私は3月22日のコラムで、「自分が大きな社会的勢力を獲得している」ことを自覚したロジャーズがどのような行動をとっていったのか、以下のようにコメントしました。
……では、「自らが社会的勢力者≒大きな政治力を有した存在」であることを省察したロジャーズがとった行動とは何だったのでしょうか? その回答は…「パーソン・センタード・アプローチ」を世界中に広めるべく、そのパワーを積極的に行使していくことでした。……
『カウンセラーなら一度は読んでおきたい厳選33論文~ロジャーズ選集(下)』は、その行動について、人生のフィナーレとして、最終の9部に「より人間らしい世界」というタイトルを充て、5つの章でロジャーズを描きます。それは、まさに政治的活動の足跡であり、集大成です。
- 第29章 社会的な意義(1960年)
- 第30章 異文化間の緊張の解決(1977年)
- 第31章 一心理学者、核戦争をこう見る(1982年)
- 第32章 ルスト・ワークショップ(1986年)
- 第33章 ソビエトにおける専門職の内側(1987年)
最終9部の冒頭で選者は、ロジャーズのエネルギッシュな活動を語ります。
パーソン・センタード・アプローチをより広い範囲に適用できるということに大変情熱をもつようになったロジャーズは、晩年の10年間、いろいろなグループのファシリテーターとして文字どおり世界中を駆け回った。それは、日本、メキシコ、ベネズエラ、ブラジル、オーストリア、ハンガリー、ポーランド、フランス、スイス、ドイツ、フィンランド、イタリア、スペイン、ソビエト連邦、イギリス、アイルランド、南アフリカ共和国などと、多種多様な国々に及んだ。そして、当然のことながら、アメリカ中を駆け回った。
彼は亡くなったときには、2度目となる南アフリカ共和国と並んで、ギリシャ訪問の予定を立てていた(ロジャーズは、仕事目的ではなかった中国旅行のときには、医者である息子、デイヴィッド・ロジャーズを同伴させていた)。
ロジャーズが同僚らとともに実施したワークショップやトレーニング・プログラムの多くは、異文化間会議であった。これは、ロジャーズの同僚、チャールズ・M・デヴォンシアによって始められたもので、多くの国の人びとを一堂に集めるというものであった。その他には、地方や地域の関心事をめぐって、各地域固有のグループがワークショップをやってもらうためにロジャーズを招くというものがあった。例えば南アフリカ共和国では、ロジャーズは、アパルトヘイト制度の生みだした急を要する諸問題に対処するために、黒人、白人、および有色人種を含む混成グループのワークショップを依頼された。
私の拙いアンソロジー論について…
同書の構成は、ロジャーズの論文を時系列に追っていくというより、「論文の質的側面」をカテゴリー化し、各部に割り当てています。
アンソロジー(選集)において、選者がもっとも腕を振るうところは、章立て(『ロジャーズ選集』は各部の配置)であり、それによって本のコンセプトが鮮明になります。特に最初と最後にどのような内容をもってくるのか……それが本の「売れ行き」を決めるといっても過言ではないでしょう(私は出版に関するマーケティングは専門ではないので、筆の先走りかもしれませんが…)
『ロジャーズ選集(上)』は、第1部に「私を語る」として、
- 第1章 わたしを語る(1961年)
- 第2章 私の結婚(1972年)
- 第3章 老いること……成長しながら老いること(1980年)
- 第4章 85歳を迎えて(1987年)
という4つの手記を取り上げ、ロジャーズの人柄を伝えます(訴求します)。
私がこの本を購入したのは2002年です。前年に出版されたばかりなのに、すでに3刷となっていました。かなり専門性の高い単行本にもかかわらず、これほどの売れ行きとなるのは珍しいケースです。確か八重洲ブックセンターの心理学コーナーで、この本に目が留まり、目次を見て…「ロジャーズの大河ドラマそのものだなぁ」と引き付けられ、そして第1章の「私を語る」の立ち読みを始めました。数ページに目を通したところで上下2冊を手に取り、レジに向かったのです。
