2回にわたって、『ロジャーズ選集(下)/援助専門職の政治学(第25章)』を解説してまいりました。今回のコラムでも取り上げ、この第25章の完結編としたいと思います。
クライエント・センタード・セラピーへの猛烈な反対が、その新しさから起こったばかりではないということ、そして精神科医よりむしろ心理学者から起こったという事実、しかも主としてそれがセラピストの権力(power)に対して決定的な打撃を与えるゆえでもあったということ、こうしたことを私が認識できるまでに多くの年月を有したのである。それが大きな脅威となったのは、その政治学にあったのである。
『ロジャーズ選集(下)第25章』の後半は、フロイトの人間観がテーマです。
この25章は、パーソン・センタード・アプローチを世界に拡大、浸透させていく決意の論文であると、前回のコラムで私は読み解きました。当該論文の後半は、ロジャーズが戦ってきた既存の権威…すなわち、大きな権威となって聳え立っていたフロイトへの論及に紙面を割いています。
フロイトは1939年に亡くなっています。ほぼそのタイミングで、フロイト理論に反旗を翻すクライエント・センタード・セラピー(来談者中心療法)の考えを世に問い、そして長い年月を経て、今日多くのカウンセラー、そして社会に自分の理論が受容されていることを踏まえ、改めてフロイトとの本質的な違いを語ります。
フロイトの超自我による統制の必要に言及している箇所は、人間の基本的性質に対するフロイトの不信度を表明している。すなわち、「私たちの心は、貴重な装置であって、それにより私たちは自分の生気を維持しているのであるが、それは決して平和に自己統制を果たしている統一体なのではない。それは、快楽と破壊を求める暴徒が、分別のある、より上層の階級によって強制的に鎮圧されなければならなかった近代国家に比較されるべきものである(S.フロイト/1932年)」と。
フロイトは晩年にいたってもなお、もし人間の本性が解放されたならば、そこには破壊以外の何ものも起こらないだろうと思っていた。人間のなかに宿るこの獣性を統制する必要が、最大の緊急時なのだと考えていた。
イド(エス)は「快楽原則」に従う!
ロジャーズの“フロイト観”はさらにドライブがかかります。ロジャーズは続いて、フロイトが書いた以下の文章を引用します。
私たちの存在の中心は、不気味なイドによって形づけられている。……この本能の、ひとつの、しかも唯一の目標は、その満足にある。……しかし、イドが要求するような、本能をすぐにしかも無分別に満足させるようなことは、かならずや外的世界と危険な衝突を起こし、破壊へと向かわせてしまうだろう。……イドはあくことのない快楽原則(pleasure principle)に従う。……しかも、その快楽原則の克服は、いつ、いかにして可能となるのかという問題は、最大に重要な理論的問題のひとつであり、いまだに解答が出ていないのである。…『S.フロイト/Outline of Psychoanalysis(New York: Norton,1949,pp.108-109)』
上記のイドは、無意識のラテン語表記で、英語ではエスとなります。
ロジャーズは、フロイトは権威主義的であると語ります。フロイトは生前膨大な文献を書き残しており、死後も多くの文章が発表されています。そのなかで1955年にニューヨークのランダムハウスから出版された著書からの引用を交え、次のように筆を進めます。
フロイトは、日常生活における権利と支配の問題に関しては、非常に権威主義的な姿勢をとっている。「大多数の人びとは、賞賛でき、服従できるような権威を求める強い欲求をもっているのだが、その権威はそれらの人びとを威圧し、ときには虐待さえする。一般大衆のこの欲求がどこから出てくるかということを、すべての私たちは個人についての心理学から学んでいる。それは、幼児期からすべての人に宿っている、父親を求める願望からくるものなのである」と。
集団についてのフロイトの見解は、同じように悲観的で、驚くべきものである。それは、ヒトラーが、これらの観点を研究したくなり、採用したに違いないと思われるほどのものである。
「集団は支配され、抑圧されることを望み、主人を恐れることを望む」というのは果たして真実なのか…?
ロジャーズは、さらに1948年に出版されたフロイトの文献を引用します。
集団は、あまりにも軽々しく信じ込み、影響されやすく、批判的能力に欠け、それに対する疑問さえ存在しない。……集団そのものが、極端に傾きがちなので、過度の刺激によって興奮するだけなのである。集団に影響を与えようと望む人は、議論を論理的に整然とすすめる必要はない。人は最大にどぎつい色をつかい、誇張し、そして同じことを何度も何度も繰り返すだけでよいのである。
……集団は、力を尊敬し、ほんの少しは親切さによって影響されることもあるが、親切さは弱さのあらわれにすぎないとしてか見ないのである。……集団は支配され、抑圧されることを望み、主人を恐れることを望んでいる。
……しかし最後には、集団は決して真理を渇望しない。集団は幻影を追い、幻影なくしては何もできない。集団は常に現実よりも非現実を優先させる。集団は、真実であるものによって影響されるのとほとんど同じくらいに、真実でないものによって強く影響される。集団は、真実と非真実とを区別しないという、はっきりとした傾向を持っている。集団は、主人なしには生きることのできない従順な獣の群れである。集団は、このように服従を渇望しているので、自分自身をその支配者だと唱える人には、誰にでも本能的に従うのである。
ロジャーズは、フロイトの別々の文献を4つ畳みかけるように取り上げ、自分の「クライエント・センタード・セラピー(来談者中心療法)」との違いを浮き彫り化させています。
ロジャーズは、72歳で気づいた「政治学」というコンテクストによって、自分が取り組んできたプロセスを再確認しています。フロイトが存命していたとき(~1939年)までは、フロイトの精神分析は圧倒的な「権威」として屹立していました。
そこに、当時まったくの無名ともいえる小さな存在に過ぎない自分が、その「権威」に立ち向かい、時を経て、気づいたら自分の側に「権威」が移転していた。つまり、政治という視点では「奪権闘争」そのものであったのだ、ということをロジャーズは語っているのだと私は解釈しました。
ロジャーズは同時代の他のカウンセリング理論を評価している!
