心理学とコーチング ~ユングの無意識の世界 その2~(2020/06/30)

今回のコラムは、前回に引き続き、ユングの無意識の世界を探訪してみましょう。
ユングは無意識を、個人的無意識と普遍的無意識の2層に分けてとらえていることを前回のコラムで紹介しました。
河合隼雄氏は、『ユング心理学入門(岩波現代文庫…刊行は 焙風館/1967年 )』の中で、中学2年生の学校恐怖症の男子(約2ヵ月学校を欠席)の事例から、普遍的無意識、そしてキー概念である元型を説明しています。

太母(great mother)は、生の神であり、同時に死の神である。

<夢>
自分の背の高さよりも高いクローバーが茂っている中を歩いてゆく。すると、大きい大きい肉の渦があり、それに巻き込まれそうになり、恐ろしくなって目が覚める。

『この夢について、この少年は何も思いつくことがない。(中略)…この夢の中心をなす恐ろしい渦は、われわれに多くのことを思い浮かばせる。この場合の渦は、渦巻線というよりは、何ものも吸い込んでしまう深淵としての意義が大きいが、このような深淵は多くの国の神話において重い役割を演じている。すなわち、地なる母の子宮の象徴であり、すべてのものを生み出す豊穣の地として、あるいは、すべてのものを吞み尽くす死の国の入口として、常に全人類に共通のイメージとして現れるものである。(中略)…このような深い意味を持った母なるもののイメージは、全人類に共通に認められるものであるが、これを個人的な実際上の母親像とは区別して、ユングは太母(great mother)と呼んでいる。地なる母、太母が、生の神であると同時に死の神である二重性は、渦巻線によって象徴されることもある。渦巻はまた、太母の乳房の象徴として用いられるもので、太古からある太母の像には、よく現れるものである。』

ユングは、普遍的無意識は「想像力の原点として存在する集合的な力をもった無意識」であるとし、そこに存在している共通するイメージを生み出す力を、上記の、太母に加え、アニマアニムスペルソナなど基本的な型元型として見出しています。

・太母(great mother)
自立が問題となってその背景を見出そうとする場合に、イメージされるのがこの太母です。この元型がプラスとして働く場合は、大いなるものに包まれた安心感を抱くことができます。ところが、そこからの自立を志向し、意識が外界に向かおうとした場合に、そのプラス面に浸っている環境が長く強すぎてしまうと、太母のマイナス面が象徴的に現れてくるのです。自立の不安(分離不安)、恐れを感じているのはあくまでも本人なのですが、そこに自立を阻害する太母に吞み込まれるようなイメージ、自分(太母)の監視下から逃れようとしても、それを絶対許さない、といった強大なる管理者(太母)に支配されるイメージです。ここでジェンダーにとらわれて、「“太父”ではダメなのか?」という疑問を抱かれる方がいるかもしれません。ユングも言っているように、多くの神話で共通に認められるイメージから、この太母を考え出しました。父(父性)のイメージとは結びつかないという点で、太父はオーソライズされないだろうことは自明ですね。
ちなみに、太母が、母親をイメージする元型であるのに対し、父親と関連の深い元型についてユングは、老賢人(old wise man)を充てています。私はネーミングも含めて、この元型については若干違和感を覚えているので、解説は省略させていただきます。

影(shadow)は悪とは限らない。自分の中で取り上げられ、生きていかねばならない側面を持つ。

・影(shadow)
河合氏は『ユング心理学入門』で、影を次のように説明しています。

『多くの元型のうちで、そのひとの個人的な心的内容と関連性が深く、したがって理解しやすいものが、影である。影の内容は、簡単にいって、その個人の意識によって生きられなかった反面、その個人が許容しがたいとしている心理内容であり、それは文字通り、そのひとの暗い影の部分をなしている。われわれの意識は一種の価値体系をもっており、その体系と相容れぬものは無意識下に抑圧しようとする傾向がある。(中略)…影は常に悪とは限らない。今後自分の中に取り上げられ、生きていかねばならない面と考えられる。つまり、今までそのひととしては否定的に見てきた生き方や考えのなかに、肯定的なものを認め、それを意識のなかに同化していく努力がなされねばならないのである。』

