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心理学とコーチング ~ロジャーズ その14~

前回のコラムで、ロジャーズの次のような例え話を取り上げました。

つまり、その男が後で友人に語って、「ねえ、自分はそれまで散文を話し続けたのに、そのことをちっとも知らなかったんだ」、というものである。

その後にこう続けます。

私は今「自分の専門家としての生活を通じて政治学を実践し、教えてきたが、今までそのことをまったく認識していなかった」ということができる。

「散文」はよく使われる言葉ですが、意味は「①平仄(つじつま、条理)・韻(趣のある、風流なさま)もしくは、字数音韻節などの制限のない通常の文章。 ②詩情に乏しいさま。散漫で無趣味なさま。(広辞苑)」とありました。

散文と日本語に訳した原書の英語表現が、この広辞苑の意味であるのか、微妙なところですが、ロジャーズは、「これまで自分が懸命に取り組んでいた仕事は、その深みにおいて、まったく不十分であった…」と振り返っているように私は感じました。これがロジャーズ、72歳のときに訪れた「気づき」です。

ロジャーズはその「気づき」をしっかり伝えようと、ファーソン(Farson.R.)が1974年にロジャーズの業績を評価する一文を続けて引用します。

72歳になったロジャーズは新分野研究へのチャレンジを意図します!

「カール・ロジャーズは政治学上では知られていない。彼の名前は、カウンセリングの技法、パーソナリティ理論、科学哲学、サイコセラピーの実践的研究、エンカウンター・グループ、学生中心の授業などにおける革新的な仕事において広く喝采を博したことで思い出されやすい。……しかし、私は最近、彼の社会に及ぼした累積的影響は……当代の社会革命家のひとりであると言ってもよいぐらいに、政治的人物ととらえられるようになった」と述べていることに、もはや驚かなくなった。

1974年は、ロジャーズがこれまでまったく取り組んでこなかった新たな研究分野にチャレンジすることを決めた、ロジャーズの生涯における括目すべき年であると私は捉えています。
その3年後(1977年)に発表した論文が『ロジャーズ選集(下)』のなかの「援助専門職の政治学(第25章)」です。前回のコラムで私は、『ロジャーズ選集』の選者が、この論文をどのように評しているのか…その箇所を引用しました。

ロジャーズはこの問題についての考えは、『人間の潜在力』(Carl Rogers on Personal Power/1977年)のなかに完璧に表現されているのだが、ここにはその第1章が抜萃される。

「完璧に表現されている」との言葉まで使って、当該論文の完成度の高さを評価しています。私はこの論文を、75歳になったロジャーズが自分の立ち位置を明快に認識し定義づけ、そして残された年月をどう生きていこうとしているのか……そのことをロジャーズ自身が渾身の思いを込めて書き綴った「宣言書」であると受けとめました。

政治学という言葉は、現在の心理学的、社会学的用法では、権力と支配に関係している。すなわち、他人や自分自身にどの程度の権力と支配を望むか、得ようとするか、所有するか、共有するか、譲ろうとするか、に関係する。それは、知っているいないにかかわらず、巧妙な手段、方策とかけひきを用いて、自分自身の生活と他人の生活の上に権力と支配を求め、そしてそれが得られるか……あるいは、共有するか、放棄するか……に関係する。それは、意思決定力がどこにあるかに関係する。

意識的にせよ、無意識的にせよ、他人や自分自身の思考・感情・行動を規制したり支配するような決定を誰がするのか、ということである。それが個人から発せられようと集団から発生られようと、その人自身、他人、社会とその制度のさまざまなシステムのいずれかに支配を及ぼそうとするか、あるいは手を引こうとするか、こうした決定と方策に関係する。

世の中はロジャーズのことを「両義的な視線」で捉えていたのだろうか…?

私はこのくだりを読み進めていくなかで、アドラーを明瞭にイメージしました。アドラーの内部に存在する哲学的概念は「人は権力を求める」です。それに対してロジャーズは、72歳になるまで、そのことに気づいておらず(防衛機制…?)、膨大な数におよぶ論文のなかで、「権力」についての考察は存在していません。ロジャーズの立ち位置は「人間性心理学」であり、ヒューマニストとしての「理想型」を多くの人がロジャーズに仮託していた、と言えそうです。

だからこそ、同時に多くの人が、「ロジャーズは現実を理解していない、人間は権力を得ようとし、そして権力に支配され、その人そのものは善であるかもしれないけれど、正義は自分にあると確信し、置かれた環境の作用によって悪が這い出してくることもあるのだ」という、ロジャーズに対して「両義的な視線」で捉えていたと考えられます。

