「このままじゃダメだ」ということだった。
だからこそ、社長就任を断るという選択肢は、私の中にはなかった。
この時点でソニーの連結社員数は16万2700人。最初は会社のあまりの大きさに気が遠くなる思いだった。しかも、社内には自信を失ってしまったような空気が流れているように見えた。
『ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」 日本経済新聞社(2021年7月12日)』を2回のコラムで紹介してきました。今回は完結編として、平井さんの1on1ミーティングの哲学を語ってまいります。
前回のコラムの最後あたりで、
「よく引き受けるよな」
「平井は何を考えているのか」
と、先輩からの手厳しい声が寄せられたことを書いています。
冒頭の引用は、その後に続く平井さんの語りです。
この先輩には、平井さんの大恩人であるソニー・ミュージックやSCEの会長などを歴任された丸山茂雄さん(9月24日のコラムで登場)も含まれており、この “厳しい激励”のなかで、平井さんは『ソニー再生』に挑んでいくのです。
今回のコラムは、著作の153ページ~176ページを中心に紹介します。ソニーの社長に就任してからを、7つの小見出しに分けて語る内容です。その小見出しとは…
- ソニーの社長に
- 厳しい船出
- 「愉快ナル理想工場」
- 「KANDO」に託した思い
- 「雲の上の人」では伝わらない
- カリスマではなく
- 肩書で仕事するな
私は1958年生まれであり、ウォークマンが世界規模で大ヒットするのを目の当たりにした世代です。創業者の井深さんや盛田さん、そして大賀社長の頃のソニーとは、「ジャパン・アズ・ナンバー1」の象徴である“世界のソニー”であったことが思い返されます。
ただしコラムでは、あえて「あの頃のソニーはすごかった!」と興奮して話すことを差し控えることにします。
平井さんのスタイルはソニーの「リーダーシップ3.0」
井深さん、盛田さん、そして大賀さんという第一世代…まさに「カリスマ型」ですが、それをソニーの「リーダーシップ1.0」と名付けます。そして、そのとんでもない重荷を背負ってバトンを受けた出井伸之さんは「リーダーシップ2.0」です。
出井さんは、インターネット、デジタル技術がどうB to Cビジネスにつながっていくのか、まだあいまいだった時期に「インターネットは隕石だ!」と、印象的なメッセージを発します。そして、 “デジタル・ドリーム・キッズ” というキーワードを打ち出し、個人としてのカリスマではなく「チーム・スピリットによるリ・ジェネレーション(第2創業)」を掲げ、「ソニー = AVメーカー」という社内の価値観(市場も肯定的評価です)からの脱皮に挑戦します。
今日でこそDXが世界を席巻していますが、出井さんが「アップル買収の可能性もあった」と、口惜し交じりの口調で語るように、ソニーは圧倒的な世界ブランドを築いていました(ただしそれはAVメーカーとしての姿です)。
ところが…なかなか業績に結び付かないのですね。
そして時は流れ、平井さんが登場します。
“デジタル・ドリーム・キッズ”から四半世紀を経た現在、出井さんの再評価が行われています。私は、平井さんの新しい「リーダーシップ3.0」が、出井さんの「リーダーシップ2.0」を引き継いた上で、ソニーを時代に適応させ、さらに未来の「KANDO」を創ってくれそうな魅力あふれる企業に大変身させたリーダーであると感じているのですね。
今はやりの「1.0」「2.0」「3.0」といった、小数点を付けた数値で時代の変遷(時の流れは連続している、という視点で使われています)を語った後は、それぞれの小見出しの中で共感したフレーズを抜き出してみます。
「厳しい船出」
「ソニーの将来のためには、避けて通れない。多くの痛みを伴う選択や判断、実行を要する場面に直面することになる」
2月2日に開いた社長就任の記者会見で、私はこう断言した。
この「痛み」とは、1万人の人員削減です。そして6月末の株主総会の前には株価も1000円を割り込み、32年ぶりの安値となるのです。
周囲の誰もが懐疑的な視線を向ける中で、私はソニー再建へと走り始めた。会社員人生で3度目のターンアラウンド。背負った責任はとてつもなく大きい。
では、何から手を付けるか…… 。これまでと同じである。まずは足を使って現場の声を拾っていくのだ。
「愉快ナル理想工場」
まずは足を使って社員の声に耳を傾けること。そしてこの会社を絶対に再び輝かせてみせるという決意を示すこと……。私の仕事はそこから始まった。
もちろん日本だけではない。この後、半年間で時間の許す限り世界中の拠点を回った。仙台をスタート地点にタイ、マレーシア、アメリカの4都市、ブラジルの2都市、中国は5都市、インド2都市、そしてドイツ……。ざっと計算してみると直線距離で地球4周分に相当する。昼はタウンホールミーティングという形で社員たちに集まってもらい、夜はパーティを開いてビールやワインを飲みながら、こちらから社員に質問をぶつける。その旅路で確信を得たのが、副社長の頃から感じていた「情熱のマグマ」の存在だった。どの国に行っても社員の熱意を感じる。「ソニーはこんなものじゃないはずだ」というエネルギーに時に圧倒されることもあった。(中略)
