心理学とコーチング ~アドラー その3~(2020/07/22)

アドラーが臨床医として、カウンセリングに臨む際に最も重視したのは、「クライアントのライフスタイルを見極めること」でした。今回のコラムでは、臨床医の側面として、アドラー最高の功績とされている「ライフスタイル」を取り上げます。

ライフスタイルという言葉は、今日広く使われています。広辞苑ではライフスタイルを「生活様式。特に、趣味・交際などを含めた、その人の個性を表すような生き方。」と説明しています。“個性”というワードが含まれていますが、「ライフスタイル≒個性」と捉えてもよさそうです。

日常の会話において、「Aさんは変わっている。実に個性的だよね。」というフレーズを使ったことのない人はおそらくいないでしょう。ただこの会話だけで終わってしまうと、その会話の場にいる一人ひとりが、Aさんの言動、振る舞いについて、それぞれ勝手に思い浮かべ、その“個性”を“個別“に解釈するでしょう。

そもそも“個性”とは、その人特有の態度であり、異なってしかるべきです。つまり100人いれば100通りの態度が存在するわけで、それを言語化しようとするとしたら、膨大なエネルギーを必要とし、まさに一人ひとりの小説が成り立ちます。

臨床医としてのフロイトのスタンスはクライアントを類型化することでした。つまり“個性”を一旦外において、さまざまな患者を共通するパターンに落とし込むことです。その上でメソッドに沿って治療を進めていきます。

一方アドラーは、“個性”を重視します。ということは、100人100通りの態度を個別に見極める、ということなのでしょうか? アドラーはこのことに挑戦しました。

ライフスタイルはどのようにして創られるのか?

『ライフスタイルとはルールの集積であり、私たちの人生をガイドする認知地図なのです。それは、私たちが情報を受けて反応するだけでなく、情報を送り出すように私たちを導いてくれる、「ルールを司るルール」なのです。 子供の成長とは、環境や自分の内側から発信されるデータを理解しようとしたり、コントロールしようとしたりすることです。すなわち、内・外部から情報を受け取り、処理しなければならないのですが、ライフスタイルはいかにデータを使うかという鍵なのです。(中略) ライフスタイルは個人の創造的・芸術的産物です。それは、子供時代に掲げた目標に導く認知地図なのです。それは、人生に対して柔軟で順応性があるのですが、一方で変化には反対に頑固で、適応を拒むことがあります。ライフスタイルはまた善でも悪でもありません。(中略) 私たちがライフスタイルを創り、対処し、習慣化し、変化させているのです。私たちはただそれに気づかず、理解せず、変える必要があることを知らないでいるのかもしれません。それは指紋のように一人ひとり異なっていますが、限りなく複雑で難解なものです。私たちは、善くても悪くても、自分のスタイルで生活しているのです。
(現代に生きるアドラー心理学/ハロルドモサック&ミカエルマニアッチ・一光社2006年)』

この「複雑で難解なライフスタイル」は、どのようにして創られていくのか、アドラーはまずそのことから思考をめぐらしていきます。その過程で、ライフスタイルを形成する影響要因として、精神社会的要因に注目します。その内容として、以下の4つを挙げています。

「家族的」「父親的」「母親的」「社会的」という4つの影響の強弱により価値観・ライフスタイルが形成される

私の場合で恐縮ですが、父親は大の愛飲家です。私に対して「酒の味を知るのは早いほうが良い」という価値観を持っており、私は、某年齢よりアルコールを嗜むことを覚えています(大きな声ではいえませんが…)。妻は、私の接酒スタイルには厳しい視線を向けているものの、これに同調する気持ちはないので、したがって「父親的価値観」の影響を受けたライフスタイルが形成されている、と言えるでしょう。

なお、日本の家族に多いのは「母親的」価値観の影響が「家族的」価値観を形成している、というケースではないでしょうか。子どもの発達に直接影響するのは親の態度である、というのは言うまでもないことですが、アドラーはそのことについて、「一般的に甘やかしは無視よりさらに良くない」と述べています。

アドラーは、「無視をされている子どもたちの多くは、自分がそうされているとは思っていない」、一方で「自分が出来るにも関わらず、親からやってもらうことに慣れた子どもの方が、むしろほったらかしにされた、と感じたりする」、と言います。甘やかしが常態になると、ほんの少しの否定でも“無視されている”と受けとめてしまう、ということですね。

兄弟姉妹、子供同士がいかに影響し合うかを最初に提起したのはアドラーです

上記の4つの影響要因を、アドラー心理学では一般論としています。その上で、「こういう一般論を語る前に、状況の特殊性と全体像をよく見極めなくてはならない」と説きます。そこで提起したのが「きょうだいの存在」「文化・地域・学校が発達段階で及ぼす影響」です。
このことを最初に提起したのがアドラーなのです。

