例えば、「共創の戦略」の著書で知られる米ハーバード・ビジネススクールのマイケル・ポーター教授は経済的価値と社会的価値で実現する「CSV(クリエ―ティング・シェアード・バリュー)」という考えを提唱する。
ESG(環境・社会・企業統治)にもつながるものだが、注目すべきはポーター氏が効率性と一見逆行する「社会的価値の追求を慈善事業や篤志ではなく、成長の源泉と考えてこそ持続的経営が可能となる」と主張する点だ。
(日本経済新聞9月22日 7面「Deep Insight~ 風雲児モデルナの転換点」より引用)
心理学を学びコーチングの資格を有する新進気鋭の若手A課長と、部長職を長く経験し、定年再雇用でA課長のチームに配属された実践派のSさんとによる1on1ミーティングです。稲盛さんの『京セラフィロソフィ』によって、長期目線の重要性を実感した二人は、今回どのようなテーマを見つけたのでしょうか。
Sさんは「ハワイにずっと滞在するのは無理だ」と語ります。
(A課長)
おはようございます。朝晩がぐっと冷え込むようになりました。日本には四季があるので変化を体感できる幸せをかみしめています。私は紅葉の季節が一番好きだなぁ…
(Sさん)
いや~ 同感です。私は40年前の新婚旅行で、ハワイのオアフ島に2日、マウイ島に4日滞在したのですが、朝目覚めて陽光のなか、ガーデンから流れて来るハワイアンを聴きながら「いいな~」としみじみ感じました。でも…
4日目あたりから、「これって毎日同じなんだよな~」と気づかされ、一年間変化のないこの状態が延々と続くイメージが浮かんできて、「ぞっ、とした」というのはオーバーにしても、私のようなエキサイトメントシーカーには、ハワイは無理だなぁ、と感じました。
(A課長)
アドラー心理学のライフスタイル分析ですね。エキサイトメントシーカーは、好奇心旺盛で、刺激を求めるタイプです。
(Sさん)
同時に、飽きっぽくて竜頭蛇尾に陥ってしまいがち…(笑)
(A課長)
どのような性格もプラスマイナスはありますから(笑)
以前、アドラー心理学のライフスタイルを紹介しましたが、Sさんはそのことを憶えてくれていたわけだ。
(Sさん)
血液型というか、大昔動物占いも流行りましたね。「あなたは〇△□ですね」と、決めてくれるというか、人ってそういう「はっきりした物言い」を求める傾向があると感じています。「あるある!」で共感するというか、盛り上がるのが人の常です。
この世に二つとして同じライフスタイルは存在しない!
(A課長)
実はアドラーは分類には反対していました。「この世に二つとして同じライフスタイルは存在しない」という見解を持っています。ただしアドラーのすぐれた人間観察力を理論化し、広めていくためには、アドラーの概括的というか、ゆるやかな類型論を弟子たちは精緻化していく必要がある、と感じていました。そのあたりについては、アドラーはおおらかでしたね。「しょうがないか…」といった印象です。
他方でフロイトは自分の理論がくずされるのを極度にいやがりましたから、アドラー、ユングなど優秀な弟子ほど離れていきます。そして、解き放たれた弟子たちが、すごい理論をどんどん打ち立てていくのです。
フロイトが20世紀初頭に創始した「精神分析」は当時の人間観からすれば、驚天動地であり“とんでも理論”でした。ただし、アドラーやユングのような天才たちをひきつけ、強烈な刺激を与えます。ですから、フロイトが存在しなかったらカウンセリング分野の心理学の発展はなかったでしょうし、だからこそフロイトは巨星なのです。
アドラーに戻ります。正確に言うと「アドラーのライフスタイル」ではなくて、「アドラー心理学のライフスタイル」と、アドラーとのイコールを外すのが一般的です。面白いことに、今日臨床で最も使われるのがこの「ライフスタイル分析」ですが、哲学的なアドラーの視点を、テクニカルというか実践で活用できるようにしたのは弟子たちであり、まさにコラボレーションなのですね。
アドラーが自分の理論を科学の枠に閉じ込めなかったことも奏功し「実践として活用できる」と、多くの人の共感を得て広がっていきました。
考えてみれば、厳密性が求められる科学も、ネイチャーやサイエンスに発表される発見は、そのすべてが「科学的過程」であると言ってもよいのではないでしょうか。それらは次々に書き換えられ、発展の動態として推移していくのが科学なのだと思います。
