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「胡坐座りで講義する哲学者」、シェリー・ケーガン米イエール大学教授の『直言』にインスパイアを得て展開された1on1ミーティングです!

心理学を学びコーチングの資格を有する新進気鋭の若手A課長と、部長職を長く経験し、定年再雇用でA課長のチームに配属された実践派のSさんとによる、2023年43回目の1on1ミーティングです。

アイスブレイクは『智恵子抄』の「あどけない話」です!

(A課長)
10月も下旬となりました。秋らしいいい天気が続きますね。

(Sさん)
快晴です。早朝は雲一つない紺碧の空でした。ここは関東平野のど真ん中で、高いビルといえば4階建ての看護学校校舎くらいですから、とにかく空が大きい。空の無い東京とは違います(笑)

(A課長)
東京に空が無い… そのフレーズはどこかで聞いたことがある。

(Sさん)
ええ、『智恵子抄』のなかの「あどけない話」です。高村光太郎が、精神に変調をきたした妻智恵子に、さまざまな想いを込めてオマージュを捧げる詩です。
「智恵子は東京に空がないといふ。ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る…」

私の時は、高校の国語の教科書に入っていました。その詩を先生に覚えさせられましたから、今でも諳んじています。
不思議なことに、埼玉の空を感じると、条件反射のように「阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ」のフレーズが耳で鳴るんです(笑)

(A課長)
今日の1on1のアイスブレイクは「BLUE SKY」ですね(笑)
先々週と先週の1on1のアイスブレイクは重かったので、今日は違う流れだ。さてSさん、今日のテーマは?

日経新聞10月22日の『直言』は「“不死”の科学は残酷な嘘」!

(Sさん)
『直言』にしましょう! 22日の日経新聞日曜版は、シェリー・ケーガン米イエール大学教授です。タイトルは「“不死”の科学は残酷な嘘」です。

(A課長)
私も興味のあるテーマだったので、読み込んでいます。2012年に発表された『「死」とは何か』がベストセラーになっているようですね。今回の『直言』の回答は、まさに哲学でした。

(Sさん)
その本の表紙カバーの写真は、実にキャッチ―です。「Aさんにトリビアを提供できるかもしれない」と、思わずチャットGPTに…

『「死」とは何か』の本の表紙は、シェリー・ケーガン米イエール大学教授が、黒板を背に教卓の上で胡坐を組んで座っている写真です。これはイエール大学の教場ですか?

と、質問してみたんです。

(A課長)
それはまた…(笑)
で、どうでした?

(Sさん)
ええ、チャットGPTは森羅万象を把握している。
回答は…

いいえ、それはイエール大学の教場ではありません。その写真は、シェリー・ケーガン教授が「死」についての講義を行ったときのものですが、その場所はニューヨーク公共図書館です。イエール大学の教場は、もっと伝統的な雰囲気のある建物です。

胡坐で講義をしている教場はニューヨーク公共図書館か…?

(A課長)
すごいですね。ただ間違っていないかちょっと心配だ(笑)

(Sさん)
確かに…
それから、もう一つ調べています。日経新聞は「エール大学」の表記なのですが、「イエール大学」と、どっちが多く使われているのか、質問しています。

エール大学とイエール大学は、同じ英語の Yale University の日本語表記です。どちらも正しいと言えますが、一般的にはイエール大学の方が多く使われているようです。

私はウェブ検索の結果を見て、この結論に至りました。エール大学という言葉で検索すると、約 1,050,000 件のヒットがあります。一方、イエール大学という言葉で検索すると、約 4,620,000 件のヒットがあります。この差は、イエール大学の方がより一般的に認知されていることを示していると思います。

(A課長)
Sさんのマニアックぶりもかなりのものだ(苦笑)
さて、『直言』の内容に入りましょうか。

(Sさん)
ありがとうございます。延々とアイスブレイクが続きそうでしたが、修正いただきました(苦笑)

