渋沢栄一とコーチング ~生涯アニマルスピリットを発揮し続けた渋沢栄一!~(2021/09/08)

「日本資本主義の父」という呼称の裏付けとして、第一国立銀行をはじめとする「500社に及ぶ企業、そして社会事業として600の団体の設立に関与した」という実績がセットとして語られます。この圧倒的な数、しかもその中には、今日に至るビッグネームの大企業、団体が含まれており、渋沢栄一の“すごさ”が実感できるところです。

渋沢栄一の壮大な実績はどのようにして形成されたのか…?

ただ、このあたりについて深堀した資料はなかなか見当たらないこともあり、しばらく探していたところ…壮大な実績が生み出された、そのプロセスを理解できる格好の著作を見つけました。『<日本の近代11>企業家たちの挑戦(中央公論新社 1999年3月)』です。

著者は宮本又郎大阪大学名誉教授(執筆時は大阪大学教授)です。大阪大学経済学部長、経営史学会会長も歴任されています。江戸後期から昭和の経営史であり、その時代を彩った企業家の姿を丹念に追っていきます。渋沢栄一のミラクル(私の実感です)の秘密について、その一端が“腑に落ちた”次第です。

…また明治期の新規事業は多くの場合移植産業であり、それらに関する技術情報や金融的支援を得るためには政府との強いコネをもつ人物が企業設立に必要であった。さらにかれらは会社が設立された後も、さまざまな系統の資本家グループの利害の対立を調整する役割が期待された。
後述するように、大阪紡績において雇用経営者の山辺丈夫が大株主から攻撃されたとき、山辺を支持し守ったのは、同社の設立主導者渋沢栄一であった。これらの経済指導者も複数の企業の持ち分資本家にすぎなかったが、かれらのうち調整能力のある少数の人々が商業会議所や銀行集会所などの要職について「財界人」の地位を獲得し、出資の多少にかかわらず、個別企業に強い影響力をもつことになった。「財界人」が自らの企業を超えて一般経済界に強い影響力をもっていることは今日にいたるもわが国の大きな特色と思われるが、その原型が生まれたのである。財界人型企業者の代表として、のちに渋沢栄一五代友厚を取り上げる。

引用は、「会社制度の普及」のなかの一節です(太字は私が付しています、以降も同様です)。
もう一つ引用しておきましょう。私が購入した当該単行本には16ページの付録が挟み込まれていました。著者の宮本教授と経済小説家として一世を風靡した城山三郎氏との対談です。学会と民間(小説家)のコラボレーションですね。

多くの資本家から資金を集めたその方法は「奉加帳方式」…!?

<宮本>
そのマージナル・マンについて少しお話を伺いたいんです。企業史学という学問で「マージナル・マン仮説」というのがあります。これは旧来の社会秩序の中枢からは「革新」者がでてこない。旧秩序の周辺にいる人が革新の担い手であるという説です。その意味で渋沢栄一や岩崎弥太郎など、武士か農民かわからない出身ですが、マージナル・マン仮説にあてはまります。城山さんはこういう点をどうお考えですか。
<城山>
四十年ほど前『中京財界史』(『創意に生きる中京財界史』文春文庫)を書いたとき、幕末の尾張藩に奥田正香という人物がいたんです。明治になると“名古屋の渋沢栄一”と言われた人で、下級役人の出身で実業家になりました。もう一人、福沢桃介。彼が名古屋にきて、名古屋はずいぶん活性化するんです。この二人はマージナル・マンでした。ともに旧秩序の中核から出たというわけではないですし。
<宮本>
奥田も福沢も中京財界のまとめ役的存在でもありましたね。それをもう少し規模を大きくすると渋沢や五代友厚ですね。
<城山>
そうですね。
<宮本>
ふつうの資本主義経済モデルでは、株式市場があるならば投資家は新会社の設立計画書なり、収益なりを見て判断しながら投資するということになっていますが、明治草創期はそんなこと絶対ありえない(笑)。おそらく、渋沢や五代が投資家たちを説得して回る。その信用で、初めて金が動きはじめたんじゃないか、と思うんです。
<城山>
いわゆる奉加帳形式です。まず渋沢が真っ先にいくらいくらと書いて、出口で座っている。あとのみんなも書かないで渋沢の前を通れない(笑)。それにやはり「お国のため」の意識があるんですよ。渋沢や五代は、自分のしていることは国事である、という非常な自負がある。