科学とはすべてが過程であり終着なき発展する動態である。
(Sさん)
Aさんの熱弁だ。科学の発展は空想物語ではなくて、いつか現実になる。メタバース、Web3.0もリアル感が出てきたので未来が楽しみだ。
(A課長)
Sさん、アイスブレイクは日本の四季からでしたが、今日の1on1のテーマが見えてきました。9月22日の日経新聞Deep Insightの中山コメンテーターのコラムです。そのなかで、CSV…クリエ―ティング・シェアード・バリューを取り上げています。
(Sさん)
CSVは前々回、9月12日の1on1でAさんが話題にしましたよね。9月8日の中山コメンテーターのコラムが、グローバル企業のネスレを取り上げていたので、そこからAさんがCSVを連想し、解説してくれました。そのとき中山さんはCSVには触れていません。Aさんは先取りしていた、という訳だ。
(A課長)
いえ、そういうことではなく…
9月22日の記事は、長寿企業にはこのCSVが組み込まれている、という視点で書かれています。養命酒が1602創業、キッコーマンは1661年創業、などが紹介されていますね。
(Sさん)
養命酒は時おり飲んでいますが、江戸幕府が開設されたころからなのですね。それは凄い。
(A課長)
記事のタイトルは「風雲児モデルナの転換点」です。2018年米ナスダック上場時は、製品らしきものを持っていなかったにもかかわらず、世界が切望したワクチンをmRNAにより超短期で開発し、莫大な売上・利益を上げています。
(Sさん)
時価総額も「ビッグファーマ」と呼ばれる巨大医薬品企業の中で10位に食い込んでいるようですね。「バイオテックのテスラと呼ばれている」というのは言い得て妙だ。
(A課長)
そのモデルナの時価総額が一時半分に減っています。新型コロナがインフルエンザのような扱いになりつつある状況もあって、過剰生産が顕著になってきている。その焦りからか、同じmRNA技術を使うファイザーなどを相手取って特許訴訟を8月に起こしていますね。
モデルナに長期の視点は果たして存在するのか!?
(Sさん)
ふんばりどころのところだと思いますが、モデルナは「メーカー総出で世界にワクチンを供給しましょう」という社会的要請から反転、とも取れる意思決定をしている、ということですね。
(A課長)
中山コメンテーターは、CSVの視点でエーザイを取り上げます。同社の「価値創造レポート」によると、2014年からアフリカなどの25カ国に熱帯病治療薬を無償供与しており、18年までの5年間に創出された価値の1年間平均は1600億円になっている、と書かれています。
(Sさん)
無償とあるけど… 直接的コストは左の表の脚注に小さい字でコメントされていますね。薬価そのものは24億円。それがどうして1600億円になるのかというと… 治療で取り戻した労働時間、供与先25カ国の最低賃金、人数、削減できた社会保障費用、平均余命を勘案した試算、との説明だ。「患者全体の生涯価値である金額」は6兆7675億円という数値も掲示している。自社だけの独自試算ではなく、ハーバード・ビジネススクールとの共同ということで、信頼性を与えている。
(A課長)
説明することの重要性に気づかされます。「24億円の無償供与」だけだと、「すばらしい」との印象は与えられるけど、それにとどまってしまう。試算とはいえ、こうして詳細に説明されると、その24億円の意味というか、豊かな物語に広がっていく社会的価値が想像できますね。
翌9月25日の日経には追加記事もあります。このエーザイに加えて、メルカリの数値も紹介されています。タイトルは「ESG貢献度を数値化~メルカリやエーザイ、事業の効果示す」です。記事によると、メルカリのフリマアプリにおける衣類の売買で、5.9万トンの衣類廃棄と約48万トンの二酸化炭素(CO2)排出量の発生を回避した、と書かれています。
Sさん、Z世代は社会的価値を真剣に考えているのを実感します。会社が受け身ではなく、社会的存在として積極的に発信することを彼らは強く求めています。Z世代の象徴であるグレタ・トゥーンベリさんは、世界を動かしました。気候変動は将来の危機ではなく今現実の脅威になっています。
若者世代は未来に対する切迫した危機感を持ち、社会的価値を真剣に捉えている!
