心理学とコーチング ~アドラー その10~(2020/10/06)

前回のコラムではコーチングというより、カウンセリングに軸足を置いて記述しています。アドラー心理学においてもそのスタートは、臨床心理学(精神病理への対応)としてのカウンセリングです。ただしアドラー心理学は、そこにとどまっていたのではなく、健常な人にも関わり合っていくスタイル、すなわち広義としてのコーチングですが、その有用性が広く認められることで今日に至っています。

今回は、本来のテーマに戻って、アドラー心理学とコーチングの関わりについて記述を進める想定でしたが、前回のコラムのままでは、アドラー心理学とカウンセリングの関わりが希薄に感じられてしまう懸念があるので、アドラー心理学が精神病理をどのように捉えているのか、このことについて取り上げたいと思います。

アドラー心理学は精神病理をライフスタイルの視点で捉えている。

『フロイトはトラウマについて語りましたが、アドラーは「ショック」について語りました。フロイトにとってトラウマは、概して客観的で普遍的なものでした。エディプス期など、誰もが遭遇しなければいけないような問題があり、そしてそれらが首尾よく乗り越えられない場合、そのトラウマは神経症の苦しみに終わるだろうというものです。(典型的には症状神経症で、最も古典的にはヒステリー性の転換症状を伴う精神神経症的反応です)。 アドラーはショックについて大部分は主観的なものとして一しかし、排他的ではなく一、かつライフスタイルの産物として見ていました。つまりその人のライフスタイルが何らかの偶発性に対して準備しなかった場合、それはショックとして経験されるということです。 それまでは、ライフスタイルは私たちを正常にしています。確かに私たちは全て準備できませんから、時にはショックをもたらす出来事が起こります。不注意で縁石を踏み外したり、目の前で車が急停車したりした場合のようにです。私たちはある一定の問題について、処理するための準備ができていないものです。 例えば、コントローラーでは次の三つの問題を処理するための準備はできていません。死、身体的疾病、精神的疾病の三つです。これらの問題のどの「兆候」も彼らを脅かします。コントロールにこだわらない他の人たちにとっては、これらの問題は不快なものであっても、それほど恐ろしいものではないでしょう。 (中略)精神病理を発現させる人の特徴は、アドラーによると、「ショックによる効果への固執」です。誰もが人生においてショックを受ける可能性がありますが、ショックの大きい人もいて、彼らは決して先に進みません。彼らは「それを育み、何度も繰り返し」、心の中に何度も何度も浮かべては考え込みます。まるで彼らはその思いの奴隷にされたようにです。ショックによる効果への固執によって、彼らは人生を先へ進んでいかないための言い訳を作ります。例えば「それはとてもひどかった、私は再びそれが起こったら耐えられないのだ」ということです。 共同体感覚と社会的関心を用いれば、これらの人々は出来事とショックから学び、問題解決に従事し、サポートネットワークを活用し、乗り越えていきます(もちろん時間はかかります)。しかし、社会的関心がより少ない人々は、共同体からどんどん引きこもり、故に、支援と成長の機会を逃してしまいます。(現代に生きるアドラー心理学/ハロルドモサック&ミカエルマニアッチ・一光社2006年)』

私は7月6日のコラム「アドラー その1」で、『アドラーは決して「優しい人」ではなく、臨床心理学、カウンセリングのスタンスとしては、もっとも「厳しい人」と言えるかもしれません。』とコメントしました。そのことが如実に表れていることを上記から感じます。

辛いのは病の状況にある患者本人です。ただ、患者が陥っている“「それを育み、何度も繰り返し」…まるで彼らはその思いの奴隷にされたよう”な状態から脱するためには、患者自身がそのことを自ら認識しなければならない、ということなのです。

プロであるカウンセラーにとっても、過酷なシチュエーションです。精神病理に立ち向かうカウンセリングの一端を感じていただければ、と思います。

フロイトは「トラウマ」に、アドラーは「ショック」にフォーカスしています。

さて、引用のなかのいくつかのキーワードについて解説しておきましょう。
エディプス期とは、フロイトが1905年の発表した「性理論三扁」の中の、幼児の発達理論で使われている用語です。

発達段階は、口唇期(~1歳)、肛門期(2~3歳)、エディプス期(5~6歳)、潜在期(学童期)、性器期(思春期以降)で区分され、例えばディプス期では、前期の肛門期とは異なる発達上の課題が現れ、ここを首尾よくクリアすることで、比較的感情が安定する「潜在期(学童期)」に移行できる、としています。

発達心理学については、6月7日のコラムでエリクソンを取り上げています。発達心理学には「人間が成長する過程において、期間ごとに達成すべき課題があり、それを克服していくことでバランスのとれた社会的存在となっていく」、という考えがあります。上記の引用で、フロイトが指摘したトラウマは、その課題をクリアしそこなったことで生じるとしています。

一方、アドラー心理学では「ショック」に着目しています。あえてフロイトとの違いを訴求しているのは、同じショックでも、ライフスタイルの違いにより、そのショックに対する感受性が異なる、ということなのです。これについては多くの人が実感できるでしょう。

同一の現象に対して、Aさんは大きなショックと感じるが、Bさんはそれほど感じていない、というケースです。そのことについて私たちは「性格が違うから受けとめ方が異なるんだよね…」と一応納得します。アドラー心理学では、ライフスタイルと結びつけて、その違いを説明しているのです。