NHK大河ドラマ『青天を衝け』のなかで、五代友厚をディーン・フジオカさんが演じています。「東の渋沢栄一・西の五代友厚」と称されたほど、五代友厚も大きな実績を残しています。

「奉加帳形式」は絶妙な喩えですね。渋沢栄一の信念・活動ぶりが多くの人の心を捉え、それが「この人は信用できる」という思いとして広がり、「この人が言うのなら…」という流れが形成されていったのだな、と私は理解しました。

前回のコラムで、日本商工会議所の『日商 Assist Biz』を紹介し、明治11年に日本で初めての経済団体である「東京商法会議所」(現在の日本商工会議所)が設立され、初代会長に渋沢栄一が就任したことに触れています。
そのなかで、渋沢栄一記念財団 渋沢史料館の井上館長が、次のように答えている箇所があります。

渋沢栄一の活動の在り方は経済団体がカギを握っている…

─渋沢は明治11(1878)年に、今の東京商工会議所の前身となる東京商法会議所を設立し、初代会頭に就任しました。設立の理由は何だったのでしょうか。 <井上>
当時、解決するべき大きな問題だったのが、幕末に欧米諸国と締結した不平等条約の改正でした。その取り組みの中で日本の当局者がイギリスのパークスという駐日公使に対して、不平等条約の改正を進めなければ日本の世論が許さないのだと訴えましたが、パークスは、「日本には世論がない、民間の人間が口々に意見を言っているかもしれないが、それをきちんと整理して一つの世論として形成する機関が日本にはない」と指摘したのです。
そこで大隈重信が渋沢に相談を持ち掛けました。渋沢は英米にあるチェンバー・オブ・コマース(商業会議所)を知っており、目指していた民間の力の底上げを図っていくうえで必要な機関だと強く意識しました。渋沢が民間の機関が民意を結集する場として東京商法会議所を設立し、その後日本各地に商法会議所が独自に組織されていきました。
実は、商工会議所設立の一番大きな理由は、条約改正の問題で民意を結集させなければいけないというところだったのです。

パークスの「日本には世論がない」という指摘は、まさにその通りで、世界に閉じていた江戸の幕藩体制が覆されたばかりであり、そもそも江戸期の人々にとっての“国”は藩ですから、日本全体が一つの国であるという概念は、形成されていなかったのですね。
言うなれば、藩という独立性の強い地域が集まった連邦国家というのが実態でした。

渋沢栄一をはじめとする明治政府の枢要を担う人たちは(渋沢栄一が明治6年に大蔵省を退官した時の官位は“大蔵少輔事務取扱”です)、そのことを痛切に認識していました。江戸時代を通じて「お上=士」という意識が強烈に刷り込まれており、それ以外は「農・工・商」と身分も区分され、「民意」として、多少ともまとまった考えというものは、まったく存在していない、といっても過言ではなかったのです。

渋沢栄一は、機関としての経済団体を組織し、そこを母体として「民意の結集」を図るべく活動を開始したのです。
今日「経済3団体」という言葉が定着しています。日本を代表する経済団体のことで、この3つは、他に多く存在する経済団体とは別格である、という意味合いが込められています。 それぞれが持つ性格を以下に簡潔に記しておきましょう。

日本商工会議所(略称:日商/JCCI)
最も歴史のある経済団体であり、明治11年に東京(渋沢栄一)、大阪(五代友厚)、神戸(神田兵右衛門)に設立された3つの商法会議所がそのスタートです。()は主唱者です。
名称として“日本”と付されているように、1892(明治25)年に15の商業会議所が連合し、商業会議所連合会(現在の日本商工会議所)が結成されます。
現在は、全国各地の515商工会議所が会員で、中小企業など約125万社が参加しています。
それぞれの商工会議所は「その地区内における商工業の総合的な発展を図り、兼ねて社会一般の福祉増進に資する」ことを目的とし、そのことを踏まえて全国組織である日商は、商工会議所間の意見の総合調整や国内外の経済団体との提携を担うべく活動しています。

