……お父さんが、なくなってからは、僕の生活も滅茶滅茶だ。お母さんは僕よりも、山羊のおじさんのほうに味方して、すっかり他人になってしまったし、僕は狂ってしまったんだ。僕は誇り高い男だ。僕は自分の、このごろの恥知らずの行為を思えば、たまらない。僕は、いまでは誰の悪口も言えないような男になってしまった。卑劣だ。誰に逢っても、おどおどする。
ああ、どうすればいいんだ。ホレーショー。父は死に、母は奪われ、おまけにあの山羊のおばけが、いやにもったいぶって僕にお説教ばかりする。いやらしい。きたならしい。ああ、でも、それよりも、僕には、もっと苦しい焼ける思いのものがあるのだ。
いや、何もかもだ。みんな苦しい。いろんな事が此の二箇月間、ごちゃまぜになって僕を襲った。苦しい事が、こんなに一緒に次から次と起こるものだとは知らなかった。苦しみが苦しみを生み、悲しみが悲しみを生み、溜息が溜息をふやす。自殺。逃れる方法は、それだけだ。
今回のコラムは、『走れメロス』の1年後に発表された『新ハムレット』を取り上げます。
前回のコラムで、太宰治の『走れメロス』を取り上げました。その意図は……行動経済学は従来の経済学とは大きく異なり、学術的な説明をしなくても(数式は不要です)わかりやすく伝えられる、とはいえ、理論を理解するためには、“システム2”(頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる)の思考を使う必要があるので、少し頭を休めていただこうと考えた上でのテーマ選定なのですね。そして今回のコラムから、また行動経済学に戻って、オーソドックスに紹介しようと考えたのですが……もう一回、太宰について書いてみようと思います。
『走れメロス』は、太宰が西洋の古典に触発されて世に送り出しました。同じく『新ハムレット』は、題名からもわかるようにシェークスピアの戯曲である『ハムレット』をベースにした太宰のパロディ作品です。太宰は、めずらしく「はしがき」で作品を始めています。その最後のところで、次のようにコメントしています。
此の作品の形式は、やや戯曲にも似ているが、作者は、決して戯曲のつもりで書いたのではないという事を、お断りして置きたい。作者は、もとより小説家である。戯曲技法については、ほとんど知るところが無い。これは、謂わば LESEDRAMA ふうの、小説だと思っていただきたい。
二月、三月、四月、五月。四箇月間かかって、やっと書き上げたわけである。読み返してみると、淋しい気もする。けれども、これ以上の作品も、いまのところ、書けそうもない。作者の力量が、これだけしか無いのだ。じたばた自己弁護をしてみたところで、はじまらぬ。
謙遜していますが、はじめての長編をものにした安堵とともに、満足できる作品であることが伝わってきます。ちなみに、LESEDRAMAとは、「上演を意図するものではなく、読まれることを目的に書かれた、脚本形式の文学作品」です。
冒頭の引用は、叔父のクロージャス(先王であったハムレットの父の弟)が王を引き継いだ二箇月後に、城内の大広間に皆を集め、ハムレットに対して長い話(ほぼ一方的に)をした後、一人になったハムレットが独白するシーンです。全150ページ(新潮文庫)の18ページ目に登場します。
『走れメロス』は昭和15年5月に書かれ、そして『新ハムレット』は16年初夏に出版されています。収録されている新潮文庫の解説で、この時期を、
……昭和13年の後半、太宰の三十歳からはじまる中期は、生活も安定し、健康もすぐれ、太宰の生涯中でもっとも平穏な落着いた時期であった。井伏鱒二氏の媒酌で結婚した美知子夫人と三鷹下連雀に新居を構え、シナ事変の非常時のさなかであるが、一市民としてつつましく、サラリーマンのごとく規則正しく、創作に打ち込んでいる(奥野健男)。……
と書かれているように、多くのすぐれた作品が世に送り出されました。
同じ戯曲調でも『走れメロス』と『新ハムレット』は全く異なる作風です。
『新ハムレット』は、太宰による天才的文(ふみ)使いが隅々にちりばめられ、驚嘆させられる作品です。諧謔とユーモア、同時にアイロニーに富んだ展開です。ただ、『走れメロス』が、肯定としての「信」を描いているのに対し、『新ハムレット』は、ホレーショー(ハムレットの親友)を除き、すべての登場人物が「疑心暗鬼」の塊なのですね。太宰は、微に入り細に入り、その「不信感」を詳述しています。“モザイク状の多面体”である小説家としての太宰の本領発揮です。
その他にも違いが見いだせます。『走れメロス』は、会話以外のト書風の描写を多く用いています。したがって、会話はシンプルです。ところが『新ハムレット』は、太宰がLESEDRAMA(脚本形式の文学作品)と説明しているものの、ト書が無いのですね。つまり、登場人物のセリフのなかにト書的なところ(自分の感情の流れなど)をすべて含めているのです。その結果、登場人物の1回の語りが異様に長いのです。3ページを超えるシーンもあります。それは特定の人物に限ったことではなく、ハムレット、王、王妃、ポローニアス(侍従長)それぞれなのですね。読者からすれば、相手が眼前にいるにも関わらず、反応が書かれていない(わからない)一人語りといえるシーンのオンパレードなのです。そして、それぞれの長回しの一人語りには共通するパターンがあることに気づきました。それは……
長広舌の語りは、最初・中間・最後で内容がどんどん変化していく…!?
