先ほどから述べています「愛と誠と調和の心をベースとする」「きれいな心で願望を描く」、そしてこの「素直な心をもつ」、さらに次に出てくる「常に謙虚であらねばならない」、これらを並べてみると、優しい語感の言葉が並んでいることに気づきます。
特にこの「素直な心をもつ」という言葉は、おとなしく「右向け右」と言われれば右を向くといった、従順な意味合いについついとられがちですが、決してそうではありません。
(『京セラフィロソフィ(稲盛和夫/サンマーク出版)』67ページ~)
心理学を学びコーチングの資格を有する新進気鋭の若手A課長と、部長職を長く経験し、定年再雇用でA課長のチームに配属された実践派のSさんとによる、稲盛さんの『京セラフィロソフィ』を語る5回目の1on1ミーティングです。
今回は、稲盛さんの「優しい語感の言葉」について探求してみたい、とA課長は提案します。さてどのようなセッションが展開されるのでしょうか?
明治維新以降、日本が急速に近代化できたその訳は?
(A課長)
前回の9月26日は、「経済価値」と環境や社会への貢献という「社会価値」の両立、統合を目指そうとする経営戦略の概念であるCSV、そして、環境報告のグローバルスタンダードとも言える非政府組織であり、世界の投資家たちの指標ともなっているCDPを軸に、話が展開されました。いずれも英語そのままですね。専門的な内容も含むから、この3文字だけでは何のことかまったくわからない(笑)
(Sさん)
外国語をあえて日本語に翻訳しないで用いる、というのが当たり前になっていますが、明治維新となって、西周や福沢諭吉などが外国語を翻訳していく過程で、日本には存在していない概念を広めていくために、新たな漢字の組み合わせによる新語を発明しています。その数は膨大です。壮大なスケールのプロジェクトでした。
(A課長)
そうですよね。日本は短期間に当時の西洋先進技術を習得し、自分たちのモノにすることが出来ました。日本語を大切にしながら、その上で世界の最先端技術を取り込む。現在もこの離れ業をやってのけているのは、明治の先達のおかげですね。
諸外国は、母国語が淘汰されて外国語が公用語にされてしまうことも多いですが、言葉は国家のアイデンティティです。日本語は、まさに日本文化の真髄ですよね。
私は『京セラフィロソフィ』を読んで、日本語の語感といいますか、稲盛さんの話し言葉も相まって、身に沁みていく感覚に身を委ねています。
『京セラフィロソフィ』を手に取る前… ええっと、9月5日でした。Sさんに「どのような内容ですか?」と尋ねています。Sさんはこう答えました。
「どう表現すればよいのかな… 稲盛さんがその場にいて語りかけてくれるようなカンジですね。難しい言葉は一切ありません。稲盛さんは臨済宗の僧侶でもあるので、仏教用語は頻繁に登場しますが、それも稲盛さんの身体を通って、稲盛さんの言葉として伝わってきます。経営法話です。」
(Sさん)
ええ、そんなことを言いましたね。
『京セラフィロソフィ』は稲盛さんの心と一体となった言葉で紡がれている!
(A課長)
読んでみて、その通りであることを実感しました。稲盛さんの身体を通って、稲盛さんの精神と一体となった言葉です。今日はその稲盛さんの「優しい語感」を、Sさんと味わってみたいと思います。
(Sさん)
了解しました。わたしは稲盛さんになれないので、ときどき自分流に翻訳しているところもあります。稲盛さんは、それも許してくれると思います。
Aさんが感じた言葉、そして私の解釈などを紹介し合って、進めてみましょう。
(A課長)
ありがとうございます。
『京セラフィロソフィ』は「すばらしい人生をおくるために」の第1章から始まります。その内容は、「心を高める」「より良い仕事をする」「正しい判断をする」「新しいことを成し遂げる」「困難に打ち勝つ」「人生を考える」の6つに分かれ、それぞれに5~10ページの最小単位の「語り」が重ねられていきます。
(Sさん)
『京セラフィロソフィ』は600ページ、4章構成です。この最小単位の「語り」は全部で…78ほど組まれていますね。その「語り」の冒頭に稲盛さんの「箴言」、つまり人生から導き出された哲学、倫理観にもとづく教訓が付されています。いずれもシンプルです。その「箴言」をかみしめながら読み込んでいくのが『京セラフィロソフィ』なのですね。
第2章からは経営論的な内容です。その点、第1章は「人生論」というか、生きることの原理原則、プリンシプルが書かれています。全体の三分の二を占めていますね。
「優しい語感」の箴言は、至極あたり前のことを語っている。
(A課長)
稲盛さんの射程は広大で、その視線は超長期です。一つひとつの「箴言」は、至極あたりまえの表現であり、学者が用いるような専門用語やシャレた言い回しではまったくありません。極論すれば、私たちも日常で普通に使う言葉です。それを稲盛さんはときに仏の言葉を引用し、洞察されるのです。
(Sさん)
洞察… 深みのある言葉だ。意味は新明解国語辞典によると…「普通の人が見抜けない点までを、直感やすぐれた観察力で見抜くこと」と書かれていますね。
(A課長)
よかった。外れていなかった(笑)
最初に67ページの「素直な心をもつ」を考えてみたいのですが、よろしいですか?