上下で600ページを超えるボリュームですが、一気に読み終えたことを思い出します。そして「いつかはこの本について枠にとらわれることなく自由に語ってみたい…」との思いを抱きつつ20年間実現できていませんでした。それがこのたび、コラムでこうやって綴ることができ、「ありがたいなぁ」という思いに包まれています。他方、“世界の権威”をオープンな環境で語ることの緊張感も生じています。胃粘膜毛細血管の軋む音が時おり聞こえてきます。
饒舌になりました。
ロジャーズの1986年と1987年(この年にロジャーズは85歳で亡くなります)の論文を、選者は第32章、第33章で取り上げ、内容に関して次のようにコメントしています。
1984年、ロジャーズは同僚のゲイ・スウェンソン(Gay Leah Swenson)とともに、現在は「カール・ロジャーズ平和研究所」(The Carl Rogers Institute for Peace)として知られるプロジェクトを設立した。これはカリフォルニア州ラホイアにある「人間研究センター」(CSP)のプロジェクトのひとつである。
この研究所は、ロジャーズの論文として本書におさめられている「ルスト・ワークショップ」(The Rust Workshop)の開催に力をつくした。中央アメリカの緊張緩和に焦点を当てるべく、多くの国々の指導的立場にある高官が参加したルスト・ワークショップは、それまでになされたすべての仕事の自然な結実であり、頂点であり、その時点における確認の仕事であった。
1980年代末には、ソビエト連邦の新しい開放政策と、それに伴って起こった米ソ関係の改善が、常に国際ニュースの中心的課題であった。この1980年代にカール・ロジャーズはソビエト連邦を2度訪れ、そのうちの1度の訪問については、この第9部の最後の章「ソビエトにおける専門職世界の内側」(Inside the World of the Soviet Professional)(第33章)に生き生きと描かれている。この論文は、めったに人の目に触れたり話題になったりすることのないソビエトの生活の魅力的な一面を伝えているばかりでなく、ロジャーズの晩年の重要な仕事の一部を例証するものである。
ダイバーシティとは高邁で、最も人の心の純粋性が問われるテーマ…
今回のコラムで16回続けたロジャーズを一旦終わりにしようと思います。『ロジャーズ選集(上・下)』という2冊の本をベースに私なりのロジャーズ観を綴ってきました。合間に、ロジャーズの考えにインスパイヤを得て、河合氏や春樹氏についてのアプローチを試み、さらにアインシュタインまで登場しますので、ロジャーズに関する解説の字数はかなりのボリュームとなっています。
1人の人物を追いかけながらの私のコラムは、ロジャーズの前にアドラーがあります。アドラー(シリーズ)は13回を重ねました。その最後のテーマを「女性と男性」と設定し、東京大学入学式(2019年)での上野千鶴子氏のスピーチを取り上げ、ダイバーシティに思いを巡らせています。
ダイバーシティ…これほど高邁で、かつこれほど人の心の純粋性が試されるテーマは世の中に存在しないのではないか…と私は感じています。「総論賛成」、でも…自分の今そのときの感情が、「マズロー/5段階の欲求階層理論」における、低位に蠢いているような心持の際は果たしてどうなのか…読者の皆さまと共に考えてみたいと思います。
ロジャーズを語ることは、私の場合、この心の揺らぎを鎮めようと、また自己理想(昨年8月20日のコラム)をめぐる葛藤から少しでも自由になろうとする自分へのチャレンジだったように感じています。
『ロジャーズ選集』を語るなかで、私は要所に選者のコメントを挿入しています。この著作が世に送り出された原動力は、明快に“選者の想い”です。このことが思わず、私に拙い「アンソロジー論」を書かせることになります(苦笑)
選者は、「より人間らしい世界」というタイトルを結語にして、ロジャーズの5つの論文を集めました。
私は、“私の想い”として、そのなかの「第30章 異文化間の緊張の解決(1977年)」を選び、“ロジャーズの想い”を以下に引用します(ほんの一部です)。約1万文字をすべて掲載したいところですが、ご了解のほどお願いいたします。
北アイルランド・ベルファストでのワークショップで何が起こったのか…!?