ロジャーズ自身は、気づくのを避けていた(?)自分に対する「社会の見方」を自覚します。そして「そこ」にコミットメントしていくのです。そして、ここからもロジャーズなのですね。
ヒューマニストとしての看板は最後の最後まで降ろしていません(と、私は解釈しています)。その上でリアルな「政治的コンテクスト」を自分なかに取り込んでいくのです。

では、「気づき」を受けてロジャーズが、まず取り組んだのは何であったのか? それは、来談者中心療法の起点となった1940年以降の自分の活動を徹底的に振り返ることでした。

ロジャーズは「自分のやってきたことを全部再検討し、再評価せざるを得なくなった」と語ります。

要するに、それは権力、支配、意思決定というものを獲得するか、使用するか、共有するか、放棄するか、のプロセスなのである。それは、個人間、個人と集団、あるいは集団間の関係のなかに存在する、すこぶる錯綜した相互作用の過程であり、これらの諸要素の結果なのである。

この新しい構成概念から私は強い影響を受けている。それは、私は専門家としての生活における仕事を新鮮な目で見直す機会を与えてくれた。私はパーソン・センタード・アプローチ(person-centered approach)を創始するという役割を取ってきた。最初、この考えはカウンセリングとサイコセラピーの分野で発展し、クライエント・センタード・セラピーとして知られるようになったのだが、それは援助を求める人が依存的な患者(patient)としてではなく、自分が責任を持つクライエント(client)として対処されることを意味していた。

やがてそれは教育の分野に拡大され、学生中心の授業(student-centered teaching)と呼ばれた。さらに、最初の出発点からずっと離れた広範な領域……集中的グループ(intensive groups)、結婚、家族関係、管理、少数者集団、人種間、文化間、さらに国際関係……にまで拡大した。そこで、できるだけ広い範囲にまたがる用語を採用することが、最適と思われる。それが、パーソン・センタード(person-centered)という言葉なのである。

私が関心をもってきたのは、このアプローチが個人にどう受けとられ、どう影響するかという心理的ダイナミックスである。私はこのアプローチを、いままで、科学的、経験的見地から観察することに関心をもちつづけてきた。すなわち、どのような条件が、人間の変化、発展を可能にするか、そしてこれらの条件の特定の影響、または結果は何であるか、と。

しかし、このようなアプローチに源を発した対人関係の政治学については、ついぞ深く考えたことがなかった。いま初めて、それのもつ政治的な力の革命的な性質に注目し始めたのである。私は、自分のやってきたことを全部再検討し、再評価せざるを得なくなった。私と世界中の多くの協力者たちがいままでしてきたこと、および現在なしつつあることすべての政治的効果(これは新しい意味での政治学である)はどのようなものであるかを検討したいと思う。

ロジャーズは1940年に、「……セラピーは個人に対して何かをしてやるという問題でもなければ、自分自身について何かをするように仕向けるものでもない。それはむしろ、正常な発達へ向かうように個人を自由にし、その人が再び前進することができるように、障害を取り除く、というものなのである」というコメントを発しています。

これは、当時起こりつつあった動向を述べたものです。ロジャーズ自身は「特別なことを言っている」つもりはなく、ただ、「自分の研究がどこに向かうべきなのか」を自身として確信できた言葉として語ったのです(昨年11月16日のコラム「カウンセリング理論の歴史」でロジャーズの来談者中心療法のはじまりを1940年しているのは、この語りの年を起点としています)。

1940年にこうした考えを公表したとき、この所説は熱狂的な議論を引き起こした。私は、当時多用されていた種々のカウンセリング技術……暗示、アドヴァイス、説得、解釈といった……を述べて、これらが2つの基本的仮説にもとづいていることを指摘した。それは、「カウンセラーが一番よく知っている」(counselor knows best)のだということ、およびカウンセラーは自分の選んだ目標にクライエントを最も効果的に到達させる技術を見つけることができるのだ、という2つの仮説である。

私は、ほとんどのカウンセラーが、クライエントの生活を支配することができるほど自分が有能であると思っている、と述べたのである。そしてまた、クライエントを独立的、自立的人間になるよう、ただ自由にすることこそ好ましいという見解を提出したのである。もし、カウンセラーたちが私に同意するならば、そのカウンセリング関係におけるクライエントの個人的な支配は完全に崩壊し、逆転するだろうということをはっきりさせつつあったのである。

ロチェスター時代の12年間でロジャーズの骨格はつくり上げられた…!?