河合氏は、影を同化することのむずかしさを国家レベルの事例により説明しています。おなじく『ユング心理学』の中から紹介しましょう。

『影を認知し同化することのむずかしさは、われわれに投影の機制をフルに用いさせることになる。自分の内部にある認めがたい影を他人に投影し、とにかく悪いのは他人で自分はよしとするのである。(中略)われわれ日本人にしても、戦争中は鬼畜米英などと教えられ、アメリカ人はすべて鬼のように恐ろしいと信じ、また、アメリカ人も日本人の残虐さを確信していたことだろう。実際、一国すべてが鬼に等しいなどという単純な現象は起こりようもないが、この単純な考えを、一国のほとんどの人が信じるという現象が、しばしば起こるという事実を認識することは大切なことである。内部にあるはずの悪を他にあるように信じることは、何と便利なことか。このことを知っている狡猾な為政者は、適当に影を投影する方法を探し出すことによって、全体の団結を高める。その顕著な例として、ヒトラーによるユダヤ人の排斥をあげることができるだろう。ヒトラーの強力な全体主義体制によって生じる問題を、すべて悪としてのユダヤ人に国民の目を転じさせることによって、免れようとしたとも考えることができる。』

人は「善と悪の両方を抱え込んだ存在」である。

河合氏は、『ユング心理学入門』で、この影についての記述を多くとっています。ユングの特徴は、あらゆる現象を“相補性”でとらえることにあります。“善悪二元論”ではなく、「善でもあり悪でもある」というスタンスです。太母は、まさに両面を併せ持ったイメージであり、この影についても個人の内部で、相補的なものとしての存在を指摘しているのです。この「悪を併せ持つ」ことを、村上春樹氏との会話の中で、河合氏は面白く表現しています。

<村上> 「昨年、先生とお目にかかったときに悪についてお話をして、それでいろいろ考えたんですが、悪というのは人間というシステムの切り離せない一部として存在するものだろうという印象を僕は持っているんです。それは独立したものでもないし、交換したり、それだけつぶしたりできるものでもない。というかそれは、場合によって悪になったり善になったりするものではないかという気さえするんです。つまりこっちから光を当てたらその影が悪になり、そっちから光を当てたらその影か善になるような。それでいろんなことの説明がつきます。ところがそれたけでは説明がつかないものもたしかにあるんです。たとえば麻原彰晃を見ていても、少年Aを見ていても、純粋な悪というか、悪の腫瘍みたいなものがわっと結集して出てくる場合があるような気がしています。そういうものが体内にあって、「悪の照射」とでも言うべきものを起こすんじゃないかと。そういう印象を強く持ちました。うまく説明できないんですが。
<河合> 「それはやはり、我々の社会がそういうものを見ないように、見ないですますようにしすぎるからだと僕は思います。そうなるとどうしても、固まったものがばんっと出てきます。たとえばね、少年A事件が起こったときに、子供たちが陰に隠れて悪いことをしたらいかんからということで、そのへんの樹木を全部切ってしまったんです。僕はそれを聞いてものすごく腹が立ちました。話はまるっきり逆なんですよ。子供たちは大人の見ていないところで、子供なりに悪いことをして成長するんです。いつもいつも大人から見られているから、あんなことが起こってしまうわけですよ。ほんまに腹が立つ。僕は樹が好きやからね、木を切るというだけで腹がたつんやけど(笑)」

(『約束された場所で/文芸春秋 1998年』より)

相互に関係の深い3つの元型とは?