(A課長)
脱線歓迎ですよ(笑)
インタビューのテーマ… ケーガン教授に訊きたかった内容が冒頭に記載されていますね。

人間の意識をデジタルで保存し、クローン技術で死んだ生命をよみがえらせ、仮想現実の中に故人を呼び戻す……。近年注目を集める「不老不死」のテクノロジー。それは私たちの人生と社会をどう変えるのか。「『死』とは何か」などの著書で知られる米エール大学の哲学者、シェリー・ケーガン教授の考察を聞いた。

まずSさんの感想を、「チャンクアップ」でお願いします。

相手の持ち味を鑑み直感を働かせて対応するのがプロコーチ!

(Sさん)
要約ですか? どちらかと言うと、バラバラに解きほぐす「チャンクダウン」が好きというか、そこから始めようと思いましたが… そうか、これはコーチング的なリクエストですね。本人の得意分野とは少し異なる内容をリクエストする。それによって潜在的な能力が開花していく。もっともその内容については、相手の持ち味を鑑みつつ「直感を働かせることができるのがコーチングのプロコーチである」、と以前Aさんは話してくれた。

(A課長)
Sさんはお見通しだ(笑)

(Sさん)
方針転換します(笑)
そうですね… マインドアップロードという言葉を初めて知りました。人間の意識を電子的に保存するテクノロジーのようです。その可能性を探る研究が始まっている。
全体で大きく7つの質問で構成された記事の3番目に、友部温記者がこの技術を絡めた質問をしている。この質問はヒットです。ケーガン教授の思想が開示され、インタビューが動き始めましたから。

友部 : 人間の意識を電子的に保存する「マインドアップロード」(意識の移植)の可能性を探る研究が始まっている。肉体が死んでも、意識が残れば「生きている」と考えてもよいものだろうか。
ケーガン : 「私とは肉体である」「私は人格である」という見方をそれぞれ支持する人がいて、さらに「私とは魂である」という第3の見方をする人もある。どの立場を取るかで答えは変わってくるだろう。私自身は「私とは脳である」と考える。

日経新聞は、この「私とは脳である」を見出しに使っています。ケーガン教授の結論をここで「引き出した」と判断しました。ただこの言葉は抽象的だし、哲学的だ。だから以降の質問は、この意味の解明に向かっています。

マインドアップロード…身体を超越した生存はあり得るのか!?

(A課長)
能ある鷹であるSさんは、爪を隠していましたね。納得です。

(Sさん)
いえ、繰り返し読んだんですが、ケーガン教授の意図する「脳」がよくわからない。「哲学者はそういうものだ」と、納得できない納得の仕方をしています(苦笑)

(A課長)
ええ、いろいろ喩えが出てきますが、ちょっとレベルが高い。

仮想現実は、「死者」に対する悲しみの感情を「癒す」効果はあると、ケーガン教授は認めている。「もし死んだ人やペットと仮想的に会えるプログラムを体験したら、何らかの感情的な共鳴や満足感があるはずだ」、と肯定しています。これは5番目の質問に対する回答です。そして「クローン」にテーマが移ります。

ケーガン教授は、「それは死者の“模造品”であり、死者を代替することはできない」と、言い切ります。ケーガン教授の哲学は「リアル」です。「仮想はしょせん仮想である」というスタンスです。

死んだ我が子のクローンを自分の子だといえるだろうか…

(Sさん)
なるほど…

(A課長)
それから、6番目の質問への答えは、ケーガン教授のコーチング的な感性が伝わってきました。

友部 : クローン技術についてはかねて倫理的な議論がなされてきた。何が問題だと考えるか。
ケーガン : 死んだペットのクローンを作ることはかまわないだろうと私は思う。だが人間のクローンを作ることは間違っている。クローンの人間にも当然、心がある。その人が、自分は誰かの肉体の模造品だと知ったら、どんな気持ちになるか想像したらいい。

