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マイクロソフトCEOサティア・ナデラ氏のエグゼクティブコーチ、そしてメンターは誰なのか…『Hit Refresh』の中にちゃんと書かれています

ほかの人もあてはまることだが、さまざまな歴史的変化が重なり、その恩恵を受けることができた私は、大変幸運だった。その歴史的変化とは、インドの独立、米国の公民権運動(それにより米国の移民政策が変わった)、そして世界的なITブームである。
(『Hit Refresh~マイクロソフト再興とテクノロジーの未来(39ページ)』より引用)

前回のコラムは、南インドのハイデラバードで過ごした幼少期の記述を引用しながら、「ナデラ氏のアイデンティティはどのように形成されていったのか」、について考察しています。
今回は、ハイデラバードから、米国に留学し、エドモンドのマイクロソフト本社に至るナデラ氏の足跡を描いてみましょう。そこには、ナデラ氏自身が語る妻となるアヌ氏とのロマンスも記されています。

ナデラ氏のambitionが幸運を呼び寄せている!

Hit Refresh』には、冒頭の引用にあるように「幸運だった」という、ナデラ氏の言葉が繰り返し登場します。ただ、その「幸運」は、決して受動的なものではなく、大いなる志(ambition)を抱き、そのことを追い求め続ける生きざまによって、幸運があちらからやって来る、つまり「呼び寄せている!」と、筆者は感じています。

こうした変化があったからこそ、1990年代のITブームの直前に、ソフトウェアのスキルを持って米国に来ることができたのだ。そう考えると、これほどの幸運はない。
ウィスコンシン大学では前期に、画像処理とコンピューター・アーキテクチャ、そしてLISP(長い歴史を持つプログラミング言語)の講座を取った。最初の課題は、膨大なプログラミング・プロジェクトだった。私はそれまで多少コードを書いたことはあったが、どうひいき目に見てもプログラミングが得意とは言えなかった。(40ページ)

ナデラ氏は、「誰でも初心者の時はある」と、当たり前に納得できる言葉を続けます(笑)。必死にスキルを身につけようと、ナデラ氏は奮闘努力します。

だが一度そのスキルを身につけてしまえば、これほど役に立つものはなかった。私はかなり早い時期から、マイクロコンピューターがいずれ世界を変えるだろうと思った。(41ページ)

多くの学生が「チップ設計」を専攻するなかで、ナデラ氏は、ちょっと違った方向に興味を持つようになります。ここから専門的、技術的な内容が続くのですが、「言い換えれば…」と、チャンクアップで説明してくれているところを引用してみます。

言い換えれば、こういう問いに答えるものだ。無限の可能性のある問題について、必ずしも最適とは言えないが、ある程度正しい解を迅速に見つけるにはどうすればいいか。その際に、現段階でできる限り優れた解を出すのか、それとも最適の解を永遠に求め続けるのか。(42ページ)

ナデラ氏は「理論コンピューター科学」に心を奪われた!

「生成AI」が登場している現在からすると、当時のコンピューターの能力レベルの低さは、容易に想像されます。ナデラ氏は、その「限界」のなかで「チップ設計」に携わることにポジティブにはなれなかったようです。ナデラ氏は未来を空想していたようで、「理論コンピューター科学」に心を奪われます。
そこから、数学者でありコンピューター科学者のジョン・フォン・ノイマンアラン・チューリングに夢中になり、量子コンピューターに魅了されていくのです。

ナデラ氏は、当時を振り返ります。

考えようによっては、これらはCEOになるためのいい訓練になった。CEOも一定の制約条件の中で、迅速な判断を求められるからだ。
ウィスコンシン大学でコンピューター科学の修士課程を終える頃には、現在マイクロソフトが独立系ソフトウェア開発会社(ISV)と呼ぶ企業で働く機会にも恵まれた。修士論文を書きながら、オラクルのデータベース・アプリを開発したのを覚えている。関係代数が得意だった私は、その頃にはデータベースやSQLのプログラミングにかなり熟達していた。それは1990年の初めで、ちょうどテクノロジーの操作が、UNIXワークステーションのようなテキストモードから、ウインドウズのようなグラフィカル・ユーザー・インターフェイスに変わりつつある頃だった(訳注*ワークステーションとは、特定の作業に特化した業務用の高性能コンピューターを指す)。
だが当時の私は、マイクロソフトのことなど考えもしなかった。ずっとパソコンを使っていなかったからだ。私はより高性能なワークステーションにばかり目を向けていた。(42ページ)

ナデラ氏のキャリアのスタートは、サン・マイクロシステムズ

ナデラ氏は、1990年に大学を卒業すると、シリコンバレーにあるサン・マイクロシステムズに就職します。当時の同社には「驚くべき才能が集まっていた」と語ります。
「驚くべき才能」のその人たちとは…

創業者のスコット・マクネリーとビル・ジョイ、Javaを開発したジェームス・ゴスリン、当時ソフトウェア開発担当副社長を務め、のちにノベルやグーグルの経営に携わったエリック・シュミットなどだ。(43ページ)

エリック・シュミットが登場しました。『1兆ドルコーチ』を、コラムで取り上げた(2022年2月13日)ことを思い出しています。

さて、米国では経営者の7割にエグゼクティブコーチがいる、と言われます。『1兆ドルコーチ』でも、しっかり記述されているように、スティーブ・ジョブズのコーチであり、グーグルの創業者たちを、ゼロから見守り、伴走してきたのが、ビル・キャンベルです。『1兆ドルコーチ』を読み込むことで、米国的なコーチングの世界をコラムで描いてみました。

