつながっていきます。国内企業の覆面展開としての最大の成功事例です。

化粧品のアウト・オブ・ブランド戦略とは…?

(A課長)
私も同感です。資生堂の覆面ブランドは、確かイプサからのスタートですよね。

(Sさん)
私の商品企画部時代の化粧品業界は「アウト・オブ・ブランド」がメインストリームになりつつありました。したがって、それまでの「コーポレートブランド+商品ブランド」の展開が見直されていくのです。
商標、ブランドの価値を研究する上で、レッドオーシャンと言えたのが1980年代…まさにバブルの時代でした。

(A課長)
Sさんからの伝承として、「なぜアウト・オブ・ブランドなのか?」について、当時の状況を話していただけますか? すごく興味がありまず。

(Sさん)
了解です。化粧品はその象徴的な商材だと感じています。
カネボウの話が続きましたが、当時の資生堂は化粧品のガリバーでした。1977年のシェアは40%です。ここまで大きくなると、SHISEIDOというコーポレートブランドでは、細分化、多様化する消費者の嗜好に対応できなくなってきます。

資生堂は、街の化粧品店を組織化した顧客基盤である「花椿会」によって稼いでいましたが、化粧品のブランドイメージ形成は、現在に続く百貨店1階での訴求力です。当時の百貨店は外資系のブランドが圧倒的な力を持っていました。特にクリニークです。エスカレータ前の一等地のロケーションは、全国のすべての百貨店でクリニークだった、と言っても決して盛った話ではありません。文字通りの百貨店トップブランドです。

クリニークは、当時も業界では知られていたように、ゴージャス、濃厚な香り、リッチテイストといったコンセプトのエスティローダーのアウト・オブ・ブランドです。クリニークはその真逆です。無香料、安全、肌対応であり、テーマカラーもエスティローダーのゴールド、ブラウンに対して、病院を思わせる白、淡いグリーンが基調です。

クリニークによって、日本の化粧品業界も、自然、無香料が大きなトレンドとして新しい流れが生まれていたのです。無香料は厳密に言えば無賦香のことですが、つまり同じ会社が覆面で真逆のブランドコンセプトの商品を発売するのです。

(A課長)
真逆!が、まさにキーワードですね。弊社を支えるもう一つのブランドの始まりも、その真逆ですから…
次回もブランド戦略を中心に業界の話を進めてみましょうか。

(Sさん)
いいですねぇ~ よろしくお願いします!

坂本 樹志 (日向 薫)

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