(Sさん)
もちろん了解です。
(A課長)
ありがとうございます。読み上げます。
素直な心とは、自分自身のいたらなさを認め、そこから努力するという謙虚な姿勢のことです。とにかく能力のある人や気性の激しい人、我の強い人は、往々にして人の意見を聞かず、たとえ聞いても反発するものです。しかし本当に伸びる人は、素直な心をもって人の意見をよく聞き、常に反省し、自分自身を見つめることの出来る人です。そうした素直な心でいると、その人の周囲にはやはり同じような心根をもった人が集まってきて、ものごとがうまく進んでいくものです。
自分にとって耳の痛い言葉こそ、本当は自分を伸ばしてくれるものであると受けとめる謙虚な姿勢が必要です。
「素直な心を持つ」は、最高難度の境地!?
(Sさん)
60年以上生きてきて、おそらく最も難易度の高い境地だと痛感しています。稲盛さんの次の言葉は言い得て妙ですね。
盛和塾に入塾してこられた方々を見ていますと、やはり素直な心を持っておられるように見受けます。経営哲学などというきまじめなことを勉強しようという人は、やっぱり素直さを心の中に持っておられるのでしょう。ねじれた心、斜に構えた心、素直になれない心では、私の話を聞こうという気にはなかなかなれないはずです。
稲盛さんは素直と従順は違うことを、お釈迦様の「精進」という言葉を用いて説明しています。「卑屈になって現状に甘んじる」ことではなく、自らの欲望を抑えるために「足るを知る」ことが求められる、ということです。
稲盛さんは「素直な心をもつ」ことは人生にとってたいへん大事なことであり、「素直な心は進歩の親」であると力強く語ります。
(A課長)
「先入観」をもつのが人の常ですから。現に私もSさんから紹介されなければ、手に取ることはしなかったと思います。読む前に勝手なイメージをつくり上げていましたから。
斜には構えていませんが、見方によれば素直ではなかった…
(Sさん)
私の場合はJAL再建がきっかけです。実務的興味から『京セラフィロソフィ』を手に取っています。ところが全然テクニカルじゃないんですね(笑)
「哲学」というと、わかったようなそうでないような理解をこれまでしていましたが、『京セラフィロソフィ』は“素直な心”を持った人であれば、力むことなく自然に身体の中に沁み入って来る日本語です。『京セラフィロソフィ』こそが、知性云々の構えを不要とする、真っ当な「日本の哲学書」なのではないでしょうか。
Sさんは『善の研究』と『京セラフィロソフィ』を独自解釈しています。
世界で翻訳され、オーソライズされている日本の哲学といえば、西田幾多郎の『善の研究(岩波文庫)』です。「このような難解な日本語が果たして存在するのか?」と感じてしまう内容です。私は文系アスリートを任じて、その解明にチャレンジする、という覚悟でした。
西田哲学は「純粋経験」を徹底的に語っています。それは判断が全く生じていない認識… 認識という言葉は今私が思いついて使ってしまいましたが、つまり認識と聞くと、その定義であるとかが頭に浮かびますが、つまり判断です。
ある経験をしたとき、とにかく全く判断が生じていない純粋な経験のことです。ですから「そのような経験はありえるのか?」と思ってしまいます。西田はその純粋経験を突きつめるのです。ひょっとして、0コンマなにがしの瞬間にあるのかも…と、わかったような気にもなるのですが、ただそれは一種の知的興奮です。「じわ~っ」と湧き上がってくる悦びとは違っていました。そうですね… パルス的感覚の達成感かな?
