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心理学とコーチング ~アドラー その6~

「劣等性」は客観的なものである…この捉え方は、すごい発見だと感じています。ただ、そもそもは心理学用語であるinferiorityを訳した際に「劣等」を用いたので、日本語の響きとしては、「劣等性」と言われても、どうしてもネガティブに解釈してしまうのはやむを得ないところです。
「劣等」以外の訳語はないかと探してみたのですが、下級、粗悪…など、あまり響きはよくありません。
ただ一つ「遜色」という表現がみつかりました。広辞苑では「他と比べて劣るようす。見劣り」とありますので、同じ意味なのですが、「遜色性」とすると、イメージがちょっと違ってきますね。
脱線しました。

「狐と酸っぱい葡萄」の寓話で「劣等コンプレックス」を解明する。

「劣等性」、そして客観的であるにも関わらず劣等性に起因して発生する「劣等感」、さらに「劣等コンプレックス」、この三者の関係をアドラー心理学では次のように説明しています。

『例えば、狐と酸っぱい葡萄の寓話では、欲しい葡萄が見えていて手を伸ばしますが、背が低いために手が届かないとわかります。この場面ではストレスを経験しています。もし、自分が劣っていると感じるならば、それは苦悩になります。劣等性に伴う感情は、以前述べたように客観的な状況への私たちの評価なのです。その状況に適応する必要がありますが、もし、葡萄に到達するという難題に自分が劣っていると感じて尻込みし、しかも他人には劣っていると思われたくないときには、劣等コンプレックスが表れています。

そのような態度は、自分の創造性を駆使して葡萄に到達する方法を工夫する妨げとなります。人生の要求よりも外観や劣等性を優先していることになります。課題志向性というより名声志向性です。適応して生き抜き、栄える能力が弱まります。この名声志向性の態度は、個人の適応を妨げるのみならず、効果的に支援システムを利用する能力を弱めます。換言すれば援助を求めなくなるでしょう。

名声と金銭的価値を強調しすぎて課題を重要視しなくなり、効果的に機能できなくなります。見かけだけを保ち、恥と失敗を恐れるために選択の自由と選択力が弱まります。これは自分にとってのみならず周囲の人にとっても不適応なことです。(現代に生きるアドラー心理学/ハロルドモサック&ミカエルマニアッチ・一光社2006年)』

新しい部署に異動したAさんが陥ってしまった負のスパイラル…

私たちに起こりがちな現象・態度をうまく説明してくれるなぁ、と感じます。
例えば、新しい部署に異動となったAさんに、本人にとっての新しいがタスク(課題)与えられます。そのことに取り組む場合に、「一応マニュアルとなっているけど、この部分は理解できないなあ…マニュアル作成者の個性が前面に出すぎていて、マニュアルとは言い難いよ。ただ、このチームにとってはどうも常識のようだ…異動前の部署では、業務知識が高いと評価されていたので、変に質問して、『Aさんって、こんなことも知らないんだ』と思われるのもイヤだし…」と感じ、質問することに二の足を踏んでしまう場合です。

ただ、その知らないことが業務遂行に当たって極めて重要なことであり、質問をしないまま次のフローに進もうと思っても頓挫してしまいます。周りは、特に質問が来ないので、そのことは当然知っていると解釈します。Aさんはあせります。時間経過とともに、ますます質問しづらくなります。ただ、プライドが邪魔をし(劣等コンプレックス)、質問する機会をどんどん遠ざけてしまいます…
多かれ少なかれ、ありがちのことですよね。

上記で「この名声志向性の態度は、個人の適応を妨げるのみならず、効果的に支援システムを利用する能力を弱めます」と記述されていますが、まさに、負のスパイラルに陥っていく典型的なパターンです。
解決は「質問すればよい」のです。たったそれだけのことですが、その簡単なことができないことが往々にして発生してしまう…これが人生の営みなのかもしれませんね。

「劣等コンプレックス」に捕らわれた場合に、それを隠したいという意識がメインになってしまうと、そのために膨大なエネルギーを費やしてしまうことになります。いわば不必要なエネルギー浪費です。そして結局のところ本人のみならず、周囲の人たちも“大きな損”を被ってしまう、という流れです。
今、目の前にあるちょっとした面倒を、ほんの小さな気力体力を使ってクリアしていけば、最終的に大きな困難を回避することができる」、というのは、わたしが作ったささやかな格言です。

アドラーが提起した「ライフタスク」とは?

