最初に、ある人からの手紙を受けたその返信(最後の箇所)を紹介します。
(前略…以下の内容は全体の約3%です。この終結に至る前に多くの文字が綴られています)
文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方……これほど、戦争というものと対立するものはほかにありません。だからこそ、私たちは戦争に憤りを覚え、戦争に我慢がならないのではないでしょうか。
戦争への拒絶は、単なる知性レベルでの拒否、単なる感情レベルでの拒否ではないと思われるのです。少なくとも平和主義者なら、拒絶反応は体と心の奥底から湧き上がってくるはずなのです。戦争への拒絶、それは平和主義者の体と心の奥底にあるものが激しい形で外にあらわれたものなのです。私はこう考えます。このような意識のあり方が戦争の残虐さそのものに劣らぬほど、戦争への嫌悪感を生み出す原因となっている、と。
では、すべての人間が平和主義になるまで、あとどれくらいかかるのでしょうか? この問いに明確な答えを与えることはできません。けれども、文化の発展が生み出した心のあり方と、将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安……この二つのものが近い将来、戦争をなくす方向に人間を動かしていくと期待できるのではいでしょうか?
これは夢想(ユートピア)的な希望ではないと思います。どのような道を経て、あるいはどのような回り道を経て、戦争が消えていくのか。それを推測することはできません。しかし、今の私たちにもこう言うことは許されていると思うのです。
文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる!
最後に心からのご挨拶を申し上げます。私の手紙が拙く、あなたを失望させたようでしたら、お赦しください。
前回のコラムでは、ロジャーズがフロイトの論文を4つ引用し、その人間観について徹底的に「アンチ」の視点で語っていることを取り上げました。確かにフロイトの論文は、「ペシミズムの極み」、とも受けとめられる内容です。そこで今回のコラムでは、ペシミズムからオプティミズム…とまではいえませんが、未来への希望を語りたいと思います。
ロジャーズのフロイトに対する視線は…?
さて冒頭の引用です。まずは「ロジャーズの手紙」を紹介しましょう……というのはウソで、この手紙は、実はフロイトのものなのですね。
いかがでしょうか?
前回の4つの論文と比較してみてください。同じ人物のものとは思えないほど、違いが際立っています。
私はロジャーズの理論について、そのヒューマニステックな考えに大いに共感を覚えるところです。ですが…「1930年代において、心理学会全体にオーソライズされ、権威として聳え立っていたフロイト理論に異を唱えるところから始まった“ロジャーズの(政治的)闘争”は、1970年を迎える頃に至り、自分の提唱する人間性心理学が、心理学領域における大きな潮流となった!」…このことを“証明”するための論文構成として、あえて“極端な”フロイトの文章を取り上げているような気がして、私は“若干の違和感”を覚えていたのですね。
フロイト最大級の評価として定着しているのは「20世紀を代表する思想家!」
フロイトの今日における最大級の評価として、「マルクス、ダーウィンと並ぶ20世紀を代表する思想家」というものがあります。私も強く共感するところです。
もっとも理論については、フロイトが目指した「精神医学」の領域において、脳科学の著しい発展により、今日では、“科学とは別のもの”としての認識が広がっているといえそうです。
私は、2月17日のコラムで以下のようにコメントしました。
……私は「科学だ」と称されるものは、その時点での「科学的な過程」だと理解しています。「科学」の終着は永遠に訪れることはなく、理論が発表された次の瞬間から書き換えられ、それが「発展」と称される動態となって推移していくのではないでしょうか。……
フロイトは、「精神分析は科学である!」という意志(願望?)が強すぎたために、結果的に「科学」から遠ざかっていったのでは、と私はイメージしています。
さて、冒頭の手紙です。誰宛の返信なのか…? タイトルにも登場させましたので、お分かりかと思います。アインシュタインがフロイトに宛てた手紙への回答なのです。
両者の手紙のやりとりは、『ひとはなぜ戦争をするのか…A.アインシュタイン/S.フロイト 浅見昇吾 訳(講談社学術文庫)』として出版されています。
そのなかで、「訳者あとがき……ナチズムの嵐に消えた世紀の戦争論」には、以下のように記されています。