日本経済団体連合会(略称:経団連/Keidanren)
財界の総本山と呼称された「経済団体連合会(経団連1946年発足)」と、財界の労務対応を担っていた「日本経営者団体連盟(日経連1948年発足)」が2002年5月に統合して発足した経済団体です。
統合以前に“経団連”と呼称されていた「経済団体連合会」には“日本”が付されていなかったので、現在の名称は統合後となります。略称は変更なく「経団連/Keidanren」ですね。
純資産額10億円以上を会員資格条件としていたため(2018年に1億円以上に改訂)、必然的に大企業を中心とする約1500の企業等を会員とする経済団体です。

経済同友会(略称:同友会)
終戦直後の1946年に日本経済の堅実な再建を目指し、当時の新進気鋭の有志が集まって発足した経済団体です。現在でも企業経営者が個人として参加することになっており、ともすれば大企業色が出てしまい、政府との関係性が問われがちな経団連と比べて、企業や特定業界の利害にとらわれない、自由な議論にもとづく提言が期待されている、という特徴があります。

今日に至って、歴史を重ねたこの3団体に限らず、その活動の在り方について、さまざまな指摘、評価がなされていますが、経済団体には明確な存在意義があります。
それは、社会に大きな影響を与える大企業であっても、政府はその企業が個社として要望する内容について、正面から受け付けることを回避します。

経済団体の存在意義とは…

政府の活動(地方自治体も含めて)は、文字通りのパブリックであり、個別企業への利益供与とみなされることには組みしない…これが原則です。

一方で政府には、納税者としての企業(生活者の集合体としての組織体でもあります)の意見・要望を、個々バラバラではなく把握したい、というニーズもあるのです。
経済団体は、個別企業としてではなく、さまざまの意見をとりまとめ、集約した意見として政府に物申す…これが経済団体としての政策提言であり、政府も「民意」を把握するために求めているのですね。

渋沢栄一が、日本初の経済団体である商法会議所の設立を担ったのは、井上館長が語るように明快な目的に基づく行動だったのです。

ところで、コロナ禍の終息がなかなか見通せない中、大きな期待を背負ってデジタル庁が発足しました。それを報道する9月2日の朝日新聞に、2つの経済団体のコメントが取り上げられています。

私が「おやっ?」と思ったのは、最初のコメントが経団連ではなく、新経連(新経済連盟)という、IT企業が会員の多くを占める10年前に発足した歴史の浅い経済団体であったことです。2つの団体のコメントは次の通りです。

新経連のコメント
「デジタル庁を司令塔として進める日本の『デジタル革命』は、150年前の明治維新、75年前の戦後改革に匹敵する規模と意義を持つ」

経団連のコメント
「コロナ禍がわが国のデジタル化の遅れを白日のもとにさらした。世界に周回遅れとなったわが国デジタル化の停滞を一気呵成に挽回する号砲となることを期待する」

渋沢栄一が多く育てた今日の大企業もスタートはいずれもベンチャー企業です。その渋沢栄一は「アニマルスピリット」を発揮し、生涯枯れることなく91年を走り抜けました。新経連のコメントには、「主体となって改革そのものを成し遂げたい!」というベンチャースピリットを私は感じています。

渋沢栄一についてのコラムを7回にわたって綴ってきました。今回で一旦、私の拙い渋沢研究を終えようと思います。
渋沢栄一の生涯に思いを馳せるとき、「異なる価値観だとされているものについても、統合させ、そして調和させることはできる。その結果は足し算ではなく、新たな価値が生み出され、イノベーションにつながっていく」という渋沢栄一の信念として迫ってきます。

私どもは、調和を生み出すコーチングを世の中に広めていきたい、という想いを抱いて日々取り組んでいます。

これからも渋沢栄一の足跡をコツコツとたどりながら、私たちの行動のドライバーとしてエネルギーを注入し続けていきたいと強く思っているところです。

坂本 樹志 (日向 薫)

 

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