「心理学とコーチング」というタイトルを冠したコラムを昨年の2月8日からスタートし、今回で57回目を数えることになりました。
そして、前回のコラムで16回にわたって書き続けてきたロジャーズを終える、とコメントとしています。ロジャーズは晩年になって、ある「気づき」を得ます。私はそのことを、晩年のロジャーズとして、3回のコラムで詳述したのですが、その姿を次のよう記しました(3月16日)。
「気づき」とコーチングの関係とは…
ロジャーズは、「これが始まりであった……遅すぎたのだろうか……。それが対人関係の政治学についての、私の学習のはじまりであったのである」、と語るように、自分は「政治学(politics)」とは無縁であり(興味がない…というニュアンスも感じます)、政治学者ではなく一人の心理学者として研究を続けてきた、と思い込んでいたのです。
アドラーの内部に存在する哲学的概念は「人は権力を求める」です。それに対してロジャーズは、72歳になるまで、そのことに気づいておらず(防衛機制…?)、膨大な数におよぶ論文のなかで、「権力」についての考察は存在していません。ロジャーズの立ち位置は「人間性心理学」であり、ヒューマニストとしての「理想型」を多くの人がロジャーズに仮託していた、と言えそうです。
だからこそ、同時に多くの人が、「ロジャーズは現実を理解していない、人間は権力を得ようとし、そして権力に支配され、その人そのものは善であるかもしれないけれど、正義は自分にあると確信し、置かれた環境の作用によって悪が這い出してくることもあるのだ」という、ロジャーズに対して「両義的な視線」で捉えていたと考えられます。
ロジャーズ自身は、気づくのを避けていた(?)自分に対する「社会の見方」を自覚します。「そこ」にコミットメントしていくのです。そして、ここからもロジャーズなのですね。
ヒューマニストとしての看板は最後の最後まで降ろしていません(と、私は解釈しています)。その上でリアルな「政治的コンテクスト」を自分なかに取り込んでいくのです。では、「気づき」を受けてロジャーズが、まず取り組んだのは何であったのか? それは、来談者中心療法の起点となった1940年以降の自分の活動を徹底的に振り返ることでした。ロジャーズは「自分のやってきたことを全部再検討し、再評価せざるを得なくなった」と語ります。
太字にした箇所に注目していただきたいと思います。
72歳になって、「思い込んでいた」と「気づいた」ロジャーズが取り組んだのは、自分がこれまで30年以上続けてきた活動を「徹底的に振り返ることでした。」
コーチングの人間観は、「答えはその人の内部に存在している」です。ただ、人は往々にして持っているはずの答えを自覚できておらず、「思い込み」にとらわれています。コーチングとは、セッションを通じて、その「答え」を共に探し、クライエントが見つけることのできるようサポートすることです。
「灯台下暗し」という言葉がありますが、面白いもので、ロジャーズは30年以上にわたって、人のために、真剣に必死になって取り組んできたにも関わらず、自分の肝心なところについては「気づいていなかった」ことに、やっと「気づくことができた」のです。
「自分の活動を徹底的に振り返る」ということは、ある意味での「自分に対するコーチング」です。ロジャーズは、そのことに取り組みました。
「日常生活の営み」を豊かにしてくれるコーチングを綴ってきました。
さて、ロジャーズのコラムを終え、私も一つの区切りをつけたいと感じています。そこで、これまでの56回のコラムを振り返ってみようと思ったのですが……ただ、そのことを通じて「新たな気づきが訪れるだろうか…」ということに関して、私は村上春樹氏がよく語る「創作の宝庫としての無意識の領域」は、残念ながら「限られているなぁ」と感じています。つまり「心理学とコーチング」という横断テーマを掲げ、そしてコツコツ書き綴ってきたことの「意味」については、どうも自覚的なのですね。
「生きていく上で、頻繁に訪れるライフタスクをどうクリアしていくか… その都度、合理的で正しい判断をしている、と感じながらも、結局は思い込みにとらわれ、どうしてそのような判断をしてしまったのか、と振り返る…このことの繰り返しだよなぁ」という継続体験を踏まえ、「心理学、そしてコーチングとは、思い込みの隘路に引き寄せられないようナビゲートしてくれるありがたい存在」であることを、このコラムを通じてお伝えしている、と「気づいている」からです。
少し回りくどい説明となってしまいました。
これまでは、この「気づき」を得て、心理学の理論、そしてコーチングという実践が、日常生活における人間関係の機微にどう関わっているのか、さらに心理学とコーチングを理解することが、日常生活の営みをいかに豊かにしてくれるのか…このことを念頭に語ってまいりました。
そして、今後については、「心理学とコーチング」というシリーズタイトルは踏襲しつつ、内容については趣(おもむき)を変えてまいります。そのテーマとは…「コーチングとビジネスの融合を探求していく!」です。その探求のスタートとして、まず「行動経済学」を取り上げることにします。
今後のコラムは「コーチングとビジネスの融合」について語ってまいります!