1950年ごろ、メニンガー・クリニック(Menninger Clinic)で、私の見解がどのような結果を生み出すかについて、私が厳重な警告を受けた理由がよくわかったのである。……お前は危険な精神病質者(psychopath)を生み出すだろう。なぜなら、生来破壊的な人間の核心部をコントロールする何ものもそこにはなくなるのだから、と言われたのであった。
年がたつにつれて、フロイト派の分析家は、セラピーの政治学についての見解を軟化させてきた。ゲシュタルト・セラピスト、ユング派、論理療法家、交流分析の提唱者、その他多くの新しいセラピストと歩調を合わせて、彼らはいまや中道の見解をとっている。エキスパートは、ときとして決定的に権威者であるが(ケジュタイルト・セラピストが「ホット・シート」にいる人間を扱うときのように)、そこにはまた、自己自身に責任をもつという人間の権利も承認されているようである。
このような矛盾を合理化しようとする試みは、いままで見られなかった。これらのセラピストは父性愛的姿勢(paternalistic stance)をとるか、医療モデルに従っており、あるときは統制権が完全にセラピストに付与されることがよいと考え、あるときは統制と責任が完全にクライエントまたは患者の手中におかれる(それもセラピストらよって決定される)方がよいのだと考えている。
私は、ロジャーズのこのコメントを新鮮な思いで受けとめました。自分の理論(来談者中心療法)ではない他のカウンセリング理論を評価しているからです。ここに至るまでロジャーズは、自分の理論である来談者中心療法の優れたところを熱く語り続けてきました。他の理論について取り上げる場合は、基本的に「アンチ」のスタンスです。ところが具体的な理論名を挙げて、「自己自身に責任をもつという人間の権利も承認されているようである」、とコメントしています。
このことは、ロジャーズが「パーソン・センタード・アプローチ」に軸足を変化させたことと関係がありそうです。つまり、カウンセリングから距離を置き始めた、ということですね。つまり、病の状態にある人に限定するのではなく(カウンセリングの前提です)、私(ロジャーズ)がコミットメントするのは、すべての人間であり社会である、ということです。分野の異なるカテゴリーについては、余裕が持てます。ロジャーズの語りからは、そのことが伝わってきます。
今回のコラムで取り上げたのは、『ロジャーズ選集(下)/援助専門職の政治学(第25章)』です。1977年に発表されており、フロイトの死後40年が経っています。精神分析から始まったカウンセリングの理論は、ロジャーズが語っているように、フロイトとは異なるさまざまな理論が開花しています。
なお、フロイトが創始した1900年の「精神分析」から今日に至るカウンセリング理論(上記で太字にしています)の歴史については、昨年11月16日のコラムで取り上げていますので、目を通していただくと幸甚です。
今回のコラムの最後に、主なカウンセリング理論を一覧化しておきましょう。理論それぞれのクライエントへの関与の在り方は、実にバラエティに富んでいます。そして、そのいずれもが、有効性を認められているのです。
主なカウンセリング理論
理論名 | 提唱者等 | 特徴 | カウンセラーの態度 関与のあり方 |
---|---|---|---|
精神分析 | フロイト | 無意識の意識化 | プロとして患者に接する |
個人心理学 | アドラー | 共同体感覚を基軸とする | ライフスタイルを分析し勇気づける、教育の重視 |
分析心理学 | ユング | 普遍的無意識は存在する | 元型の存在を探りながら関わり合っていく |
来談者中心療法 | ロジャーズ | 自己一致の状態を理想とする | 受容的態度、リレーションシップを重視 |
ゲシュタルト療法 | パールズ | ガマンしないで身体の感覚と素直に向き合う | 素直になるべく積極的に関与していく |
論理療法 | エリス | イラショナル・ビリーフをラショナル・ビリーフに | 言語的表現により思い込みを転換させていく |
交流分析 | バーン | ゲームをやめて相補的交流関係を築く | 行動パターンを分析し指摘していく |
実存主義的アプローチ | マズロー フランクル | 生きるための意味を創造することを援助する | 哲学・価値観をよりどころに接していく |
行動療法 | スキナー ウォルピィ | 行動は後天的学習の結果であり解学習を行う | プログラムに基づき計画的に教示していく |
折衷法 | アイビィ カーカフ | 状況によりさまざまな理論を使い分ける | クライエントの成熟度などを考慮し柔軟に対応する |
坂本 樹志 (日向 薫)
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