平井さんは、井深さんと盛田さんという二人の偉大な創業者が東京通信工業の設立趣意書の「会社設立の目的」の最初に掲げた言葉を読み返します。
「真面目ナル技術者の技能ヲ、最高度に発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」
平井さんは、「いつまでもそんな愉快な会社でいようというお二人の考えが、ストレートに伝わってくる」と語ります。その上で…
「ソニーを創ったお二人や、当時の“真面目ナル技術者”の皆さんの後輩である私が言うのも、ちょっと手前味噌に聞こえるかもしれないが、まごうことなき名文だと思う」と続け、ただ…
「様々なビジネスを世界中で展開する会社となったソニーの社員に、今私がこの言葉をそのまま引用して繰り返し発信しても、残念ながら響くことはないだろう」と冷静に受けとめます。
「KANDO」に託した思い
そんな中で生まれたのが「感動」だった。
平井さんは、子供の頃ソニー製品に感動したことを熱く語ります。具体的には、持ち運び可能な5インチ型テレビやBCLラジオの「スカイセンサー」などです。
私は、平井さんがそのスカイセンサーを持って笑っている163ページの写真を目にした時、涙が出そうになりました。
このスカイセンサーは短波放送が受信できるとはいえ、ただのラジオです。にもかかわらず、当時の価格で2万円近くしたように記憶しています。私はデザインに惹かれ、父親に買ってほしい旨訴えます。当然父親は首を縦に振りません。私は窮余の策として「これを買ってくれれば志望大学に受かってみせる!」と見えを切ります。実はその大学に合格する自信はなかったのですが、勉強机の真正面にこのスカイセンサーを鎮座させ、受験勉強にはげみました。1970年代の話です。
興奮のあまり、わたくし事を語ってしまいました(苦笑)
ウォークマンやトリニトロンは言うまでもなく、ソニーの歴史を彩る数々の名機は、いずれもユーザーに感動を与えるようなものだった。それはつまり「愉快ナル理想工場」に集まった名も無き社員たちが、そういうモノを世に問うてやろうという共通の針路を持ち合わせていたということを物語っている。
その針路の価値は今も変わらないはずだ。いや、当時と比べて事業の幅が広がりバラバラになってしまったように見えるソニーにとって、今こそ求めるべき価値である……。
私はこの言葉を「KANDO」と言うことにした。英語に置き換えるより日本語を使うことで、海外の社員にもよりストレートに響くのではないかと考えたからだ。彼ら彼女らにとってはちょっと異質な日本語をあえて使うことで、「KANDOとはなんだろう」と考えてもらうきっかけにもなるはずだ。(中略)こういった言葉は社員たちに浸透してこそ意味がある。そうでなければ「また新しい社長がなんか言ってるよ」で終わってしまう。
ソニーが向かうべき価値をどうやって社員に浸透させればいいか……。第3章で「臨場感が危機感を生む」と述べたが、臨場感は一体感も生む。
私は再び、世界を回る旅に出た。
「雲の上の人」では伝わらない
私は結局、ソニーの社長を6年間務めることになった。その間、世界中の拠点を回ってタウンホールミーティングを開いて社員たちに語りかけてきた。その数は70回を超える。6年間は72カ月なので、だいたい毎月1度は世界のどこかの町でタウンホールミーティングを開いた計算になる。
平井さんは、このタウンホールミーティングの進め方について詳細に語ります。私がテーマとするコーチング、そして1on1ミーティングとは何か?(複数人を対象とするミーティングですが本質は“1on1”ですね)を見事に説明してくれています。
タウンホールミーティングで本当に重要なのは私からのスピーチではない。むしろ重視していたのが、その後のQ&Aセッションだった。私はどこに行っても最初にこう言うことに決めている。
「皆さん、ひとつだけ守ってほしいルールがあります。それはこのセッションにルールはないということです。つまり、何を聞いてもよいということです」
そしてこう続ける。
「会社のことは当然ですが、私のプライベートなことでもなんだっていいんですよ。この場にバカな質問なんてものは存在しない。もちろん答えられないこともあるけど、その時はそう言いますから、なんでも聞いてください」
こう伝えたところで「カズ・ヒライになんでも聞いていいんだ」とは思ってもらえない。実際、最初の頃は質問の手が挙がらなかった。やっと手が挙がっても当たり障りのない質問がほとんどだった。「本当に聞きにくいことをうっかり聞いてしまって社長の機嫌を損ねたりしないか。だったらやめておこうかな……」。誰だってそう考えるはずだ。周りに座る同僚の視線も気になるだろう。その気持ちはわかる。だからこそ、こちらから「本当になんでも聞いていいんだ」という空気感を作る必要がある。社長講話という、どうしても硬い雰囲気になりがちな場をどうほぐすか。
