心理学とコーチング ~社会的促進と社会的抑制~(2020/04/23)

「人は他者から影響を受け、そして影響を与えることを通して社会的動物となっていく」という言葉がありますが、この互いに影響を及ぼしあう過程を理解することが、対人行動のカテゴリーです。その中の一分野である「社会的促進と社会的抑制」を取り上げます。

人は他者の存在によって活動のあり方が変わっていく

「社会的促進」は、ある課題を遂行する場合に他者がいることによって個人の活動が促進されること、つまり作業効率や成績が向上する場合をいいます。他方「社会的抑制」は、周りに他者がいることで逆の現象も起こりうる、ということです。

この両面については心理学で指摘されるまでもなく、多くの人が自分自身の体験や実感によって「その通りだよね」と合点するところですが、心理学者は一見当たり前だと認識する現象を理論化するために実験を行います。

ただ物理や化学のような純粋な科学実験と異なり、心理学の実験は、基本的に人間を被験者として設定するため、人間という存在の複雑性、変数の多さにより、“理論”と名付けられた現象に対し「再現性に難がある」と指摘されることも少なくありません。

少し脇道それました。ここで興味深い実験を紹介しましょう。
その実験は心理学者のザイアンスが提唱した“仮説”を実験によって実証した、とされるものです。

ザイアンスは次のことを発表しています。

  • 他者が周りにいると一人でいる時よりも意識が覚醒した状態になる。
  • この状態のもとでは、活動に対する動因(動機と言い換えてもよいでしょう)が高まり反応が生じる。
  • その反応の結果については、習熟した課題には正反応(促進)が、未習熟の課題は誤反応(抑制)が多くなる。

マーカスによるシンプルな実験(1978年)を紹介します。

これをマーカスが男子大学生を対象にした実験により実証しました。その実験とは、
A.自分の靴の着脱 → これは慣れ親しんでいるので「学習済みの反応」
B.実験用に用意されたソックス、靴、白衣の着脱 → 「未習熟の反応」

このAとBについて、「①単独場面」「②偶発的観察者場面」「③積極的観察者」の3つの条件下で着脱に要する時間を比較するという設定です。
その結果は…Aは①から③になるほど平均時間が短縮され、Bは逆に時間を要するようになった、というものです。ある意味で単純な実験ですが、心理学実験の一端が理解できるのではないでしょうか。

スポーツ選手の大活躍は日ごろの練習の裏付けがあるからこそ。

よくスポーツ選手が大歓声の前にもかかわらず(だからこそ)、日ごろの実力以上のパフォーマンスを発揮することがあります。そのヒーローインタビューで「みなさんの応援のお陰です」、そのあとに「私はもともとそんなにセンスがあるタイプではないので、とにかく練習しています。人の何倍も…それしかないですから」とコメントが発せられることを私たちは自然に受けとめています。

社会的促進と社会的抑制の違いは「習熟度」にある、ということがわかりました。これについては納得できますが、私はこの習熟度に加えてもう一つキーワードを指摘したいと思います。それは「自信」です。
心理学では、この「自信」というワードが頻繁に登場します。どうすれば自信がつくのか…については百花繚乱ともいえるさまざま意見や本が発表されていますが、その自信を得る手段の一つが「練習量であり習熟度」です。でも、一流選手でも「スランプ」は訪れるし、最近では「イップス」ということばも登場しています。人間は機械ではありませんから、心の作用によりイレギュラーな現象が多々起こってしまうというのも事実ですね。

習熟度に加えて自信のあるなしが活動のあり方を大きく左右する。

この自信については、上記のAとBの違いを分析してみましょう。
人は未知の現象については、自信が持てません。つまり「知らないこと」「経験していないこと」に対して人は「知らないし出来ない」と感じるのがノーマルであり、それが技能であれば、その課題を与えられると「不安」を覚えます。Bについては経験不足ですから、始まる前から「不安」を抱いて手足を動かすのが、ぎこちなくなるのは当然です。Aについては慣れ親しんだ行動ですから、何も考えなくても手足が勝手に動いてくれます。

さてここからですが、周りに人がいると、そして熱心に見ているという環境だと、これまでのコラムで取り上げた「態度の4機能」の一つである「価値創出機能」、つまり自分の価値(の高さ)をアピールしたいという意識が起動します。

また前回のコラムである「自己呈示」の方略も想起されますね。自信のあることは「うまくできる」というイメージが確固として存在するので、「余裕をもてます」。ピアニストは演奏会場で「次に打つべきキーはどこか?」などとはまったく考えていません。むしろ何も考えず指が動くままに身をゆだねているのです。そうではなく、「次のキーは何だっけ?」と考えた瞬間に、頭が真っ白になってしまって…つまりイップス現象が起こる可能性大です。

他方、Bの場合ですが、誰もいない場面だと「失敗してもいいじゃない、誰も見ていないし…」ということで、謙虚にその技能に取り組みます。ところが人が見ていると「失敗して恥ずかしい思いをしたくない」という自我防衛機能が芽生え(自信を持てないので)、自然な行動を抑制するAとは逆の機能が起動してしまう、ということですね。

ベネディクトの『菊と刀』を読んで感じたこと。

私は確か高校3年の時にルース・ベネディクトの『菊と刀』を読んで感動したことを今もありありと想起します。この本は、太平洋戦争時に戦争情報局の日本班チーフであったベネディクトが「日本人はどのような文化背景を有し、そしてどのような態度(社会人類学としての態度)をとるのか」について、研究結果を踏まえて1946年に出版されました。そこでは「日本人は恥概念で態度が規定されている」と指摘されています。つまり「恥ずかしい」「人さまに説明できないことはするのではない」という他者の目を強く意識するのが日本文化なのだ、ということです。この文化論をBの背景に結び付けてしまうのはいかがなものか、ともいえますが(マーカスの実験は日本ではありませんし)、日本の戦争遂行の本質が希望的観測による「主観」に支配されていたのに対し、米国が「相対化」を念頭に置いていたことを知り、新鮮なショックを覚えた、というわけです。

その後この本は「確かにその傾向はあるだろうが、西洋の優位性というスタンスに立っての記述」ではないか、という批判も寄せられています。私もこの批判を否定するものではありません。ただ「余裕がなくなったとき相手が見えなくなる」「自信がないと自我防衛機能がはたらき相手を客観視できなくなる」というのが太平洋戦争に至る、そして敗北した日本に姿であったのは確かで、私たちの日ごろの行動を検証する上で、大いなる示唆を与えてくれます。

コーチングは「自分を知り、他者を知る」ことが基本テーマであり、ここに近づけたとき最大の喜びを感じることができる世界です。
最後は自分の読書体験になりましたが、今後のコラムでも折に触れて紹介させていただければ、と考えています。

(日向 薫)

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