渋沢栄一とコーチング ~「道徳経済合一説」とアダム・スミスの『国富論』、 そしてマックス・ウェーバー~(2021/09/01)

<井上> 彼自身の中では企業経営と社会事業との間に区別がなかったのだと思います。むしろ企業経営も社会事業の一環だと思っていたのではないでしょうか。世の中のインフラを整備するという事業に必要なものが、企業だったり社会事業だったりということだったと思います。そのように日本を発展させる努力をしたのですが、それでみんなが幸せになったかというとそうでもなく、格差も生まれてきた。その状況にも渋沢は目を向け、その格差をなくしていくために、福祉といった事業にも重きを置いていくようになりました。渋沢は決して産業だけではなく、世の中全体のことについて目を向けていたのです。

「日本における資本主義の父」との呼称が、渋沢栄一の人物像を“一言”で紹介する際の、人口に膾炙したキャッチフレーズであることは異論のないところでしょう。
ただこの「資本主義」の概念は、あまりにも多義的なので、前々回のコラムで私は、このキャッチフレーズを「日本における(パブリックを包摂した)資本主義の父」と、( )を付して捉えていることをコメントしました。

これは、渋沢栄一の「道徳経済合一説」を、シンプルに取り込んだ表現のつもりなのですが、「これだけでは本質が伝わらないよなぁ」との思いが脳裏をかすめていたのですね。 読者の皆さんに腑に落ちる説明ができないだろうか…? との思いから「渋沢栄一 道徳経済合一説」とグーグルで検索し、その結果見つけたのが冒頭のコメントです。

日本商工会議所のホームページのコンテンツである『日商 Assist Biz』にあった、「渋沢栄一記念財団 渋沢史料館」の井上潤館長へのインタビューがその内容です。
https://ab.jcci.or.jp/article/4011/

趣旨説明は次の言葉から始まります。
平成30(2018)年は、明治11(1878)年に東京、大阪、神戸に商工会議所(当時は商法会議所)が誕生して140年を迎える記念すべき年である。そこで、東京商法会議所の初代会頭であり、近代日本社会の礎となる事業に参画し、現在まで続く数多くの企業の設立に携わった渋沢栄一の軌跡と彼が目指した経営哲学に迫りたい。

冒頭引用の太字は私が付しています。この箇所に私は大いなる共感を覚えました。そして井上館長は、この資本主義という言葉について、渋沢栄一がどのように受けとめていたのか、次のように語っています。

渋沢は「日本資本主義の父」と呼ばれていますが、彼自身は資本主義という言葉をあまり使わず、使ってもあまり良い意味にではありませんでした。欧米の資本主義というのは、私の利益を第一に求める人たちの考え方だと思っていました。その中でいわゆる見えざる手が働いて世の中に利益還元が図られるということで、渋沢は公の利益を第一に考えることが自分の利益につながってくるのだと言っていたのです。

渋沢栄一が「資本主義」という四文字をどのように捉えていたのか…合点した次第です。文中の「…いわゆる見えざる手」というのは、アダム・スミスの“神の見えざる手”のことです。
渋沢栄一の『論語と算盤』では、アダム・スミスに直接的に触れたところはないのですが(その思想を連想させるところはあります)、以前のコラムでも紹介した『グローバル資本主義の中の渋沢栄一/パトリック・フリデンソン、橘川武郎編著(東洋経済新報社)』の中に次の一節があります。

渋沢の道徳経済合一説に、アダム・スミス(1723~90年)の思想との共通性を見出す人は多い。そもそも渋沢自身がその共通性を認めている。1923年にレコード録音した講話「道徳経済合一説」の中で、渋沢は次のように述べている。 聞くところによれば、経済学の祖・英人アダム・スミスは、グラスゴー大学の倫理哲学教授であって、同情主義の倫理学を起こし、次いで有名なる『富国論』を著して、近世経済学を起こしたということであるが、これはいわゆる先聖後聖その揆を一にするものである。利義合一[道徳経済合一]は、東西両洋に通ずる不易の原理であると信じます。

この箇所は、第2章のタイトル「道徳経済合一説」で、一橋大学大学院商学研究科の田中一弘教授が指摘したところです。田中教授は学者としての視点で、渋沢栄一がアダム・スミスの思想との類似性をどう見出していたのかを分析した上で、両者の思想上の違いを解説しています。

…渋沢の思想とスミスの思想には、以上のような共通点がある。しかし、両者をより詳細に比較してみると、重要な相違点があることにも気づく。それは端的に言えば、経済主体に公益の追求を期待するか否かの違いである。渋沢はそれを期待し、スミスは期待しない。
渋沢にとって、人びとを豊かにするという公益の追求は「究極の道徳」であり、民間で経済活動に携わる人々もその実現の一翼を担うべきことを強調したことは、第2節で述べた。この主張こそが渋沢の道徳経済合一説の核心部分であった。…

渋沢栄一の方が、より広がりのある思想ですね。
私はNHKの大河ドラマ『青天を衝け』を視聴する以前は、渋沢栄一について、それほどの知識を有していたわけではありません。したがって、私の拙い渋沢研究は、それ以降です。「きっかけ」というのは、どこに転がっているのか、実に不思議なもので、私は現在、まさに渋沢栄一に嵌っています。

その嵌ったおかげで、大昔に買っておきながら、いつかは読もう(読まなければ…)と思いつつ、敷居の高さを感じて手に取ることをしなかった(手に取れなかった)、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神~大塚久雄訳(岩波文庫)』を書棚の奥から引っ張り出しました。