まずやってはいけないのが、事前に社員から質問を集めて司会が読み上げるという形式だ。これでは予定調和の答弁のようなものだと思われる。タウンホールミーティングを設定する事務方の社員にとっては、社長が来るのでつつがなく進行したいという気持ちもあるだろうが、「仕込みはしないでくれ」と強く言うようにしていた。社員たちに響かない言葉になっては元も子もないし、ますます集まった社員が質問しにくい雰囲気になってしまう。
平井さんは、ときには妻の理子さんと一緒にタウンホールミーティングに臨みます。
みんなの前で奥さんから突っ込まれてタジタジになっている人間くさい姿を、あえて社員に見せています(平井さんはそれを演技ではなく「素」のままであると語ります)。
私は2021年3月9日のコラムで、権限(社会的勢力)を有した人間が陥ってしまう傾向を書きました。再掲させていただきます。
社会的勢力において優位を手に入れると、その人の態度は、謙虚さが薄れていきます。ある意味でその本人は脇が甘くなり、相手への配慮に欠けた態度が表れてきます。本人は気づくことなく、相手を傷つけてしまうのです。
社会的勢力を有している人に対して、非影響者は忖度する傾向があります(特に日本文化では)。つまり、裏面的交流が生まれるのです。上司が部下に指示した場合に、「わかりました」というYESの返事こそ、しっかり部下の本音をつかむ努力が求められます。
https://coaching-labo.co.jp/archives/3050
平井さんはただの上司ではなく「世界のソニーのトップ」です。ソニーにおいて、マージナル・マン(周辺の人)からスタートした平井さんは「権限をもつということ」、すなわち、本人の素とは異なる「肩書」の意味を骨の髄から理解しているのですね。
カリスマではなく
二人の創業者や大賀さんは、まぎれもないカリスマだ。だが私はそうではない。当然ながら雲の上の住人でもない。そう思われてはならないし、実際にそうではない。ただ、社員たちにはそうは見えないのかもしれない。ソニーの社長というだけで「雲の上の人」という目で見られているのかもしれない。かつて私がそう思ったように。
その意識を壊すなら、社長から働きかけなければならない。
肩書で仕事するな
平井さんは、中国の工場に行った時のエピソードを語ります。
私は普段、みんなが何を食べているのかも知りたいので社員と一緒に列に並んで同じものを食べる。席について食べると、ものすごくおいしい。
「いやぁ、ここの食事はおいしいねぇ!」
近くに座っていた社員にそう話しかけると「ありがとうございます」と言うではないか。
「今日は平井さんが来るから特別なんですよ」ああ、これじゃダメだ……。そんな特別扱いをされたら私まで「雲の上の人」になってしまう。みんなと同じ目線に立って話しているなんて思ってもらえない。この時はもう仕方ないので。現地スタッフには二度とそういうことをしないでほしいとお願いした。
この他にも、さまざまなエピソードを取り上げる平井さんです。
「雲の上の人」「カリスマ」「肩書」を全否定すべく懸命に努力する平井さんの姿が伝わってきます(笑)
そして第5章につながっていくのですが、この章は「チーム平井」のすばらしいメンバーの紹介がメインです。平井さんの後任として、2018年ソニーの社長兼CEOに、そして2020年に会長兼社長CEOに就任した吉田憲一郎さんについての語りに紙面の多くが費やされています。
平井さんは、2013年に子会社であるソネットの社長であった吉田さんを「ソニーのマネジメントチームに加わってもらえないか」と三顧の礼で迎えます。こうして「チーム平井」の陣容は整い、ソニーの本格的な復活劇がスタートするのです。
吉田さんの類まれな能力は、その後の実績が物語るのですが、だからこそ平井さんのリーダーシップは、“まさに劉備だなぁ” と感じるのですね。
「チーム平井」は「雲の上ではない地上に存在し」「カリスマの影を消し」「肩書はどこかに置いてきた」チームであると、私は理解しました。
平井さんの「次の夢」
そして平井さんは「エピローグ」と「おわりに」の中で、「私がこれから取り組んでいこうと考えている子供たちの貧困と教育格差に関心をもってもらいたい」と、「次の夢」を語ります。
私は『ソニー再生』について、3回にわたってコラムを綴ってきました。その前までは渋沢栄一をテーマに、8回ほど書いています。
「次の夢」を語る平井さんの心の内に目を凝らすと、渋沢栄一の姿がダブって見えます。渋沢栄一は70歳になって実業界引退を表明し、その後は教育、福祉等に、さらにアメリカを中心とした民間外交に軸足を移します。そして91歳にその生涯を終えるのですね。
「ソニーウォッチャー」を自認する者として、平井さんの今後のご活躍も拝見し続けたいと思っているところです。
坂本 樹志 (日向 薫)
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