多くの人は「相手のことのことをちゃんと考えている」、といいながら、自分中心の思考から抜け出せないんです。「自分の死を悲しむ人の為に自分のクローンを提供する」、あるいは「死んでも生身の体を持ったその死者に会いたい」という文脈です。「究極の自己チュー」と、捉えることも可能です。新たに生まれたクローンの「異なる人格」を否定しています。クローンの気持ちには思い至らないのです。

ケーガン教授の指摘は、「クローンも物理的に分化した脳による別の肉体と人格を有する存在である」ということでしょう。「模造品」の悲しみに寄り添っているのです。

「模造品」の悲しみにも寄り添う…それがコーチング!

(Sさん)
コーチングだ…

(A課長)
そして「現実だからこそ価値がある」という哲学が語られる。

友部 : 「分身」のテクノロジーにやはり限界があるということか。
ケーガン : 仮想現実というものを、私はそれほど素晴らしい代物だとは思っていない。仮想現実がテーマの映画『マトリックス』が登場する前から、哲学者たちは「経験機械」と呼ばれる思考実験をしていた。脳を直接刺激して実際の経験と同じように感じられる装置が発明されたとして、それは有用だろうかという議論だ。(中略)
「そのような装置を使って残りの人生を過ごしたいか」と私は学生たちに尋ねてきた。イエスと答えるのはいつも一握りだ。なぜかというと、仮想現実でいくら素晴らしい体験をしても、現実の自分が何も成し遂げていないのはやはりむなしいことだからだ。

(Sさん)
それに続く最後の言葉は“リアル”ですね。真っ先に二人の孫の姿が浮かんできました。ただ、アラフォーの子どもと、アラセブンの妻が、脳裏に浮かぶのはその後だったので…ちょっと「何とも…」かな?(苦笑)

友人や家族に愛されているという実感、自分の子供に注ぐ愛情。これらすべてがただの電気的な刺激でしかないとしたら、その「人生」を肯定することはできない。あなただってピュリツァ―賞を受賞する仮想現実を体験するより、本物のピュリツァ―賞をもらう方がいいだろう?

自分の子に注ぐ愛情がただの電気的刺激だったとしたら…

(A課長)
(笑)… 今回の『直言』は多面的な解釈が可能だと思います。だから「哲学」です。そのタイトルは「不死の科学」です。「不死を実現する」ことに異常な情熱を科学者が注ぐのは…まあ、分からないでもないですが、今、「CBLコーチング情報局」のなかで、河合隼雄さんが「じゅみょう」を紹介している内容を思い出しています。
ええっと、9月1日にアップされた…「世界の昔話」から「新たな物語」は編み出される!…です。

河合さんは冒頭で『グリム童話』の「じゅみょう」を引用します。神様が動物たちの寿命を定めるお話です。最初のロバには30歳の寿命を与えると告げます。ところがロバは、荷役に苦しむ生涯の長いのを嫌い、もっと短くしてほしいと神様にお願いします。神様は同情して18年分短くすることを約束します。次いで犬、猿も同じく30年の長さは辛いと訴え、同様に12歳と10歳分ほど短くなります。そこへ人間がやってきます。人間だけは30歳の命は短いと残念がるので、神様は、ロバの18歳、犬の12歳、猿の10歳の合計分を人間に与えます。ここから面白い展開になります。

人間は30年の生涯を楽しんだ後、あとの18年は荷役に苦しむロバの人生を送り、続く12年は噛みつく歯も抜けてしまった老犬の生活をし、そして最後の10年は、頭が弱った愚かな猿となり、ばかげたことをして子供たちの笑い者となってしまうのです。
河合さんは「なかなかシニカルな話である」とコメントし、この「じゅみょう」の話の意図を次のように解釈します。

人間だけが神様の定めた寿命を不服として延長を願い出る!