ここでアドラー心理学の用語を解説します。Aさんの事例で、“本人にとっての新しいタスク(課題)が与えられます”、と表現しました。あえて英語の「タスク」を使っていますが、アドラーは「ライフタスク(人生の課題)」というワードを提示しています。『現代に生きるアドラー心理学』の中で関連するところを紹介してみましょう。

『アドラーは、人間が向き合わねばならない三つの主な挑戦について述べました。自分のライフスタイルがどうであろうと、これらの問題には見解をはっきりしなければなりません。すなわち「仕事」、「社会的関係」、そして「性」が三つのライフタスク(人生の課題)であり、後世のアドラー心理学者たちは、アドラーが示唆していたものとして、これらの他に二つを挙げています。それは「自己」と「スピリチュアル(霊的)なもの」の問題です。(中略)しかし、人生とそれに付随する責任は、必ずしも私たちの要求に適合しません。

人生に対し、私たちのライフスタイルや価値観、期待を通そうとすればするほど、押し戻されてしまうかもしれません。結局、私たちが人生に適応しなければならなくなります。(中略)「挑戦」と呼んだものが、私たちが生き残り、栄えていくのにふさわしいかどうか、私たちの能力を厳しく査定するのです。私たちの認知地図は、差し出される新しい地形を案内できるように修正され、再起動されていく必要があります。

もし、私たちが自分の要求や信念、認知に強くこだわっていれば、状況からの要求に対応しきれませんし、タスク(課題)にまともに向き合う準備がされておらず、柔軟でもオープンでもなければ、これらのタスクはストレスになるし辛いものとなります。』

「スピリチュアル(霊的)なもの」とは?

5つのライフタスクのうち、「スピリチュアル(霊的)なもの」は、一神教文化圏では自明のもののようです。少し解説しておきましょう。このタスクにはサブタスクとして、神との関係性、宗教、宇宙、永遠性、人生の意味、があります。この中の、神との関係性について、同じく『現代に生きるアドラー心理学』から抜萃してみましょう。

『神に関した自分の意見とは何か? 私は神を信じているか? そうでないか? もし信じているなら、許さないで罰をあたえたり、愛したり、あるいは冷淡だったりというような神をどう判断するのか? どのように神への理解とつき合うべきか? つまり、どのように神を理解するか、あるいはしないかでライフスタイルの多くのダイナミズムがはっきりとわかるのです。神がいないと思い込んでいるのなら、「何を自分が信じるのか?」という問いも同様です。』

私があえて「一神教文化圏」とした理由については、類推していただきたいと思います。宗教というのは、それを信じている人と、そうでない人との間で、他の宗教への“本質的”理解という点で、もっとも困難なテーマだと感じています。多くの日本人が宗教に抱いている“漠然とした感覚”とは異なる、“苛烈なとらえ方”が、ひしひしと伝わってきます。

ユダヤ人であるフロイトは、「精神分析の世界化」を人生の目的としました。そのためユダヤ教からもキリスト教からも距離を置くことを終生自分に課していたと言われています。ただ、その生きざまを見るに、超自我の力で抑え込んでいたのでは? と想像してしまいます(私の飛躍的解釈なのでご容赦のほど)。

ユングはスイスの牧師館で生を受けているので、生まれたときからキリスト教に包まれた環境でした。ユングは、牧師である父親の神に対する姿勢に疑問を持ちます。つまり父親以上に「神とは」を突き詰めた人生であり、スピリチュアルという意味では、ユングその人がスピリチュアルを体現しているのかもしれません。そして面白いことに、普遍的無意識を探求するうちに、キリスト教をも超えたスピリチュアルの世界に没入していくのです。

アドラーはユダヤ人です。宗教に対してフロイトのようなスタンスはとっていません。後半生からは、特定の宗教を超えた広がりを持った宗教観での発言が増えています。もっともその基盤は、一神教の世界観に立っていることは上述からも伝わってきますね。

「仕事のタスク」を通じてアドラーの世界観を理解する。

今回のコラムの最後に、ライフタスクの最初に登場する「仕事のタスク」に触れておきます。アドラーの発言です。

『最初のやっかいなタスクは、職業のタスクである。私たちはこの惑星を犠牲にして生きている。この惑星が唯一の源なのだ。こうした状況のもとで問題に正しい答えを見つけることが人類の課題であった。どの時代でも、人類は一定のレベルの解決までは到達した。しかし、いつでもより以上に改善し、完成していくことが必要とされた。(現代に生きるアドラー心理学)』

この発言から、私はSDGsをすぐに連想しました。「仕事のタスク」についての発言なのですが、地球規模、そして持続可能な開発(Sustainable Development)について言及しています。アドラーは1937年に亡くなっています。今日では、地球環境問題こそが世界中に人々にとって、最もリアルに共有できる課題ですが、世界がこの環境問題を認識するようになったのは、ローマクラブが『成長の限界』を発表した1972年以降と言われています。

「地球は太陽エネルギーの恩恵はあるものの、基本的には物質の出入りのない閉鎖系である。したがって、有限の物質を資源や燃料として使用する活動は、高エントロピーの廃熱や廃物を蓄積させることになる。資源やエネルギーの有効利用、環境汚染の防止など、エントロピーの増大を抑制することが、地球の存続にとって重要な課題となる。」というのがその内容です。

アドラーは「仕事のタスク」の説明で、大きな世界観を示しているのです。アドラーが人生の最終目的としたのが「共同体感覚」ですが、その根幹がこの発言にあることをわれわれは知ることができます。

今後のコラムもアドラーを取り上げてまいりますが、次回はインターミッションとして、趣の異なったテーマを取り上げたいと思います。

坂本 樹志 (日向 薫)

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