(A課長)
アドラーは「経験はすべてその人の価値観で受けとめる」、と言っています。つまり同じ経験でも、判断が伴うので、人それぞれバラバラな解釈として記憶される、ということです。つまり、それを超えるというか、“空”なる世界を西田哲学は究めようとしている…
『善の研究』はすごい本なのでしょうね。
(Sさん)
西田哲学は、まずこの「純粋経験」をわかってもらおうと、言葉を費やすのですね。ただ繰り出される言葉一つひとつが難解で文体も特殊です。頭がしびれてしまうというか、疲弊してしまいます。
今ふっ、と感じたのですが「素直な心」を突きつめた至高の世界が「純粋経験」なのかもしれない…
言葉の繰り出し方、といいましたが、稲盛哲学は真逆です。今話題にしている「素直な心をもつ」は、おそらく中学生でも理解できる内容です。したがってここを読めば、全ての人に何らかの心の動きが生じます。
見方によれば、「素直な心をもつ」は、現代日本人に突きつけられた「踏み絵」なのかもしれませんね。読んだ際、しっくりこなかったり、気持ちが入ってこない場合は、まだまだ精進が足りない(笑)
私は素直になるために、「先入観をとにかく持たない」を目指しています。先入観が生じていると、きっかけや自分が変わることのチャンスをみすみす見逃してしまうので、「それは損だ!」と、功利的なスタンスも踏まえて少し変形的解釈で臨むことにしています。謙虚とはちょっと違うかもしれない…(苦笑)
(A課長)
Sさん的で面白い(笑)
わたしはコーチングのフィードバックに結び付けて理解しています。読み上げた最後の「自分にとって耳の痛い言葉こそ、本当は自分を伸ばしてくれるものであると受けとめる謙虚な姿勢が必要です」こそが、コーチングにおけるコーチャブルな人になるための到達点だと思うのですね。
人は忖度ではない真のフィードバックにより気づきを得ることができます。多くの人はホメられることで自己肯定感が高まります。それも必要です。ただし、本当の成長は、だれもが有する劣等感を一つひとつ溶かしていくことにより、その姿が見えてくると思うので、「耳の痛い言葉」である“素直な”フィードバックをしっかり受けとめることができるよう、人格を陶冶していく、磨いていくことが大切だと実感しています。
(Sさん)
Aさんの解釈を聴いていると、「稲盛さんの語りはコーチングなのではないか…」と思い始めています。Aさんは、コーチングの一般資格とは異なるエグゼクティブコーチの資格を持っていますよね。エグゼクティブコーチは経営者や経営幹部の人など、エグゼクティブ層をコーチングしているコーチだと聞いています。
稲盛さんの盛和塾は、大企業の経営幹部というより、中小企業の経営者が中心のようです。経営者として自己実現したいという素直な心を持つ、コーチャブルな人たちのコーチングに、それこそ全身全霊を込めて取り組んだのが稲盛さんです。稲盛さんこそ日本が誇る、いや中国も含めたアジアを代表する“エグゼクティブコーチ!” なのではないでしょうか。
稲盛さんは日本が誇るエグゼクティブコーチ!
(A課長)
コーチングはコンサルタントのようにテクニカルな処方箋を教示することではありません。クライアントが持つ夢、目標を、クライアント自らが輪郭化させ、ゴールを定めます。そこに向かっていくためのエンジンのポテンシャルを高め、アクセルを踏み、力強く前進するクライアントをサポートするパートナーが、コーチングのコーチです。
だんだん稲盛さんの姿がコーチングの目指すべき理想の姿とダブって見えてきました。
(Sさん)
Aさん、今思ったのですが、『京セラフィロソフィ』にある78の箴言の中で、響いた内容を私とAさんとで10個ずつ挙げてみませんか?
(A課長)
面白い提案だ。ダブらないかな?