この本は、「道徳・倫理は、資本主義が内包する営利活動とは相容れない価値観と解釈されているが、西洋における近代的資本主義の精神は、禁欲的であるプロテスタンティズム(なかでも最も禁欲的であるカルヴィニズム)と結びついて発展してきた」という内容です。 まさに“倒錯”です。全く違う価値観にもかかわらず地下水脈ではつながっていた…といったところでしょうか。

渋沢栄一が、「道徳と商売を二項対立」として受けとめられている実態を、何とか打破しようと、何とか結節しようと、何とか調和させようと、その拠り所を『論語』に見出し「道徳経済合一説」として結実させています。

他方のマックス・ウェーバーは、宗教社会学の視点で同書を著し、それが当時の社会に衝撃を与えます。同書の発表が、その後の西洋思想界(ウェーバーは、政治学者、経済学者、社会学者と称されます)の巨人として讃えられるに至る起点となった論文なのですね。

何事も先入観を持つのはよくないなぁ、と感じたのですが、ウェーバーの同書は、訳者の大塚久雄氏の貢献もあり、おそらく原書の難解であろうところを、平明を心がけ私たちに届けてくれているようにも感じました。400ページの大部の書ですが、「本文と注のどちらが多いのか…」といった構成になっており、本文だけを読み通すのは、それほど難儀しなかったことお伝えしておきます。
ここまで紹介して内容に触れないのもどうかと感じますので、最後の「訳者解説」のなかから、次の一節を引用しておきます。

…こういう人々は、金儲けをしようなどとは思っていたわけではなく、神の栄光と隣人への愛のために、つまり、神からあたえられた天職として自分の世俗的な職業活動に専心した。しかも、富の獲得が目的ではないから、無駄な消費はしない。それで結局金が残っていった。残らざるを得なかった。これは彼らが隣人愛を実践したということの標識となり、したがってみずからの救いの確信ともなった。が、ともかく結果として金が儲かってくる。ピュウリタンたちはそれを自分の手元で消費せず、隣人愛にかなうような事柄のために使おうとした。たとえば彼らは公のために役立てようと寄付した。その精神がどこまでそのまま伝えられているか分かりませんが、アメリカの金持ちたちが財団をつくったりするのは、そういうことの名残りだと言われています。

この論文は1904~1905年の発表なので、渋沢栄一の60代の半ばころにあたります。論文が邦訳として日本に紹介されたのは昭和13年なので、渋沢栄一は同書には目を通していないと想像されます(渋沢栄一は昭和6年没です)。ただ、『論語と算盤』のなかで、キリスト教と論語の差異をかなり詳細に分析しており、渋沢栄一の宗教に対するスタンスを垣間見ることができます。

…キリスト教は、このように夢想の色合いの強い時代に生まれた宗教なので、その教えが命令的で、権利思想も強くなったのである。
しかし、キリスト教の説く「愛」と、『論語』の教えである「仁」とは、ほとんど一致しているのではないだろうか。ただし、そこにも「自分からする」と「他人からされる」という違いはある。たとえばキリスト教の方では、
「自分がしてほしいことを、人にもしなさい」
と教えているが、孔子は、
「自分がしてほしくないことは、他人にもしない」
と反対に説いている。だから一見義務ばかりで、権利の考え方が無いように見えるわけだ。
しかし義務と権利とは対照的に見えても、結局は一致するという指摘もある。だからわたしは、キリストと孔子が目指したものも最終的には一致するのであろうと考えている。
さらに私自身は、宗教やその教義としては、キリスト教の方がよいかもしれないが、人間を守る道としては孔子の教えの方が良いと思っている。これはわたしの独自の考え方かもしれないが、孔子の方が高く信頼できる点として、奇蹟が一つもないことがある。キリストにせよ釈迦にせよ、奇蹟がたくさんある。キリストが磔にされてから三日後に蘇生したというのは、明らかに奇蹟ではないか。… 『論語と算盤(現代語訳)ちくま新書』より

リアリストたる渋沢栄一を如実に感じることのできるコメントですね。
『論語と算盤』や、渋沢栄一が残したさまざまの言葉を探求していくと、渋沢栄一の中に、「対立概念、相容れない価値観とされるものにも、結節できるところはある!」
「白か黒かではなく、両者の美点を探しそれをすくいとることで、新たな価値は生まれる!」という強い志向性があることを私は感じています。「調和」の哲学といえるでしょうか。

「多くの議論が“論点先取”として、論破することを目的に進行してしまうこととは、対極のスタンスに渋沢栄一は立脚している」…これが私の渋沢栄一観です。
コーチングの哲学と相通じるところを私は見出しています。

さて、今回のコラムのまとめに入ります。
冒頭の引用で井上館長が、「彼自身の中では企業経営と社会事業との間に区別がなかったのだと思います。むしろ企業経営も社会事業の一環だと思っていたのではないでしょうか」と、コメントしています。

今回のコラムを通して「資本主義」を語ってきましたが、渋沢栄一にとっての「資本主義」は手段であり、その資本主義も、渋沢栄一が提唱した「道徳経済合一説」をベースとする「合本組織」です。
渋沢栄一の本来の目的は「格差のない社会・みんなが幸せに暮らせる社会を実現すること」なのですね。

私たちは、目的と手段を混同しがちです。「日本における資本主義の父」というキャッチフレーズを返上し、渋沢栄一の真の姿をイメージできる「新たな価値としての尊称」を見出す必要がありそうです。

坂本 樹志 (日向 薫)

 

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