ユダヤ人にとっての第二次世界大戦前夜の状況とは…
発端は、1932年に国際連盟からアインシュタインになされた依頼である。
……今の文明でもっとも大事だと思われる事柄を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください。
アインシュタインが取り上げたテーマは「ひとはなぜ戦争をするのか?」
議論の相手に選んだのは、人の心の専門家フロイト。
こうして、世紀の戦争論が生まれた。
(中略)だが、何よりも驚くのは、この世紀の戦争論が今まで埋もれていたことであろう。なぜだろうか? ナチズムの嵐の中に消えていったからである。
書簡が交わされた翌年、ナチス政権が生まれ、ユダヤ人たちを追いつめていく。アインシュタインもフロイトもともにユダヤの血を引いていたため、ナチスの魔の手が伸びる。
アインシュタインは武器隠匿の容疑で家宅捜索を受ける。暗殺の脅威すら感じ、ついにはアメリカへ亡命する。
フロイトも困難な状況に直面する。ヒトラーが政権を握り、精神分析関係の書物が禁書となってしまう。ナチスがオーストラリアに侵攻した折には、「国際精神分析出版所」が接収されてしまう。そして、フロイトもナチスの家宅捜索を受け、亡命を決意し、ロンドンに赴く。
訳者はこのように綴りながら、「二人の議論が公刊されることはほとんどなかったことを踏まえると、この往復書簡が、新たな世紀の歴史を歩み始める今、20世紀の巨人の手になるこの戦争論が日の目を見たことは、大きな意味があるだろう(原本は2000年に花風社より刊行されています)」、と驚きとともに意義を語ります。
今回のコラムの最後に、アインシュタインがフロイトに宛てた「手紙の冒頭」のみを引用しておきます。
私のなかには、「この往復書簡の内容について熱く語ってみたい!」、そしてフロイトの理論とは別に、「思想家としてのフロイトにアプローチしてみよう!」という内なる声が存在しているのですが、「戦争論」については、あまりにも大きくて深く、重いテーマということもあり、コメントを控えさせていただきます(今このときにおいて)。
(追伸)
私は書評家ではないので、「この本を手に取ることをお薦めします!」とのコメントをこれまで発していないと思うのですが……この往復書簡については、撤回させていただきますので。
コラムの最後に、アインシュタインの手紙(冒頭)を掲載します!
1932年7月30日
ポツダム近郊、カプートにてフロイト様
あなたに手紙を差し上げ、私の選んだ大切な問題について議論できるのを、大変嬉しく思います。国際連盟の国際知的協力機関から提案があり、誰でも好きな方を選び、今の文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交換できることになりました。このようなまたとない機会に恵まれ、嬉しいかぎりです。
「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」
これが私の選んだテーマです。技術が大きく進歩し、戦争は私たち文明人の運命を決する問題となりました。このことは、いままで知らない人がいません。問題を解決するために真剣な努力も傾けられています。ですが、いまだ解決策が見つかっていません。何とも驚くべきことです。
私の見るところ、専門家として戦争の問題に関わっている人すら自分たちの力で問題を解決できず、助けを求めているようです。彼らは心から望んでいるのです。学問に深く精通した人、人間の生活に通じている人から意見を聴きたい、と。
私自身は物理学者ですので、人間の感情や人間の想いの深みを覗くことには長けておりません。したがってこの手紙においても、問題をはっきりとした形で提出し、解決のための下準備を整えることしかできません。それ以上のことはあなたにお任せしようと思います。人間の衝動に関する深い知識で、問題に新たな光をあてていただきたいと考えております。
なるほど、心理学に通じていない人でも、人間の心の中にこそ、戦争の問題の解決を阻むさまざまな障害があることは感じ取っています。が、その障害がどのように絡み合い、どのような方向に動いていくのかを捉えることはできません。あなたなら、この障害を取り除く方法を示唆できるのではないでしょうか。政治では手が届かない方法、人の心への教育という方法でアプローチすることもできるのではないでしょうか。
(ここまでが全体のほぼ1/5です…後略)
心からの友愛を込めて
アルバート・アインシュタイン
坂本 樹志 (日向 薫)
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