2015年12月にCOP21で「パリ協定」が採択され、科学的根拠に基づく目標のSBT…Science Based Targetsとして、世界の気温上昇を産業革命前より2℃を十分に下回る水準の「Well Below 2℃」が定められました。2016年11月に発効しています。実質的には1.5℃まで下げないと、本当にマズい!
(環境省・経済産業省「グリーン・バリュー・プラットフォーム」)
(Sさん)
そうか…Aさんはグループ横断のサステナビリティチームのリーダーも兼務していたから詳しいはずだ。切迫感が伝わってきます。
(A課長)
おかげさまで現在は独立した部門となり、私は外れることが出来ました(笑)
チームのミッションは、グループが排出するGHG…温室効果ガスを数値化して、統合報告書に詳細に記述することです。かなり高度な専門的知識も要求されます。5年前からCDPの質問書に回答することも始めています。おかげさまで直近2年はA評価を獲得しています。
(Sさん)
A評価を最初に獲得できた2年前、社内は湧きましたね。そういえば若い世代は売上よりも関心が高かった…
(A課長)
CDPはCarbon Disclosure Projectの頭文字をとった名称で、カーボン、すなわち炭素などのGHGの排出量を開示する、と言う意味です。2000年にイギリスで発足したのですが、現在は水資源、森林資源の開示も行っており、略称のCDPが正式名称となっています。国際的な非政府組織であり、環境報告のグローバルスタンダードと言える機関です。CDPのスコアは、世界の投資家たちがESGの視点で企業に投資する指標にもなっているので、各社とも真剣です。
(CDPからの情報提供)
CDPは環境報告のグローバルスタンダードとも言える非政府組織であり、世界の投資家たちの指標ともなっている。
勉強は5年前に手探りで始めました。A評価を獲得しているロレアルとユニリーバの質問回答書をまず手に入れ、読み込むことからのスタートです。ものすごいボリュームで、「〇〇については、△□というデータから導き出される」というロジックの氾濫というか、それが細部にまで徹底しているのです。
もちろんグリーンウォッシュは論外で、“中身があってこそ”なのですが、「こういうことまで書かないと高い評価はとれないのか?」と、最初の頃はまったく気合が入りませんでしたね。
日経新聞の記事に、エーザイがハーバード・ビジネススクールと共同で、6兆7675億円の価値創出を導き出していますが、まさにその手法です。兆円規模になると「ちょっと…」と感じてしまいますが、欧米企業は「書けることはとにかく書く!」というスタンスです。
横断チームは、各社から若いメンバーを出してもらったのですが、驚いたのはリーダーである私よりも彼らの方が、モチベーションは明らかに高かったのです。私は恥じ入りました。同時に力が湧いてきました。
『京セラフィロソフィ』の中の稲盛さんの言葉である「潜在意識にまで透徹する強い持続した願望を持つ」の実践でした。
「勉強し続ける」ということは裏切らないですね。確実に前に進んでいることが実感できます。そうすると、チーム全体に力がみなぎってきます。
(Sさん)
その延長上にA評価がある。
「勉強し続けること」は裏切らない。未来に通じる道!