では、ナデラ氏のコーチは誰なのか…?
今回のコラムは、マイクロソフトに入社するまでを書いてみようと思ったので、その「誰か」は、まだ触れるつもりはなかったのですが、98ページにある1シーンのみを引用することにします。

CEO発表2日前の事前会議の場で、私はジルと、この失望した優秀な人たちを奮起させる方法について熱心に語り合った。私はその時、彼らが非難をするばかりで自分の責任を投げ出していることに少々いらだっていた。するとジルは私を遮って言った。「あなたは気づいていない。彼らも本当はもっと仕事がしたいと思っている。でも、それができずにいるのよ」。つまり、最初の仕事は社員に希望を抱かせることだ。それが変革の第一歩となる。まずは内部から始めなければならない。

最初の仕事は社員に希望を抱かせること、それが変革の第一歩!

このジルとは、ナデラCEOの主席補佐官である、ジル・トレイシー・ニコルズ氏です。この『Hit Refresh』は、ナデラ氏の「自伝」ですが、彼女は共著者として名前を連ねている人物なのですね。
このシーンが象徴するように、CEOであるナデラ氏に対して、“見事な”フィードバックで応えます。 

日本では「エグゼクティブコーチ」というと、個人で活動するプロコーチ、あるいは弊社のように、エグゼクティブコーチの育成、そして実際のエグゼクティブコーチングを展開する「コーチング企業」をイメージする人がほとんどだと思います。

ところが米国の場合は、企業組織のライン部門、スタッフ部門という従来型の職能とは別に、独立した「エグゼクティブコーチング」を担う役職を設けている場合も多いのです。その呼称として「首席補佐官」は一般的です。それだけ米国は、エグゼクティブコーチが根付いているということなのです。

「主席補佐官」は、組織内で重要な役職を担う人々の一員です。具体的には、経営者やエグゼクティブのサポートを行い、戦略的な意思決定や業務の効率化に貢献します。この役職は、組織の中で高い地位にあり、経営陣と連携してビジョンを実現するために重要な役割を果たします。(チャットGPTの回答を抜粋)

ナデラ氏が、サン・マイクロシステムズに在籍した期間は2年間です。そして、あることに気づきます。

サンは数か月ごとに、採用するグラフィカル・ユーザー・インターフェース戦略を変更した。それはつまり、自分のプログラムをそのたびに修正しなければならないことを意味する、私は次第に、会社の説明に納得できなくなっていった。いくら驚異的な指導力や能力があったとしても、効果的なソフトウェア戦略を立て、それを堅持することはなかなかできないということだ。(44ページ)

ナデラ氏がアヌと結婚したのは「NP完全問題」だった!?

このあと、「私はアヌと結婚したいと思っていた。私はアヌと結婚し、米国に連れてくるつもりでいた」という言葉が続きます。アヌ氏とはどのような人物なのか…

その頃の私は、仕事に集中していたものの、とても落ち着いていられる状態ではなかった。マイクロソフトに入社する直前、インドに戻った際に、幼なじみのアヌと結婚の約束をした。(49ページ)

ナデラ氏は、「私がいつアヌに恋心を抱いたのかと問われても、NP完全問題だと言うほかない」という「謎」の言葉で煙に巻きます。その世界に疎い私は、思わずチャットGPTに、「NP完全問題とは?」と、シンプルな質問を投げかけました。すると…難解極まる解説の文字が連なります。とりあえず、最後の「まとめ」のみを引用しておきます。
「複雑すぎて、よくわからない…」と粋な回答を用意したナデラ氏のメタファーでした。

NP完全問題は、クラスNPに属するすべての問題から多項式時間還元可能であるため、非常に難解な問題とされています。具体的な例として、ハミルトン閉路問題や充足可能性問題がNP完全に属しています。これらの問題は、現在の計算機科学において解法が見つかっていないため、NP完全問題の解決は重要な課題となっています。

そんな頃、運命の電話がかかってきます。

これまで同様、何の人生計画もなかった。ところがある日の午後、ワシントン州レドモンドのマイクロソフト本社から電話があり、思いがけない新たなチャンスをつかむことになった。また「リフレッシュ」ボタンを押す時が来た。(44ページ)

ナデラ氏のメンターは前CEOのスティーブ・バルマー

今回のコラムの最後に、前CEOであるスティーブ・バルマーとの出会いの箇所を引用することにします。『Hit Refresh』には、さまざまなシーンで、バルマー氏が登場します。ナデラ氏が語るバルマー氏の姿からは、「両者の性格はかなり異なっているなぁ…」と感じられます。そのうえで、「深く尊敬している」ことが、はっきりと伝わってくるのですね。
「バルマー氏は、ナデラ氏にとっての最高のメンター」である、というのが私の結論です。

入社して間もなく、私は初めてスティーブ・バルマーに会った。スティーブは私の職場に立ち寄り、サンを離れてマイクロソフトに入ってくれたことを称え、実に表現力豊かなハイタッチをしてくれた。以後、スティーブとは、長年にわたり興味の尽きない楽しい会話を繰り返すことになった。当時のマイクロソフトは、ミッションとエネルギーに満ちあふれていた。可能性は無限大だった。(47ページ)

坂本 樹志 (日向 薫)

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