心理学者としてのロジャーズは、ニューヨーク州ロチェスターにある児童虐待防止協会の児童研究部にサイコロジストとして雇われた年がスタートです(昨年12月21日のコラム)。ロチェスター時代は12年間に及び、その経験が「ロジャーズという人の骨格がつくられた」、と私は考えています。その時期の「3つの大きな重要な事例」をロジャーズは挙げて、振り返ります。

三つの大きな重要な事例が浮かんでくる。それは、みんな些細なことであるが、当時の私には大変重要なことだった。しかも驚いたことに、それらはみんな幻滅……権威や資料や私自身に対して……を味わった事例なのである。

ここで3つの内容をそのまま紹介したいところですが、かなりのボリュームとなるので、印象的なロジャーズの語りをピックアップすることにします。

<最初の事例>
ウイリアム・ヒ―リー博士の著作内容である「非行は性の葛藤にもとづくものが多く、したがって、この葛藤を意識化すれば、非行は治る」、に惹かれていたロジャーズでしたが、理由なき衝動的放火癖の青年に懸命に取り組んだ経験から、次のことを語ります。

私はそのとき感じた失望感を今でも覚えている。ヒ―リーは間違っているのかもしれない。私はヒ―リーが知らないことを学んでいるのかもしれない。とにかくこの事件から、私は権威者の教えにも誤りがあること、まだ発見すべき新しい知識があるのだという強い印象を受けた。

<2番目の事例>
ロチェスターに来て間もないとき、公刊されていた親の面接記録を読み、よい面接技術の事例として喜んで使っていたこの記録について、数年後にロジャーズが同じような仕事にあたって、この“優れた記録”を思い出し、再読したところ…

私はぞっとした。面接官は抜け目ない合法的な質問で親に無意識的動機を認めさせ、罪の告白を引き出しているように見えた。私の経験から、このような面接は、子どもや親に永続的な援助を与えるものではないことを知っていた。この事件から、私が臨床的人間関係では、押し付けたり、強制したりするアプローチから遠ざかってきていることに気づくようになった。

<3番目の事例>
2番目の事例の数年後、手におえない息子をもつ、とても頭の良い母親との面接を通して、ロジャーズは新たな発見を得ます。

母親が幼児期にその子を拒否したことがあるのが明白であり、そのことを母親に洞察させるべく、彼女を誘導し、彼女が話した事実をならべて、そのパターンを理解させようと努力するのですが、何度も面接を重ねたにもかかわらず、どうにもならなくなり、失敗と認識したロジャーズは面接をやめた方がよいのでは、と提案します。

そこで私たちは面接を終了することにし、握手をし、彼女はドアの方へ歩き始めた。そのとき、彼女は振り返って、「先生はここで大人のカウンセリングはやりませんの?」と尋ねた。私がやりますよというと、彼女は「それじゃ、私うけたいのです」と言って、今まで座っていた椅子に座りなおした。そして彼女は、絶望的な結婚生活、うまくいかない夫との関係、失敗感や混乱した気持ちを吐露し始めた。これらは、彼女がそれまで話していた不毛な「生活史」とはまったく違うものであった。そこから本当のセラピーが始まり、結局は成功した。

このような経験(ロジャーズの感情が強く表れているフレーズを太字にしました)を通過していくことで、ロジャーズの「クライエント・センタード・セラピー(来談者中心療法)」が誕生したのです。私がこの「3つの大きな事例」をあえてここで取り上げたのは、「既存の権威」に対するロジャーズのスタンスが明快に示されているからです。

大きな社会的勢力を獲得したロジャーズの再起動はどこに向かっていったのか…

万人が認めるヒューマニストのロジャーズの生きざまは、一方で、社会的勢力を獲得している「既存の権威」に対して激しく抵抗し、その解体に挑み続けたことで政治的な勝利をおさめ、結果としてロジャーズ自身が「新たな権威」として社会的声望を得るという、「逆転の人生」として捉えることも可能です。
では、「自らが社会的勢力者≒大きな政治力を有した存在」であることを省察したロジャーズがとった行動とは何だったのでしょうか? その回答は…「パーソン・センタード・アプローチ」を世界中に広めるべく、そのパワーを積極的に行使していくことでした。

今回のコラムの最後に、「パーソン・センタード・アプローチ」の本質について、次のように語るロジャーズの言葉を引用しておきます。

促進的な人間は、次のような場合に、これら諸能力の解放を援助することができる。……それは、真実な人間として他者にかかわり、自分自身の感情を所有し、それを表現するときであり、他者に対する非所有的配慮と愛(non possessive caring and love)を経験するときであり、他者の内的世界を受容的に理解するときなのである。こうしたアプローチが、個人またはグループに適用されるときには、成される選択、追及される方向と、とられる行為は、いつでも個人的には建設的方向が増大し、社会的には他者とのより現実的な調和を保つ方向に向かうということが、明らかにされている。

坂本 樹志 (日向 薫)

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