ライフスタイル分析については、8月1日のコラムで次のように解説しました。

『代表的なのは、ニックネームを用いた分類です。モサックは14の類型を示しました。現在では、そのうちの代表的な5~6のタイプでライフスタイル(ゲッター、コントローラー、ドライバー、ベイビー、エキサイトメント・シーカー、プリーザーなど)を当てはめ、それぞれのタイプがライフタスクと呼ばれる「人生の課題」に直面した際、どのような行動を示すのか、その行動は、ライフタスクをクリアしていく場合に有効に機能していくのか、それとも失敗する確率が高まるのか、といった分析が行われます。これが「ライフスタイル分析」であり、アドラー心理学における有効なメソッドとなっています。』

コントローラーは「完璧主義者」と評されるライフスタイルの人です。

冒頭の引用で登場したコントローラーは、平たく言うと「きっちりとした人」で、完璧主義者と評されるタイプの人です。コントローラーと呼称されるように、自分の行動や感情をコントロールすることを求め、そのことができる自分に自信を持ちます。細かいことにも気が付くので、それがプラスに作用した場合、「配慮に富んだ人」として、周りからの信頼を得ることができます。一方で、「柔軟性に欠ける人」と言われることもあり、傾向が強くなりすぎると、相手の思考や感情を決めつけてしまうことで、信頼の獲得に失敗してしまいます。

引用では、過度にコントロールすることを自分のライフスタイルの基軸に置いているタイプの人は、コントロールが難しい、あるいは制御不可能な事象が生じると、脆さを露呈してしまうことを指摘しています。

ニックネームを用いたライフスタイルの類型化について紹介します。

アドラー自身は、ライフスタイルの類型化には消極的な姿勢をとっていました。ただ概括的な4つの区分を発表しており、その中の一つが、このゲッターです。自分が期待しているもの、欲しいものの獲得にとても熱心で、かつ、それを得る手法について他者にやってもらうことを当然視するタイプです。このように説明するとネガティブな印象が強くなりますが、自分の意見をはっきりと述べるので、求める方向が同一であれば、共同戦線によるシナジーの発揮が期待できる人、とも評価できます。

ドライバーは、「仕事中毒」と分類されるタイプです。アドラー心理学では、ドライバーを時代の文化に適応しており、報いが多いタイプだとしています。優越を求めナンバー1になることに価値を置いています。ただ、このタイプがアドラー心理学でいうところの破壊的(他者に対して強迫的で野心が前面に出すぎる)スタイルを用いると、周りからは敬遠され、距離を置かれることになります。

ベイビーは、他者からの保護を求めるタイプです。注意を払われるのと支えられることが大好きで、同時に、注意を向け協力的であることが得意です。4月14日のコラム『自己呈示』で、「自己呈示の5つの方略」に触れましたが、その中の「取り入り…相手に同調する、相手をほめる」、および「哀願…あえて短所を述べる、自分を卑下する」を選択することの多いタイプです。

エキサイトメント・シーカーは、絶えず刺激を欲しており、興奮を求めます。したがって、大胆で斬新な考えを持ち活動的です。新しいことにチャレンジすることを好むことから、大きなトラブルに陥ったり、トラブルに巻き込まれたりする、というのもこのタイプの特徴です。

プリーザーのことを『現代に生きるアドラー心理学』で、「プリーザーと一緒にいると心地よいのですが、彼らの一番愛しくもあり、また当惑してしまう点は、彼らが周りにいることを気づかせないことです」と、巧みな表現で説明しています。平和と静寂の維持を求めるこのタイプは、「人の心を読むこと」に卓越しています。ただ、人に嫌われることを恐れるあまり、カメレオンのように振る舞ってしまうことで、しばしば主体性という感覚を失くしてしまいがちです。

今回のコラムのテーマは、「アドラー心理学と精神病理の関わり」です。最終的に「アドラー心理学のライフスタイル分析」を語ることになりました。思い出すのは、前々回のコラムで、アドラー心理学への批評の中に、「ライフスタイルで全てを説明できるのか」があったことです。おそらくアドラー自身もこの点について意識していたのでは、と私は推定しています。

「類型化」と「個別記述性」の整合はなかなか困難なテーマです。

上記のニックネームによるライフスタイルの類型化は、アドラー自身が手掛けたことではなく、アドラー心理学をより広めていくことを目的として、アドラーの後継者たちが開発したものです。それは「とても分かりやすい」ので、人口に膾炙していきました。

ただ、その一方で、上記引用の事例で、「コントローラーは、その意識が過剰になってしまうと、症状神経症につながっていく可能性がある」と記述されていますので、仮にコントローラーに類型化された人が、「私は症状神経症になりやすいタイプなのだ」と受けとめてしまうことは想像できます。

類型化とは、ある意味でレッテルを貼ることですから、アドラー心理学で重視する個別記述性(7月13日のコラム『アドラーその2』)との整合をどうとっていくのか…悩ましいところです。

今回のコラムは、アドラー心理学と精神病理の関わりについて、アプローチしてみました。最後に、コーチビジネス研究所の五十嵐代表のことばを紹介して、本日のコラムを終了することにします。

『私は、コーチングに出会う前に、産業カウンセラー協会というところで1年間カウンセリングを学び、カウンセラーとしてボランティアをしていたことがあります。毎日「死にたい」という電話を受ける中で、「命」を扱うカウンセリングは生半可な知識・経験でやってはいけないと感じています。カウンセリングもコーチングも人の心を扱いますが、治療行為と成長のサポートというアプローチの大きな違いがあります。』

(日向 薫)

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