私は以前のコラム『家族心理学(6月10日)』で、「家族サブシステムには夫婦、兄弟姉妹、親子などが該当しますが、それだけではなく祖父母や親せきといった拡大家族、加えて学校、企業、そして地域社会なども当然家族のあり方に影響を及ぼします。今日に至っては、デジタルネイティブがメジャー世代となりつつありますので、関係性は世界に広がっています。絶界の孤島で1家族だけで暮らしているのであれば別ですが、家族は本来オープンなシステムなのです。」と記述しました。

現代におけるこの家族心理学の中心概念は、まさにアドラーが提起した上記の内容が源流になっていることに気づかれると思います。

出生順がライフスタイル形成に大きな影響を与える。

「長男と次男では、やっぱり性格が違ってくるよね」
「末っ子は、どうしても甘えん坊に育つよね」
「長女は、妹に対して常に“お姉さん”として振る舞おうとするよね」

このように現在では、当たり前のように受けとめられることが、アドラーの時代ではそうではありませんでした。フロイトは、自我形成にあたって、兄弟姉妹のことを重視していません。有名なエディプス・コンプレックスの理論は、両親(特に父親)との関係性から導き出された理論であり、兄弟姉妹というヨコの関係性に触れることは、エディプス・コンプレックスの理論にはマイナスに働くので、意識的に避けているきらいがあります。

フロイディアンとして積極的に意見を述べている妙木浩之氏の『エディプス・コンプレックス論争 性をめぐる精神分析史(講談社選書メチエ 2002年)』をここで紹介したいと思います。

『アドラーはこう考えた。最初に生まれた子どもは、二番目に生まれたときに、自分の立場を脅かされる。親の目が次の子どもに向くからである。そのため両親に対して、この傷を克服するために、長子は、過度に法や秩序を重視して「力を求める保守的な態度」をとろうとする。 そしてこの両親の愛情をめぐる競争に敗れると、長子はしばしば反抗的になる。それに対して第二子は、長子よりも社交的で、いつも上の子にキャッチアップするために、努力しなければならないのでやんちゃである。彼はいつも長子を超えるように努力するため、他人に服従するのには我慢ならない。さらにもっと小さい末っ子は、他者に脅かされることなく、怠け者になって甘やかされやすい。そのため独立心が育ちにくい。ちなみに勢力関係、競争関係、同胞関係を重視したアドラーの理論は、主に教育現場に受け入れられる素地を持っていたし、ウィーンのアドラー児童学校は人気があり、アメリカでは教育関係者がアドラー心理学に親近感を抱いた。アドラー理論が教育などに取り入れられるようになった背景は、学校が基本的に学習社会で、競争や同胞との関係が重要な場だからである。』

ちなみにアドラーは次男、フロイトは長男です。

7月6日のコラム『アドラー その1』で、 『アドラーは決して「優しい人」ではなく、臨床心理学、カウンセリングのスタンスとしては、もっとも「厳しい人」と言えるかもしれません。』とコメントしています。それは、「人は優越性を求め、そのために努力する。そして社会は競争が常態であり、その中で居場所を自らがつくっていかなければならない」、という前提としての考えが、アドラーの中に存在していることがその根拠です。

今回のコラムは、『現代に生きるアドラー心理学』の中から、このことに触れている箇所を紹介することで終えたいと思います。次回も引き続きアドラーを取り上げてまいります。

『アドラーは、誰もが優越性のために努力しているように感じました。それが全ての生き物の唯一の動機なのです。究極の虚構的目標は、人に優越性をもたらすための目標です。人が示す共同体感覚の度合いは、努力する方向を決定します。もし他者のための福祉に興味があれば、努力は愛情や思いやり、社会的協力や社会福祉などの人生の有益な面に向けられるでしょう。もし、共同体感覚の度合いが低ければ、努力の方向は社会を支持するものではなく、むしろ反社会的(広い意味での)なものになります。 こうした場合は周囲を犠牲にして優越性を手に入れようとします。(中略)…もっと例を挙げてみましょう。自傷行為が、どうやってプラスの状況を作ることができるでしょうか? 短期間では現実的にマイナスかもしれません。しかし長い目でみると、その人は周りから注目され、近づいて来る人からは「卵の殻の上を歩くように扱われ」、痛みに耐える主観的な安心感を得るかもしれません。 自傷行為をする人は、キリストの(マルコによる福音書[Mark9の47])「もし、あなたの目があるためにつまずくならば、それを取ってしまいなさい。目を二つ持って地獄に落ちるより、目が一つだけで神の宮殿に入るほうがいいのです」を引用して、道徳上の優越を育むのかもしれません。 優越性のために努力することは、長期的には幸福感や福祉となり得ますし、また人生でそうすることによって間違いが起こることはまずありません。しかし、優越性のための努力が他人の犠牲の上に成り立ち、単なる目先のためだけであれば、人々の利益にならないと言えるでしょう。』

(日向 薫)

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