・緊張場面のパターンは、込み入ったものではない。それに関与しているいずれの関係者も、同じほどの確信をもって、同じような確信を固持している。それは、「私は正しく、あなたは間違っている。私は善くて、あなたは悪い」というものである。これが、個人間および集団間の緊張を持続させる。集団では、「私たちは正しく、あなた方は間違っている。私たちは善くて、あなた方は悪い」ということになる。
どのような論争においても、最も困難なことのひとつは、自分たちの正しさと善さを確信するのと、それに反対する個人またはグループも、彼らの側の正しさと善さを確信していることを認めることであり、さらにもっと難しいのは、それを受容することである。もし、緊張を弱めようとするならば、このパターンをこそ、パーソン・センタード・アプローチ(person-centered approach : PCA)がその最も強力な力を発揮し得る場がある。(中略)
・私は北アイルランドのベルファストから来たひとつのグループとともにワークショップをしたとき、そこには根深い反目があることを、身を以て経験した。その反目のなかに、数代にわたる経済的、宗教的、文化的憎悪が含まれているとき、ひとつのグループのなかで何が起こるかを観察できるという体験であった。そのグループには、5人のプロテスタント信者(ひとりのイングランド人を含む)と4人のカトリック信者がいた。その9人は、過激派と穏健派、男性と女性、年配者と若者の双方を含むように選ばれていた。そのイングランド人は、退役陸軍大佐であった。私たちは率直なコミュニケーションを促進し、このやりとりを映画にとることを希望していた。
初期のセッションでは、ベルファストの日常生活の苦しさ、恐怖、絶望にみちた有様がはっきりと表出された。トムの姉妹は、どちら側かのテロリストによって投げられたと思われる爆弾によって、粉々に吹き飛ばされた。デニスとその家族は、街頭で無謀な撃ち合いがあったとき、彼らの家に銃弾が飛んできたので、寝台のマットレスのかげに隠れたという。
デニスは、爆弾の炸裂で裂傷を受けた負傷者や死者を運ぶ手伝いをした経験が何度もあった。ベッキーは、自分の十代の息子たちに加えられた英国軍パトロール隊の残酷さについて繰り返し話した。その息子が撃ち殺されるにちがいないと思った直後に、「その息子が入ってきたのですが、そのときの恐怖に満ちた顔は、これまでの生涯で見たこともない、物凄いものでした」と話した。(中略)
・憎悪と狂暴性、恐怖と絶望の入り混じった全体の流れが、あまりにも強烈に思われたので、週末の1回だけでなんらかの変化をもたらすことができるなどと考えることは、とても信じられないドン・キホーテ流のことのように思われた。しかし、変化が起こったのである。プロテスタント派のデニスと、カトリック派のベッキーの間の2回のやりとりが、そのささやかな例を示すものである。
(デニス)
[ベッキーのことについて話しながら]ベルファストのことについて、いままでもっていた一般的な印象はこうです。もし、彼女がカトリックならば、ああそうかと思い、彼女をカトリックという小さな箱に押し込めれば、それで終わりなのです。しかし、それではすまないんだ。彼女は僕に、僕よりももっとひどい立場におかれていることを話していた。……僕だって、ベッキーの立場におかれることはたまらない。なぜって、彼女は僕の推察する限り、絶対的な絶望に陥っていると思うから。もし僕が彼女のボーイフレンドのひとりだったら、どんなことをするかわからない。たぶん、出かけて行って、銃をとり、何か過激なことをしでかして、しまいには死んでしまうだろうよ。(ベッキー)
[後で]夕食のときの話し合いから、私がデニスにどんな感じをもっているか、言葉であらわすことはできないわ。私たちは10分ほど静かにはなしていました。そして、ここでひとり友だちができたんだわ、と思いました。そう、まったくそうなんです。(デニス)
僕たちはここで夕食をしようと座っていたんです。あなたたちがみんな夕食に出かけていたとき、静かにほんのしばらく、おしゃべりをしていたんです……。(ベッキー)