最初と中間、そして最後というふうに区分した場合、言うことがどんどん変わっていくのですね。とりあえず人はある事象に関して、一定の見解を持っています(いるはずです)。ところが、登場人物たちは、いろいろ話していくうちに内省がはじまり…『実は言っていることと違うことを考えている…』ことに気づきます(と推察されます)。それをまた語りに組み込みます。
聞く側(読む側)からすると、混乱します。支離滅裂と感じてしまいます。『新ハムレット』で太宰は、この人の思考の一貫性の無さ、別の言い方をすると、人の内部にはさまざまな感情が蠢いていることを描きたかったのではないか、と私は受けとめました。
私はこのことに気づいたときに、実際のコーチング・セッションをイメージしました。
コーチングにおけるコーチを経験された方は、実感できると思うのですが、セッションが進んでいくと(好ましく展開していくと)、クライエントの考え込むシーンが訪れます。つまり内省が始まるのですね。「これまで話したことは、ひょっとして表層のことだったのではないのか…本心は別のところにあるのでは…」という思いです。
そしてクライエントの口から回答がなかなか出てきません。コーチは静かに待ちます(ただし、クライエントが考えることに疲れてしまっての沈黙もありますので、コーチの五感が試されるシーンでもあります)。
ハムレットにコーチングをやってみたら…
コーチングではない現実の会話において、『新ハムレット』の登場人物のような、独白調の語りはめったにないと考えられます。居酒屋で会社の上司と思しきおじさんが、酔って部下らしき若者に延々と語っているシーン(お説教?)を想起されるかもしれませんが、それは「同じことをくどくど繰り返している」わけで、上司らしき人が内省しているのとは違います(内省とは真逆ですね)。
『新ハムレット』にはコーチは登場しませんが、長い一人語りを分析すると、各人の内部に架空のコーチがいて、無意識的な質問や囁きによって、内省がはじまっているような印象です。ただ、そのコーチは自分であるので、どうしても限界があります。結果的に「支離滅裂」のままにとどまってしまい、セッションとしてのゴールに至らないのですね。
そこに訓練を積んだコーチがいたら、どうであろうか…と思考実験をしてみました。もちろんハムレットのような難敵には苦労するでしょうが、『新ハムレット』のあらゆるシーンが、交流分析における「交差的交流」「裏面的交流」、さらに「交差的裏面交流…ゲーム」となっているので(3月9日のコラム~交流パターン分析と伊坂幸太郎の「AX」)、そのことをメタ認知で相対化させ…そしてコーチとしての自分が、ハムレットへのコーチングにチャレンジしてみると…ハムレットが陥っている負のスパイラルから脱する援助ができるかもしれない…と想像しました(笑)。
https://coaching-labo.co.jp/archives/3050
コラムの最後に、もう一つ引用してみます。
ハムレットのキャラクターは、太宰が自身のネガティブだと自覚している一面の人格を投影し造形しています。そして、それを指摘されることを回避したがる自分(太宰)を糾す役割を、ハムレットの子を身ごもったオフィリア(ポローニアスの娘)に与えます。
これは太宰作品によくあるパターンで、太宰が自分の内部に存在する複数の人格を使い分けて、キャラクター化させるのですね。そしてダメなキャラクター(男性です)を糾すのはきまって女性です。恋愛体質の太宰と符合させてしまうのは考えすぎでしょうか…(笑)
太宰は女性を立ててハムレット(自分?)の意気地の無さを糾します!
<オフィリア>
ハムレットさま、あなたは本当にいいのがれが、お上手です。ああ言えば、こうおっしゃる。しょっていると申し上げると、こんどは逆に、僕ほど、みじめな生きかたをしている男は無いとおっしゃる。本当に、御自分の悪いところが、そんなにはっきり、おわかりなら、ただ、御自分を嘲って、やっつけてばかりいないで、いっそ黙ってその悪いところをお直しになるように努められたらどうかしら。ただ御自分を嘲笑なさっていらっしゃるばかりでは、意味ないわ。ごめんなさい。きっと、あなたは、ひどい見栄坊なのよ。ほんとうに、困ってしまいます。ハムレットさま、しっかりなさいませ。愛の言葉が欲しい等と、女の子のような甘い事も、これからはおっしゃらないようにして下さい。みんな、あなたを愛しています。あなたは少し欲ばりなのです。ごめんなさい。だって人は、本当に愛して居れば、かえって愛の言葉など、白々しくて言いたくなくなるものでございます。
愛している人には、愛しているのだという誇りが少しずつあるものです。黙っていても、いつかは、わかってくれるだろうという、つつましい誇りを持っているものです。それを、あなたは、そのわずかな誇りを踏み躙って、無理矢理、口を引き裂いても愛の大声を叫ばせようとしているのです。(中略)
<ハムレット>
意外だね。君から愛の哲理を拝聴しようとは、意外だね。君は、いつから、そんな物知りになったのですか。いい加減に、やめるがよい。(中略)
この後、1ページ以上にわたってハムレットの反論が続きます。それに対してオフィリアも反論し、ハムレットのオフィリアを否定する言葉はヒートアップしていくのですね。
<ハムレット>
おさない事を言っている。君の信仰しているものは、それは邪教の偶像だ。
さらにハムレットの反論は1ページ続きます。
次回は、行動経済学に戻ってコラムを進めてまいります。
坂本 樹志 (日向 薫)
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