行動経済学は経済学の新しい分野です。基礎となる研究は1970年代から始まり、1990年代以降、名称の定着とともに、大きなトレンドとなっています(伝統的な経済学の立場をとる学者は「異端である」と言っているようですが…)。
行動経済学は、これまでの伝統的な経済学が想定していた人間像とは大きく異なります。
「人間が経済活動を営むときは、合理的な意思決定を行い、合理的に行動する」というのが伝統的な経済学の想定です。それに対して行動経済学は、「人間が経済活動を営むときは、合理的だと思っているにもかかわらず、それが非合理的な意思決定であり、非合理的な行動をとることが往々にしてある」と考えます。
理論において、想定(前提とも言えます)が異なる、というのは「革命的」といえるかもしれませんね。
行動経済学は経済学に「人間味」を持ち込んだ学際としての新分野…!?
2002年にダニエル・カーネマン(当時プリンストン大学教授)とエイモス・トヴェルスキー(1996年に死去)、2013年には、イェール大学のロバート・シラー教授、そして2017年に、シカゴ大学のリチャード・セイラー教授が、行動経済学の研究成果でノーベル経済学賞を受賞します。
面白いのは、「行動科学の創始者」と呼ばれているカーネマン教授とトヴェルスキー氏は、実は心理学者なのですね。ノーベル賞を受賞する以前より2人の名前は、認知心理学者として有名でした。ただ経済学賞を受賞したことで「経済学者」としてのイメージが広がります。だからなのでしょうか、心理学会からは「カーネマンは経済学者ではなく心理学者なのだ!」という声が強く発せられているようです。2007年には、アメリカ心理学会より「生涯貢献賞」 が授与されています。
私は、コラムを通じて「分類すること」は便利であるが、それを自明とする風潮には違和感を覚える…ということを折に触れてコメントしています。経済学者なのかそれとも心理学者であるのか…という問いについてはメタ認知でとらえたいと感じています(笑)。
行動経済学(心理学+経済学)は現代ビジネスの解明につながります!
カーネマン教授は認知心理学者ですから、行動経済学は心理学と経済学が融合したもの、と言えます。私が中小企業診断士の資格を取得するための学習を始めたのは1980年代の半ば過ぎですが、「行動科学」「学際研究」というワードが新しい概念として登場していました。人間の行動を科学的な視点で理解分析する場合に、従来の学問分野の枠組みでは総合的な人間像がどうしても描けない、というジレンマを多くの科学者(自然科学者、社会科学者を問わず)が感じていました。それが、学際研究としての行動科学が生まれた背景です。心理学はその発展に大きく貢献しています。
余談ですが、私が大手化粧品会社に入社して最初に部下を持ったのは、1984年です。彼はK大学の経済学部卒で「計量経済学」を専攻しており(当時の経済学の主流でした)、何かあれば、すぐその概念を使って私を煙に巻きます。私は心理学、特に社会心理学を学んできたので、そのドライ(合理的?)な思考に対して、「まいったなぁ~」と、ため息をついていたことを思い出しています。
CBLのコラムを担当することになって、最初に取りあげたのが「対人認知(2020年2月8日)」です。認知心理学と社会心理学で取り上げられるテーマですが、“私の1984年以来の思い”が、そうさせたのかもしれません(笑)
「行動経済学」というワードをインターネットの検索サイトに入力すると、既存の経済学とは異なり、具体的なビジネスの事例が数多くヒットします。そこでは、「人間がいかに思い込んだ意思決定をしているのか」、ということを行動経済学の理論が見事に説明してくれているのです。その人間行動を企業が研究してマーケティング戦略に落とし込んでいます。だからこそ、コーチング視点で、行動経済学にアプローチすることの意義を私は感じているのです。
さて、「コーチングとビジネスの融合」にアプローチしていくことの初回として、行動経済学が誕生した背景と概要について、解説してみました。その創始者であるカーネマン教授は「プロスペクト理論」でノーベル賞を受賞しています。次回のコラムでは、その具体的内容も紹介しつつ、コーチングがどのように結びつくのか、そのあたりについて解説してまいります。
坂本 樹志 (日向 薫)
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