彼は、私を人間として十分に理解してくれたと思うわ。(デニス)
僕もそう思う。それについては疑問の余地はないな。(ベッキー)
だから、私、とても有り難いと思っているわ。友だちを見つけたんだと思っています。
促進的な態度が、開放的な表現を可能にする雰囲気をつくりあげることができる…
これらのセッションの間に、反目し合っているふたつのグループ間の憎悪、疑惑、不信は非常に明白であったし、ときには隠微なかたちをとっていたが、徐々に、よりオープンに表現されるようになっていった。その人たちの話した怨恨と偏見は、彼ら自身のものだけではなく、数世代にもわたるものを代弁していた。そのグループでのやりとりは、だった16時間にすぎなかったが(選者注釈 : これは原著者の記憶違いである。
実際は、3日間24時間であった)、その信じがたいほどの短い時間、こうした何百年にもわたる憎悪の感情が弱められたばかりではなく、いくつかの点では深く変化したのである。それは、促進的な態度が、開放的な表現を可能にする雰囲気をつくりあげることができる、という証明になるものである。この種の雰囲気のなかでの開放的な表現は、コミュニケーションをすすめる。よりよいコミュニケーションは、非常に多くの場合理解をもたらし、理解は古くあった多くの障壁を洗い流してしまう。
あまりにも急速な進展があったし、あまりにも重要な変化があったので、ここに引用した発言のいくつかは、映画のなかでは削除しなければならなかった。反対派の人にこのような理解を示すことは、これがベルファストで上映されるときに、発言者の命が脅かされる可能性があるからである。(中略)
どれが黒人のものであり、ドイツ人のものであり、男のものであり、スウェーデン人のものであろうか。
・国際的なグループを経験するときに、非常に違った国民性、人種、文化などのもっている慣習と信仰に対する理解が深まっていくのを見ることは、すばらしいことである。パーソン・センタード・アプローチに対しての参加者とファシリテーターの反応は、圧倒的に肯定的なものであった。彼らは、コミュニケートしようとするときの恐怖心がなくなり、自分の話が理解されていると感じ、違った文化の美しさと豊かさに気づく、などといったことを報告する。
国際的なグループを経験して気づいた最も驚くべきことのひとつは、それらが他のエンカウンター・グループにどれも非常によく似ているということである。その人(the person)が発見されるとき、国とか、人種とか、文化などの相違は、さして重要なものに思われなくなってくる。すべての相違にもかかわらず、私たちすべてが対処しようとしている人間の諸問題に関しては、理解と接近へと向かう大きな潜在力が存在しているのである。このようなワークショップの参加者たちは、文化的問題をそんなに多くは語らない。その代わり、次のようなことを話すのである。
……「私は、自分の家族を再び見直しました」「私は、自分自身に正直ではありませんでした」「私は、いつも冗談ばかり言っていたのですが、今は泣いたり、感情を出すこともできますよ」「私は、変わるつもりになったら、変わることができるし、あるいは変えようとすることもできます。まだよくわかりませんが、自分自身に確信がもてるようになりました」「私は、自分の感情をもっと信頼できるようになりました」そうした発言を考えてみてほしい。
どれが黒人のものであり、ドイツ人のものであり、男のものであり、スウェーデン人のものであろうか。推量することさえ不可能である。これらは人間の発言なのであり、それはこのようなパーソン・センタードのグループに典型的にあらわれる結果であるように思う。人間的であること、それが障壁を取り除き、接近をもたらすのである。
非常に多種多様な文化の人たちでも、傾聴され、受容され、主体性を認められることで力を与えられたときには、このような結果が表れてくるのである。これが、パーソン・センタード・アプローチを異文化摩擦に適用する人間関係政治学である。
坂本 樹志 (日向 薫)
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