(Sさん)
含蓄に富むなあ…
中学2年のときに原爆を受け、髪の毛が全て抜け落ち、だれもが「助からない…」と受けとめた父は奇蹟的に回復し、88歳の天寿を全うしています。そして母も、小学4年で原爆を受けて、たくさんのガラス片を体内にとどめたまま、現在88歳を迎えて元気に暮らしています。母については神様が与えた「チョー楽天的性格」によって、今があるように感じています(笑)

科学者たちは自明のように「不死」を目指しています。その過程で平均寿命もどんどん伸びていくでしょう。ただその平均と健康寿命の乖離は、必然的に広がっていきます。
そして画期的な薬が開発されるその背景には、膨大な研究開発費が投じられています。がんの免疫治療薬である「オプジーボ」の薬価は、下がってきていますが、びっくりするほど高額です。ただ、これだと低所得層は排除されるので、高額な医療費の負担を軽減させる「高額療養費制度」によって、患者の所得に対応した負担軽減の仕組みを導入しています。ただ…

(A課長)
Sさんの「思い」を引き継ぎます。「それをまかなうための社会保障費は膨張し続ける」、という“リアル”ですね。厚労省のサイトをチェックしてみましょうか… これがいいかな?
う~ん、「国の一般歳出の約51%は社会保障関係費」ということか。

(Sさん)
そろそろ時間でしょうか。
今日の1on1も濃い対話となりましたね。国家予算にまで展開しました。

(A課長)
それが対話の不思議というか、魔力すら感じます。

(Sさん)
魔力…ですか? Aさんは私と違って「大袈裟な言葉」はめったに使いませんよね。

(A課長)
ええ、ただ今日は「脳」がテーマになったので… それから「仮想現実」をイメージすると、「夢って何だろう?」と考えてしまうのです。

「夢」は無意識の心象によって浮かび上がってきた自画像!

(Sさん)
なるほど… 夢は「仮想」だけど、見ているときは「現実」そのものだ。私は大学に合格して以来、おそらく膨大な頻度で「同じ夢」を、今も見ます。それは、「不合格となる夢」なんですね。とにかく受験勉強がイヤでイヤで、志望校は自分の実力ではとても合格できないことがわかっていました。ただ、不思議なことに受かったんです。でも、「まぐれ」だという確信が残っていました。それが反映された「夢」です。

「どんなに勉強しても絶対受からない」という観念によって「不合格となったときの絶望」は、「夢」ということもあるのかもしれませんが、「カタストロフ」としかいいようがない。その瞬間目が醒めます。心底「よかった! 夢だ~」と、不死鳥のように蘇る感覚がこみ上げてきます。

(A課長)
Sさんの話はとにかく面白い。漫談を聞くようだ(笑)
ケーガン教授の捉える「仮想現実」は、ヘッドマウントディスプレーを使って、本人が「仮想だとわかっている仮想」がイメージされます。

ただ科学の進歩により、「夢」のごとく、本人が「現実だと思いこめる世界」を「脳」に何らかの作用を与えることで、「実現」させることが可能になるような気がするんですね。
「Sさんの夢」とは逆の、「幸せ感に包まれる夢」を一定時間、完全な状態で提供できる時代もやって来るのではないでしょうか。
「幸せな夢」を見た日は何だか嬉しい。元気をもらいます。「もう一度見たい」と思いますよね。

科学の進歩は「幸せに包まれる夢」を「脳」に提供できるかも…

(Sさん)
そういうことを考えていたんですか。うん、決して悪くない未来だ。
ただ、私はケーガン教授派というか、映画を観て感動し、コンサートによって喜びに打ち震えることが出来る体質ですから、そうまでして「仮想の幸せ」を求めようとは思わない(笑)

(A課長)
ええ、人それぞれです。だからこそコーチングです!

(Sさん)
今日も〆まりましたね(笑)
カラフルな対話でした。Aさんは「コーチングは魔法ではない」という。でも「魔法かもしれない」と、想像を膨らませるのもいい。引き続きエキサイティングな1on1を重ねていきましょう!

坂本 樹志 (日向 薫)

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