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化粧品業界の変遷とブランド戦略(その2)~自社メジャーブランドの真逆を極めてみよう!~

前回のコラムの最後にA課長は、「真逆!が、まさにキーワードですね。弊社を支えるもう一つのブランドの始まりも、その真逆ですから…」と話しています。
今回はその続きとして、架空のZ社が1980年代に手掛けた新規事業をテーマに、部長職で定年を迎え、A課長のチームで仕事をすることになったSさん(平社員)との1on1ミーティングを進めてみましょう。

(Sさん)
Aさんのリクエストで今回の1on1は、1980年代に企画がスタートし、今や我々の企業グループを基幹ブランドとして支えるY社の歴史を語る羽目になりました。
私は当時Z社の商品企画部に在籍していましたから、Y社が立ち上がった時、Z社の人間として眺めていたので少し冷ややかだったことは否定できません。

(A課長)
なんとなくわかります(笑)

(Sさん)
Y社は紛れもなくベンチャーからのスタートです。ただベンチャーといってもその資金の出し手によってさまざまな形態があります。まずは整理しておきましょう。

Y社のスタートは「企業革新型ベンチャー」の「社外ベンチャー」

Z社の子会社から始まっていますので、Y社は企業革新型ベンチャーであり、さらに社外ベンチャーでした。
当時は大手を中心に「多角化」を志向するというのが経営スタイルの中心です。ただ、祖業というか自社の業態と関連の無い事業にいきなり参入するのもリスクが大きいので、自社が持つ技術を生かせる事業や商品を開発していくのがセオリーでした。シナジーですね。

(A課長)
アンゾフの「成長マトリクス」ですね。とても実践的で、かつシンプルなので、企画する際に、このフレームワークをいつもイメージしています。

(出典:中小企業庁)

(Sさん)
このフレームワークは使えます。どれを選ぶかによって、投資資金の幅などさまざまバリエーションが生まれます。
花王がフロッピーディスクを発売した時は驚きました。ただ化粧品開発でも関連の深い界面化学がベースなので「なるほど~」と感じたものです。

現代のマーケティング・ミックスは4Pから5Pそして6Pへ…

マーケティング・ミックスは言わずと知れた4Pのことです。
Productである製品、Priceの価格、Placeの流通経路、そしてPromotionの販売促進の4つの要素を組み合わせて展開することです。ヒト、モノ、カネ、情報という経営資源は無尽蔵ではないので、SWOT分析を絡めながら、どうチョイスしていくか、が腕の見せ所ですね。

<SWOT分析>

(A課長)
最近では、5P、6Pと広げて捉える向きもあります。PeopleのPackageである包装ですね。私は人のPをマーケティング・ミックスに加えるのは大賛成です。この視点は重要ですよ。

(Sさん)
パッケージのPも化粧品を扱う我々にとって極めて重要な要素となります。これからは5P、6Pでいきましょう(笑)
ちなみに、当時のY社にとって、ブランドコンセプトを打ち立てる上で、パッケージは重要な意味を持ちます。そのあたりもお話しします。

(A課長)
なるほど… パッケージはZ社との違いが顕著だ。

(Sさん)
Y社の社長はTさんで、当時Z社の課長だった人です。
私が入社した翌年にZ社の売上高は対前年20%の大幅な伸びとなります。要因はT課長が企画し実現したハウスカード…つまりZ社専用のクレジットカードの導入です。クレジットカード会社との提携となりますが、この導入は困難を極めたと聞いています。Tさんがプロジェクトリーダーでなければ、実現できなかっただろう、と言われています。

リボルビングも選択できるシステムにしたので、これまで支出を抑え気味の顧客が、気前よくというか、購入単価が上がったという背景でした。入社2年目にして、冬のボーナスが「えっ? こんなにもらえるの!」と嬉しかったことを思い出します。

(A課長)
40年前にそんなことがあったのですね。今は電子マネーが当たり前の時代となっていますが、まさに歴史ですね。

(Sさん)
ところが…となります。
その爆発的な売上は2年くらい続いたのですが、その後は反動減となります。顧客数の拡大が伴っていなかったのです。売上の上昇分は、既存顧客の購入単価のアップが実態でした。
Z社は高度経済成長期に確立したビジネスモデルが当時の社会情勢と見事にマッチし、十数年は自動ドライブという状況でした。対前年比で下がる、という経験をしていないので、会社全体に不安というか、危機感が広がります。そうなると、それを招いた犯人は誰か? となっていくのです。

(A課長)
その犯人捜しの顛末はTさんに行きついた…

退職を考えたTさんに社長は何を告げたのか…!?

(Sさん)
そうなんです。私はTさんこそZ社を救った、と感じています。ハウスカードを導入していなかったら… と想像すると、その後の未来は見通せません。
ただ…Tさん叩きは、新入社員であった私もリアルに感じました。その結果Tさんは、一度は退職を考えるのですね。

(A課長)
えっ?