(Sさん)
想像するに、私とSさんはタイプが異なるのであまり被らないような気がしています(笑)
では始めます。
「仲間のために尽くす」
これは、私の経験則です。これによって「情けは人の為ならず」を実感することが多かったですね。回りまわって自分にいいことが起こるのです。
「自ら燃える」
時に失敗することもありますが、燃えた時は勝手に身体が動いてくれます。
「仕事を好きになる」
上司の評価はそれとして、仕事に自己満足を感じることが出来れば幸せになれますよね。私の目標は「仕事の趣味化」です。
「知識より体得を重視する」
私は実践派なので、まさにこの通りです。
「大胆さと細心さをあわせもつ」
部下から「S部長はいばらの道なのにお花畑だと思って進んでいきますよね~」と言われたのですが、後ろを振り返って、「うわっ、ヤバっ」と思うこともしばしばです。細心さも兼ね備えたい、ということで選びました。
「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」
すべてを楽観的にやってしまうことがあるので、要注意です。
「見えてくるまで考え抜く」
考えることに限界はないと思っています。勝手に頭がぐるぐる回りはじめて、そればかりに気がとられてしまうことがあります。結構な時間が経過してしまうのですが、その先にピカッと光るものを感じることがありますから。
「全員参加で経営する」
傍観者でいると仕事は実につまらない。メンバー自ら参画したくなる、参画すると仕事は面白い、ということですね。
「独創性を重んじる」
人と同じことをするのはあまり好きではないので… 「自分の個性が光っているなぁ~」と自己満足している自分がちょっと好きかな(笑)
「高い目標を持つ」
ステップバイステップも必要ですが、バックキャスティングでやっていきたいと思います。未来は未知なので、「ひょっとしてできるかも…」と楽観的ですから。
(A課長)
面白いですね~ Sさんらしさでチョイスされている。
私とは… あまり被っていないようです。ということは、私の指向性がSさんにバレてしまう、ということになりますね(笑)
「真面目に一生懸命仕事に打ち込む」
Sさんのようにはなれないので、私はこの言葉がしっくりきます。
「地味に努力を積み重ねる」
う~ん、同じような内容を選んでしまった…
「本音でぶつかれ」
コーチングの原理原則です。自己開示をしてこそ相手に気持ちが伝わりますから。
「私心のない判断を行なう」
いつも自問自答します。そう思った判断でも、無意識の底に私心めいたものを後で感じたりして…実に深い境地ですね。そうありたいといつも願っています。
「利他の心を判断基準にする」
Sさんが「情けは人の為ならず」と言いましたが、利他の心って、別に道徳的とかではないですよね。私はまだ子供がいませんが、きっと子供には純粋な利他の心が発動されると思います。その感覚が家族以外にも広がっていくと、何だか幸せになれるような気がしています。
「フェアプレイ精神を貫く」
自分にはパターンがあるなぁ… 類似の内容を選んでいますね。
「潜在意識にまで透徹する強い持続した願望をもつ」
ここは特に響いています。これによって『京セラフィロソフィ』を読破することが出来ました。Sさんとの1on1で私は、この箴言を繰り返し口にしていますから。
「人間の無限の可能性を追求する」
コーチングの人間観そのものです。コーチングって、人間の本質を見通しているのだと思います。稲盛さんに限らず、アドラーもロジャーズもここは全く一緒です。普遍的な真理ですよね。
「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」
9月5日の稲盛さんを語る最初の1on1で、Sさんが紹介してくれました。「熱意と能力は、幅はあってもプラスに働く。一方で考え方は、マイナス100%からプラス100%まである」という稲盛さんの言葉は、人間の心の本質を言い切っています。つまり「考え方」如何で元も子もなくなる、ということです。
私はこの公式に興奮しています。まったくもって真実です。Sさんがチョイスされなかったので選びました。
「動機善なりや、私心なかりしか」
最後はやはりこれですよね。稲盛さんを語る際「利他の心」とこの言葉がセットで紹介されます。稲盛さんの心構え、常なる自問自答が、この言葉に凝縮されていると感じています。
(Sさん)
ありがとうございました。
『京セラフィロソフィ』を読み込んだ者同士が、こうやって語り合うのも何だかいいですね。新たな気づきにつながる… 来週も『京セラフィロソフィ』をやってみましようか?
(A課長)
ぜひとも!
坂本 樹志 (日向 薫)
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