・アニマ(anima)、アニムス(animus)、ペルソナ(persona)
続いて元型を3つまとめて紹介します。この3つは相互に関係の深い元型とされています。『ユング心理学入門』の該当部分をピックアップしてみます。

『ユングは、夢のなかに現れる異性像、すなわち、男性であれば女性像、女性の場合は男性像が、心理的に非常に大きい意味をもつことに気づき、それらの元型として、女性像の場合をアニマ、男性像の場合をアニムスと呼び、その意味を探求したのである。(中略)ペルソナという言葉は、もともと古典劇において役者が用いた仮面のことである。ユングがこのような言葉を借りてきた意図は明らかであり、ペルソナとはわれわれが外界に対してつけている仮面であるということができる。(中略)一人の男性が「男らしさ」を強調するペルソナをもつとき、それは内に存在する女らしさ、アニマによって平衡が与えられ、女性の場合は、その女らしさをアニムスによって補償される。しかし、これが相補的に働くよりも、極端な同一化の機制によって、むしろ破壊的に作用を及ぼすこともある。つねに強く、厳しい男性が、浅薄な同情心に動かされて失敗したり、いつも愛想のよい奥さんが、新聞に書いてあった偉い先生の意見を基にして、お客様に演説を始めたりするのも、このためである。こんなとき、われわれは、あのひとはまったく別人のようだといったりするが、これは、まさに男性の背後から一人の女性が、あるいは女性のなかから他の男性が出てきて行動しているかのような感じさえいだかせるのである。われわれは、このような危険性を防ぐためには、あくまでもペルソナやアニマ・アニムスとの同一視をさけ、それらを分化し、よく認識していくように努めねばならない。』

元型のイメージをつかめていただけましたでしょうか?
前回のコラムでの河合氏のコメントである、
「…元型そのものはわからないんだということです。元型そのものは意識されることはなくて、人間は元型的なイメージをいろいろと意識する。ところが、その元型的なイメージをいろいろ取り上げていくと、それらの背後に一つの型を予想していいんじゃないだろうかと思うんです。」
この意味を、ユングが見出した具体的な元型を一つひとつひも解くことで、像(イメージ)が結ばれたとしたら今回のコラムの目的は達成です。

村上春樹氏はコーチングにおける「傾聴」の優れた使い手

さて、『約束された場所で』のなかで、村上春樹氏が地下鉄サリン事件の被害者に対して取材している際のスタンスが、まさにコーチングとしての「傾聴」であることを河合氏が指摘しているところがありました。最後に当該シーンを引用し、今コラムを終了したいと思います。

<村上> 「…僕は多くのマスコミや評論家がやっているように、オウム真理教の側の精神性とか思想性をとりあげて今ここで解析していっても、とりあえずどうしようもないんじゃないかという気がしたんです。そういう、意味の言語化みたいな迷路にはまりこんでしまうよりは、いったん出来事を普通の人の立場に戻して、テクニカル・タームをとっぱらって、そこからあらためて事件を眺めたほうがいろんなことが見えやすいんじゃないかということです。」
<河合> 「でもこれは村上さんが聞いている態度によって、これだけのもんが出てきたんだと思います。僕は内容を見ていると、それがすごくよくわかります。村上さんはここでは聞き役で、ほとんど前には出てこないんだけれども、こういうことをしゃべるというのは、村上さんが聞いているから出てくるんであって、普通の人が聞いても出てきません。ほんとにそうですよ。」
<村上> 「それは具体的に言うと、どういうことなんでしょうか? 僕は夢中になって聞いていただけなんで、よくわからないんですが。」
<河合> 「たとえば私が震災のところに行くとしますね。“じゃ、ちょっとこの震災の体験談を聞かせてください。本に書きますので” なんてやったら、こんなふうに話は出てきません。“いや、もう大変でした” と言うかもわからんし、“家が潰れました” と言うかもわからん。でもそんな話をしているうちに、いやになってくると思います。つまりね、話をしていても、相手にわかってもらえないと、気持ちは出てこないのです。相手によっては、話がものすごく簡単になってしまったりする。でもこの本の中ではみんな話がいきいきとしているでしょう。なかなかそういう感じでは人はしゃべれないものなんです。」

(日向 薫)

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