(Sさん)
これは伝聞ではなく、Tさんから直接聞いた話なので確かです。Tさんの優秀さを見抜いていた当時の社長はTさんに、「周りの無責任な発言は一切気にするな、おまえのやりたいことを自由な環境でやってみろ! 経営会議については報告でいい、審議は不要だ!」と伝えたとのことです。
これがオーナー社長ということか…と感じ入りました。

Tさんは秋葉原の雑居ビルの1フロワを借りてY社を立ち上げます。さまざまなテストマーケティングを行い、それを踏まえて目指すべき方向を定め、具体的に動き出した設立2年目に、私の上司であるZ社商品企画部総合チームの課長とその秋葉原に出向き、創業秘話を聴くことができたのです。すばらしい体験でした。

(A課長)
Tさんはお亡くなりになりましたが、伝説の人だと伺っています。

「Z社は敵だ!」とは…?

(Sさん)
T社長は熱かったですね~ しゃべりまくってくれました(笑)
印象的な言葉は「Z社は敵だ!」でしたね。笑いながらだったので、愉しく受けとめたのですが、当時まだ一桁の人数しかいないY社メンバーにその言葉は響いたと思います。
戦略内容も実にわかりやすかった…

(A課長)
販売チャネル、つまりPlaceは通信販売を選択したのですよね。

(Sさん)
これは慧眼だったと思います。
通信販売の商品では、1970年代の終わりころにぶら下がり健康器が大ヒットし、ブームとなりました。父親も買っています。狭いリビングに置かれ「私は邪魔だな~」と感じていました(笑)

その後は、下着の『セシール』やフジ・サンケイリビングの『ディノス』、カタログハウスの『通販生活』などのカタログ販売、そして『ジャパネットたかた』のテレビショッピングなどに広がっていきます。
ただ通販の爆発的成長は、インターネット通販という新業態で楽天が創業した20年ちょっと前からなので、まだ時間を必要とします。

特に化粧品は、肌に直接つけて試しつつ購入する、というスタイルでもあり「通信販売にはなじまない」とされていました。化粧品を通販で販売した会社はファンケルが最初だと思うのですが、老舗の化粧品会社では「ありえない」コンセプトです。

化粧品会社にとってファンケルのコンセプトはあり得ない…?

ファンケルの創業は1980年です。ゴム栓を差し込んだフタで密封する5mLのガラス瓶で、「無添加化粧品」をうたった化粧品として発売したのが1982年の末でした。入社翌年で、しかも研究所に居ましたから、印象に残っています。製造年月日表示、フレッシュ期間の設定、そして冷蔵庫での保管を訴求するのです。

そもそも化粧品は「3年は品質が劣化しない」、という前提でつくられているので、あまりにもトリッキーなスペックであり「いずれ消えてしまうよ…」と、私は冷ややかに見ていました。今思うと恥じ入る次第です(笑)

(A課長)
Sさんが中国展開を始めた時期に、私はZ社に入社しています。Sさんの中国市場の調査レポートを拝見しました。ファンケルが、中国に進出してすぐに名だたる高級百貨店からオファーを受け、あっという間に売り場を広げたことを知って驚きました。

(Sさん)
ファンケルはその前に、100%子会社で中国に進出したようなのですが、撤退しています。しばらくして香港の会社からのオファーを受け、その代理店による仕切り直しのスタートでした。

私は独資を強く主張し始めていますので、香港の代理店の手法には驚きました。「無添加」を前面に出すのですが、この漢字は中国でもそのままも使えます。「安全」を希求する意識は日本の比ではない中国ということもあり、品質の日本ブランドと相まって爆発的ブームとなります。

プロモーションもすごかったですね。当時の中国にとって香港はあこがれの場所、というイメージがあり、その香港でナンバー1歌手のジジ・リョンをキャラクターとして起用し、猛烈な露出で大陸中国に上陸する戦略です。

フーテンの寅さんではないですが、「ジジ=ファンケル」と一体化するほど強烈なイメージ展開でしたから、ジジはもうファンケル以外のコマーシャルには起用されないのではないか…と心配したほどでした(笑)

(A課長)
次から次へと逸話が出てきますね。Y社のT社長が創業した当時のお話しにはすごく興味があります。

Y社のマーケティング・ミックスを整理すると…

(Sさん)
了解しました。
「Z社を仮想敵として徹底的に真逆をやろう!」、と決めたので、あまり悩む必要はなかった、とT社長は語っています。次のように整理できます。

(A課長)
ファンケルの創業とそれほど違いませんから、Y社も歴史を重ねています。ブランドの幅も広がりましたし、インターネット通販も早くから取り組みITを駆使した企業イメージも形成されています。日本最大級の顧客満足度調査での1位獲得は常態化していますし、好感度ブランドとしてのイメージが確立されているのではないでしょうか。

(Sさん)
そのY社も浮上するまでは時間がかかっています。創業当時を知っている私は、T社長を中心とした創業メンバーのベンチャースピリットには感服しています。
私は大手企業から革新的事業が生まれるのは、本当に稀なことだと感じています。それをY社は実現しました。その背景、理由を私なりに整理しています。
最初にお話しした、企業革新型ベンチャー社外ベンチャーから始まったのもプラスしたと考えています。

次回の1on1は、そのあたりのことをAさんと共に語ってみたいと思うのですが、いかがでしょうか?

(A課長)
ワクワクしてきました。ぜひともやってみましょう!

坂本 樹志 (日向 薫)

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