(A課長)
本当にそうです。若い彼らはCDPによってものすごく鍛えられました。どの部署でも活躍できる逸材ぞろいに成長しています。
私は環境問題に向き合うことで、CSVを体感しています。それは世阿弥の風姿花伝「秘すれば花」とは違います。「話さなくてもわかってくれる」ではなく、隠れているかもしれない社会への貢献をしっかりと「見える化」させ、それを的確に表現し伝えていくことです。
経済的価値と社会的価値は間違いなく共存できるし、歴史を刻む企業は、まさにCSVを血肉化させているのではないでしょうか。
継続する企業にはCSVがそのDNAに組み込まれている!
(Sさん)
Aさん、中山コメンテーターは次のような言葉で記事を〆ていますね。
時間軸をより長くしてみよう。日本の株式市場で最も古い企業の一つ、岡谷鋼機(1669年設立、鉄鋼・機械商社)の岡谷篤一取締役相談役(13代目)は、持続的経営の秘訣は「地域と育つ」だと指摘する。国内外の進出先で必ず取り組んできたのは、地域の教育の場への有形無形の支援だ。
岡谷氏は長年の経営経験から、企業価値全体の「7割」は社会的価値だと明言する。300年以上ぶれない老舗企業と3日でワクチンを開発するモデルナ。経営の持続性が経済と社会、2つの価値にかかっている点では同じだ。
(A課長)
Sさんとの1on1で語り合った内容を振り返ってみて、骨太のテーマというか、目指してきたのは「異質の調和」だと思います。
(Sさん)
まさにそうですね。私は渋沢栄一にほれ込んでいるのですが、栄一は官僚時代の同僚で大親友の玉乃世履から痛烈な言葉を浴びせられます。玉乃は後に、現在の最高裁判所長官である大審院長になった人物です。
「君も遠からず長官になれる、大臣になれる、お互い官職にあって国家のために尽くす身だ。それなのに、賤しむべき金銭に目がくらんで、官職を去って商人になるとは実に呆れる。今まで君をそういう人間だとは思わなかった」(『論語と算盤(現代語訳)』より)
渋沢栄一はその時『論語』を持ち出して抗弁するのですが、その理解はまだ中途半端な状況であり、以後徹底的な『論語』研究に没頭します。そして数々の実践も経て「道徳経済合一説」という渋沢哲学を確立します。まさにCSVです。
マイケル・ポーターよりはるか昔に渋沢が提唱していました(笑)
渋沢栄一はポーターよりはるか昔にCSVを提唱していた!
(A課長)
渋沢栄一はノーベル平和賞の候補にもなったと言われていますよね。渋沢の人生って、対立する人たちの間に分け入っていき、そしていつの間にか大団円につなげてしまう、といったイメージです。
緒方貞子さんも紛争地に自ら足を運び、複雑な利害関係の調整をやってのける。
(Sさん)
ものすごいエネルギーだと思います。渋沢にしても緒方さんにしても、心の許容量がものすごく大きくて、その姿・言葉に接すると、いつのまにか感化されてしまうというか、絡み合ってどうしようもなかった心のぐちゃぐちゃが、溶けていくのだと思います。
挙措動作も含めて“すべてが信用のかたまり”だったのではないでしょうか。
(A課長)
稲盛さんがお亡くなりになって、『京セラフィロソフィ』を語る1on1を始めていますが、稲盛さんとは「利他の精神」であり「心の経営」です。世の中全体はますます複雑怪奇になっていますが、本質はシンプルであり、それを稲盛さんが語り部として、諄々と説かれたのだと思います。
稲盛さんは透徹する視線で未来を視ていた!
(Sさん)
『京セラフィロソフィ』を読むと、稲盛さんの視点が「超長期目線」であることが伝わってきます。「長寿企業にはCSVが組み込まれている」、という真理をじっくりとかみしめてみようと思っています。
坂本 樹志 (日向 薫)
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